27 祝宴
いろいろと事後処理が終わり、伯爵邸では慰労目的のパーティーらしきものが開かれることになった。
打ち上げと言えば飲み会くらいしか想像できないのだが、やはりお貴族様は文化が違うということなのだろうか。
パーティーなんぞ、結婚式の二次会くらいしか出席したことのない自分には縁遠いものだ。しかも主催者の伴侶として参加するなど、気が遠くなる。
まったく、アイシアはいつまで寝ているつもりなのだろう。体を乗っ取ってしまった申し訳なさより、だんだん早く起きろという苛立ちの方がまさってきているような気がする。
「身内だけのささやかなパーティーですから、あなたが気負うことはありませんよ」
伯爵は私の緊張をやわらげるようにそう告げた。
とはいえ、元のアイシアなら貴族ではなくても豪商の娘としてそれなりに華やかな場所にも出ているのではないだろうか。結婚できる歳なら、いわゆる社交界デビューとやらもしていそうである。そもそもこちらの世界とは文化も違うのに、どうふるまえば怪しまれないだろう。
「私がおそばについておりますので大丈夫ですよ」
私が頭を抱えていると、ソーシャがそう慰めてくれた。変人ばかりのこの環境で、彼女だけが心の支えである。
こうしてついに宴の夜を迎えたのだった。
「ささやかな……パーティー……?」
当夜、私は言葉の定義について改める必要を感じた。
ささやかというから、本当に近親者のみの多くて十人程度を想像していたのだ。だが、たとえ零落していても伯爵家。親戚筋とそのお付きを招くだけでも数十人が簡単に集まってしまう。
「これでも付き合いの深い分家や関係者の一部の方のみ招待しているそうですよ」
ソーシャはそう耳打ちした。
これがお貴族様の感覚なのか。そりゃあすぐに財政難になるわけだ。
ちょっとパーティーを開いただけでもずいぶんとお金がかかりそうである。結婚式のようにご祝儀を集めるシステムでもあるのだろうか? 身内ならそれもないだろうな。資金難の伯爵家の台所事情が心配になる。
パーティーは立食形式である。主催者の簡単な挨拶が終わると、楽団の演奏を背景に皆それぞれ自由行動を始めた。
するとほどなく、年配の婦人集団が主催者の妻である私の周りを取り囲んだ。
「本日はお招きにあずかり光栄ですわ。若奥様、新婚生活はいかがですの?」
「伯爵様はお優しい方でしょう。ずいぶんと大切にされているとか」
「まあ、それでは跡継ぎの誕生もすぐでしょうねえ」
言葉遣いだけは丁寧だが、聞き出そうとしているのは下世話なゴシップ誌の見出しレベルである。
二十近くも年の離れた若妻を迎え入れたイケメン貴族の新婚生活に、オバサンどもが食いつかないはずはないのだ。
「ええ、とてもよくしてくださっています。伯爵は私などにはもったいない御方です」
私は営業スマイルを浮かべて受け流した。
本体の十六歳の少女と違い、こちらはすれたアラサーである。職場のお局様や取引先の年配女性とのやり取りで、それなりに耐性ができている。この程度の圧に屈するほど精神は若くないのだ。
そんなことを何度か繰り返し、ご婦人たちをほどほどにさばき終えてから、私はバルコニーに出た。
「あああ疲れたー」
魂の叫びを小さく漏らして、私は手すりに前のめりにもたれた。
元の体だったら翼の生える栄養ドリンクを一気に飲み干しているところである。
いくら年配のご婦人の対応に耐性があるとはいえ、こうも立て続けに食らっては精神が削られる。しかも、今までは「彼氏はいないの?」「結婚の予定は?」「子供を持つなら早い方がいいわよ」というほぼ三種類の台詞だったが、今度は新婚夫婦の夜の生活を窺おうとする質問攻めに、ますます気分が悪くなっていた。そもそも私は彼氏もいたことのない独身なのに、こんなことを訊かれるのは理不尽極まりない。
「ご婦人方のお相手を任せてしまってすみませんでした」
「ええもう、本当に――って、は、旦那様!?」
うっかり普通に返事をして、私は慌てた。バルコニーでぐったりしている私に声をかけてきたのは、このパーティーのホストである伯爵その人だったのだ。
「パーティーの主役がこんなところにいていいんですか?」
「いえ、今回の主役は私ではありませんよ」
私の問いに、伯爵は首を左右に振った。
「私たちの婚姻は、あくまで期限つきの契約でした。今回、鉱山の採掘再開もめどが立って、資金難を解決するまでという当初の契約はほぼ果たされたことになります」
そう言うと、伯爵はゆっくりと一歩近づいた。
「ですので、改めて私は申し込みたい。私、ラグリス・レイオールの妻になっていただけますか? 今度は無期限で」
まっすぐに見つめてくるその目は、真剣そのものだった。
これは彼からアイシアへの本当のプロポーズ。
それを受けるのはアイシア本人でなければならない。
今こそ真実を告げるべきだろうか?
