57 戦う理由
レイズとメリッサを乗せた馬は、戦場を抜けてポルモートの正門をくぐり抜けた。城の前にはちょうど竜がいて、その巨体で大地を揺らしていた。レイズは迂回するように竜を避け、そのまま城の一階に入っていく。豪華絢爛な城の広間も、今日に限っては治癒所である。大理石にはいくつもの布が敷かれ、その上に騎士たちが寝転がっていた。皆うぐうぐと声を上げ、治癒を必死に待っている。
「治癒術師はいるか! メリッサ様がやられた!」
レイズは団長を抱えて馬を下りると、そう叫んで治癒術師を呼んだ。しかし誰もやって来ない。レイズはしばらく待っていたが、それでも術師は来なかった。どうやら対応中の怪我人で手一杯らしい。だがさすがにこれ以上は待っていられない。そう思ったレイズは、付近の空いた布を見つけると、そこにメリッサをそっと寝かせた。
「大丈夫ですか?」青白い顔をひきつらせて、レイズは寝そべるメリッサに訊いた。
「いいから早く矢を抜いてくれ……」
絞った声で言ったメリッサは、腹部に刺さった矢を震えた手で指さした。
「抜くって、そんなこと馬鹿なこと出来るわけ……」
レイズはメリッサの手を掴み、それをぎゅっと固く握った。信奉する団長の悲痛を前に、彼は唇を噛んで鼻をすする。広間はまさに生と死の淵であった。整然と並んだ騎士たちは、各々苦しみと格闘し、時折大声を上げながら、必死に命を繋いでいる。しかし治癒術師の数は限られていた。助けが遅れた騎士たちは、寝たまますっと息を引き取る。
一方その頃、先遣隊剣士カルメン・スタッカートンは、メリッサと同様城の広間で寝そべっていた。幸運にも彼女は軽傷らしい。多少の擦り傷は見られるが、ちょっとした動作をするぶんには問題ない。
「大丈夫かカルメン」
そう言って彼女に声をかけたのは、バルコニーから降りて来たドレイクだった。彼はカルメンの横で正座をし、さっきからずっと治癒術師を待っている。
「ヘンクは?」カルメンが上体を起こして訊いた。
「ちょ、お前大丈夫なのか?」ドレイクが起き上がった彼女に声をかける。
「大丈夫だよ。なんならもう一回戦えるもん」
「無理だけはするなよ?」
「してないって。ねえそれよりヘンクは?」
「あいつは今竜と戦ってる」
「えっ、なんでよ? おかしいよそれ。なんで僕だけ連れ帰ったの?」
「あいつの配慮さ。お前にはこれ以上無理をさせられないんだと」
「でも僕はまだ戦えるよ? ヘンクを一人だけで戦わせるなんて、ちょっと変だよ」
「言いたいことは分かるが、無理はさせられないんだ」
「何言ってるの? 僕は戦いに来てるんだよ?」
「そんとこと分かってる」
「じゃあ戦わせてよ。まだ体もピンピン動くんだ。こんなところでやめられないよ。だから戦わせて? お願いだから」
「そんなこと言われても……」
「ねえいいでしょ? 戦いたいの!」
「落ち着けカルメン」
「落ち着いてるよっ」
カルメンが強い口調で言った。どうやら正義感を抑えられなかったらしい。カルメンはそのあと衝動的に腰を持ち上げ、その場でパッと立ち上がった。
「イタっ……」
カルメンが突然うめき声を上げる。どうやら右足が痛んだようだ。やっぱり無傷ではないらしい。十九の女の無垢な体は、もうすでに綻んでいるのだ。しかしカルメンは歩き出す。右足を引きずりながら、ゆっくりと前へ進んでいった。
「待て!」ドレイクがそう言ってカルメンの腕を握る。「そんな状態で戦えるわけないだろ」
「離してよっ」カルメンが駄々をこねるように言った。
「離さねえよ!」
「なんでよ、僕の勝手でしょ! 剣も振れないのに出しゃばんないで!」
「何だその言い方は? 俺はお前のことを思って言ってんだからな!?」
「うるさいよ! 戦うの! 戦わなきゃダメなの! 分かるでしょ! 昨日話したじゃん!」
「母さんは苦しんでるお前を見ても喜ばねえよ!」
「でも戦うの! 僕はもう引き下がれないの!」
カルメンがそう言って腕をぶんぶん振った。しかしドレイクは手を離さない。ぎゅっと握って彼女を引き留め、そのままカルメンをじっと睨む。
「お前はもう戦えない!」ドレイクは叱責するように言った。「俺はこれ以上お前に無理はさせたくないんだ! 頼むから言う事を聞いてくれ。ヘンクはお前が思ってるほど弱くはないぞ」
「ヘンクが弱いなんて言ってないよ!」カルメンは即答した。「僕は僕のために戦うんだ! 分かるよね? ドレイクなら分かってくれるよね? 何のためにドレイクに相談したと思ってるの?」
カルメンは必死に訴えた。その視線はその場の誰よりも強く、その表情はその場の誰よりも引き締まっている。彼女はドレイクを上目遣いで見つめ、口をへの字にして目を潤ませながら、性懲りもなく懇願していた。
「お願いだよ! 頼むから……」カルメンは声量を小さくしながら言った。
彼女が言葉を失ったあと、ドレイクは沈黙を噛みしめるようにしばし黙り込んだ。彼はカルメンの目を見つめながら、何やらじっと考え事をしている。
「……お前は変わったよ」長い沈黙を裂いたドレイクの第一声は、意味深長な一言であった。
「何だよ、急になに言いだすんだよ!」
「お前はもっと弱い女だった」
「ドレイク? なに言ってんの?」
「いつの間にそんな風になった……」
「ねえどうしたの? おかしいよ?」
「なあカルメン」
「……なに?」
「俺はお前に対して責任があるんだ。お前を苦しめることは出来ない。なぜなら俺も先遣隊の男だからだ」
「……ドレイク?」
「それでもお前が行くと言うなら、俺は止めない。だが俺はお前のために行くなと言っている。お前がもし大怪我をして苦しもうものなら、俺だって後悔するんだ。あの時お前を引き留めておけばよかったって。それくらいお前にも分かるだろ?」
ドレイクの声には必死さがあった。開いた瞳孔はカルメンの目を凝視し、腕を掴む手には血が止まるほどの力が入っている。カルメンはその迫力に気圧されて、しばし黙ってうつむいた。治癒所に横たわる騎士たちの悲鳴が、あちこちから聞こえてくる。そんな残酷な世界の中で、少女は深く自問した。いくつもの思い、いくつもの死、その交差点の真ん中で、少女の意思は天秤にかけられる。だがしかし、彼女の決意は固かった。
「でも行く」少女は小声で呟いた。「行かなきゃダメなんだ」
「そうか……」カルメンの言葉を聞いて、ドレイクは諦めたようにため息を吐いた。
「分かったなら手離してよ」そう言ってカルメンが腕を振る。
「お前はほんとわがままなんだな」
「そんなこと分かり切ってるくせに」カルメンが強く吐き捨てた。
「ほう、お前もようやく自覚したのか」
「なに言ってるんだよ今頃」
「なんでもねえよ。いいさ、好きにしろ」
そう言ってドレイクは手を離した。二人ともほとんどやけくそである。カルメンなんてすぐに歩き出して、そのまま治癒所を出て行った。引きずる足は不規則な音を響かせ、小さい背中は孤独を醸し出す。遠のく彼女の後ろ姿は、棒立ちするドレイクに針の如く刺さった。情に生きた賊の男が、情に泣いた瞬間である。




