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花嫁代行サービス始めました  作者: 北峰
イングラム編
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29 イングラム家の一族

 シオーク公国はクレイス王国とギラント王国に隣接する内陸国である。

 商業国家で経済は豊かだが、その北部は峻険な山々に囲まれ雪深く、人通りも少ない。

 そんな鄙びた隔地において、一代で財を成したのが先代当主ガンクス・イングラムであった。

 湖のほとりにあるスエン地方で、彼は絹織物や人工石の精製などにより利益を上げた。

 だが、いくら蓄財しても延命はできなかった。

 ガンクスが死亡したのは昨年の11月20日。誰にも看取られず、自宅でひっそり息を引き取った。

 死因は「鉱化症」の合併症による心不全。鉱化症はこのスエン地方特有の風土病だという。

 指先などの末端から次第に肉体が鉱物のように固くなり、やがて全身に広がってゆく。血流が阻害されるため、心臓や脳の機能不全を起こし、最終的には死に至る、不治の病である。

 広い屋敷で療養中、急に心臓発作が起きたとしても、誰にも気づかれなかったのだろう。何しろナースコールなども存在しないのだ。使用人が気づいた時にはベッドで亡くなっていたという。

 豪商の当主はこうしてあっけなくこの世を去り、その財産を跡取り娘のレイアがすべて相続した。

 だが、それからまだ一月ほどしか経たない12月31日。

 新年をあと数時間で迎えるというその時、彼女はこの世を去った。

 発見された時、彼女はベッドの上に横たわっていた。

 だが、それはとうてい自然死とは考えられなかった。

 白いシーツを深紅に染めたその冷たい体からは、なぜか心臓が抜き取られていたのである。




 1月20日、レイアから全財産を相続した夫のカフスは、新しい妻を迎えた。

 後妻の名はミカエラ。これが私の演じる花嫁の名前である。

 年齢は前妻レイアと同じ23歳。本来の私より若いが、それほど歳が離れていないので、演じるのにあまり負担はなさそうだ。

 ナナキの術により、半透明の霊体を依代に定着させた私は、整った顔立ちだがどこか陰のある人妻に姿を変えていた。

 抜けるように白い肌には生気がなく、暗い色の瞳には憂いの色が映っているようにも見える。非業の最後を遂げた人だと思って見るせいで、そう感じてしまうのかもしれないが。

 亡くなった妻にそっくりな花嫁を派遣すること――それがカフス・イングラムの依頼である。

 だが、カフスは「ミカエラ」の顔を無言で一瞥しただけで、それ以降は見ようともしなかった。




 スエン地方一の富豪、イングラム家。

 その広い邸宅ではごくわずかな近親者による会合が開かれていた。

 カフスの新当主就任と、その新妻ミカエラのお披露目会である。

 だが、その集まりは友好的とは程遠いものだった。イングラム家の血を一滴も受け継がない新当主夫妻に対し、皆敵意を剥き出しにしていたのである。

 屋敷の広間に集まったのは、以下の通りである。


 エレネ・イングラム。先々代当主ガンクスの妻、すなわちレイアの母。

 ホーソン・イングラム。レイアの兄。

 アイナ・ジンレット。ホーソンが同伴してきた、恐らく彼の恋人と思われる女性。

 フランクス・イングラム。ガンクスの弟、すなわちレイアの叔父。

 リオーネ・ダントン。レイアの一つ上の従姉いとこで未亡人。フランクスの娘。

 ブランカ・クイール。新当主カフスの妹。すなわち私ミカエラの義妹にあたる。


 これら一族の人間の他に、会合をとりまとめる家令のルデートと、私たち夫婦の計九名が会している。

 小柄で髪と髭の白い初老のルデートが、カフスの新当主就任と再婚の旨を述べると、広間に不満の声が上がった。


「俺は認めねえぞ!」

 耳の痛くなるような大声を張り上げたのは、ホーソンだった。背丈は平均的だが、横幅が成人男性二人分くらいある。太鼓のような腹を震わせるので、耳障りな胴間声が広間に響き渡るのだ。

「何でイングラムの血を引かない部外者に財産を横取りされなきゃいけねえんだよ! 親父も妹も死んだんなら、長男の俺が家を継ぐのが当然だろうが!」

「長男なのに勘当されて家を継げなかったからじゃありませんの?」

 わめき散らすホーソンをそう揶揄するのは、義妹のブランカである。

 ホーソンは父親と折り合いが悪く、数年前に家を追い出されて放浪していたらしい。長男がいるのに妹が全財産を相続したのは、この見るからにダメ息子では家を食いつぶすと父親が判断したからだろう。当然の選択ではあるが、そのせいでこうして新たな揉め事の火種となってしまっている。


