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東の城が落ちた  作者: 中山ヨウスケ
 第四部  王都事変
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63  閉ざされた扉

 これは、王陛下が亡くなる数日前のお話である。


 当時、まだ次期国王候補にしか過ぎなかったトルトイ・パルメアは、筋金入りのわがまま少年であった。十三歳の彼は、先月から世話役を務めているハンナ・アリエッタに、王国のあれこれを教えてもらっている最中である。例えばパルメアの歴史のこと、例えば貴族勢力の抗争のこと……それら「大人のみ知る話」を、彼はハンナから教えてもらうのである。しかしこの少年、何をどうやっても学ぶことには気が向かない。先日の歴史の授業なんて、集中力が持たずに本を投げ捨ててしまった。だがこれも、きっと過保護な王陛下のせいだろう。その証拠に、王陛下の言いつけで少年にはとんでもなく広い部屋が与えられていた。適切な使い方をすれば、舞踏会が出来そうな部屋だ。ハンナはそこで王子と二人きりであった。もし彼が従順な少年だったら、どれほど仕事が楽だったことか……


「トルちゃんってば、物は投げちゃだめだよ?」投げ捨てられた本を拾いながら、ハンナはなるべく穏やかに言う。その日は爽やかな晴天で、いつもは暗い王子の部屋にも、鋭い日光が差し込んでいた。


「もっと楽しいことがしたいよ。外で走り回ったり、宮殿を探検したりさ」そう言って少年は、窓の外へと目を向ける。


「ダメなものはダメ。トルちゃんは王様になる男の子なんだから、あまりわがままは言ってられないの」


「そんなこと言われても……別にいいじゃん。僕の勝手でしょ?」


「勝手じゃないの。お願いだから、言う事を聞いて?」呆れたハンナは、そう言って深くため息をついた。


 以前、メルテンス家で女中見習いとして学んでいた彼女も、今や立派な宮殿の世話係である。以前は器楽隊隊長のサリーがこの職を務めていたが、彼女がポルモートの赤竜討伐作戦に派遣されて以降、ハンナがこれを任されているのである。彼女は着慣れないメイド服に身を包み、必死に少年を説得する。しかし無邪気な王子様は、一向に言う事を聞こうとしない。


「そもそもさ、トルちゃんって呼び方が気に食わないんだよ」少年はそう言って唇を尖らせた。「そりゃさ、前のサリーおばさんは厳しかったから、それよりはマシだよ? でもね、お姉さんは僕を子ども扱いしすぎなの。分かる?」


 少年はそう言って、持っていた鉛筆をハンナに向けた。あぐらをかいて絨毯に座り、そのままハンナをぐっと睨むのだ。態度だけは王様のそれである。彼はそのあとこう言って、畳みかけるようにハンナを突き放した。


「やっぱほかの女中がいい」


「なっ……」


 歴史の本を胸に抱えて、ハンナはその場に立ち尽くす。一瞬怒りが湧きたって、こんな仕事もう辞めようかとさえ思った。しかし彼女はあくまで女中。仕事を放棄することなんて出来ない。この役職を受け入れたからには、彼を王様らしい男に育て上げなければならないのだ。


「分かった。じゃあ一度宮殿を探検しましょ?」ハンナはその場に座り込み、少年と目の高さを合わせて言った。「トルちゃん……じゃなくて、そうね、トル、でいい?」


「いいよ」


「じゃあトル、一緒に宮殿を探検する代わりに、明日はちゃんと勉強する。分かった?」


「えー?」


「わがままもほどほどにして」ハンナがほんの少し語気を強めて言う。


「でもめんどくさいじゃん、勉強なんて」


「それも分かるけど、一緒にがんばろ? ね?」


 生まれてこの方人を叱ったことがないので(むしろ叱られてきた方である)、ハンナは微笑みかけることしか出来ない。この少年にナメられているのは、この優しさが最大の理由なのだけど、彼女の性格上、怒鳴ることなんて出来ないのだ。


「お願いトル。頼むからお姉さんの言う事を聞いて?」


「分かったよ……」彼女の説得に押されて、少年はようやく条件を呑んだ。


「ありがとー! じゃあ一緒に探検しよっか!」そう言って彼女が王子の腕を掴む。


「えっ、今!?」


「嫌なの?」


「嫌では、ないけど……」


「じゃあ行きましょ? ほら、宮殿ってすっごい広いでしょ? だから早く行かないと。探検なんてしていたら、あっという間に夜になっちゃうわ!」


 そう言えばこのおてんば娘、宮殿が大好きなのである。以前、先遣隊結成の茶会が催された時も、彼女は当時仕えていた貴族の屋敷を飛び出して、無断で茶会に向かったのだ。そして茶会でヘンクとキスをし、貴婦人たちの度肝を抜いた。可憐なメイド服に身を包んでも、おてんば娘はおてんば娘のままなのである。


 さあ、笑顔を浮かべる女中に連れられ、少年は宮殿の廊下に飛び出した。彼はハンナに手を引っ張られながら、廊下を早歩きで進んでいく。


「ちょっ、姉さんってば、どこに連れてくの?」まだ背の低い少年は、ハンナを上目遣いで見上げた。


「ん? そうね、別に行きたいところがあるわけじゃないわ……トルが行きたい所に行きましょ?」


「だったらさ……」少年はなぜかうつむいて、控えめな声でこう続ける。「ずっと前から、気になってた扉があるんだ。木製で、もうボロボロになってる開かずの扉」


「そんな場所あったっけ?」


「あったよ! 見たもん、この目で」意地っ張りな少年は、飛び跳ねながらハンナを睨む。


「うーん、じゃあそこ行っちゃう?」


「いいの?」


「いいけど、誰にも言っちゃだめだからね?」ハンナはそう言ってウィンクをすると、立てた人差し指を唇にかざした。その仕草を見て、少年はすぐさま笑みをこぼす。いつの時代も男心は単純のようだ。


