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花嫁代行サービス始めました  作者: 北峰
イングラム編
32/36

30 不和

「お疲れ様でございました」

 不穏な会合を終え、自室に戻った私を出迎えたのは、柔らかな金色の髪と緑色の瞳を持つ人形のような少女だった。

「ありがとう、ミアさん」

「ミア、で結構です。私は使用人に過ぎませんので」

 今回の依頼人であるイングラム家は貴族ではないが、富豪なので複数の使用人がいる。そして私の出自はカフスが身内にも明かしていないので、前回のように侍女を連れて嫁入りができなかった。

 そのため、前妻のレイアに付いていた世話係がそのまま私に付くことになったのだ。

 だが、彼女はただの使用人ではないと事前に聞かされていたのだが――


「あなたはイングラム家の遠縁だと聞いたんだけど……?」

「血の繋がりはございません。幼い頃に両親が亡くなり、こちらのお屋敷に引き取られたのです」

「そうだったの……ごめんなさい」

「いえ、本来なら路頭に迷うところを救っていただいたのですから、感謝しております。特にレイアお嬢様にはまるで妹のように接していただきましたので……」

 そういうミアの声音は優しくて、心の底からレイアを慕っていることが窺えた。

 カフスが相当深く愛していたことといい、レイアはよほど人から好かれる人物だったようだ。叶わぬことだが、生前に一度会ってみたかったと思う。

 私がそんなことを考えていると、不意にミアが尋ねてきた。


「あの、奥様はレイアお嬢様のお身内の方ではないのでしょうか?」

 覗き込む緑の瞳は真剣そのもので、私はつい息を飲んでしまった。

「え? いいえ、違うわ」

「さようでございますか……」

 ミアは残念そうに肩を落とした。

 自室では私はすでに仮面を外している。つまり、前妻のレイアそっくりの顔がむき出しなのだ。レイアが双子でないことを知っているミアにしてみれば、疑問に思うのも無理はない。

 カフスが前妻そっくりの花嫁を依頼してきたのは、レイアの死に疑問を持っているからだ。容疑者たちにはすでに顔を見せていることだし、ミアだけには本当の目的を話しても良いのではないだろうか。

 正直、私の正体を知っている人間が一人もいない状況はかなり気疲れするのだ。

 後でカフスに相談してみようか――そんなことを思っていると、廊下の方がにわかに騒がしくなった。

「何だか騒がしいわね。ちょっと見てくるわ」

「奥様!?」

 ミアが呼び止める声を背に、念のために仮面をつけて、私は部屋を飛び出した。



「離しなさいよ! こいつはとんでもない女なのよ!」

「ジンレット様、落ち着いてくださいませ」

 私が現場に到着した時、状況はかなりおかしなことになっていた。

 髪を振り乱して叫ぶアイナ・ジンレットを、背後から羽交い絞めにするようにして抑える家令のルデート。

 狂乱するアイナが睨みつける先には、赤く腫れた頬を手で覆うリオーネ・ダントンの姿があった。

 アイナがリオーネを殴り、それをルデートが制止している――ということなのだろう。

 だが、なぜそうなった?


