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東の城が落ちた  作者: 中山ヨウスケ
 第三部  竜のための協奏曲
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59  目を閉じた竜の横で

 なびく芝生に逆らう形で、男二人はひたすら馬を走らせていた。リズムよく体を揺らし、向かい風をかき分けながら、遠のく竜の背中を追う。大地に転がる屍は、戦いの凄惨さをどんな言葉よりも重厚に物語っていた。曇天に沈んだ草原はどこか薄暗い。一帯に広がるすさんだ緑は、水彩画に薄めたコーヒーを垂らしたかのようだ。


「ポルモート騎士団もずいぶんとやられてるな……」馬に乗って声を揺らしながら、ドレイクがぼそっと言った。


「まあ敵は討ち返したんだ、上出来さ」ダグラスがそう言って辺りを見回す。


「そりゃそうだが、やっぱいざこうして死体を見ると、萎えちまうな」


「私を連れ出しておいて、なんでお前が弱音を吐いてるんだ」


「勘違いするなダグラス。何もビビってるわけじゃないんだ」そう言ってドレイクははにかむと、そのまま前傾姿勢になった。


 大地を蹴って進むにつれ、段々と竜の背中が近づいて来る。その巨大な背中には、紫色の血がだらだらと樹液のように垂れていた。赤い鱗とのコントラストが、なんだかとても不気味である。一方のヘンクは、そんな背中の斜めになった場所で、剣を刺して滑らぬよう必死に踏ん張っていた。


「おいヘンク! 大丈夫か!」


 ドレイクが大声で叫ぶが、反応はない。踏ん張るのに必死な先遣隊騎士は、声を出して返事をする気力などもう残してはいないのである。


 馬に乗った二人は、上手いこと竜の横を回り込み、そのまま前方に出た。顔を上げれば竜の顎が見え、後ろでは太い足が大地を揺らしている。


「どうするんだドレイク! なにか策でもあるのか!」ダグラスが叫んで訊いた。普通の声量では、竜の足音にかき消されてしまうのだ。


「足を斬る!」ドレイクも似たように叫んだ。


「足と言ったか!?」


「ああそうだ! 馬に乗ったまま剣で足を斬る! いいか、刺すんじゃなくて斬るんだからな! 剣が抜けなくなったら一巻の終わりだ!」


 そう言ってドレイクが馬を止め、方向転換をした。迫ってくる竜と相対する。その首は塔のようにそびえ立ち、大地の揺れはまるで血脈のようだった。煌めく鱗はさながら昼間の天の川である。


「来いよ……」ドレイクはそう言って、ルッセルフで買った剣を静かに横へ突き出した。


「今日のお前はなんか違うな」そう言ってダグラスもサーベルを握る。


「仲間の命が懸ってんだ。余裕なんてこいてられない」


「それもそうだな」ダグラスはそう言って深く頷いた。


 ――深呼吸するドレイク。馬がゆっくりと歩き出した。それを追ってダグラスも馬を進める。ひづめの音が加速した。パカラッ、パカラッ。揺れる大地の低音に、甲高い足音がメロディーを添える。


 ドレイクがいよいよが覚悟を決めた。左手で手綱を掴み、右手で剣を持ちながら、巨大な足に勢いよく迫る。そのまま「おらああああああ!」と声を上げ、一気に剣を振りかぶった。鈍器で叩くかの如く、足に切れ込みを入れていく。血しぶきが飛び、紫色が辺りに散った。ダグラスも続いてサーベルを振る。またも血が飛び、芝生が紫に染まる。


 二人はそのまま腹の下を抜け、再び馬を止めた。そして向きを変え、今度は竜の背中を見つめる。戦うヘンクは未だその上で、剣に掴まり降りるタイミングを見計らっていた。


「おいヘンク! 聞いてるか! 戻ってこい!」


 ドレイクが声を上げるものの、遠くにいるヘンクは一切反応を見せない。疲労の余り周りが見えていないのだろう。先遣隊の騎士は踏ん張ることで精いっぱいなのだ。遠くからでは聞こえないが、その吐息にはぜえぜえという喘鳴が混ざっている。


