56 竜のための協奏曲
カルメン・スタッカートンが立ち上がった。壮大な協奏曲が響き出す。赤い尾を登る少女の顔は、覚悟の汗でにじんでいた。剣を片手に鱗を蹴って、登って転んでまた登る。例え足を滑らせても、剣を刺して持ちこたえた。尾から背へ、背から首へ、傾斜がだんだん急になる。それでもめげず、それでも泣かず、大声出して駆けあがった。したたる汗は努力の結晶、暴れる吐息は根性の証。進め、登れ、登って立て! 何度滑っても、何度転んでも、決して諦めてはいけない!
運よく竜が首をうなだれた。今ならいける、今なら進める! 平らになった竜の首を、カルメン・スタッカートンはとにかく走った。拍を刻むは彼女の足音。協奏曲と混ざって鳴って、その音はまるで楽器のようだ。タッタタッタと心地よく、その拍動が首を駆ける。進め、進め、まだ進め! いよいよ頭が見えてきた! 剣を振り上げたカルメンが、そのまま高くジャンプする。竜の頭の上を目がけて、少女は剣を振りかぶった。そして一閃、飛び散る血。紫色に染まった剣は、竜の脳天を華麗に射抜く。命乞いのように、断末魔ように、低い咆哮が大地を揺らした。痛みを感じて叫んだ竜は、じたばた暴れて頭を振る。右に左に揺れる巨体。それにつられて少女も揺れた。しかし彼女は手を離さない。刺さった剣に掴まって、落ちぬように必死で耐える。何度体を叩きつけられても、何度腕が千切れそうになっても、歯を食いしばって剣を握った。
しばらく経って日が隠れ、竜の動きが鈍くなる。協奏曲が効いてるようだ。竜の咆哮を押しのけて、音色は見えない剣となる。ようやく竜が動きを止めた。カルメンはそっと立ち上がる。刺さった剣を引き抜いて、ひるんだ竜と目を合わせた。紫の眼球に黒い瞳。ぎょろぎょろぎょろと音を立て、その目はじっと少女を見つめる。しかし彼女は動じない。垂れた汗を腕で拭い、荒い吐息を竜に浴びせた。そしてしばらくの沈黙――にやりと笑ったカルメンは、こう叫んで剣を振る!
「お久しぶりだねえ!」
脳天に刺さる剣。またも散る血しぶき。ぜえぜえと鳴る彼女の呼吸は、嘲笑と共に竜を煽った。聞こえてくるのは竜の咆哮。それはまるで波動のようだ。辺りの空気がぐわんと揺れて、その低音が脳を揺する。突然竜が火を吹いた。開いた口から火炎が漏れて、少女の背後が太陽になる。振り返ったカルメンは、噴き出す火炎にしばし見とれた。その灼熱は汗を誘い、真っ赤な明かりは目を乾かす。何度かまばたきしたカルメンは、剣を抜いて引き下がった。竜の首へと跳躍し、スライダーの要領で、三日月状の竜の背を、下へ下へと滑っていく。そのまま尾まで一直線、地上で彼女を待っていたのは、馬に乗ったヘンク・メルテンスだ。
「大丈夫か!」
落ちてくる彼女を受け止め、ヘンクはすぐにそう言った。手綱を引き、急いで馬を走らせる。ヘンクは彼女を後ろに座らせると、そのまま城へと直行した。
「よくやったよ」ヘンクは前を向いたまま呟いた。
「……かっこよかった?」なぜか泣いてるカルメンは、ヘンクに抱き着きそう言った。
「ああ、お前史上最高にかっこよかった。すぐに治癒所に運んでやる。しっかり掴まってろ!」
そう叫んだ騎士ヘンクは、竜の両足の間を縫って、馬を治癒所へと走らせた。
◇◇◇
メリッサ・へオンは強かった。周りの兵士をなぎ倒し、彼女の周囲は死体の山だ。剣を掲げて笑った彼女は、敵軍本部へ前進する。部下を連れた余裕の様は、馬たちまでもを委縮させた。だが敵だって立派な騎士だ。勇猛果敢な帝国兵は、数人がかりで彼女を襲う。しかしさすがはメリッサ・へオン。たった一振りで全員殺した。
「つまらん戦だ」馬に乗ったメリッサは、そう言ってため息をつく。
「敵兵もあと百人といったところでしょうか」補佐役であるレイズ・ミットランドが、同じく馬に乗ってそう言った。
「メリッサ様はもう引き下がってもらって結構です。残りは我々だけで処分できますので」
「いいや、敵の大将は私がやる。じゃないと楽しくないからな」
「そうですか……でしたらくれぐれも警戒を忘れずに。私はその間に、戦勝の伝令を城へ運んで参ります」
「それはまだ気が早い。ちゃんと私が大将を斬ってからにしろ」
「分かりました……しかしメリッサ様、その場合はなるべく早く大将を始末してください。我々は敵兵が全滅し次第、竜の討伐に向かわねばなりませんので」
「なるほど。ならば決闘と行こうかね」
