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東の城が落ちた  作者: 中山ヨウスケ
 第三部  竜のための協奏曲
39/64

39  夜明けは涙と共に

「誰だ邪魔しやがって!」


 叫ぶ剣士の前に、修道服の女が、凛として立ちはだかる。背の高い騎士を前にしても、女は一切動じない。綻びの目立つサーベルを構え、紫の目で騎士を睨んでいる。ぜえぜえと鳴る吐息には、修道女には似合わぬ迫力が潜んでいた。


「ヘレナ……」


 地面に腰をついて、カルメンが唖然とする。視線の先にある修道女の背中は、あの日、長い夜に見た背中とは、どこからどう見ても別物だった。それは棒のようにピンと伸び、優しさゆえの強さに満ち、少しばかりの希望を含んでいる。


「あんたのお仲間かは知らんが、邪魔するんだったらやることは同じだ!」


 騎士がそう言って剣を振った。ヘレナがすぐそれを弾く。次々と降りかかる刃を、彼女は丁寧に跳ね返してみせた。しかし所詮は元修道女。剣を押し込まれれば、その弱さが明るみに出る。騎士が縦に振った剣を、ヘレナがサーベルを横にして受け止めた。そこからしばらく、力任せのこう着状態が続く。騎士は腕に力をこめ、血管を浮き上がらせながら、剣を力強く押した。対してヘレナは、それを精一杯の抵抗で受け止める。男が剣に体重をかけた。その重さに耐えかねて、ヘレナの踵が土に食い込んでいく。


 二人の力比べの奥で、カルメンは迷っていた。逃げるべきか、加わるべきか。彼女にとって究極の選択である。カルメンは思った。あの日、残酷な正義によってヘレナを失い、自らの無力さをあれほど嘆いたのに、自分はまた彼女を置いていくのか? そんなことをして、果たして自分は成長したと言えるのか?


 自分も戦うべきだ。思い立ってすぐ、カルメンは立ち上がった。折れた肋骨に右手を当てながら、ゆっくり足を引きずって、剣を押すヘレナに近づく。そしてその背中に自らの背中をくっつけて、体重を後ろにかけた。


「そんなこと……」


 ヘレナが声を上げた。しかしカルメンは止まらない。体重をかけ、ヘレナを背中で押す。その力を受け、劣勢だったサーベルが、騎士の剣を押し始めた。


 すると次の瞬間、ヘレナが叫んだ。うああと声を上げ、剣を押す。今度は騎士の踵が土に食い込む。実はこの叫び声、単に力を込めるための雄たけびではない。森の獣を、彼女の獣を、呼ぶためのかけ声である。


 彼女が大声で叫んでから数秒後、辺りに狼が現れた。彼らは紫の目を騎士に向け、ガルルと舌を巻き、助走をつけた。そして騎士に跳びかかる。一匹目がふくらはぎを、二匹目が腹を、三匹目が腿を、それぞれ噛んだ。途端に騎士が倒れ込む。仰向けになった男の体に、狼たちが牙をむいた。そして最後、ヘレナはサーベルを高く掲げ、膝まずき、騎士の腹の上に乗ると、その剣先を男の胸に突き刺した。甲冑から血が滲み、悲鳴がこだまする。騎士はすぐに呼吸を失い、そのまま息絶えた。


 しかし死んだのは、騎士だけでは無い。この男は、最後の抵抗と言わんばかりに、自らの剣を空に向けていたのだ。ひざまずいて騎士の胸を刺したヘレナは、剣を振り下ろした際、上を向いた騎士の剣に、あっけなく胸を貫かれた。修道服が紫色に濡れ、胸の辺りから彼女の血が垂れる。


「カルメン……」


 それが彼女の最後の言葉だった。間もなく息絶えたヘレナは、男の体にうつ伏せで覆いかぶさる。そうして最後、寝込んだ修道女の背中からは、男の剣が空に向かって真っすぐ伸びていた。


「ヘレナ?……」


 カルメンが彼女に近づく。騎士と修道女の体が重なって、さらにそこから剣が伸びる光景は、それ全体がまるで誰かへの供え物のようだった。カルメンは膝を落とし、胸の痛みなどとうに忘れて、ヘレナの体を強くゆすった。しかし、剣に固定された彼女の体は、いくら力を込めても微動だにしない。


「嫌だよ……ねえヘレナ、ヘレナってば……ヘレナ……」


 カルメンの目に涙が浮かんだ。息絶えたヘレナ・フランセルを前に、彼女は正気を失ってわめき泣いた。昇る朝日に照らされ、大粒の涙がきらりと光る。一方ヘレナから延びる剣は、陽光を受けて日時計のような影を作っていた。


「なんで? ヘレナ! ねえヘレナ!」


 カルメンの頬を伝って、涙が顎に集まり地へ落ちる。それはまるで、体の至る所から搾り出した悲しみの集合体みたいだった。さらにその叫びは、あと一歩で喉が千切れそうなほど、小刻みに震えていた。不規則な呼吸と共に、彼女の肩が激しく上下する。例えどんなに明るい太陽が昇ろうとも、彼女の心は今、月も星もない闇夜のさなかにあった。


 しかし泣いているだけではいけない。カルメンよ、君は先遣隊の女だ。立ち上がり、先に向かった三人を追って、森を進まなければならない。君にとってそれは、辛く苦しい決断だろう。しかしその悲しみの裏で、ルッセルフは混乱の渦に飲み込まれているのだ。


 彼女は二名の遺体を転がし、うまいことヘレナに刺さったサーベルを抜いた。紫色に染まったその剣は、三日月のような弧に沿って、修道女の血を剣先へと垂れ流している。その血は、先遣隊の女ヘレナ・フランセルが、自分を笑顔にしてくれたとある女剣士のために、決死で捧げた執念の雫である。カルメン・スタッカートン――貧民街で育った最強の女剣士よ。今こそが正念場だ。諦めてはならぬ。道は長いが、必ずや君を、先遣隊の皆が待っているのだ。さあ立ちあがれ。立ち上がって進め。進んだら剣を握れ。剣を握ったら戦え。戦ったら笑え! 決して止まってはならぬ。お願いだから、勝利を確信した時のあの笑みを、もう一度我々に見せてくれ。


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[一言] 残酷すぎるううう……カルメン頑張れ…!
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