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東の城が落ちた  作者: 中山ヨウスケ
 第四部  王都事変
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64  甘い声

 完全な暗闇の中で、王子はハンナのお腹に顔を押し付けていた。どこからか水が滴って、ポツン、ポツン、と不気味に響いている。服のよじれる音や、二人の震えた呼吸が、闇の中をゆらゆら漂っていた。一歩進んだだけで、ハンナの履くハイヒールが、闇の全てを支配するかのように鳴り響く。


「ねえ、こっちじゃないよ」王子がそう言って、歩き出したハンナの服を引っ張った。


「何言ってるの、さっきこっちから入ったじゃない」


「でも……逆な気がする」


 少年が無垢な声で訴えるので、ハンナは自信を無くしてしまう。さっき階段を転がり落ちたばかりの彼女は、不安に駆られて足を止めた。


 静寂が戻ってくる。時計の如く規則的に、水の滴る音が響く。するとどこかから、別の音が聞こえてきた。それは誰かの声のようだった。反響して言葉は聞き取れないが、その高く透き通った声からして、きっと女性のものだろう。


「誰の声?」少年が訊いた。


「さあ……行ってみよっか」


 そう言ってハンナが、声のする方へ歩き出す。しかしそれを、少年はまたも服を引っ張って止める。


「やめようよ……」


 少年は怖がっていたが、対してハンナには好奇心があった。さっきまでは、扉が開かなかったらどうしようかと思っていたが、聞こえてくる声には不思議な魅力があったのだ。それは、ハンナが今までに聞いたどの女性の声よりも美しかった。美しすぎるあまり、悲しく感じられるほどに。


「ちょっ……お姉さん?」


 ハンナが先に行ってしまうので、少年は慌てて彼女を追った。いや、追うと言うより引っ張られると言った方が正しいだろう。つまんだ服を離すことなく、少年はハンナの背中に必死でついて行く。


 歩けば歩くほど、声はよりはっきりと聞こえるようになった。魔法のような響きでもって、声はハンナを闇の奥へと誘う。ここまでくると、彼女はもはや好奇心だけに突き動かされているわけではなかった。ハンナは一種の呪術的な力によって引き寄せられていたのだ。


「止まってよ姉さん、戻ろうって!」


 闇の恐怖に耐えきれず、少年がハンナを呼び止める。ぐいっと服を引っ張り、歩く彼女を無理やり止めた。そして懇願するようにこう言う。


「僕が悪かったから……僕がこんな場所に入りたいって言ったせいだから……もうやめよ? こっちは出口じゃないよ」


「そうかもしれないけど、純粋に気になるの、声の正体が」


「でも帰ろうよ……あっち行ったって、きっといいことないし」


 少年は小声で訴えた。さすがのハンナも我に返って、これ以上の深追いは危険だと悟る。彼女は膝を曲げ、背を低くすると、少年の頭を優しく撫でた。


「ごめんね、ちょっと私が我がまますぎたかも」彼女はそう言って笑ったが、暗闇のせいで王子はその笑みを目にすることが出来なかった。


 二人はその後、幸運にも闇を脱することが出来た。扉に到達できたのである。だが何もかもが円満に終わったわけではない。ハンナは、今回の件により三日間の謹慎を命じられた。王子もまた、当時ご存命であった国王陛下から大変なお叱りを受けた。


 そして何より、二人が地下室で耳にしたと言う〝甘い声〟は、瞬く間に宮殿の噂話となった。なぜなら、このパルメア宮殿には古くから伝わる三つの不思議があるのだ。一つ目は、夜、どこかから漏れてくるという水色の明かり。二つ目は、足音が異様に反響すると言う宮殿一階の長い廊下。そして三つ目が、甘い声であった。もちろん、今となっては誰もこれらの噂など信じていないし、きっと先代が広めた作り話だろうと思われていた。しかしハンナの発見を契機に、この三不思議が真実なのかもしれないと思う人が現れ始めた。


 王が崩御する数日前、三不思議の真偽を確かめるために、宮殿の廊下で調査が行われた。ヒールを履いた女中が、一階と二階の廊下を交互に歩く、というものである。この調査には多くの貴族たちが面白半分で見物にやって来た。検証が行われるという二階の廊下は、まるで勇者が凱旋でもするかのように、左右を貴族たちに埋め尽くされていた。