「分かった、じゃあ僕について来て!」


 そう言って少年が走り出す。今度は彼がハンナを引っ張る番だ。二人は宮殿の廊下を抜け、右に左に何度も曲がる。おてんば娘に無邪気な王子。この二人、一度走り出したらそれが最後である。




   ◇◇◇




 木製の扉――それは、複雑に入り組んだ廊下の最奥に、ぽつんと佇む小さな扉である。今や誰も気に留めず、誰も中に入ろうとはしない。この扉に興味を持つのは、それこそ子供のような好奇心旺盛な人間のみである。カビが生え、ささくれが目立つこの扉は、少し叩いただけでもホコリが舞った。見た目からして開けるなと言っているような扉である。


「これだよ、この扉。ね? すっごい不気味でしょ?」


 途中、来た道を引き返すこともあったが、それでも少年はようやく最奥にやって来た。目の前にあるのは開かずの扉。それを見てハンナが顔をしかめる。


「この中に、入りたいの?」そう言ってハンナは眉間に皺を寄せた。


「うん!」無邪気な王子は、一切ためらわずに即答する。


「そっか……んじゃ、入ってみよっか」


 そう言ってハンナが扉に両手を添えた。そのままゆっくりと体重をかけ、重い扉をそっと押す。するとすぐに、キイキイと鼓膜をつつくような音が鳴り出した。


「固いわね……」


 彼女は目一杯体重をかけ、扉をぐっと押していく。徐々にではあるが扉が開き、きしむ音が大きくなった。これを好機と捉え、彼女がぐっと扉を押す。だがこれがいけなかった。次の瞬間、扉が勢いよく開いたのである。それまで前に体重をかけていた彼女は、支えを失って一気に倒れた。


「ちょっ、姉さん!?」


 倒れたハンナを慌てて追って、少年がとっさに扉をくぐる。しかし目の前には下り階段があって、下の方は闇に埋もれてよく見えなかった。彼女はどうやら階段を転がってしまったようで、その体はどこにも見当たらない。


「おねえ、さん?……」


 少年が恐る恐る、ゆっくりと階段を降りていく。一段一段下るにつれ、扉から差し込む光が薄れていった。すぐさま辺りに闇が広がり、視界は三歩先までに限られる。


「おねえさん? いるなら返事して!」一度階段で立ち止まり、少年が必死に声を上げた。


「大丈夫……ここにいるから」


 奥からハンナの声がした。それを聞いて、少年が再び階段を駆け降りる。するとようやく階段が終わって、平坦な細い道にたどり着いた。人一人が通るのがやっという、かなり狭い道である。床にも壁にも、灰色の丸い石がぎゅうぎゅうに敷き詰められていて、辺りはやけに湿っている。


 ハンナは少し先で横になり、痛んだ足をじっと押さえていた。少年は慌てて彼女に駆け寄り、その場にガクっと膝を落とす。漆黒の中、色彩を失ったハンナの体が、少年に強烈な恐怖を与えた。そのほかの情報と言えば、膝から伝わる固くて冷たい床の温度だけである。


「ごめんなさい、僕のせいで……」素直になった少年が、倒れるハンナに震えた声で言った。


「いいのよ、私が言い出したことだから」


「でも、こんなことになるなんて、知らなかったから……」


「そんな、トルのせいじゃないわ。ほら見て、私まだピンピンよ? 平気で立てちゃうし」


 そう言ってハンナが立ち上がった。彼女の強い言葉を聞いて、少年も冷静さを取り戻す。


「大丈夫よトル。安心して」


 それはハンナの優しい声であった。それを聞いて、少年は思わず彼女のお腹に顔を埋める。この暗闇の中では、彼女の体の温もり以外、何一つ確かなものはないのだ。


「意外とかわいいことするじゃない……」そう言って彼女は少年を抱き寄せる。「ほら、ちょっと暗いけど、扉が開いてるうちなら……」


 そう言ってハンナは顔を上げた。今すぐここを出なければ、王子に怖い思いをさせてしまう。そう、彼女の心には世話係としての責任感があったのだ。しかし悲劇は終わらない。なんと扉が閉じている。それまで辺りに差し込んでいた明かりも、閉じた扉によって完全に塞がれていた。


 ――紛れもなく、辺りは漆黒である。周辺の情報は、声の反響や壁の存在から察するしかない。思えば、扉は本当にこっちの方向で合っているのだろうか? もしかしたら後ろ側にあったのでは? もし扉とは逆向きに歩いてしまって、分かれ道がありでもしたら、果たして扉に戻って来れるのだろうか? 


「早く戻ろ?」


 ハンナのお腹に顔を押し付けて、少年は高い声で言う。しかしハンナは返事が出来なかった。閉じた扉に生気を吸われ、恐怖と混乱のさなかである。もし扉にたどり着けなかったら……そんな未来が脳裏をよぎり、彼女の首を冷や汗が伝った。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 1行目で、王が亡くなる数日前、と書いてあるのに一段落目で、今は亡き、となっているのがちょっと違和感です…言いたいことは十分伝わるので問題ないと思いますけどね〜 [一言] ハンナ登場嬉し…
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