46 隊長としての責務
湖のほとりにあるウオマリー村は、メリッサ・へオンの実家がある村だ。どうやら村人たちは、すでにポルモートへの避難を終えたようである。先遣隊が到着したころには、村はどこも無人になっていた。当然家屋に人はいない。よって避難民たちや騎士団の団員たちは、そうした家にお邪魔すると、そのままベッドで疲れを癒やした。
一方先遣隊は、メリッサ・へオンの好意を受けて、彼女の実家に宿泊することとなった。木造二階建ての古い家屋は、生まれてから村を出るまで、メリッサをずっと暖かく見守ってきた、思い出の家である。年季のためか歩く度に床板がきしむが、それもまた味と言えよう。メリッサは先遣隊を連れて久しぶりの帰省をすると、すぐに甲冑を抜いて風呂を済ませた。
彼女と同様に先遣隊の各員も風呂を済ませた後、なぜか彼らは食卓に呼び出された。ドレイクが言われるがままにそこへ向かうと、すでにダグラスとヘンクが椅子に着いていて、呼び出し行った張本人であるメリッサは、ダグラスの横で静かに読書をしていた。
「カルメンはまだ来ないのか?」
食卓に来たばかりのドレイクに、ヘンクが眠そうな声で訊いた。
「ああ、あいつは風呂から出たらすぐに寝ちまったよ。許してやれ。ベッドで寝るのも三日ぶりなんだ」
「そうか、なら別にいいさ。何も叩き起こせと言うつもりはない」
そう言ってヘンクは、隣にあった椅子を指さして、ドレイクに座るよう目配せした。
ドレイクが椅子に座ると、ちょうど正面にはメリッサがいた。彼女は「パルメア史Ⅰ」と書かれた分厚い本を読んでいる。背もたれに寄っかかり、一枚ずつ丁寧にページをめくるその仕草は、昼に見た強気な態度からは、全く想像のできない姿であった。
「みなに紅茶を淹れてこよう」突然彼女が本を閉じて、思い出したように言った。
「私は必要ないよ」椅子から立ったメリッサに、ダグラスが首を横に振って応じる。
「なら私を含めて三人分にしておきます」
「ああ、お手数をかけて悪いね」
「別にどうってことありませんよ」
そう言ってメリッサは部屋を出た。そして隣の居間に向かうと、やかんに水を汲み、そのやかんごと暖炉に入れる。彼女はそこからしばらく、暖炉の火の前で膝を抱えて、沸騰するまでの間ずっと、揺れる炎を虚ろに眺めていた。
一方紅茶が出来るまでのあいだ、食卓に居た先遣隊三人は、静かに各々の時間を過ごしていた。ヘンクはうたたねをし、時折がくんと顔を落としては、再び目覚める。彼の正面にいるダグラスは、考え事でもしているのか、ずっと頬杖をついていた。
「そういやダグラス、お前っていつも紅茶を飲まないよな」
振り子時計の音が響く食卓で、ドレイクはあくびをしながら訊いた。
「苦手なんだよ。あの渋い味がね」ダグラスはしかめっ面で答えた。
「へえ、珍しいね。高級品なのに」
「人間誰だって好き嫌いがあるだろう?」
「そりゃそうだけどさ……ほら、噂をすれば」
ドレイクがそう言ったのと同時に、ティーカップ三つをトレイに乗せたメリッサが、食卓に戻って来た。彼女はヘンクとドレイクの前にカップを置くと、そのままダグラスの隣に座った。
「メリッサだっけか? こんな夜遅くに俺たちを呼んだ理由を、教えてもらおうじゃないか」
そう言ってドレイクは、できたての紅茶をゆっくりとすすった。
「みんなすまないね。こんな時間に呼んだのは、私だって申し訳ないと思っているよ」
「じゃあ早速本題を話してくれ。俺は眠くてたまらないんだ」
「分かった。それではまず、君たちをここに呼んだ理由だが、ずばり竜を倒すためだ」
「竜って、あの竜か? 俺たちが見た……」
「ああそうだ。残念ながら私にはよく分からないが、君たちはその目で見たのだろう?」
メリッサがそう訊くと、ドレイクは彼女の顔を見て何度も頷いた。
「そうか、ならやはり本当なんだな……実は私の妹が研究者をしている。王都の国家博物院で、パルメア史の研究を」
「妹さんって、何歳だよ。あんた二十六だろう?」
「ああそうだ。妹は十九だよ」
「その年で研究者なのか?」
「そうとも。それも博物院の院長だ」
「俺には理解できない人種だな」
「心配はいらない。正直言って、私も妹のことが全然理解できていないからね」
「仲が悪いのか?」
「そう言うわけではない。関係は良好だ。ただ、性格が違う」
「へえ、会ってみたいね」
「ポルモートに着いたら会えるさ。というより、会ってもらう。彼女はこの度『赤竜討伐作戦』の作戦顧問として、討伐隊に加わることになったんだ。だから王陛下直々の要請を受けて、王都からポルモートへ向かっている。明後日、我々がポルモートに着けば、あいつと合流できるはずだ」
