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願望

 ビデオ会議の裏で、チャットがざわついていた。

 緊急のビデオ会議だった。自社で製造・販売している機能性食品の品質問題に関する記事が掲載されると若手社員の斎藤が出版社に勤務する大学時代の友人から聞きつけ、大下部長、高山課長、村井チームリーダーに招集をかけたのだ。

 この会社では、バッドニュースファーストが徹底されており、何か問題を発見した者は、事前の予定が無くてもすぐに会議を開催し、まずは応答できたメンバーだけで情報共有・協議するということが珍しくなかった。

 斎藤がコールをしたのは日曜日の夕方で、招集をかけられた部の責任者三人は全員家におり、すぐに会議に参加した。突然の会議の意味を理解しているため画面に映し出された表情は真剣だったが、休日と言うことでその服装は普段よりもずっとラフだった。

 高山は先日の会社のゴルフコンペでも着ていたポロシャツ、村井は前面にロックバンドのプリントがされたTシャツ、部長の大下も普段なら見ることのないような普段着で会議に参加していた。

 五十代前半の女性部長である大下は社内で目立つ存在だ。

 数少ない女性の管理職だということもあるし、実際に仕事もできる。その上、人間として器も大きく信頼できる上司として部下からの信頼も厚い。いずれ役員昇格もあるという噂もある。しかも、大下は女性としても魅力的なのだ。

 二十代で結婚してから子供を二人出産し、上の子供は結婚、下の子供ももう大学生という立派なお母さんだ。それに、いわゆる美魔女のように特別に若く見えたり、スタイルが抜群に良かったりするわけではない。だが、大下にはどこか男性の心をくすぐる雰囲気がある。

 そういうわけで、ロールモデルとして崇める女性社員だけでなく、大下には男性社員の中にもファンが多い。

 実は斎藤もその内の一人だった。その日のビデオ会議も、悪いニュースを報告しないといけないことは気が重かったが、大下の私服姿を見れることには少しドキドキしていた。

 ビジネスカジュアルで出社してくる責任者も多い中、オフィスでの大下はいつもスーツを着ている。本人曰く、「スーツが選ぶのに一番時間がかからない」からなのだそうだが、シンプルなデザインのスーツは清潔感があり、大下の魅力を引き立てている。

 一方で、この日画面の向こうに現れた大下は、ニットのセーターにジーンズという格好だった。いつもはコンタクトを着用しているのだろう。普段はかけていない大ぶりなメガネをかけた大下は、どこか隙のようなものを感じさせて、斎藤が思わず、

「これはこれで、」

 と呟いたほどだった。

「ん?なんか言った?」

「あっ!!いえ、何でもないです。それでは、皆さんお集まりいただいたので、早速ですがご報告させていただきます」

 こんな風に打ち合わせは始まった。

 最初の内は普通に進んでいた打ち合わせが脱線し始めたのは、斎藤の報告とそれに関する質疑応答が一通り終わり、対策について検討し始めた頃、きっかけは画面越しに映る大下の背景だった。

 画面設定で大下の背景がぼかされていることが分かった時、大下の自宅の室内が見れるんじゃないかと密かに期待していた斎藤はがっかりしたのだが、それでも、どうやらそこが書斎らしき部屋だということは分かった。

 実際、大下自身が、

「娘が家を出て部屋が空いたから、自分の部屋ができて助かった」

 と言うようなことを以前に言っていた。

 ぼんやりと映し出された部屋の中には本が並べられているらしき棚と、大下がヘッドセットで会議に参加しているため音声は聞こえなかったが、つけっぱなしになっているテレビが確認できた。

