58 赤き竜を討て
ドレイク・ハーランドは棒立ちしていた。横たわり苦しむ兵士たちのど真ん中で、今しがた手放した一人の少女のことを、心の底から心配していたのだ。思い返せば、さっきは衝動的に彼女の手を離してしまった。カルメンの態度はどこか反抗的に感じられたし、自分だって少し頭にきていた。だが一か月以上一緒に旅した今、ドレイクにとってカルメンとは娘のようなものである。たった一度しゃくに障ったくらいで、見捨てることなんて出来やしない。
ドレイク・ハーランドは頭を抱えた。考えてもみろ。今彼女は、右足さえまともに動かせないというのに、必死に階段を上っているんだぞ? なのに自分は広間に立って、騎士たちのうめき声に囲まれているだけ……俺はこのままでいいのか?
――彼の決断は早かった。ドレイクは歩き出す。目指すは六階のバルコニーだ。彼を突き動かすのは責任感である。カルメンが母のために剣を握るように、ドレイクはカルメンのために階段を上るのだ。
ドレイクは六階に着いてすぐ、そのままバルコニーに直行した。壮大な協奏曲が段々大きくなって、器楽隊の背中が見える。彼はバルコニーに到着をすると、急いで辺りを見回した。しかしカルメンの姿はない。
「おい誰か! カルメンを見なかったか?」
ドレイクが慌ててそう訊くと、サリーが指揮棒を振ったまま反応した。
「何かおっしゃいましたか?」そう言って彼女が耳に手を当てる。どうやら曲の音が大きくて、声がいまいち通らないようだ。
「カルメンを見なかったかと聞いてるんだ!」再度声を張り上げて、ドレイクは怒鳴るように訊いた。
「ああっと……」ようやく質問を理解したサリーは、音楽に声をかき消されぬよう、なるべく大きな声で答えた。「彼女ならずっと前に竜のところへ飛び込んで、それっきり戻ってませんよ!」
「ずっと前っていつ頃だ!?」
「十分くらい前です!」
サリーの返答を聞いて、ドレイクは不安に駆られた。カルメンが彼の元を離れ階段を駆け上がったのは、一分くらい前のはずだ。サリーの言う十分前というのは、おそらく竜と戦い始めたときの話だろう。ということは、彼女は六階のバルコニーには行っていない。だとすれば考えられるのは……
危機感を覚えたドレイクは、すぐさま階段を駆け上がって八階へ向かう。彼は考えた。もしかしたら彼女は八階から飛び降りたのかもしれない。より竜に近づくため、高い地点を選んだのだろう。しかしそれはかなり危険だ。いや、実際六階から飛び降りるのさえ危険なのだ。足もまともに動かないのに、そんなことをさせられはしない。
八階に着いてすぐ、パルメアを見渡す絶景のバルコニーには、すでに発射を終えた槍砲が寂しそうに並んでいた。城の柱に巻かれた綱が、ピンと外へ伸びている。ドレイクはその縄を上手いことかいくぐって、そのままバルコニーの奥へと向かった。
「おいカルメン!」
ドレイクがそう叫ぶと、バルコニーの柵に片足を乗せようとしていたカルメンは、振り返って怪訝な顔を浮かべた。
「何しに来たの?」
「お前を止めに来たんだ!」ドレイクはそう言って、飛び降りようとするカルメンにゆっくり近づいた。「馬鹿はよせ。ほら見ろ、ヘンクがちゃんと戦ってるだろ?」
そう言ってドレイクが竜の首を指す。ちょうどその指の先では、刺さった剣に掴まりながら、ヘンク・メルテンスが必死に竜と戦っていた。ときどき見せるその跳躍は、まるでツバメが滑空するかのようだ。
「こっちに来いカルメン」ドレイクはそう言ってカルメンを手招きした。
「なんでそんな必死に止めるの?」
