52 守るべき者のために
ヒレンは全てを話し終えたあと、太ももの上で両手を握って、その手をじっと見つめていた。彼女の長い独白は、声と呼ぶには弱々しく、しかし単なる音と呼ぶには感情がこもり過ぎていた。震えた言葉は動揺をのぞかせ、途切れた言葉がためらいを暗示する。そんな不安定な語りの中で、ヒレンはこみ上げる後悔に目元を涙ぐませた。
一方カルメンは、独白の始終ずっと顔を上げていた。次々に語られる、母親を失った日の真実。カルメンは自責にあえぐ母親を前にして、ほとんど呆然自失であった。
「パルトは?」突然ヒレンが顔を上げて訊いた。「パルトはどうしたの?」
カルメンは答えるのをためらった。弟の死を告げれば、母親にさらなる追い打ちをかけてしまうと思ったのだ。しかし母親の目は正直だった。まるでカルメンにこう伝えているみたいである。「お願いだから教えて」、と。
「殺された」カルメンは呟くように答えた。
「そう……まあ、そんな気はしていたわ」
ヒレンはそう言ってまたうつむいた。彼女には察しがついていたのである。夫が殺されたくらいなのだから、スタッカートン家の跡継ぎであるパルトだって、きっと殺されているだろう。息子が生きているだなんて、そんなの野暮な期待に決まっている。彼女はそう自分に言い聞かせることで、息子の死による苦しみを少しでも軽減しようとした。そしてその心構えは、幸か不幸か無駄にはならなかった。
「母さんと同じだよ」カルメンが口を開いて言った。「僕も弟を助けられなかった。母さんと同じように苦しんだし、母さんと同じように何度も後悔した。今でも、ああしてれば、こうしてればって、色々と思うんだ。でも過ぎた事だからどうにもならない。だから別に母さんは、自分が弱いとか、自分が何もできなかった人間だとか、そういうことばかり考える必要はないんだよ?」
母と子は似るものである。それはなにも、顔立ちや表情だけではない。ものの考え方も、救いようのない境遇も、神のいたずらかなのかよく似通うものである。言うまでもなく、親子の繋がりとは血縁以上のものなのだ。
「ねえ、どうして先遣隊なんかになったの?」ヒレンが興味深そうに訊いた。
「……最初はお金を稼ぐためだったかな」カルメンはちょっと恥ずかしそうに答えた。
「そう。でも『最初は』って言うんだから、今は違うんでしょ?」
「うん。今は、おいしいご飯がたくさん食べれるからね」
「なんだかあなたらしい理由ね。そういう所は変わってないみたい」
「なっ、冗談だよ。ご飯のためだなんて、僕はそんなちっちゃい人間じゃないし……せ、先遣隊のみんなは、僕を守ってくれるんだよ?……いつもはちょっと当たりが強いけど、でも、いざという時はこんな僕のために、精一杯体を張ってくれるんだ。だから今は、お金のためじゃなくてみんなのために戦うんだ。それが、僕に出来る唯一の恩返しだから」
「いい仲間をもらったのね」
「うん。でもちょっと後ろめたく思う時もあるんだ。みんなに迷惑かけてばかりだし、おっちょこちょいだし……」
「そんなに思い悩む必要はないと思うわ。もちろん私は、先遣隊のことなんてよく知らないし、あなたがどういう立場に置かれているかも知らないけど……でも、私とあなたは今日、こうやって不思議にも巡り会って、一緒に戦うことになったのよ? きっと神様が、私たちに諦めるなって言ってるんじゃないかしら」
そう言ってヒレンはカルメンを見た。太ももの上で握られていた手に、ぐっと力が入る。そう、ヒレンは腐っても母親である。一度腹にカルメンを宿したと言う事実は、どうやってもひっくり返らないのだ。だから彼女は、目の前にいる一人の少女を、自分と半分血を分けた少女を、励ましてやらなければいけない。彼女には覚悟があった。まだつぼみのように弱々しいが、しかし今まで一度も抱いたことのなかった、初々しい覚悟が。それはヒレンの胸の内に、新たな責任としてしっかりと芽吹いている。「もうこれ以上、新しい後悔を作ってはいけない」と。
「私は楽器を弾くことしかできないわ」ヒレンは語りかけるように言った。「でも出来ることは全部やる。あなたのために戦う。もう逃げないわ。決めたのよ、一緒に竜を倒すって。ポルモートを守るって。だからカルメン、これが私の罪滅ぼしだと思ってほしいの。あなたのために楽器を吹くことが、私にとっての贖罪だから」
器楽隊所属、フルート担当ヒレン・スタッカートン。その目は涙に潤んでいるが、徐々に本来の輝きを取り戻しつつある。ようやく窓から陽光が差し込んできた。母なる愛というものは、いつか必ず日の目を見るようだ。
◇◇◇
ポルモート城の書庫は、至る所が本棚で埋め尽くされている。カブラ・へオンは以前にこの書庫で管理員をしていた際、ここにある本を全部暗記したらしい。まさに歩く書庫である。この天真爛漫な少女は、何も考えていないようで、実は何もかもを考えているのだ。