「いったい何の騒ぎですか?」

 とにかく状況を把握しようと尋ねると、アイナが叫んだ。

「この女がホーソン様に色目を使ってたぶらかそうとしてたのよ!」

「はぁ……」

 アイナはホーソンの恋人である。だからその主張が真実なら嫉妬に狂って暴行したということになるだろう。

 だが、ホーソンは豚である。しかも痩せてもイケメンにはならない系統の豚である。

 一方、リオーネは女から見てもドキッとするような艶めいた美女である。しかも未亡人という幸薄い要素が加点され、はかなげで守ってあげたくなるような美女だ。

 よほど特殊な趣味でもなければ、リオーネからホーソンに言い寄ることはないだろう。

「ええと、リオーネさん、何があったんですか?」

「いえ、別に……お気になさらないでください」

 本人に訊いてみたが、リオーネはその整った顔をそむけて返答を拒んだ。

 まあ、あまり人に言いたくないようなことが起きたのは確かだろう。


「嫌だわぁ、あんな醜い豚に言い寄るなんて金目当ての下品な女くらいしかいないのに、勘違いも甚だしいわぁ」

 空気を読まず、棘しかない台詞がその場に突如放り込まれた。

 発言主はカフスの妹、ブランカ・クイールである。

 豚に豚と言っちゃダメだろう、義妹よ。

「何ですってぇ!?」

 アイナの怒りの矛先が、一瞬でリオーネからブランカに移った。さらに暴れようとするアイナを、ルデートが懸命に抑えようとしている。

 ルデートはそれなりに歳なので、女一人といえどもリミッターの外れた狂人を抑え込むのはキツイだろう。しかも下手に怪我をさせるわけにもいかない。

 私も加勢すべきだろうかと悩みかけていると、


「――アイナ!」

 その場に、野太い声が響いた。

 この状況を作り上げた元凶、ホーソン本人が騒ぎを聞きつけてやってきたのだ。

「ああ、ホーソン様、私は――……」

 アイナは弁明をしようとしたのだろうか。だが、言い終わる前にホーソンは彼女の頬を殴った。平手ではなく拳でだ。

 悲鳴を上げたのはアイナ本人ではなく、見ていたブランカだった。

「ホーソン様……?」

 アイナは理解できないという顔で、茫然とホーソンを見上げた。驚きのあまり悲鳴すら上げられなかったのかもしれない。

 殴られた頬の痕はリオーネの比ではなく、鼻と唇から流血している。

「勝手なことをするなら出ていけ! 別に俺はお前と結婚するつもりなんかねえんだ。お前の代わりなんかいくらでもいるんだよ」

「ホーソン様……どうしてそんな……っ」

 アイナは体を震わせ、泣きながらホーソンにすがり付こうとする。だが、そんな彼女をホーソンはさらに足蹴にした。

「うるせえ!」

 あまりに突然のことで、私は口を挟む余地すらなかった。

 実に胸糞の悪い暴行現場。いくら金目当てだとしても、こんな男にすがる必要があるのか? それとも本当に惚れているのか?

 すると、ホーソンは薄気味悪い微笑を浮かべてリオーネに近づいてきた。


「悪かったな、リオーネ。あいつは今日中に追い出すから、今夜は俺の部屋に泊まれよ」

 ホーソンは吐息がかかるほど近寄ってリオーネの耳元にささやきかける。

「いえ……結構です」

 リオーネは小刻みに震えている。無理もない。見ているだけでも気持ち悪くて吐きそうだ。

「何だよ、遠慮すんなって。旦那が死んで寂しいんだろ? 俺が慰めてやるからよ」

 この台詞を豚が言うものだから、言葉と絵面の暴力がひどい。どうにかしてこの豚の暴走を止めなければ。


「――その辺りにしていただけますか。ご婦人に無体な真似は、これ以上見るに堪えられません」

 その場に仲裁に入ったのは、カフスだった。

 ここには女ばかりで、ホーソンの巨体を制止できる者はいなかったので少しホッとする。とはいえ、体格的にはかなり負けているので多少心配ではあるが。

「何を気取ってやがんだよ、よそ者が。俺はこいつとはガキの頃からよく知った仲なんだ。間に割って入るんじゃねえよ」

 豚はカフスをにらみつけた。カフスの方が背が高いので、見上げる体勢になる。

「現在、この家の当主は私です。あなたが我が家で無法なふるまいをされるのでしたら、このまま放逐することもできるのですよ。――先々代の当主のように」

 カフスはそう冷たく言い放った。先々代とはホーソンの父ガンクスのことだ。つまり父親が勘当したように、この家から追い出すと宣言したのだ。

「――この、盗人が!」

 今にも殴りかかりそうな顔つきだったが、ホーソンはそれだけ吐き捨てると、ドスドスと重い足音を響かせてその場を去っていった。

 ここでカフスを殴り倒すことは可能だとしても、そうなれば当主命令で他の使用人たちに取り押さえられ、叩き出されることは目に見えている。豚にも最低限の理性は残っていたわけだ。


「リオーネ、大丈夫ですか」

 カフスはまだ震えの止まらないリオーネに声をかけた。すると彼女は涙を浮かべた瞳で見つめ、カフスの腕の中に倒れ込んだ。

「ごめんなさい……少し怖くて……」

 そうささやきながら、彼女はさらに強く腕にすがりつく。艶めいた美女にこんなことをされたら、たいていの男はグラッと来るだろう。

「ちょっと、お兄様から離れなさいよ!」

 苛立って間に割り込んできたのはブランカである。その目は敵意に燃えている。よほど兄が好きなのだろう。

 よく考えたら、本来は妻である私がたしなめなければいけなかったのだ。絵に描いたような美人しぐさに見とれている場合ではない。本物の夫婦でないと、こういう時に咄嗟に行動できないものだ。気をつけなければ。


「義兄には明日の朝ここを出てもらいます。念のため、今夜はしっかり戸締まりをしておいてください」

「明日……ですか」

 リオーネの声には落胆の色が混じっていた。無理もない。いくら広い屋敷とはいえ、明らかに危険な男と一つ屋根の下で夜を過ごすのは不安だろう。

「すみません。義母の手前、今すぐ追い出すというわけにもいきませんので」

 いくら当主といっても姑の意向は無視できないだろう。その姑は出来の悪い長男贔屓なのだから、これだけ狼藉を働いても今夜のうちに叩き出すことができないのだ。

「いえ、わかりました。今夜は気をつけますわ。どなたか殿方に守っていただければ安心ですけど、新婚の花婿様には頼めませんものね」

 そう言ってリオーネはカフスに微笑を向けた。

「ちょっと、お兄様に何を言ってるの!?」

「あら、冗談よ。気に障ったならごめんなさい」

 すかさず間に入るブランカに、リオーネはからかうように笑いかける。そして――


 思わず、私は背筋に寒気が走った。

 カフスに向けた微笑とは対称的に、私を見るリオーネの瞳は氷のように冷たかったのだ。仮面ごしでもその鋭い視線は痛いほど突き刺さってくる。

 カフスに対する過剰とも言える甘え方といい、もしかすると妻である「ミカエラ」に嫉妬しているのではないだろうか?

 ただの仮面夫婦ですよと教えてあげられたらお互いどんなに楽だろうか。業務上、秘密を明かすわけにはいかないが。

 こうして、新たな花嫁となった私は、不穏な空気に包まれた屋敷で最初の夜を迎えることとなったのだった。

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