「お前がいなきゃ、先遣隊は先遣隊じゃなくなるだろう?」ドレイクはわずかに微笑んで語りかけた。「頼むから。な? お前が傷つくところなんて、誰も見たくないんだ」
一歩ずつ一歩ずつ、ドレイクはゆっくりとカルメンに歩み寄る。彼女を刺激しないよう、なるべく落ち着いた口調で、そっとそっとなだめるように声をかけるのだ。しかしカルメンは首を横に振る。来ないでという意思表示だ。
一方少し遠く、柵の向こうにいる竜の上では、ヘンクが剣を振って竜と格闘している最中だった。刺さった剣を引きずって、魚を捌くかのごとく竜を裂いている。飛び散った血は宙を舞い、竜は三度雄たけびを上げた。だがいくら先遣隊の騎士だろうと、相手は巨大な竜である。カルメンに比べ善戦しているものの、そろそろ体力も限界だろう。機敏な動きがだんだん鈍り、足が徐々にふらつき出した。だがそれでも彼は止まらない。汗をぬぐい、吐息を荒げ、騎士ヘンクは走り続ける。
「だめだよヘンク……」
そう呟いたのはカルメンだった。彼女は柵に両手を乗せ、そのまま前のめりになりながら、戦うヘンクをじっと見つめる。
「あいつ、ホントに大丈夫なんだろうな……」
ドレイクが思わず不安の言葉を漏らした。その反応も無理はないだろう。竜と戦うヘンクの動きには、見るに堪えない疲れがあった。ふらついた足は弱々しく、憔悴すらをも感じさせる。
「やっぱり僕が助けないと」カルメンが柵から身を乗り出した。
「無理するな!」
「でも今行かないと、ヘンクが倒れちゃうから!」
使命感に駆られたカルメンは、右足を意地で持ち上げた。しかし痛みは治まらない。何かがぶちっと千切れるような、そんな痛みが彼女を襲った。カルメンがその場に倒れる。痛んだ右足を抑えながら、床でじっとうずくまった。
「だから馬鹿はよせって言っただろ!」ドレイクがそう叫んで慌ててカルメンに駆け寄る。「何やってるんだよまったく……」
そう言って慌てて駆けつけたドレイクだが、次の瞬間――突然城が大きく揺れ始めた。立っているのもやっとの激しい揺れだ。事態を把握できないドレイクは、バランスを失ってバルコニーの床に手をついた。大理石にヒビが走り、激しい横揺れはまるで城自体が暴れているかのようだ。
「どうなってんだよ!」
ドレイクが叫ぶ。しかしその声も、揺れを前にしてあっけなくかき消された。四つん這いの状態で体ごと揺すられ、右に左に視界が乱れる。揺れは臓腑を震わすようで、恐怖のあまり逆立ったうぶ毛に、吹き出た汗が冷たく絡んだ。竜とつながった槍砲の紐が、ミシミシと音を立てている。
ドン、ドン。それまでの小刻みな揺れ加えて、深く強い揺れが城を襲った。ドン、ドン。またも響く地鳴り。何かの足音だ。そう思ったドレイクは、四つん這いになったまま竜に目を向けた。変に規則的な大地の揺れは、歩き出した竜の足音であった。その鱗は派手に逆立ち、夏の海面のように乱反射している。首に刺さっていたはずの槍砲は、なぜか全部抜けていた。だんだん遠のく竜の巨体。どうやら奴はポルモートから逃げるつもりのようだ。だがこれも、先遣隊にとっては全くもって嬉しい知らせではなかった。騎士ヘンク・メルテンスが、竜の背中に乗ったままなのだ。刺さった剣に意地で掴まり、彼は今もなお必死にもがいている。着地点が見つからず、竜の背から降りれないのだ。
「ヘンクがっ……」痛みを堪えうづくまるカルメンが、足を抑えながら唖然と言った。「助けにいかないの……?」
涙混じりにカルメンが訊いた。きっと痛いがゆえの涙だろう。しかしこの時のドレイクには、その涙がヘンクを思うがゆえのものに思えた。竜はもうずいぶん遠くだ。ヘンクは未だにその背の上で、一人助けを待っている。
