セーターとあんみつ
小学生の頃、家族で行ったデパートの屋上のビアガーデンのカラオケ大会で、親父が「来てもらえないと分かっているセーターを、寒さを堪えながら編む」という歌詞の歌を歌ったことがあった。
自分の父親が人前で歌っているというだけでも恥ずかしいのに、親父が変な節をつけて妙に色めかしく熱唱するので、居た堪れなくなってトイレに逃げ込んだ。
親父の歌声が聞こえなくなって、ようやく落ち着きを取り戻すと、私は子供心に思った。
何て救いのない歌詞なんだろう、と。
四十年以上の年月が経った今でも、この場面のことを思い出すことがある。それは、五分の会議のために三十枚の資料を作らないといけないようなシチュエーションのときだ。
見てはもらえぬプレゼンを作りながら、この場面のことを思い出して、そしてやはり思うのだ。なんて救いがないんだろう、と。
インド土産を選ぶという行為もまた、それに近い。
赴任して半年がたったころ、本部でのグローバル会議に参加するために日本出張することになった。
嬉しかった。五十歳らしく落ち着いて振舞ってはいたけれど、内心では踊りだしたいくらい嬉しかった。
浮かれすぎて、出張が決まった日の夜、シャワールームでジェームスブラウンのI feel Goodを口ずさみながらステップを踏んでいて、足を滑らせて腰を強打した。あやうく日本出張に行けなくなるところだった。
日本に一時帰国できるのは嬉しかったけれど、出発までに準備しないといけないことがたくさんあった。
まずグローバル会議で報告する資料、それから不在にする間のインドでの業務の段取り、そして最後に嫁さんへのお土産だ。
そもそも、お土産と言うのは選ぶのが難しい。何故か?お土産とはセンスを贈るものであり、センスと言うものは他人とは合わないものだからだ。特に嫁さんと私のセンスは決定的に相いれない。
二十年も前の話だが、フランス出張のお土産にエルメス本店で買ったスカーフを若かりし頃の嫁さんに買って帰った。
包みを受け取った嫁さんは、輝くような笑顔を浮かべた。そして、箱を開けてスカーフの柄を見た次の瞬間、その笑顔は絶望的な表情に取って代わられた。あのコントラストのことを、私は一生忘れることがないだろう。
まだ結婚して間もない頃だったから、部屋の照度が二段階下がったくらいで済んだが、今なら「次の出張の時に返品してこい」くらいならまだしも、「このスカーフ代を私に払え」などと訳の分からない罵詈雑言を浴びたに違いない。
と言うことで、インド土産の定番とも言えるカシミヤのストールは候補から消えた。
そうなると必然的に選択肢は食べ物に絞られた(仏像等の置物類は、以前にスカーフどころではない騒動を引き起こしたことがあった)。
食べ物だってセンスと言うか好みが別れるところではあるが、出費が少ない分、ハードルは下がる。インド以外の国の出張でも、最近はもっぱらお土産は地場のメーカーのチョコレートかクッキーだった。
ところがここで、インドが私の前に立ちはだかった。インドの食品を口にしたくないという嫁さんの反応が、容易に想定されたのだ。
まあ、これはインドや、嫁さんに限った話じゃなかった。
うちの会社の東京事務所には海外からの出張者が買ってきたお土産を置いておくスペースがある。仕事の合間に、みんなそこに足を運び、日本では珍しいお菓子をつまんだりするのは、ちょっとした楽しみで評判が良い。
ところが、ここでも国・地域によって人気が分かれる。
ヨーロッパのチョコレートやアメリカの小袋に入ったドライフルーツ&ナッツ、台湾のパイナップルケーキなどはあっという間になくなるが、マイナーなしかも衛生状況が疑われるような国のお土産は、一向に在庫が減らない。
そして、そのまま月日が流れ賞味期限を迎えたお土産がどうなるかと言えば、誰も(買ってきた出張者も、それを食べなかった社員も)傷つくことがないよう、気が利く社員にこっそりと処分されることになるのだ。
今のご時世、世界中どこでも食べ物の安全なんて確保されているし、そんなのって、その国で生活している出張者や、その国人たちに対して失礼極まりない話だと思う。