 このテレビが問題だった。正確には、テレビに映し出されている映像が問題だった。ぼやかし用の白いスクリーンの向こう側で、何やら肌色の物体が蠢いていた。

 対応について常務と会話するために大下が電話をかけるため、一時打ち合わせが中断すると、高山がチャット応酬の口火を切った。

『おい、部長の後ろのテレビに映ってるあれさ』

『あ、課長もやっぱり気が付かれましたか、俺も気になってたんです』

 村井が応えた。

『あの色合いは、どう見ても人間だよな』

『ですね。しかも肌色の割合、丸みを帯びたフォルムから推定するに』

『裸か』

『裸!!、まさか大下部長の!?』

 チャットとは思えない熱量で斎藤が割り込んできた。

『馬鹿。さすがに、それはないだろ。まあ、妥当なところで言えば』

『妥当なところで言えば・・・?』

 (つばを飲み込む音)と注釈をつけたくなるような斎藤のチャットに対する、村井の回答は冷静だった。

『まあ、アダルトビデオだろうな』

『いや先輩、それはないんじゃないですか?だって、大下部長って部長って、五十代の女性ですよ。そんなの見るわけないじゃないですか。しかも、百歩譲ってそうだったとしても、ビデオ会議が始まってるのに、そんなのつけっぱなしにしときますか?』

『斎藤。五十代の女性でも人間だ。人間である以上、そう言うことに興味があっても何の不思議もないだろう。そしてまた、人間である以上、うっかりミスを起こすことだってある』

『とは言え、それはうっかりしすぎでしょう』

『村井、斎藤、上司命令だ。部長に確認しろ』

『課長、それは無理ですよ。もし確認してみて、本当にあれがアダルトビデオだったら、明日からすごく気まずくなりますよ』

 高山の発言が冗談だということを分かっている村井は、きちんとそれに乗った上で、適切なコメントを返した。

『あー、僕は、知りたいような、知りたくないようなすごく複雑な気分です』

 冗談が聞き分けられる状態にない斎藤は、頭を掻きむしっている音が聞こえてきそうなコメントを返した。そして、このタイミングで画面の中の大下が電話を切った。

「ごめんなさい。待たせたわね。今、木村常務と話したけど、記事が出る前に、こちらから調査状況について公表しようって言うことになりました。明日以降、関連部署とのやりとりが大変になるけど、よろしくお願いします」

 と、切り出した大下の顔に、怪訝な表情が浮かんだ。

 だてに長く管理職を務めているわけではない、部下の表情の変化を読みとることなんてお手のものだった。し、三人の部下の顔は、そんな手練れでなくても一目瞭然なくらいに、無防備に緩んでいた。

「どうかした?」

「いえ、私は何もありません。おい、村井なんかあるか?」

 まず、高山が村井に振った。

「自分も大丈夫です。斎藤、お前は?」

 次に、村井が斎藤に振った。

 斎藤も自分たちと同じよう否定し、仕事の話に戻る。高山も村井も、そう信じて疑わなかった。

 ところが、憧れの大下に対するあらぬ妄想で、斎藤は平常心を失っていた。かつ、最終的なせめぎあいの末、斎藤の中であられもない事実を知ってみたいという気持ちが勝っていた。気が付けば、思わず口走っていた。

「私は知りたいですっ!」

 その瞬間、高山と村井の顔にははっきりと『おい、馬鹿!』と書かれていた。

「知りたいって、何を?」

 大下は斎藤を正面から見据えて言った。まあ、ビデオ会議だから、実際にはカメラの方を向いていただけなのだが、斎藤にはそんな風に感じられた。

 同じ部とは言え、部長と一若手社員だ。直接会話する機会は多くない。大下から見つめられて(見つめられたと勘違いして)舞い上がった斎藤は、高山と村井の制止の無言の叫びを振り切るように大下を問い質した。

「大下部長が今、後ろのテレビで流されている動画って何の動画ですか!?」

 一瞬大下は、斎藤の質問の意味が分からないような表情を浮かべ振り返ると、合点が行ったようにこちらに向き直って言った。

「ああ、ごめんなさい。消し忘れてたわ。この間、初孫が生まれたんだけど、娘がそのビデオを送ってくれたの。婆馬鹿なんだけど、ほんとピンク色でぷにゅぷにゅして可愛いくって、暇があったらビデオを見て癒されてるのよ。・・・え、なんでみんながっかりしてるの?」


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