「あの野郎、無理しやがって!」


 そう叫んだドレイクは、もう一度腹の下を駆け抜け、太い足に切れ込みを入れていった。そして竜の前に出ると、また向きを変え、再度竜と相まみえる。見上げれは空を覆う顎。正面を塞ぐのは肉薄する巨体だ。


 次の瞬間である。なぜか突然竜が足を止めた。理由は分からない。巨大な図体が突如立ち止まり、辺りから地鳴りが消えた。すぐさま穏やかな草原が戻り、周囲に風の音が舞う。


「何があった……」ドレイクが呟いた。


「分からん」彼の隣にいたダグラスが、素早く首を横に振る。「ひょっとしたら、我々の攻撃が効いたのかもしれん」


「だといいな……」そう言ってドレイクが顔を上げた。しかしその表情は、竜の体が作る影に埋もれて、全体的に薄暗い。


 制止する竜を呆然と見つめた二人は、しばらく馬に乗ったままじっとしていた。しかし途中、後ろから何者かに声をかけられ、男二人は竜を背にする形で、声のする方向へと振り返った。


「諦めの悪い奴らだ」声をかけてきた謎の男は、馬に乗ったまま、先遣隊二人の前に堂々と立ちはだかっていた。


「誰だあんた」ドレイクが手綱を握り、もう片方の手で剣を構える。


「蛮族に名前を言う理由などない」


 紫色の目をしたその男は、隣に白馬の女マリ・ベイカーを引き連れて、先遣隊の二人を刺すように睨んでいた。血の匂いが立ちこめる中、男の髪は風を受けて軽やかに揺れる。曇天を潜り抜けた淡い日光も、竜の体に塞がれて草原には届かない。そのため辺り一帯は、日没前のように暗かった。


「ねえししょー、こいつらに構ってる必要なんてないと思うんだけど?」マリ・ベイカーが肩に剣を乗せて言う。


「竜を倒されては意味がない」


「それもそっか」


「……いいかマリ、我々に余裕はないんだぞ。ここにいる男二人をどうにかしなければいけない」


「無視すりゃいいじゃん。残念だけど、もうウチらに戦う余裕なんてないし」


 女の言葉を聞いて、紫目の男はため息をついた。そして顔を上げ、その目を竜の顔に向ける。すると次の瞬間、竜が顔を下に向けて男と目を合わせた。


「あいつが竜を操ってるのか?」目の前で起こった光景を見て、ドレイクが声を漏らす。


「そうみたいだな」ダグラスがそう言って紫目の男を凝視した。そのあと彼は、細部まで男の表情を観察し、低い声でこう続ける。「あの男には……関わらない方がいい」


「なんでだ」ドレイクがすぐさま尋ねた。


「詮索しないでくれ。関わってはいけない。ただそれだけだ」


「どういう意味だよ。なんでお前があの男のことを知ってんるんだ」


「黙ってろ。あの男には関わっちゃいけないんだ」


 ダグラスが意味深な口調な言うので、ドレイクは困惑した。どうやら自分だけが何も知らないらしい。それは裏を返せば、ダグラスと紫目の男、そして白馬の女マリ・ベイカーは、全てを知っているということだ。


「ダグラス・ハーバーマス、だったっけか?」そう言って軍部大臣を呼んだのは、紫目の男だった。


「私に話しかけるな」怒りのこもった口調でダグラスが言う。


「えっ、ししょー? あのおじさんのこと知ってるの?」


「黙れマリ。お前の入る幕ではない」


「えー、私も気になるのにい」


 陽気なマリが愚痴をこぼす。しかし紫目の男は動じない。じっと馬に乗って、引き続きダグラスを睨んでいる。さすがのダグラスもその視線に押されたのか、嫌々ながら紫目の男に声をかけた。