思いはするものの、実際に海外での異物混入のニュースを目にすることもある(実際には、日本でも起きているのだけれど)ので、気持ちは良く分かる。と言うか、逆の立場だった時は私もその内の一人だった。
しかも、そんな不当な評価を受ける国のランキングでも、インドは王者に限りなく近い。というか絶対王者と言っても過言ではないし、職場よりも嫁さんは遠慮がない。
下手したら、「私を早死にさせる魂胆か。それならこっちにも考えがある」なんて、物騒な話にもなりかねなかった。
一方で、この問題には回避策があった。
過去の出張者がやっていた作戦なのだが、その国(今回の場合はインド)のテイストは打ち出しながらも、みんなに安心してお土産を口にしてもらう方法があるのだ。
それは、「欧米や日本のメーカー製のインド土産を買う」というものだ。
こういった製品には、単に箱のデザインだけがインド風であるような場合もあれば、カップヌードルのマサラカレー味のようにインド限定味みたいな場合もあるが、どちらのケースでもメーカーのブランドイメージがインドのカントリーイメージを相殺してくれているという構図は一緒だ。
この構図が機能することは、私自身も感じていたので間違いはなかった。
というわけで、帰国前の最後の週末、パッキングをしていた時点では、私もその作戦で行くつもりだった。
実際、帰国当日。空港の免税店で、タージマハル・パッケージのインドとは何の縁もゆかりもないヨーロッパのブランドのチョコレートを私は手に取った。何なら、レジで見せる用の搭乗券を胸ポケットから取り出しながら、足を踏み出しかけさえした。
ところが、ここで私自身が想像もしていなかった事態が生じた。
こんな、なんちゃってではない本当のインドを知ってもらいたいという感情が突然胸の奥から湧き上がってきたのだ。
それは、普段あれだけ文句を言っていながらも私の中にいつの間にか芽生えていた愛インド心、あるいは自分が暮らしているインドのことを知ってもらいたいという中年男性の俺にも構ってくれよ心の発露だった。
私の足が止まった。すると、まさに私が足を止めた目の前の棚に、いかにもインド人の三歳児くらいの子供の絵がパッケージ全面に大きく描かれた、インド版ビスコみたいなクッキー私の目に飛び込んできた。
何と言うか、そのパッケージの子供の目力の強さが、すごいインドだった。
これだと思った。そこにはたしかにインドがあった。いや、あり過ぎた。正直私自身も、これを食べるのはちょっとなあ、と腰が引けた。
このクッキーから、嫁さんがインドに興味を持ってくれたり、私に優しくなってくれる可能性もゼロではなかった。一方で、熟年手前離婚の危機を迎える可能性もゼロではなかった。
ザ・ハイリスク・ハイリターンだった。
この時点で、私の頭の中から中途半端なタージマハル・チョコレートは消えていた。インド三歳児ビスコで行くのか、行かないのか。その二択だった。
私は悩んだ。悩みに悩んだ。私が乗る飛行機の便の最終搭乗案内を二回聞くくらい悩んだ。そこまで追い込まれた私の決断の後押しをしたのは、それもまた過去の土産を巡る嫁さんとのやりとりの一場面だった。
品物が何だったかは覚えていないが、嫁さんは私に言った。
「あなたは、人が欲しいと思うものじゃなくて、自分が贈りたいと思うものを贈る」
私は思った。
お土産とは本来そう言うものじゃないのか。
あの時の、嫁さんの目に燃え上がった冷たい炎と、私の胸の中に湧き上がって来た嫁さんに反発する怒りの熱い感情が、その場面と一緒に色鮮やかに私の中に蘇ってきた。
答がそこにあった。最初からそのことに気が付きさえすれば、悩むことなんてまるでなかった。すっきりとした気持ちで日本に帰れることに、ほっとした。過去から続く因縁にけりを付けて、気分が高揚した。
で、羽田空港であんみつを買った。
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