「皆さんお静かに……単なる噂の検証ですよ。何ですか皆さん、ホントに信じてらしてるのですか? はあ、馬鹿々々しい」


 真面目な議長グラナスは、見物にやって来た大勢の貴族を見てため息をついた。きっと、度重なる帝国戦での敗北を受けて、貴族たちも頭がおかしくなってしまったのだろう。このまま変な噂に傾倒されては、政治が乱れてしまう。熱狂する彼らを黙らせるために、グラナスは一階でも二階でも足音が変わらないことを実証しようとした。そこで彼は手始めに、女中に二階の廊下をゆっくりと歩くよう命じた。


 当然、聞こえてくるのは普通の足音である。ヒールのかかとが大理石を叩き、短く固い音が鳴り響く。不思議な点は何もない。というわけで今度は、全員一階に下りて、同じように足音を聞くことにした。


 赤いハイヒールを履いた女中が、再度貴族たちの間を進んでいく。すると今度は、異様に大きな足音が響いた。いや、正しく言えば音そのものが大きいのではない。音が長く反響し続け、その余韻が数秒間に渡って続くのである。


「やっぱり変な響き方だ!」一人の貴族が興奮したように言った。「噂は正しかったんだ!」


「何を言ってるんですか。一階の廊下は二階よりも天井が高い。きっとそのせいです」真面目なグラナスは、そう言って冷静に貴族を制した。


「でもあの響き方はおかしいだろ! こおおん、こおおんって、まるで音が染みついてくるみたいじゃないか」


 たしかに彼の言う通りで、一階での足音の響き方は明らかにおかしかった。そしてその事実は、三不思議を信じる者にとってこれ以上ない証拠でもあった。


「やっぱり三不思議は本当なんだ! この宮殿には何か秘密があるに違いない……」


 貴族の男はそう言うと、顎を指でこすって思案した。パルメア王国――偉大なる女神パルメアの名を冠したこの王国は、神話によれば、マリスによる第二パルメア王朝が打倒されたあと、非魔法民が新たにパルアカントに遷都して建てた王国であった。ではなぜ、我々の先祖である非魔法民は、新たな都としてここパルアカントを選び、こんな辺鄙な場所に城を立てたのだろう。今となっては王都パルアカントも大都市だが、当時は田舎だったに違いないのだ。


「……グラナス殿、今一度我々は、パルメア王国の歴史について調査する必要があるかと存じます」貴族の男が、そう言ってグラナスに呼びかけた。「なぜ帝国はパルメア王国に攻め入るのか。その目的は何なのか。きっと帝国人からすれば、我々パルメア人は、魔法を口実に多くの人々を惨殺し、彼らの故郷を奪った憎き民でしょう。彼らからすれば、パルメア王国の土地は始祖パルメアが眠る母なる大地なのです。それを魔法の使えない民に支配されているなんて、彼らからしたら屈辱に違いない……しかし我々にだって、我々の歴史がある。魔法に対抗し、この田舎に王国を築き上げた歴史がある。今こそ、我らパルメア王国について、もう一度調べ上げるべき時ではないでしょうか」


 貴族の男は熱狂的な王国神話の信者であった。だから、この発言が少々の宗教的意図に支えられていたことは否めない。しかし一方で、帝国との戦争が本格化した今、王国の歴史と現在について今一度調査する必要があるのは、誰の目にも明らかであった。


「なら、いい学者を知っている」グラナスはそう言って貴族の男と目を合わせた。「カブラ・へオンという少女がいる。彼女に王国史の再調査を命じよう」


 これが、いわゆる「王都事変」の始まりである。グラナスの命令は、瞬く間にカブラ・へオンの元へと伝わった。こういう経緯があって、彼女は特別に王都への早期帰還を命じられたのだ。しかしその三日後には王陛下が崩御され、結局は先遣隊一同も同様に王都へ帰還する運びとなった。後日、先遣隊が王都に帰還すると、ようやく葬儀の日程が王都に告示された。

 

 そしていよいよ葬儀当日。王都パルアカントは、激動の一日に身を投じることとなる―― 


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