「じゃあ俺たちは、あんたの妹さんにポルモートで歴史の授業を受けるのか?」
「そういうことだ」
「へえ、そりゃ退屈な仕事だねえ。勉強なんて生まれてこの方したことがない」
「そうなのか?」
「ああ、何せ俺は盗賊団の団長だ。まあ同じ団長でも、お前とはまるっきり違うけどな」
「……どうしてそんな社会不適合者が、先遣隊なんてやってるんだ?」
「おっと、それには紆余曲折があってだね、説明すると長くなる」
「なら話す必要はない。お前も眠いのだろう?」
「あはは、気遣い助かるよ」
「どうってことない。当然の配慮だ。というかそんなことより、あんたの隣にいるその騎士は、なぜさっきから眠っているんだ」
メリッサにそう言われドレイクが隣を見ると、彼女の言葉通り、ヘンクがすうすうと寝息を立てて眠っていた。まれに見る先遣隊騎士の寝姿である。
「珍しいな、こいつが人の話を聞かずに眠るなんて」そう言ってドレイクは眠るヘンクを眺めた。「やっぱ若い奴らは夜更かしが苦手みたいだなあ。どうやら俺の気持ちを理解してくれるのは、ダグラスだけみたいだ」
「何言ってるんだドレイク、年寄り仲間みたいな言い方はやめろよ」
「そんな言い方してねえだろ。同じ中年同士、仲良くやろうって話だ」
「おい、あんたさっきからダグラス様と親しげに話しているが、お前は盗賊という身分をわきまえているのか?」
「何言ってるんだメリッサ。俺とあいつは一か月以上も一緒に旅した仲だ。身分も何もあったもんじゃない。あいつは俺が盗賊だって知ってるが、それでも俺を先遣隊として認めてくれたんだ。今となっちゃ感謝しかないよ」
ドレイクはそう言って微笑み、また紅茶を一口飲んだ。
「そうか。ならあんたの無礼も見逃してやろう。しかしダグラス様、くれぐれも生意気な男どもにはご注意ください」
「大丈夫さ、ドレイクはもう私の親友だ。信頼し合っているし、むしろ彼に助けられている」
「そうですか、なら問題ないようですね」そう言ってメリッサは、残りの紅茶を全て飲み干した。「私からの話は以上だ。すまないね、こんな夜遅くに呼び出してしまって。私はもう寝させてもらうよ。明日も出発は早いからな。先遣隊のみなも、どうか我が家で英気を養ってくれ」
そう言って立ち上がったメリッサは、そのまま机の横を進み、なぜかヘンクに近づいた。そして不意に彼を後ろから抱きしめると、驚くヘンクを見て嬉しそうに笑った。
「起きな」
彼女はヘンクの耳元で、いつになく優しい吐息を混ぜ、色気と共にそうささやいた。対するヘンクは驚いて背を伸ばし、そのまま辺りをキョロキョロと見回す。
「……いじりがいのある男だ」
そう言ってメリッサは、ヘンクの首筋にそっとキスをすると、そのまま無言で食卓を後にした。
「何があった!」眠りから完全に覚めたヘンクが、驚いて声を上げる。
「お前、あんま余裕ぶっこいてると、そのうちあの女に寝取られんぞ?」ドレイクが笑いながら言う。
「な、なんだよ、話が入ってこないぞ。寝取るってなんだ、説明してくれよ」
「明日にでも話してやるよ。お前も今日はさっさと寝な。ほら、俺と一緒に寝室へ行こう」
そう言ってドレイクが席を立った。しかしそんな彼を、ダグラスが呼び止める。
「ちょっと待ってくれ。お前には話がある」そう言ってダグラスは、ドレイクに手招きをした。
「なんだよ」ドレイクがいつにも増して不機嫌そうな顔をする。
「いいから聞いてくれ。大事な話だ。すまないがヘンクは出て行ってもらえるか。二人きりで話がしたいんだ」
「……あっそう。じゃあほら、よい子は寝る時間だ。ヘンク、お前はさっさと寝室に戻れ。ここはガキのいるところじゃねえぞ」
「ガキって、私はもう二十四だぞ……」そう言ってヘンクは、ダグラスに背中を押されるがままに、ゆっくりと食卓を後にした。
二人きりになった食卓は、ひどく静かであった。再び振り子時計の音が聞こえ、食卓に規則的な時を刻む。あくびをしながら椅子に座ったドレイクは、食卓の机で対角線上にダグラスと向かい合った。
「で、話ってなんだ?」
「先遣隊についてだ」ダグラスははっきりとした物言いで呟いた。
「なんだよ、どうしたんだ急に改まって」
「さっきのお前を見て、やはりちゃんと言っておこうと思ったんだ。もし私が死んだら、次の隊長はお前だと」
「……縁起でもないこと言うなって」