「あんた」ダグラスは低い声で言った。「ヘンクを解放しろ。そしたらお前の事は黙ってやる」


「ほう? 裏切り者を信じろと?」そう言って紫目の男が笑う。


「……無理ならいいさ」


「あっはっは、あんたも面白い男になったもんだなあ」


「黙れ! 私はパルメアの軍人なんだ」


「へえ、そりゃ大層な忠義だねえ」


「ああその通りさ、大層な忠義だよ。あんたとは違う、まっとうで強くて誠実な忠義だ」


「あはは、そこまで言うなら分かったよ。あの騎士は解放してやる。竜の命と交換条件だ」


「……いいのかダグラス?」突然ドレイクが口を挟む。「ヘンクを優先していいのか?」


「馬鹿を言うな、仲間を見捨てるなと言ったのはお前だろう?」


「それもそうだが……だけどよ、これはそもそも竜を倒すための作戦だったんじゃないのか?」


「いつからお前はそんな論理的な男になったんだ? 情に厚いお前はどこに行った?」


「……分からねえよ」ドレイクはなぜか困ったように言った。「正しいことなんて分かんないんだよ。だから言ってみただけさ。本当にそれでいいのかって。心配はいらない、訊いてみただけだ。血迷っちまったんだよ。だから気にするな」


 ドレイクは笑っていたが、明らかに作り笑いであった。長旅を共にしてきたため、ダグラスにはこの賊長の笑顔が作り笑いかどうか、簡単に判別出来るのだ。はにかんだ口元は確かに三日月形だが、目元の皺がいつもより多かった。その皺の数がどこか不自然に感じられるので、すぐに作り笑いだとバレてしまうのだ。


「そりゃさ、ヘンクは見捨てられないぜ?」ドレイクはより一層目の皺を増やし、作り笑いをさらにぎこちなくさせた。「でもよ、なんかよぎったんだよ、魔が差したんだよ、ヘンクより竜をとるべきだって……これが軍人になるってやつなのか? お前が従ってきた感覚なのか? 正直言って、すげえ怖いんだよ、この感じ……」


「落ち着けドレイク」ダグラスは言葉の通り平静な口調で言った。


「落ち着けって言われても……」


「今はヘンクを助ける。それが私の判断だ。まだ隊長はお前じゃないんだから、悩む必要なんてない」


「そうは言ってもよ……」


 ドレイクはうつむいて目をぎゅっとつむった。涙こそ出なかったものの、あれは明らかに葛藤の表情だ。目と口で感情が一致していない。情と理性との間で揺れる、一人の男の孤独な葛藤だ。しかし彼に構っている暇はない。軍部大臣はすぐさま紫目の男を睨み、再びこう言った。


「ヘンクを解放しろ」


「背中にいるあの騎士のことか?」紫目の男が、そう言って竜を指さす。


「そうだ。ここに彼以外の騎士はいないだろう」


「なるほどね。分かったさ、ほら」


 そう言って男がにやりと笑うと、次の瞬間、先遣隊の後ろにいた怪物がゆっくりと動き出した。竜はそのまま四人の横に来ると、膝を曲げて背を低くする。そのあと顎を地面に載せて、大きな羽をそっとたたんだ。気休めのためか鼻息を吹くと、辺りの芝がぶわっと散る。それまで先遣隊二人を覆っていた大きな影は、竜がどいたことで綺麗に消えた。再び淡い日光が、曇り空をかいくぐって草原に降り注ぐ。


 竜が目をつぶったあと、ドレイクはすぐさま馬を飛び降り、竜の横腹を登ってヘンクの元に駆けつけた。竜が倒れてもなお刺さった剣を握る彼は、意識がもうろうとしているのか目が虚ろだった。


「大丈夫か?」うつ伏せのヘンクを無理やり仰向けにし、ドレイクが問う。


「ああ、まだ大丈夫だ。早く治癒を……」吐息に近い声でヘンクが呟いた。その顔は汗にまみれ、体はどこも傷だらけだ。


「安心しろ、今すぐ助けてやるから」


 そう言ってドレイクは、すぐさまヘンクを持ち上げて、そのまま馬の方へと戻っていった。そして彼を後ろに乗せ、すぐさま馬を走らせる。そこにダグラスも加わって、ようやく先遣隊は元の人員を取り戻した。再びひづめの音が鳴り、走る三人を風が包む。


「カルメンはどうしたんだ……」ドレイクの後ろに乗るヘンクが、かすれた声で訊いた。


「治癒をしてもらってるところだ。心配はいらない」


「そうか……ならよかった」痛みを堪えるヘンクは、時々言葉を詰まらせながらも、カルメンの無事を聞いて穏やかに笑った。

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