欲しかった誤字言い訳機能
んにゃぴ。
あれ、新着誤字……ハッ……これか。これは違うんだよぉ……。
でもでも……承諾……するか。やむなし。(ここまで三十秒ほどの葛藤)
そうなった書き手はたくさんいると思う。
誤字を指摘されたときのわたしの脳内割合は、9割くらいは感謝。
マジリスペクト。へいようチェケラッチョ!!と思わず、似非ラッパーになって世の中に感謝してしまうくらい。マジ感謝っす。茶化してるように見えるけど、照れです。
マジメに読んでくれたってことだし、わたしの作品のために時間を割いてくれたってことだし、感謝の念でいっぱいです。
残り2割は恥ずかしいって気持ちで、自分の作品のクオリティのなさにやっぱりダメだなぁと思っちゃいますね。
残り1割が、言い訳したい例。本エッセイの主題です。
あれ、10割超えてね?
感謝の気持ちがあふれてるんだよ馬鹿野郎! 大好き。
包括的には誤字指摘してくださいねってカタチで作品をネットにあげてるわけだし、誤字を指摘するほうは、たぶんいろいろと確認したうえで勇気をもって、時間を割いてくれたわけだし、その労力に応えたい。承諾ボタン押したいってのはあると思う。
でも、ちょっとだけこだわりがあったんだけどなって気持ちも消せなかったりする。
このふわふわ感を伝えたいのが今日の主題だ。
例えば、先のエッセイで『マイナー』を『マイナ』って書いてたの。
これって賢しらぶってたんだけど、敬愛マシマシな森博嗣先生の書き方なんだよね。
なんか最後の伸ばす棒は省略するみたいなの。かっこよくない?
作者としてはたぶん大多数の人は『マイナー』のほうが違和感がないだろうなっていうのはわかってた。でも、つい筆が乗ると、自制力と尊敬する先生との書き方が衝突する。要するに真似っこしたいってことだけど、これこそ剽窃ではないマジリスペクトってやつです。
読者からすると、わたしのこの言葉に対するフェチめいた想いなんて感得できないんだよなぁ。
いや、読者が悪いとか、読者に失望したとか、そんなんじゃないよ。ただ、こだわりはこだわりとして残しておきたいところなんだけれども、読者としては誤字でしかないんだというところにさみしさを感じたりもする。
もうちょっと具体的に言えば、この誤字は作者にとっては誤字ではなくこだわりなんだけど、おおざっぱに誤字はなくしたいっていうのと、こだわりはこだわりとして残したいというのとは両立しうるんだ。
で、こだわりをこだわりなんだよと伝える機能が、なろう的にはない。
承諾か拒否か。生か死か。愛するか愛さないかの二択しかない。
包摂された同意において、作者は読者の努力を最大限に報いたいと考えている。
とはいえ、こだわりもある。
アンビバレンツ。実に文学的な心理だと思います。
他には「うなづく」とかね。
これは国語的には「うなずく」でもいいらしい。むしろ一般的には「うなずく」だけど、「うなづく」と書きたい。
なぜか、ひらがなも表意的な側面があるからだよ。ひらがなはもともと漢字を崩した文字だから、表意的な側面があるはずなんだ。
この「うなづく」の「つ」は首を傾けている様子に似ている。だから「うなづく」のほうが良いような気がするんだよね。
こんなこだわり誰もわかってくれないし、わからなくてもいいんだけど、誤字ですと言われると、ううーん。違うのにーってなる。しゃーねえから頷くと書くかとなったり。
あと、ついでに言えば、ウイルスに『冒』される。語義としては侵されるか冒されるが正しい。感冒という表現があることからすれば、冒されるあたりが無難なのはわかるんだけど、わたしは異物に略奪暴虐ぬっちょぬっちょされるという言葉の感覚からして『犯される』もいいんじゃないかなと思うんよ。
むしろ、その言葉のほうがわたしの感覚を読者に塗りたくることができて好き。
これもこだわりだな。
要するに点数や評価とはほとんど関係のないところで、言葉に関するこだわりが生ずる。
これを誤字と言われればそのとおりかもしれないし、しかし、言い訳をしたい場合もあったりする。
でも、IDでの指摘だと、DMは無理だし、活動報告だと仰々しいよね。エッセイも仰々しいんだけど、書くの自体は苦痛ではないので、書いてみました。
繰り返しになりますが、誤字指摘については感謝の念が9割。マジ感謝。
でも、承諾しないときも時にはあるかもしれない。
そのときに言い訳機能があったらいいなぁ、と。