「行くさ」揺れの収まったバルコニーに、賊長の声が低く響いた。彼はすっと立ち上がり、痛がるカルメンにこう語りかける。「今度は俺の出番だ。俺が必ずヘンクを助けてくる。お前の涙を無駄にはしない」
「泣いてないし!……そんなことより、早く助けに行きなよ」
カルメンがそう言って、倒れたままドレイクを見上げた。その純粋無垢な視線に押され、ドレイクの意思は固くなる。
「お前を置いていくわけないだろ」そういってドレイクは、すぐさまカルメンを抱きかかえて、そのあと全速力で階段を駆け下りていった。
広間に到着すると、そこは相変わらず生々しい空間であった。体中に傷を負った騎士たちが、横たわり治癒を待っている。隙間なく敷き詰められた怪我人たちは、声を上げて痛みを嘆いた。しかし立ち止まってはいけない。寝そべる怪我人たちの隙間を縫って、ドレイクは広間の端へと向かった。そしてそこにカルメンを寝かせ、彼女に強い口調でこう言う。
「いいか、絶対にここで待ってろ。お前はもうこれ以上動くな」
それは決意の言葉だった。仰向けに寝ていたカルメンは、それを聞いて黙って頷く。
「が、がんばってね」顔を赤らめてカルメンが言った。
「ああ、何が何でもあいつを連れ帰ってくるさ」
そう言ってドレイクは、カルメンに背中を向けた。そしてゆっくり歩き出し、覚悟と共に城を出る。竜の逃亡に沸く城外では、戦いを終えた騎士たちが、戦勝を確信して喜びを爆発させていた。何も知らない若者たちは、もうみんなお祭り騒ぎだ。しかしドレイクだけは目の色が違った。人の荒波をかき分けて、一人正門へと突き進んでいく。最後、ようやく門の前へ到着すると、そこではダグラスが腕を組んで遠くを眺めていた。
「おいダグラス!」
突然声を掛けられて、軍部大臣が後ろを振り返る。
「誰だ……なんだドレイクか。どうした? もう酒の気分か?」
「馬鹿言うな! ヘンクが竜に連れ去られた! 俺はあいつを助けに行く。だからお前も一緒に来い!」
ドレイクはそう言ってダグラスを睨んだ。絶対に断らせないという、強い意志の表れである。歓声を上げる若者たちを背後に、中年二人は黙って互いに見つめ合った。
「本当か」ダグラスが言った。
「どうしてこんな時に嘘つくんだよ!」思わずドレイクが声を荒げる。
「落ち着け。言いたいことは分かった」睨むドレイクを眼前に、ダグラスは強く言い切った。「やはりそんな簡単には勝たせてくれないようだな」
「ああそうだ、だから助けに行く。異論はないな」
「ああないとも。皆無さ。断る理由なんてどこにもない。今すぐ行こう。こんなところで先遣隊員を殺させはしない」
二人は黙って頷き合った。そのまま揃って馬に乗り、息を整え背筋を伸ばす。沸き立つ騎士たちを置き去りに、二人は勢いよく正門を抜けた。広がる大地にひづめを鳴らし、ただひたすらに野を駆ける。散らばった死体を幾度も飛び越え、彼らは遠のく竜を追った。
「行くぞダグラス! 全速力だ!」
「まったく、部下のくせに一丁前に命令をするな!」
呆れた口調のダグラスは、そう言って馬を加速させた。先遣隊の漢二人が、風をかき分けて野を越える。仲間が欠けた戦勝に、酒杯など似合いはしないのだ。
長いこと投稿が出来ず、申し訳ありません。学校が再開し、思ったように執筆を進めることが出来ませんでした。これからは投稿ペースが少し落ちるかと思いますが、必ず完結はさせます(最初から結末は決まっているので)ので、どうかこれからも「東の城が落ちた」を応援していただけると嬉しいです。




