33 女神の竪琴
12月31日の夜、レイア・イングラムはこの夜を去った。
年越しだというのにその晩、夫のカフスは実家に帰っており、レイアは寝室に一人だった。
一人の夜を過ごす間、寝室からは竪琴の音色が流れていたという。レイアは竪琴の名手で、よく好んで弾いていたそうだ。
そのため大晦日にほとんど一晩中竪琴が奏でられていても、使用人たちは特に疑問には思わなかった。
そうして新年を迎えた朝、ミアが寝室に入ると、心臓を抜き取られたレイアの遺体がベッドに横たわっていたのだ。彼女が弾いていた竪琴はすべての弦が切れ、血まみれの床に転がっていたという。
新年早々、イングラム家は大混乱に陥った。一月前に前当主のガンクスが亡くなったばかりだというのに、今度は新当主のレイアが凄惨な亡くなり方をしていたのだ。
そのため、それから数日してようやく、使用人の一人が裏庭の異変に気づいた。
――平和の女神が持っていたはずの竪琴が、いつの間にか消えていたことに。
ルデートからレイア死亡時の話を聞いた後、私が自室に戻ろうとすると、今度は廊下の向こうで騒ぎが起こっていた。
「ホーソン! ホーソン!? どうしてこんなことに……嫌ぁぁぁぁぁ!!」
髪を振り乱して叫んでいるのは、ホーソンの母エレネだった。
たとえ豚でも実の息子の串刺し死体を見れば狂乱するのも当然である。
私がここで下手に声をかけたら面倒なことになると思い、見て見ぬふりをして部屋に戻ろうとした。だが、その姿をエレネに発見されてしまった。
「おまえ! おまえがぁ!」
叫びながらエレネは長いスカートの裾をたくし上げて爆走してくる。その剣幕に圧倒され、私は反応が遅れてしまった。本来なら急いで自室に駆け込み、鍵をかけてしまえばよかった。だが行動に移すよりも早く、エレネが突進してきたのだ。
「おまえのせいでホーソンがあんな目に遭ったんだ!」
怒りでリミッターが解除されたのか、初老の女性とは思えないほどの馬鹿力でエレネは私の胸倉をつかんでくる。抵抗の暇もなく、さらに彼女は私の仮面を剥ぎ取った。
「おまえは死んだはずだろう! 何で戻ってきたんだ、この悪魔が! ホーソンを返せ! 返せぇぇぇぇ!」
凄まじい力でエレネは喉元を締め上げてくる。まずい。このままでは新たな死体が出来上がりそうだ。いや、私は生身の体ではないから死なないか。
「義姉さん、落ち着いてください。その人はレイアじゃありませんよ。レイアは死んだんです」
暴れるエレネを背後から羽交い絞めにして取り押さえたのは、ガンクスの弟フランクスだった。
私から引き離されると、エレネは今度は泣き崩れた。
「嫌ぁぁぁぁ! ホーソン、ホーソンがぁ……っ!」
叫んで、エレネはフランクスの胸にしがみついた。それをなだめるようにフランクスは彼女の肩を抱き、そのまま引きずるように廊下の奥へと連れて行った。その様子はまるで長年連れ添った夫婦のようだった。
ようやく自室に戻れた私に、ミアが気づかわしげに声をかけてきた。
「お怪我はございませんか?」
「ええ、大丈夫よ。ちょっとびっくりしたけど……」
本当はちょっとどころではない。割りと本気で殺されるかと思った。
「無理もございません。立て続けにご家族を三人も亡くされているのですから」
ミアの言うことも一理ある。実際、この短い期間でエレネは夫と娘、息子を亡くしているのだ。だが、それにしてはエレネの台詞が引っかかる。
「あの、お義母様はレイアさんとあまり仲が良くなかったのかしら……?」
狂乱したエレネは、私をレイアだと錯覚していた。だからあの「悪魔」という言葉はレイアに対するものだ。レイアのせいでホーソンが死んだのだ、と。
いくら息子を溺愛していたにしても、自分の娘に向かって吐く言葉とはとても思えない。
「大奥様は、ホーソン様が勘当されてから、それをレイア様のせいだと思われたようでして……」
エレネとレイアは実の親子でも、もともと仲が良くなかったのかもしれない。そこへさらにホーソンの勘当があったせいで、いっそう娘を憎むようになったのだろう。
いや、それどころか憎悪を越えて殺意すら感じられた。
そういう意味では、エレネにはレイアを殺害する動機がある。だが、さすがにホーソン殺害の犯人ではないだろう。二人を殺した犯人が同一人物であるなら、エレネは容疑者から外れることになる。
「ねえ、ミア。レイアさんが亡くなられた夜、旦那様はなぜ実家へ戻っていたのかしら?」
この世界の風習はわからないが、年越しは普通家族で過ごすものではないだろうか。特にカフスは入り婿なのだから、一人だけ実家に帰るというのも不自然な気がする。
「ブランカ様が熱を出されたとのことで……看病のために戻られたそうです」
「クイール家は他の家族がいないのかしら?」
「いえ、ご両親がいらっしゃるはずです」
イングラム家のような富豪ではないので使用人はいないようだが、独身のブランカは実家で両親と同居している。いくら妹の体調が悪いからとはいえ、年末に妻を一人にして兄が実家で年越しをするものだろうか?
「以前からカフス様が実家に戻られることは少なくありませんでした。年末も恐らくブランカ様はカフス様にそばにいてほしかったのだと思います。お兄様のことをずいぶん好いていらっしゃるようですから」
確かにあれはかなりのブラコンだった。
つまりブランカは兄嫁に嫉妬して、兄を実家に引き留めて夫婦での年越しをさせなかったということだろうか。
兄の方も、ホーソンの死体発見時に一応は新妻である私を放置して妹を優先させる辺り、こちらもかなりのシスコンではないかと思うが。
カフスの件はひとまず置いて、私はもう一つ気になっていたことを口にする。
「レイアさんは竪琴が上手だったそうね」
「はい。幼少の頃から毎日のように弾いておられました」
「大人になってからも毎日?」
「いえ、そこまででは……ですが、一人の夜はいつも遅くまで弾いていらっしゃいました」
カフスが後妻の派遣を頼んでまで妻の死因を探ろうとするのだから、夫婦の仲は良好だったろうと思う。だから夫がいない夜の寂しさを紛らわすため、レイアは竪琴を奏でていたのだろう。
彼女が亡くなった大晦日の夜も、彼女はその死の直前まで弾いていた。
そして彼女の愛用していた竪琴も、主とともにその役目を終えたのだ。すべての弦が切れ、主の血に染まって。
竪琴とともに命を落としたレイア。そして平和の女神像から消失した竪琴。
正義の女神像の持つ剣で貫かれて死亡したホーソン。
これは偶然の一致だろうか? それとも――
庭の女神像は三体ある。
残るは花冠を携える豊穣の女神。
もしこの殺人が女神像をなぞらえているのなら、犠牲者はまだ出るということになるのではないだろうか。
――竪琴は平和の女神の象徴。
これが連続した殺人だとしたら、その最初の事件で失われた竪琴が暗示的ではないか。
ここから平和が破られることを表しているかのように。
あけましておめでとうございます。
ちょうど年越しの話が時期的にかぶりましたが、新年早々殺人の話でいいのだろうかとやや自問しつつ。
ついでにカテゴリ詐欺およびタイトル詐欺のようになっており、すみません。恋愛カテゴリで花嫁の話のはずなのに、今度の夫とは現在全然絡みがありませんね。そろそろ絡ませる……はず。もう少しお待ちください。
それでは本年もよろしくお願いいたします。




