55 誰が為に笛は鳴る
「竜は先遣隊がやる! 我々の相手は帝国兵だ!」
そう叫んだメリッサ・へオンが、大軍の先頭を突き進む。馬は大地を蹴り上げ、男たちの声は天まで響いた。騎士たちが剣を手に取る。騎馬戦は馬が命だ。落馬すればそれすなわち死。高さという利点を失った者に、勝利の女神は微笑まない。
王国軍は平原のど真ん中で敵兵と相まみえた。先頭を行くメリッサが、馬上で体を前に傾け、手綱からぱっと手を離す。そして両手で大剣を握り、それを高く持ち上げると、砲丸投げのようにぐるぐる振り回した。なんという体幹だろう。さすがはポルモート騎士団の団長である。
「団長につづけえええええええ!」
メリッサの補佐役であるレイズが、そう言って団員たちを引き連れた。彼らは馬に乗って戦乱に飛び込むと、そのままあちこちで剣を鳴らす。
もうすでに戦場は血の海である。至る所で騎士たちの断末魔が響き、落馬をした者は馬に踏みつけられる。剣が肉を裂き、肉が馬に踏まれ、踏まれたら臓腑がはち切れた。残忍な戦いが草原を埋め、しかしそんな戦禍の中でも、騎士たちは剣を振り続ける。
「帝国の男はこんなものか!」
メリッサは相変わらず余裕のようだ。うああと叫んで力を溜めると、彼女を囲んでいた敵兵数名を、振った剣で一気になぎ払う。裂かれた敵兵はあっけなく地面に落ち、残るのはメリッサの嘲笑だけだ。
「口ほどにもない奴らだな!」
彼女は大声であざ笑い、舌なめずりをして再び剣を掲げる。騎士団を統べる魔性の女は、そう簡単に負けはしない。
一方竜は戦場を迂回して城に向かっている。その咆哮は空気を揺らし、一歩進むたびに地震が起きた。のめり込んだ足は草原を荒らし、吹いた火は第二の太陽となる。赤い鱗は陽光できらめき、紫の目は城を睨んだ。この目に見つめられたら、誰だって硬直するだろう。竜の視線はそれほどまでに恐ろしく、さながら火を吹くメデューサである。
聞こえてくる馬の雄たけび、剣のぶつかる音、竜の咆哮、その全てが混ざって散って、戦場を風のように駆け巡った。メリッサは返り血を全身に浴びながら、馬の上で剣を振り続けている。周りでいくら兵士が倒れようとも、彼女は一切気に留めない。何かが体に憑依したのか、目をぎらつかせて大剣をぶん回す。
「もっとだ! もっと楽しませてくれよ!」
メリッサは過呼吸になって笑いながら、赤子のように奇声を上げた。こうなったら誰も止められない。血を欲した大剣は、ぶおんと鳴って空気を裂く。その低音は死の音色だ。すぐさま敵兵が腹を裂かれ、真っ二つになったその体は、下半身だけ馬上に残る。
ところ変わってポルモート城。迫ってくる戦乱を前に、ダグラスの視線が鋭くなる。彼はすぐに階段を下り、見張り台からバルコニーに直行した。槍砲をいつ撃つか、その権限はダグラスに一任されているのだ。彼はバルコニーに到着すると、並んだ槍砲を見て何度か頷いた。
「ドレイク、頼むぞ」
「ああ分かってるよ」
そう言ってドレイクが笑った。槍砲の発射を担当するのは、「イかれた子豚」のポルモート支部である。彼らはドレイクの命令を受けて、昨日城にやって来た。
「いいかお前ら! 今日は人の役に立て! 俺と一緒に竜を倒す! 分かったか野郎ども!」
ドレイクのかけ声で、賊員たちが拳を突き上げる。いつもは呑気な盗賊たちも、今日ばかりは真剣な表情である。皆槍砲の前に立って、発射の時をじっと待つ。
竜が迫って来た。奴は戦乱をかいくぐり、ポルモート城のすぐそばまでやって来ている。固唾を飲んで見守るダグラス。彼は腕を組み、バルコニーに立ってそのタイミングを推し量っていた。まだだ、まだ早い。もう少し、もう少しだ。竜がさらに迫ってくる。赤い首まであと百メートル。早まるな。まだ待てる。ダグラスは段々早くなる呼吸をこらえて、じっとじっとその時を待った。槍砲よりも鋭い視線が、もうすでに竜を捉えている。
