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花嫁代行サービス始めました  作者: 北峰
イングラム編
34/36

32 三女神

 ホーソン・イングラム――だったものは、裏庭にうつぶせで倒れていた。

 その背中には剣のようなものが突き立っている。

 気は進まないが、私はホーソンの死体に近づいてしゃがんだ。そのまま手を伸ばそうとする私に、ミアが声を上げた。

「お、奥様……!」

 私だって正直嫌だが、仕方がない。この世界には警察もいなければ検死などという概念もないのだ。自分がやるしかないだろう。

 ホーソンの体は冷たく、死後硬直が全身に及んでいる。専門でも何でもない私は推理小説のにわか知識くらいしかないが、だいたい6時間から8時間くらい経過していることになるはずだ。

 全身ずぶ濡れなのは、昨夜の雷雨のせいだろう。犯人は雨が降り出しから上がるまでの間にこの裏庭でホーソンを刺したか、別の場所で刺した後、死体を移動させたということになる。土砂降りのせいで地面の血が洗い流されており、現場は特定できそうにない。


 他にもいろいろ気になる点はあったが、後ろがうるさくてそれどころではなかった。

 何しろ死体を前に、背後で大喧嘩が繰り広げられていたのである。

「おまえがホーソン様を殺したんだろう! この人殺し!」

 大声で糾弾するのは、被害者ホーソンの恋人アイナ・ジンレットだった。

「違います、私はそんな……」

 人殺し呼ばわりをされて戸惑うのは未亡人のリオーネ・ダントンである。

 アイナは目を血走らせ、鬼のような形相でリオーネにつかみかかる。このままでは第二の事件が起きかねない。

 周りにいる使用人たちもおろおろとするだけで、とても仲裁などできそうになかった。ここは一発くらい殴られるのを覚悟して止めるべきだろうか。

 本当に気が進まない。

 仕方なく一歩を踏み出したところで、不意に別の声が上がった。


「いったい何の騒ぎですか?」

 それはイングラム家の現当主、カフスだった。彼はそう尋ねてすぐ地面に倒れた死体を見つけ、顔をこわばらせた。

「これは――……」

 カフスは言葉を失った。それはそうだろう。昨日まで無駄に元気いっぱいだった豚が、今はただの肉塊になっているのだから。

 驚いて立ち尽くすカフスに、アイナは大声で訴えた。

「この女がホーソン様を殺したんですよ! 早く捕らえてください!」

「リオーネさんが? いったいなぜ?」

「それは、ホーソン様が……」

 アイナは言いよどんだ。もし彼女の言うようにリオーネが犯人だとしたら、動機はホーソンに言い寄られたからということになる。それを直接口に出すのは彼女の立場上、はばかられたのだろう。だが、

