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東の城が落ちた  作者: 中山ヨウスケ
 第一部  アストラン陥落
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04  騎士道は甘美につき

 研ぎ澄まされた剣に似合うのは、「シャキーン」などと言う安い効果音ではない。カンッという、弾けるような高い音こそ、よく砥がれた剣の印だ。ここだけの話、熟練の騎士は剣と木材があれば火を灯せると言う。いやむしろ、それが出来てこそ本物の騎士を名乗れるのだ。パルメア王国の騎士たちにとって、これは言わば暗黙の了解である。


 となれば、準備運動がてら寝起きに剣で火を灯すこの男も、一家の名に恥じぬ熟練の騎士と言えよう。この男、ヘンク・メルテンスは、歴代でも随一の騎士である。剣で薪に火を灯す? そんなの彼にとっては朝飯前である。実際朝飯の前にやっているのだから、文字通り朝飯前である。それもそのはずこの男、木こりの手伝いで杉を切ったら、なんと山火事を起こしてしまったのだ。さすがは騎士の家系に生まれた男である。失敗談のレベルが違う。


 代々凄腕の騎士が育つメルテンス家だが、その朝はかなり早い。まだ明朝だが、ヘンクは剣術の鍛錬で今日も庭に出ている。花壇に咲いた花たちが、今日の練習のパートナーだ。


――おっといけない。可憐な花は、何も花壇だけに咲いているわけではないのだ。もう一人可憐なお花が、花壇の横で眠そうに雑草をむしっているではないか。


「また騎士道の練習?」


 声の主は一人の少女であった。あくびを手で覆いながら、彼女は上目遣いでヘンクの剣裁きをじっと眺めている。その声は女性らしく丸まっていて、かき集めれば蜜蜂が寄ってきそうだ。


 彼女の名前はハンナ・アリエッタ。へンクに一途な思いを寄せる、健気な恋する乙女である。こうやって草をむしる間も、頭の中ではヘンクの事ばかり考えている。だが恋は難しい。考えているだけでは思いなど伝わらないのだから。


「ハンナ、今日は宮廷で茶会があるんだってね」ヘンクが剣を振りながら言った。


「ええ、そうみたいね。あなたも行くの?」


「ああ、王陛下の護衛を任されたんだ。名誉なことだよ」


「なら、今日はすぐに屋敷を出てしまうの?」


「ああそうだよ」


「……へえ、じゃあ頑張ってね。私応援してるから」草むしりの手を止め、ハンナは地面に咲いた雑草を見つめながら言った。


「寂しいのか?」


「ち、違うわよ。人がたくさんいた方が、屋敷も賑やかで楽しいでしょう? 山火事の件でメルテンス家の評判も散々だし、挽回してもらわなきゃ」


「その話は触れない約束だろ?」


「忠告しただけじゃない」そう言ってハンナは再び草をむしり始めた。


 きっとハンナからすれば、ヘンクはとても鈍感な男に思えただろう。しかしこれには理由がある。ヘンクもハンナのことが好きなのだ。すなわち両想いである。それもそのはず、ヘンクにとっては彼女の笑みこそが至上の美なのだ。その笑顔にはいかなる形容詞もふさわしくない。可愛らしい? 美しい? 麗容? 全部ナンセンス。そもそも何かで例えようとすること自体が、ヘンクにとって間違いである。以前メルテンス家の召使いが、ハンナの笑みを「天使の生まれ変わり」と表現したそうだが、ヘンクはこの話を聞いてその召使いを雇止めしたという。なんという身勝手。これだから貴族は恐ろしい。


 だがそれでも、この男ヘンク・メルテンスが、情のない男だと言いたいわけではない。人一倍正義感が強いし、騎士道にも熱心で、それと同じくらいハンナにも熱心なのだから、どうも憎めない男である。一度こいつにハンナと王陛下を天秤にかけさせて、その戸惑いようを見てみたいものだ。


「何時に出るの?」右手に雑草の束を握って、ハンナがあくびをしながら訊いた。


「十二時ごろかな。茶会は午後からだから」


「あっそう……」


 二人はそのまま沈黙した。これもまた一種の恋患いである。頭の中が真っ白になって、言葉が浮かばずドギマギする。この日は最高記録を更新した。三十分後に召使いがやって来て、「朝食ですよ」と告げるまで、二人ともずっと黙っていたのだ。その沈黙の最中、ヘンクはやたらと剣を振り、ハンナはしきりに髪をとかす。二人ともずっとそればかりしていたので、朝食の頃にはハンナの金髪が乾麺の束みたいになっていた。


 朝食の席には、ヘンクの両親も同席する決まりだった。ただ、そのせいで込み入った話はできず、話題は大抵真面目な内容ばかりだ。正直全然面白くないし、ハンナからすれば苦痛の時間である。ちなみに今までで一番面白かった話は、屋敷の飼い犬が廊下でお漏らしをした、というものである。ヘンクの両親はテーブルマナーこそ一流だが、ジョークのセンスは三流のようだ。