これほど真剣な人に対して嘘をつき通すわけにもいかないだろう――
「――はい、お受けいたします」
知らないうちに、その言葉が漏れ出ていた。
――今、何と言った?
私は答えた記憶はない。それなのに、その声ははっきりと聞こえていた。
目の前には、快諾されて嬉しげに微笑むレイオール伯。
そして頬を赤らめ、恥じらいながら見つめるアイシアの姿。
――アイシア?
なぜ、アイシアの姿が外から見えるのだろう。慌てて私は自分の体を見回し、そして驚いた。
いつの間にか、私の意識――霊体はアイシアの体から抜け出していたのだ。
ちょうどその時、流れていた音楽がワルツに変わった。これからダンスタイムなのだろう。
それに気づいた伯爵は、真の妻となったアイシアにゆっくり手を差し伸べた。
「一曲、踊っていただけますか?」
「喜んで」
頷いて、アイシアは夫の手を取った。
そして誰も見ていない夜のバルコニーで、華麗な曲に合わせてダンスを始めた。
私はそんな二人をすぐそばで眺めていたが、彼らには私の姿が見えていないようだった。単に二人の世界に入ったというわけではなく、肉体からはじき出された霊体は、普通の人間には見えないのだ。
幸せそうに踊る二人を眺めていると、次第に視界がかすんできた。
そして次の瞬間、意識が途切れた。
「どうも、お疲れ様でした」
目を開けると、そこには私を覗き込むナナキの顔が間近にあった。
「ナナキさん!? あの、ここは……」
慌てて周囲を見回したが、どうやらレイオール伯爵邸ではないようだ。
アンティーク調の家具に大量の本や器具類が並ぶ、小ぢんまりとした室内。ここには見覚えがある。
「僕の家ですよ。契約が満了になったので、ここに戻ってきたんです」
ナナキはそう答えた。
どうやら私の意識が途切れたのは眠ったわけではなく、一瞬でホームに転送されたからだったようだ。
「満了、というと」
「レイオール夫妻は真の夫婦になったのでしょう? もう代理は必要なくなったので、君の仕事も終了したんですよ」
「新しい人形を作る必要がないと言っていたのは、このことだったんですか。でも、二人の仲がそんなに親密になっていたなんて、よくわかりましたね」
私とアイシアが交代している間、ナナキは私と行動を共にしていた。だから夫婦仲についてはソーシャから報告を受けていたのだろう。だが、こいつの場合、もしかすると寝室に蝶を忍ばせて覗き見でもしていたのかもしれない。
「別に新婚夫婦の生活を覗いていたわけではありませんよ。もともとあの二人はお互い初めから好みの相手だったはずですからね」
おっと、心の声を読まれたようだ。覗き魔疑惑を否定しておいて、ナナキは妙なことを付け加えた。
――好みの相手?
伯爵はともかく、アイシアの方は当初、二十以上も年上のおじさんとの結婚は渋っていたはずだが。
「アイシアさんの方は乗り気ではなかったみたいですけど?」
「ああ、それはこのせいですね」
そう言うとナナキはテーブルから一枚の板を取り上げた。
ただの板ではない。それは板を覆うキャンバスに描かれた人物画だった。
「……何ですか、これ」
「これはレイオール伯爵の肖像画ですよ。写しを借り受けてきました」
にっこり笑ってナナキは答える。その言葉に私は盛大に抗議した。
「いや! 全然似てないんですけど!」
これは断固として認めるわけにはいかない。
レイオール伯は心身の疲労のせいでやつれ気味だが、顔自体はかなり良い。普通に見たまま描けば確実にイケメンになるはずなのに、そこに描かれたのは、ヘタウマっぽい立体感のない人間だった。のっぺりした遠近法を無視したような絵は、アンリ・ルソーっぽさを感じさせる。どう考えても肖像画向きの画風ではない。
もしかしてこれがこの世界の標準の絵画技法なのだろうか?