「昨日、部屋に泊まれと言っていたからですか? もしくは義兄さんがリオーネさんに夜這いをかけようとして逆に刺されたということですか?」

 カフスは全く忖度せずに尋ねた。そのあからさまな言いようにアイナは怒りをあらわにした。

「何よ、その言い方!」

 アイナが食ってかかると、今度はカフスの背後から別の声が上がった。


「動機ならあんたが一番あるんじゃないのぉ? 昨日は殴られた上に捨てられたんじゃなかったかしら」

 わざと煽るような言い方で相手を小馬鹿にするのはカフスの妹、ブランカ・クイールだった。

 アイナの怒りの矛先は、瞬時に兄から妹へと変わる。

「何ですってぇ!」

「ほらその顔、まだ昨日殴られた痕が残ってるじゃない。恨みが一番あるのはあんたでしょ」

「私はホーソン様を愛してるのよ! 何で殺さなくちゃいけないのよ!」

 ブランカが指摘する通り、事実アイナの頬は痛々しいほど腫れ、青黒い痣ができてしまっている。豚のDVの痕跡である。

 おまけに捨てられたのだから、正直なところ最も動機があるのは元恋人のアイナだろう。

 だが、動機だけで犯人と決めつけるわけにもいかない。


 死者を悼むどころか死体を囲んで醜い言い争いが繰り広げられるという異様な状況に終止符を打ったのは、家令のルデートだった。

「皆様、ひとまず部屋へお戻りください。ここは我々で片づけますので」

 今、この場にいるのはアイナ、リオーネ、カフス、ブランカ、ルデート、三人の使用人、そして私である。使用人の中には私を追いかけてきたミアの姿もあった。

 まだ起き出していないのか、母親のエレネの姿はない。溺愛する息子の変わり果てた姿を見れば、今以上に現場は大混乱になっていただろう。

 ルデートに促され、イングラム家の面々はぞろぞろと庭を後にした。

「お兄様、送ってくださる? 殺人鬼がこの近くをうろついているかもしれないなんて、私怖いわ」

 ブランカはちっとも怖くなさそうに、カフスにわざとらしくしがみつきながらそう言った。その様子はまるで恋人に甘える姿のようでもある。

 去り際、ブランカは私に勝ち誇ったような顔を向けてきた。カフスはそれをたしなめようともせず、妻である私に声もかけず、そのまま妹を連れて現場を離れていった。



 後に残された私は、ホーソンの変わり果てた姿を見下ろした。

 背中から刺され、地面に倒れ伏した、物言わぬ体。

 これは同時に私の姿でもあるのだ。

 時間は繰り返されているようだが、私は過去に二度、何者かに背後から刺されている。

 ナナキは私がまだ完全に死んでいないと言っていたが、それは本当だろうか? 本当の私はこんなふうに無惨な死体をさらしているのではないだろうか?

 本当は、ここで刺されて死ぬのは私だったのではないだろうか――?

 嫌な思考を追い出すように頭を振り、私は再びホーソンの死体を確認した。


 ずぶ濡れになった死体の背中に突き立てられた、一本の刃物。先ほどは気づかなかったが、よく見てみると、それは本物の剣ではなかった。

「これは……石……?」

 剣の柄は金属のようだが、刃の部分は石を削ったもののようだ。刃が体に深く刺さっているため、初見では見逃していた。

「それは女神の剣です」

 私の独り言に答えたのは、その場に残ったルデートだった。

「女神の剣?」

 ルデートはうなずくと、裏庭を指さした。

 この庭には北、南東、南西の三か所にそれぞれ一体ずつ石の女神像が立っていたのだ。

 ルデートの説明によれば、三女神は正義、豊穣、平和を司っているのだという。そして、女神たちの手にはそれぞれ剣、花冠、竪琴が握られている。剣は世の理、花冠は大地の恵み、竪琴は世界の調和を表しているのだそうだ。


「このうち正義の女神が持っていた剣が失われています。恐らくこれがその剣なのでしょう」

 ルデートはホーソンの死体を目で指し示した。剣は柄の近くまでホーソンの厚い肉体に深々と突き刺さっている。他の傷は見当たらない。

 背後から一撃でこの巨体を貫通させたのだ。よほどの膂力がなければ不可能だろう。しかも真剣ではなく、石の剣だ。

 アイナがリオーネを人殺しとわめき散らしていたが、とても女の細腕では無理な話だ。


 私は「正義の女神」像を見上げた。

 1メートルほどの台座の上に立つ、人間サイズの石像。右手が空に向かって突き出されているため、全長は3メートルほどになる。

 ポーズは自由の女神像に似ているが、その手は空だ。本来はここに剣が握られていたのだろう。正義の女神の剣が人殺しに使われたのは何とも皮肉な話である。


 他の女神像も確認するため移動しようとした私を、ルデートが呼び止めた。

「奥様もお部屋へお戻りください。奥様の身にも何かあってはいけませんから」

「それは、この屋敷の中にホーソンを殺した人間がいるという意味かしら?」

「いえ、そのような――」

 私の言葉にルデートは少々うろたえた。だいぶ正直な人物らしい。

「別に隠す必要はないわよ。昨日の雷雨の中、たまたま庭を散歩していたら強盗に襲われた、なんて可能性はほとんどないでしょうからね。昨日の様子を見ても、彼を恨んでいる人間は少なくないんじゃないかしら」

 ホーソンは勘当されるまでこの屋敷で暮らしていたのだ。恋人も平気で殴り倒すような男が、使用人から殺意を抱かれるほど憎まれていたとしても不思議ではない。

 すなわち、犯人はこの中にいる。そのことはルデート自身も充分理解しているはずだ。


 黙り込むルデートを背にして、私は裏庭の南西へと向かった。

 三体の女神像は、屋敷の南側に面する庭の北・南東・南西の三か所に正三角形を描くようにして立っている。

 そのうちの北側――すなわち最も建物寄りに立つのが、剣を持つ正義の女神像である。このそばにホーソンは倒れていた。

 そこから約五十メートルほど離れた先、台座の上に立つ南西の女神を私は見上げた。

「この女神像、何も手に持っていないのね」

 残る一体の女神、南東の石像は花冠を天に向かって捧げているのが目視でもわかる。北が正義、南東が豊穣の女神となると、残されたこの像は平和の女神のはずだ。

 その平和の女神は、本来なら世界の調和を示す竪琴を持っているはずだが、なぜか徒手だったのだ。

「平和の女神像の竪琴は先月失われてしまいました」

 後ろをついてきていたルデートが、私のつぶやきにそう答えた。

「……先月?」

 その言葉に不穏な空気を感じる。そしてそれを肯定するように、ルデートは告げた。

「先代当主――レイア様が亡くなられた時からです」

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