ダグラスがバルコニーから引き下がった。それを見て、槍砲がバルコニーの柵ギリギリにまで前進する。次の瞬間、ダグラスは大きく息を吸って、人生最大の声量でこう叫んだ。
「撃てえええええええええ!」
その声と同時に爆風が吹く。槍が十発、竜の首目がけて宙を進んだ。びゅううんと音を立て、そのあと生々しい音がしたかと思えば、槍砲が八発、しっかりと竜を捕えている。
「固定しろ! 急げ!」
ドレイクが声を上げる。それと同時に賊員たちが、槍の紐を綱引きの要領で引っ張り上げた。約百人の大所帯が、えっさほいさと声を上げ、綱をゆっくり引っ張っていく。ドレイクもそれに加わって、綱は順調に城の中へと引き込まれた。そして最後、城の柱に到達すると、ぐるぐる巻きにして固く結ぶ。こうして竜は城に固定され、もう逃げることは出来なくなった。
「いいぞ完璧だ! よくやった野郎ども!」
ドレイクがそう言って拍手をした。賊員たちは彼の言葉を聞いて、みんな大喜びで飛び跳ねている。さすがは盗賊だ。団結力だけは凄まじい。
一方その下、竜の腹辺りにある六階バルコニーでは、器楽隊が笛を握っていた。サリーは木箱に立ち、竜を前に呆然としながら、指揮棒をわなわな震わせている。しかし恐れてばかりではいけない。さすがは品位の塊だ。すぐに冷静になって、竜に背を向ける。そして団員達を目の前に見据え、彼らにこう啖呵を切るのだ。
「いよいよこの時が来てしまいました。しかし恐れてはいられません! さあ楽器を握って! 今こそ王国のために音楽を奏でるのです!」
サリーはそう言って指揮棒を掲げる。その手は変わらず震えているが、それは他の隊員たちも同様である。ヒレンなんてまともにフルートを持てていない。唇に楽器を近づけるが、呼吸さえも震えてしまっている。
――タタタタタ。リズムのいい音が聞こえてきた。楽器の音? いいや違う。誰かがやってくる足音だ。そう、先遣隊剣士カルメン・スタッカートンの登場である。彼女は器楽隊の横を抜け、バルコニーに向けて助走をつけていた。
「カルメン待って!」
もうじきバルコニーから飛び降りようとしていたカルメンを、ヒレンが慌てて止めに入る。
「どうしたの母さん」カルメンがそう言って振り返った。
「行ってしまうの?」衝動的に立ち上がったヒレンの顔は、恐怖のあまりひきつっている。
「心配?」
「だってそりゃ、あなたの母親だもの」
「大丈夫だよ母さん」カルメンはそう言って、自慢の笑顔を母親に見せつけた。「よーく僕のことを見てて。絶対竜を倒して見せるからさ。母さんは楽器を握っていればいいんだ。怖がらなくていい。僕は先遣隊の剣士なんだよ?」
その笑顔は愛嬌に溢れ、その目は優しさに満ち、その言葉は丸々愛で出来ていた。何年ぶりに見た娘の笑顔だろうか。感涙のあまり鼻をすすったヒレンは、立ち上がったままこう呼びかける。
「どうかみなさん、わたくしの身勝手だと承知はしていますが、それでもどうか、娘のために、国のために、最高の演奏をお願いします! 私も全力を尽くしますので、どうかお力添えを!」
ヒレンはそう言って席に着いた。あふれる涙を手で拭い、フルートを口に近づける。その姿を見てサリーも覚悟を決めた。指揮棒を持つ手から震えが消え、その目にいつもの厳しさが戻ってくる。
「じゃあよろしくね、自慢の母さん!」
そう言ってカルメンは走った。バルコニーを抜け、柵に乗り、そのまま高く跳躍する。パルメアの空気に抱かれた彼女は、剣を掲げて落下した。眼下に見えるは赤い竜の尾。カルメン・スタッカートンはとにかく叫んだ。
「うあああああああああああああああああ!」
着地と同時に剣を刺し、カルメンは歯を食いしばる。暴れる尻尾に振り回されても、彼女は剣から手を離さない。竜の動きが落ち着いてすぐ、彼女は凛と立ち上がった。さあ今だ、駆けあがれ! 背を登れ! 剣を振って竜を討て! 先遣隊の女剣士は、こんなところで終わりはしない!