「はーいみんな! よく来たね!」
相変わらず元気なカブラは、乗っていたハシゴからぴょんと飛び降り、「赤竜討伐部隊」の面々を笑顔で歓迎した。ちなみに「赤竜討伐部隊」とは、先遣隊の面々と器楽隊長サリー、そしてカブラの姉であるメリッサを含んだ、赤竜討伐専門の特殊部隊である。
「ウオマリー村が帝国に占拠されたらしいね!」一冊の本を開きながら、カブラは陽気な口調で言った。「明後日には帝国がポルモートに来ると思うけど、その前に竜を倒すための作戦を練らなくちゃ!」
「私たちはどこで楽器を演奏すればいいの?」物珍し気に書庫を見回しながら、サリーが柔らかい物腰で訊いた。
「うーん、城のバルコニーとかじゃない? あそこなら音もよく通るし、竜に聞かせるには絶好の場所だと思うけど」
「分かったわカブラ。器楽隊はバルコニーで演奏するわね」
「うん! よろしくねおばちゃん!」そう言ってカブラが、いつものように嬉々と飛び跳ねる。「んじゃあ、先遣隊の人たちと、お姉ちゃんだけど……いくら器楽隊が竜を抑え込めても、やっぱりトドメを刺すときは肉弾戦じゃないとね。だから何人か、竜と直接戦う人が欲しいな!」
「直接って、竜に飛びかかるのか?」ドレイクが首をかしげて訊いた。
「うん。多分そうなるよ」
「出来るのか? そんなこと」
「やるしかないよ! もちろん、竜を固定するための槍砲はちゃんと用意してあるから!」
「ソウホウ?」
「うん。でっかい大砲で、発射すると槍が飛び出るんだ。それで、この槍には紐が結ばれていて、竜の体に刺さったら、その紐を城の柱に固定することで、竜の動きを抑えられるってわけ。まあイメージとしては、紐を通した縫い針を竜に刺して、そのまま紐どっかにくくりつけちゃう、みたいな!」
「音楽より効果がありそうだな……」
「そういうこと言わないの! おばちゃんの士気が下がっちゃうでしょ!」
「いえカブラ、そんなことはありませんよ」
「えーいいの? もっとガツンと言っちゃっていいんだよ?」
「そんな必要はありません。余計な発言は慎むべきだと、先ほど学びましたから」
「あっそう……んじゃまあとにかく、槍砲と音楽のダブルパンチってっわけだね!」そう言ってカブラがピースをする。どうやらダブルという意味らしい。「んでんで、竜に対応する人と敵兵に対応する人は、ちゃんと分けないといけないよね!」
「おっとカブラ、それについては私から話そう」そう言ってダグラスが、カブラの話に割って入った。「まずはヘンクとカルメン。君たちには竜と戦ってもらう」
「了解しました」そう言ってヘンクが頷く。
「分かったよ」カルメンは至極落ち着いた様子で言った。
「そしてメリッサ。君はポルモート騎士団を引き連れて、帝国の兵士と戦ってもらう」
「了解いたしました、ダグラス様」メリッサはそう言って律儀に一礼した。
「んー、やっぱりおねーちゃんは固いなあ」
「静かにしろカブラ。私はお前と違って騎士団の女なんだ。礼儀を重んじている」
「そりゃ知ってるけどさあ」
カブラがいつものようにふてくされる。先遣隊にとってはもはや見慣れた光景だ。しかしこんな団らんも、三日後には戦禍に呑まれているだろう。余裕の彼らを目前に、ダグラスはいささか不安を覚えた。
「次は絶対に負けられないんだぞ」作戦を担う軍部大臣は、重く鋭い口調で釘を刺した。「いいか、我々はパルメア王国を守らなければいけないんだ。何があってもポルモートは死守する。絶対に敵兵を討ち払い、竜を倒さねば、王国に未来はない。これは我々に与えられた最後のチャンスだ。無駄にしてはならない。覚悟を持って臨め。ここにいる君たちは、みな我が国最高の戦士たちだ。それぞれ役割は違くても、守るべきものは同じはず。それは皆も分かっているだろう?」
さっきまで笑顔を浮かべていた先遣隊に、真剣な眼差しが戻ってきた。カルメンなんて真顔である。それはおそらく、彼女が初めて威厳を見せた瞬間だろう。守るべき者が増えた今、彼女を突き動かすのは紛れもない責任感だ。かつてカルメンは、強さのために、勝利の快楽のために、傲然と剣を振ったものである。しかし今は違う。サーベル片手に森を生きたとある修道女のために、自分を抱えて走ったとある盗賊の首領のために、後悔から立ち上がり楽器を握るとある器楽隊員のために、その短剣を毅然と振るのである。
いいかパルメア王国よ。もはやいかなる言い訳も許されない。敵は三日後、ポルモートにて竜を従え、大軍と共に街へ攻め入るであろう。だが過度な恐れは禁物だ。君たちには強い武器がある。そう、築き上げられた絆という、竜にも劣らぬ希望の武器が。それはきっと、剣では切れぬタスキとなって、君たちを勝利に導いてくれるはずだ。