 しかしこの日は、いつもと様子が違った。宮殿で茶会が予定されているのだ。メルテンス家の朝食も、今日だけはその話で持ちきりだった。


「ヘンクは王陛下の護衛をするんだろ?」そう言って父親がパンをちぎった。


「その通りです父上。身に余る大命です」


「なあに、気負う必要はないさ。自信を持って臨めばいい。ヘンクは誇り高きメルテンス家の騎士なのだから」


「ええ、分かっていますよ父上」そう言ってヘンクはにこやかに頷いた。


「失礼ながらお父様」突然ハンナが声を上げる。もうすでに朝食を食べ終えたハンナは、フォークを置いてこう言った。「私も茶会に参加したいのですが」


「何を言ってるんだハンナ。君はあくまで女中見習いだ。招待状は来ていない」コーンスープを口に含みながら、父親ははっきりとした物言いで言った。


 普通なら諦めるところである。しかしこの健気な少女は、どうしても我慢が出来なかった。行けもしない茶会のために、高価な化粧まで揃えてきたのだ。大人手前の乙女にとって、茶会とは憧れそのものである。何を言っても断られると、頭の中では理解していた。だがそれでも、やっぱり訊かずにはいられないのだ。


「こっそり行ったって、バレないと思います」ハンナは身を乗り出して言った。


「いいやバレるさ。宮廷の警備を舐めちゃいけない」父親はそう言って首を横に振る。


「でもお父様、さすがにお屋敷に一人は寂しいというか……」


「女中が相手をしてくれるさ」


「そういう話では……」


「あまりわがままを言うな」ナイフを置いて改まった様子の父親が、ハンナの目を見て強く言った。「茶会は正式な場だ。決まった者しか参加できない。それに近頃は色々と物騒だ。貧民街じゃ盗賊が皆殺しにされたって聞くし、王都はどこもピンピンしてるんだよ。ハンナはまだ十六だろう? 茶会のマナーを勉強するのが先決さ」


「マナーなんて、お茶を飲むくらいで大げさ――」


「お茶の飲み方じゃなくて、仕草の話だよ」ハンナの言葉を遮って、父親は威厳のある口調で言った。「君は王陛下の前で、しっかりと謁見の所作が出来るのかい?」


「それは……」


 ハンナがそう言って気まずそうにうつむく。茶会については何でも知っている彼女だが、謁見の所作は苦手分野だ。ハンナはそのままもじもじして、あちこちに視線を動かした。そんな彼女を見かねてか、父親は優しい口調で語りかける。


「分かってくれればそれでいいんだ。今日は屋敷でゆっくりしていなさい……ほら、洋服にスープがついてるじゃないか、全くもう。おい誰か、ハンナに手拭きをやってくれ」


 父親の言葉を受けて、すぐに女中がやって来た。彼女はハンナに手拭きを渡し、そのまま食堂の隅へと下がる。ふてくされたハンナはそっぽを向いて、洋服の汚れを嫌々拭った。恋に茶会に目がない乙女は、いつだって世話が焼けるものだ。




   ◇◇◇




 屋敷に驚きの知らせがやって来たのは、ちょうどヘンクが甲冑に着替えている時だった。王が「アストランへの先遣隊を募るため、茶会を一般に開放する」とお決めになったのだ。この知らせは屋敷にすぐ広まり、ハンナはこれを聞くや否や屋敷を走り回った。


「私も茶会に行くわ!」


 彼女は女中にそう告げると、自分の部屋を飛び出してヘンクの元へ向かった。陽光の差す廊下を走って、玄関にいるヘンクを追う。向かい風で髪をなびかせ、少女は廊下を駆け抜けた。


 玄関に着くと、そこにはすでに甲冑姿のヘンクがいた。彼は新品の甲冑を歩く度にカタカタ鳴らし、屋敷の外へと向かっている。


「待ってヘンク!」ハンナが慌てて声をかけた。


「ん? どうした?」呼びかけを聞いて立ち止まったヘンクは、振り返ってハンナを見つめる。そのままそちょこんと首を傾げ、彼は澄ました口調でこう言った。「忘れ物でもあったか?」


「違うわよ!」ガラスが割れそうな高音で、ハンナがヘンクに強く言い寄る。「ヘンクも王様からの知らせ聞いたでしょう? 茶会を一般に開放だって!」


「それは知ってるが……もしやハンナも行きたいのか?」少し顔を赤らめたヘンクは、慌ててハンナから視線を逸らした。


「何言ってるの? 一緒に行きたいに決まってるじゃない!」


「でも、それはちょっと厳しいよ。お父様になんと言われるか……」ヘンクが申し訳なさそうに視線を下げる。


「だめだめ、あんなおじいさんの言うこと素直に受け止めちゃだめ! 何なら私、街で馬車を手配してでも茶会に行くんだから!」


 彼女は必死にヘンクを説得した。お願いだから、茶会に行かせて! あたかもそう懇願するように、ヘンクをぐっと見つめ続ける。さすがのヘンクもその目を見たら、決めたはずの気持ちが揺らいでしまう。


「そこまで言うなら……」ヘンクは小声で呟いた。「頼むから、バレないようにやるんだよ? 父上に見つかったら、お互い大変なんだから」


「ほんと?」抑えきれない喜びのせいか、ハンナはその場で嬉々と跳ねた。「待っててね、必ず行くから!」


 そう言って彼女は踵を返し、そのまま廊下を駆け抜けた。彼女のヒールがコンコン鳴って、軽快な拍が廊下に響く。その途中、一度滑って転んでしまっても、陽気な彼女はめげることなく走り出した。


 さあ、いよいよメルテンス家の一大事である。困ったことにこのおてんば娘、一体茶会で何をしでかすやら……


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