「しかしいつ悲劇が起こるかなんて、誰にも分からない。特に私は……今は言えないが、色々と複雑な事情がある。だから今のうちに伝えておきたいんだ。隊長としての心構えを」
「心構え?」
「そうだ。人の上に立つものとして、どうすればいいか。お前も一応盗賊団の首領だろう?」
「あまり誇れることではないけどな」
「まあ、それはそうかもしれないが、それでも、人の上に立つというのは凄いことだ。私だって、軍部大臣の座につくまで、とても苦労をした。何人もの仲間を政略闘争から突き落としてきたし、恨みも買った。だから今の立場がある」
「役人の世界は大変そうだねえ」
「そうとも。大変だよ。だがはやり、上から見る景色は絶景だ。自分の手に物事の命運が握られていて、理想を追い求めることが出来る。もちろん責任がついて回るが、それもまた一興だ」
「その言い方だと楽しそうじゃないか」
「そう聞こえたか? なら訂正しよう。私は何も、人の上に立つのが楽だとか、好き勝手出来るとか、そういう意味の話をしてるんじゃない。そういった類の幸せは、あくまで責任を取ってこそ得られる、ちょっとした対価なんだ」
「なるほど?」
「だから常に責任と向き合わなければならない。君ならもう分かるだろう?」
「……何がだよ、ちっともわからん」
「そうかそうか、媚びない奴だな。やっぱりお前はそうでなくちゃ」
「褒めてるのか?」
「そりゃ褒めてるさ。きっと君が役人になったら、人望が尽きないだろうね。ただし成果は上げられないだろうが」
「それ褒めてないだろ」
「褒めてるって。賛辞だよ賛辞。お前は本当に飾らない奴だ。宮廷の奴らにも見習ってほしい」
「……早く続きを話せよ。褒めてばかりだと俺が調子に乗るぞ」
「分かったよ。それでえっと……そう、隊長の話だ。本当のところ私はね、正直先遣隊になるつもりなんて毛頭なかったんだ。けれども王陛下に無理やりせがまれて、仕方なく引き受けた。でもお前やヘンク、カルメンやヘレナと一緒に旅をして、最初は無かった責任が、段々と芽生え始めた。そしてあの日、ヘレナを森に置いて行った日、私はいよいよ、今までの自分が楽をしていたことに気づかされた。自分は単なるまとめ役ではない。人の命と未来を、自分のポケットの中にしまい込んでいるのだと、そう思ったんだ。以降私は、自分が隊長であるという事実を、一種の使命だと思うようになった」
「使命ねえ……」
「そうだ使命だ。強い使命だ。いいかドレイク、今から言う私の言葉を、しっかりと胸に刻んでおけ。『もし自分が隊長になったのなら、あらゆる決断は、人間としてではなく隊長として行え。情に流されてはいけない。なぜなら隊長の決断は、隊の命を決める判断でもあるから』だ。分かるな、ドレイク」
「……分かるよ。分かるが、俺にそんな仕事は出来ない。ヘンクの方が向いていると思うが」
「違うんだ。あいつは少し考えが固すぎるところがある。それに、あいつ自身が命令を下す立場になると、私としては少し心配だ。あいつは『命令に忠実』な男だが、『忠実に命令できる』男ではない」
「……確かに言いたいことは分かる。でも俺はやっぱり盗賊の男だ。今まで色んなものを盗んできたし、賊員の奴らは馬鹿ばかりだから、俺にもどうにか賊長が務まった。でも先遣隊は違う。国を背負った集団だ。俺にはそんな重圧、耐えられない。今までの俺を見てれば、お前にも分かるだろう? 俺は情で生きてる人間なんだ。軍人や騎士とは違う。誰かのために走れても、責任のためには走れない。そういう男なんだ」
「卑屈になるなドレイク」
「いいや、卑屈になんてなってないさ。これは事実だ。俺に隊長はできない」
「……そうか。分かったよ。君がそう思うのなら、私も無理にお願いはしない。ただ、何かあった時はカルメンとヘンクを頼む。それだけは受け入れてくれ」
「ああいいよ。俺に何かが出来るわけじゃないが」そう言ってドレイクはため息をついた。「話はこれで終わりか?」
「ああ、終わりだ」ダグラスはゆっくり頷いた。「眠いんだろ? 今日はゆっくり休め。私はまだ眠れないみたいだ。さっきから頭が痛い」
「そうか。だとしてもなるべく早く寝るんだぞ。俺たちは若くない。ちゃんと休まないと、疲れも取れないからな」
そう言ってドレイクが席を立つ。すぐに彼が居なくなり、食卓はダグラス一人だけの空間となった。そうして孤独になった軍部大臣は、机の上にぐったりとうなだれる。そんな彼の目の前には、ドレイクの飲みかけのティーカップが、ぽつんと残されたままであった。