一瞬そう思ったが、その想像はすぐに打ち消された。
「いい絵師に払うお金がなかったんでしょうねえ。ちなみに豪商のワクマー家が描かせたアイシア嬢の肖像画はこちらです」
そう言ってナナキが取り出したもう一枚の絵は、最高の肖像画家とも言われるベラスケスにも見劣りしないほどの完璧な出来栄えだった。
絹のような髪や柔らかく透き通った肌の質感までよく再現され、アイシアの美少女っぷりに拍車がかかっている。
ナナキいわく、これが結婚前に両家で交換されたいわゆる「見合い写真」のようなものだそうだ。実際、西洋史における貴族の結婚でも同じような慣習は存在した。写真がない時代なら当然のことだろう。
そしてこの美少女絵を見て伯爵は結婚前から一目惚れし、アイシアの方はヘタウマ絵にまったく食いつかずに身代わりを立てたというのが実情だったらしい。だから実物の伯爵を見てアイシアはコロッと態度を変えたのだろう。
結局、どちらも面食いだったのかよ。馬鹿馬鹿しいにもほどがある。
「まあ、おかげで仕事が早く済んで良かったではないですか。君の魂も形を保てるようになったみたいですし」
ナナキの言葉に驚いて、私は初めて自分の体を見下ろした。
「あ、足が……!」
初めてこの世界に来た時、私の体は半透明で腰から下が消えていた。
だが、今ははっきりと現れた二本の足が床を踏みしめている。全身が、半透明から完全に不透明になっているのだ。
「僕の依頼を達成してくれたので、君の霊体が完全な形に戻ったんです。これなら僕が触れることもできますね」
ナナキはそっと手を伸ばす。
以前は私の半透明な体をすり抜けていたナナキの手が、今は私の手のひらに触れている。
「これでもう、君を元の世界に戻してあげられますね」
「本当ですか!?」
初めに出会った時、ナナキは私が中途半端な状態だから元の世界に戻せないと言っていた。
そしてミッションを達成した今、霊体が完全体になったので、今度こそ彼の力で戻ることができるのだ。
ようやくこんな気の休まらない生活から抜け出せるかと思うと、本当にありがたい。
「はい。でもその前に」
大きく安堵の息をつく私に、ナナキは告げた。
「――僕と一曲踊っていただけますか?」
それは、求婚を承諾された直後の伯爵と同じ台詞だった。
「え、あの、私、ダンスなんてやったことないですし……それに音楽もないし……」
「僕に合わせてくれれば大丈夫ですよ」
うろたえる私に有無を言わさず、ナナキは私の手を引いた。
バランスを崩しそうになったところで、ナナキはすかさず腰に手を回して体を支える。
それはまさに社交ダンスの決めポーズのような構図だった。
そして、そのまま彼は私の体をくるりと一回りさせ、肩を抱き寄せる。
「なかなか上手ですよ」
「もう、ナナキさん!」
これではまるでおもちゃではないか。
今の私の体は触れられると言っても生身よりはるかに軽く、ちょっと動かしただけで面白いほどくるくる回る。運動神経のイマイチな私でも、彼が上手いせいか、すぐにその動きに慣れてしまった。
――それは、まるで自分の体を取り戻す前準備のように。
そうだ、私はようやく元の自分に戻れるのだ。
その前にアイシアや伯爵に別れの挨拶ができそうにないのは残念だが、あの二人ならきっとこの先もうまくやっていけるだろう。お互いに一目惚れだったなんて、まったく私の存在は無駄でしかなかったわけだが。
ソーシャにはだいぶ世話になった。今もどこかで静かに控えているのだろうか。彼女くらいにはきちんと別れを告げておきたい。
ユーリスは、むかつくのでもう顔を見る必要もないだろう。すでに彼は王都へ戻ってしまっている。
ナナキは――何とも不思議な人だ。とてつもない力を持っていて、いつも意味ありげなことを言ってこちらを惑わせる。ずいぶんといいように扱われたし、そもそもが勝手に呼び出されて迷惑をかけられているはずなのに、あまり嫌な気分にはならなかった。
その彼とも、このダンスが終わればもう会うことはないだろう。
音楽も観客もない、狭い室内でダンスは続く。
月明かりの差し込む静かな部屋で、無音のワルツは夜が更けるまで奏でられていた。