陽気な口調のメリッサは、そう言って馬を静かに歩かせた。一帯に散らばった屍を踏みつけながら、敵大将と思われる男に近づいていく。
「おいあんた、こっち向いてくれよ!」
彼女がそう呼びかけると、男は言われた通り馬をこちらに向けた。銀色の甲冑に身を包み、筋骨隆々とした敵大将は、茶色の馬に乗ってメリッサを遠目に眺めている。
「あんたどうして目が紫色なんだ?」大剣を肩に乗せて、メリッサが叫ぶように尋ねた。
「……教える筋合いはない」
「え? なんだって? 声が小さくてよく聞こえないんだが!」
「……うるさい奴だな」
「何か言ったか?」
メリッサの質問攻めに嫌気がさしたのか、男はチッと舌打ちした。辺りには血の匂いが充満し、草原は赤黒く染まっている。生ぬるい風が吹くたびに、死体の髪がゆらゆら揺れた。
「お前と戦う筋合いはないと言ってるんだ!」
しびれを切らした敵の男が、大声出してそう言った。その怒号を聞いて、メリッサは嬉しそうに笑みを見せる。
「そうかそうか、なら潔く負けを認めるんだな!」
「……おいおい、何を言ってる? 話の通じない奴だな」呆れた敵兵大将は、首を横に振りながらそう言った。「おいマリ、奴の相手をしろ。私の手を煩わせるな」
そう言って男が誰かを呼ぶ。その声に反応して、白馬に乗った女の騎士が、男の前に颯爽と姿を現した。
「めんどくさいなあ」ため息をついた白馬の女は、そう言って分かりやすくうなだれる。「……あれ、てかあんた、前に会ったことあるよね?」
マリ・ベイカーはそう言って、メリッサのことをじっと睨んだ。
「ほう。また男を変えたのか?」メリッサが笑いながら彼女に訊く。
「馬鹿言わないで。前のへいちょーは遊びだったの」
「へえ。じゃあそこにいる紫の目の男は、ルッセルフの時の兵長って奴よりかは、いくぶんマシな男なのか?」
「あたり前じゃん。私のししょーだもん」
「師匠? なるほど、それは期待出来そうだな」
「いやいやちょっと待ってよ。あんたの相手は私だからね? ししょーには指一本触れさせないから」
「ふうん、ルッセルフの時とはえらく違う心構えだな」
「そりゃそうでしょ。この人は私の恩人だから。ねっ、ししょー?」
「一度落ち着けマリ。奴を甘く見るな。相当のやり手だぞ」
「分かってるって。ちょっとからかっただけじゃん?」
にこにこ笑うマリ・ベイカーは、そう言って白馬からすとんと下りた。そして笑顔を絶やさぬまま、剣を片手にメリッサへ迫る。
「女とやるのは性に合わないが、まあ仕方ない」
メリッサもそう言って馬を下りた。荒涼とした戦場で、二人の女が相まみえる。二人は互いに睨み合い、隙を見せずに距離を詰めた。しばらく経って、メリッサの大剣がマリを射程に入れる。残念なことに、それが悲劇の合図だった。
「撃て」
馬に乗った大将の男が、そう言って右手を上げる。次の瞬間矢が宙を抜け、そのままメリッサの腹部に刺さった。奇襲のような一撃に、メリッサは腹を抱えて地面に倒れる。補佐役のレイズがそれを見て、すぐさま彼女に駆け寄った。
「団長……?」
うつ伏せで倒れたメリッサに、レイズは何度も声をかけた。しかし彼女は反応しない。細い声で痛みを嘆き、ただただ腹を抑えている。漏れた鮮血は甲冑を垂れ、刺さった矢がはらわたをえぐった。
「卑怯者!」四つん這いで叫んだレイズが、顔を上げて大将の男を睨む。
「何が卑怯者だ」男は冷ややかな声で答えた。「戦場に決まりなどない。決闘は闘技場でやるものだ。ほらマリ、馬に乗れ。引き返すぞ」
「えーもう帰るの? つまんなくない?」
「いいからお前は黙って言うことを聞いてろ」
「ちぇっ、分かったよししょー。んじゃまた会おうね、蛮族の騎士さん」
そう言って手を振ったマリ・ベイカーは、白馬に乗って踵を返した。敵兵二人はすぐに消え、団長とレイズだけが取り残される。曇天の影に沈んだ大地は、死骸で出来た荒原だった。異臭を運ぶ風は冷たく、揺れる芝生はどれも赤い。
「まだ助かりますから……団長どうか、気を確かに」
レイズは目に涙を浮かべ、団長の体をゆっくりと持ち上げた。そしてそのまま立ち上がり、彼女と一緒に馬へまたがる。団長を後ろに乗せた彼は、急いで治癒所に走っていった。だが途中、激しい乗馬の揺れを受け、メリッサは何度もえづいてしまう。だんだん意識が遠のく彼女は、そのままレイズに寄りかかって、救命の時を必死に待った。