「何だと、財産目当ての泥棒兄妹が! 余計な口をきくんじゃねえ!」

 ホーソンは拳を振り上げ、今にも殴りかかりそうな勢いで叫んだ。

「まあ、恐ろしいですわ、お兄様」

 ホーソンから身を隠すように、ブランカはカフスの背の後ろに回った。恐ろしいと口では言っているが、怖がるどころか面白がっているようにさえ見える。

 肉の塊の動きは愚鈍なので、普通に避ければ当たることはない。兄のカフスにしがみついているのは、恐怖のためではないだろう。まるで恋人が甘えるように、兄の背にべったり張りついている。


「ルデート、レイアには遺言状があったのかい?」

 義兄妹同士で揉めている間に、ルデートにそう尋ねたのはレイアとホーソンの母、エレネだった。

「はい、ございます。誓紙に自署された正式な書状です」

 そう言ってルデートは紋様の刻まれた高価そうな木箱から一通の書面を取り出した。

 どうやらそれがレイアの遺言書らしい。それによれば、全財産を夫のカフスに譲ると記されているそうだ。

「どうしてあの子はそんな余計なことをしたの! ルデート、何でおまえは止めなかったの!?」

「ゆ、遺言書の中身までは知らされておりませんでしたので……」

 エレネは金切り声を上げて家令に詰め寄った。

 ルデートは冷や汗をかきながら何とか言い逃れようとする。


 それにしてもエレネの発言はずいぶんと歪んでいる。遺言書の作成を「余計なこと」と断じ、さらにはそれを妨害しろとまで言うのだから。23歳という若さでこの世を去った娘に対する愛情は微塵も感じられない。

「伯母様ったら相変わらずの長男贔屓ですわねえ」

 そんなエレネの狂乱ぶりを冷たく笑うのは、レイアとホーソンの従姉、リオーネである。

 どうやらエレネは出来の悪い息子のホーソンを溺愛するあまり、兄に一銭も残さなかったレイアを憎んでいるようだ。そんないびつな親子関係を、従姉のリオーネはよく知っているのだろう。つまらなそうな顔で醜くわめきちらす親子を眺めている。


「ホーソン様が跡を継げなかったのは、お父様が妹の方を贔屓していたからでしょう? その妹も死んだのだから、兄のホーソン様が相続するのは当然なのじゃない? だいたい、妻が死んですぐに再婚するような男、財産目当てに決まってるわ」

 豚長男を応援するのは、彼のそばにぴったりとくっついているアイナである。派手な品のない化粧をした彼女はホーソンの恋人だということだが、彼女の方こそ財産目当てな匂いが隠しきれない。そもそもホーソンと結婚しているわけでもないのだから、この場で唯一の部外者なのだ。


「私はもともとおまえのような男を婿だなんて認めてなかったんだ。それなのに我が物顔でイングラム家を乗っ取って、怪しげな女を後妻に迎えるなんて! おまえたちで共謀してレイアを殺したんじゃないのかい!」

 エレネの怒りはさらにカフスへと注がれる。可愛い息子から財産を奪おうとする娘婿など、憎んでも憎みきれないのだろう。とうとう人殺し呼ばわりを始めてしまった。

「義姉さん、落ち着いてください。それはさすがに言いすぎでしょう」

 それまで黙っていたフランクスが、ようやく兄嫁をなだめた。彼はレイアの叔父で、未亡人のリオーネの父親にあたる。妻は何年も前に他界し、それからずっと独身だそうだ。

「言いすぎなものかい! そんな気色の悪い仮面の女、怪しいにもほどがあるだろう!」


 ついに矛先は私に向けられた。――カフスの後妻、ミカエラに。

 その場に会する一同の視線が私に集められる。

 というより、今まで誰も指摘しなかったことの方がむしろ驚きである。

 何しろ私はこの会合に、仮面をつけて参加していたのだから。

 何の装飾もない真っ白な仮面は、不気味というほかない。そんなものをかぶった女を後妻だと紹介され、一族の誰もが内心気味悪く思っていただろう。誰も口に出さなかったのは、見て見ぬふりをしていたに違いない。

 だが、怒りが頂点に達したエレネがついに仮面に言及した。何と答えるべきかと隣のカフスに視線を向けると、彼はゆっくりとこう告げた。


「ミカエラ、仮面を取っておやり」

 頷いて、私は白い不気味な仮面を外した。

 覆われていた肌が外気に触れて、屋内でも少しひんやり感じる。

 雪深いスエン地方の冬は空気が冷たい。だが、それ以上に場の空気は一瞬にして凍りついた。

「――――!!」

 息を呑む音すら聞こえてきそうなほど、イングラム家の一族は全員蒼白になった。

「レイア……」

 その名をつぶやいたのは誰だったろう。皆、それ以上声を出せずにいた。

「馬鹿な……レイアは死んだはずだろう!?」

 まるで信じられないという表情で、そう叫んだのはホーソンだった。

 無理もない。

 気味の悪い仮面の花嫁の素顔が、死んだはずのレイアにそっくりなどと想像できる者はいないだろう。

 言葉をなくした一族の面々に、カフスは静かな声でこう告げた。

「私はレイアを深く愛しています。ですから、彼女の遺した財産を他の誰にも渡すことはありません」

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