表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
東の城が落ちた  作者: 中山ヨウスケ
 第三部  竜のための協奏曲
37/64

37  償い

 ライン城の広間は大勢の人間で溢れかえっていた。時折城に響いてくる竜の咆哮に、避難民たちは悲鳴をあげて耳を塞ぐ。彼らは大理石に尻餅をついて、恐怖のあまり身を震わせていた。


 音を立てて螺旋階段を駆け下りてきたのは、顔面蒼白のドレイクである。彼は広間に着くや否や、正門の方へ直行し、重い扉に手を掛けた。


「何してるドレイク!」


 同じく一階にいたダグラスが、慌てるドレイクに声をかける。


「外にカルメンがいるんだ! 十階から落ちやがった!」


「本当か!」


「ああ本当だよ! だからお前も手伝ってくれ!……ああもうなんでこんなに重いんだ畜生!」


 そう言ってドレイクが目一杯扉を引く。ダグラスが見かねて手を貸すと、扉が少しだけ開いた。そうして出来たわずかな隙間に、ドレイクが体を挟む。体を横にし、細い扉の隙間に無理やり体を通した。そうしてやっと城を出たドレイクは、すぐさま城の周りを走り、カルメンの落下点を目指した。その途中、彼の行く手を阻んだのは、まるでそれ自体が城であるかのような、太い竜の足である。巨大な爪は地面に食い込み、少し足が動く度に地震が起こった。


「カルメン! 大丈夫か!」


 横たわって血を吐く彼女見つけ、ドレイクはすぐさま駆け寄る。彼女は嘔吐するように喉をひくつかせながら、血を咳のように飛ばした。そんな彼女を腕に抱え、ドレイクは正門へ走り出す。その途中、竜が一度空に火を噴いた。途端に辺りが明るくなる。まるで太陽が間違えて顔を出したみたいだった。


 ドレイクが正門に来ると、門の隙間はさっきより広くなっていた。どうやらダグラスが門を広げてくれたらしい。隙間を通って広間に戻ったドレイクは、すぐさまカルメンをその場に寝かせた。


 一方時を同じくして、ロイド・メルメアが螺旋階段を下りてきた。彼は広間に来るとすぐ、ダグラスの元に駆け寄って、彼にこう耳打ちした。


「帝国の兵が来ている。屋上から進軍するのが見えた。ざっと一万はいるだろう」


「撤退するべきだ」ダグラスは即答した。


「お前もそう思うのか」


「そりゃそうだ。そんな数の軍勢、千人ごときじゃ相手にならない。ただし最終決定権はお前にある。ここはあんたの城だからな」


「分かってる。悩んでいる暇はない」


 ロイドはもう覚悟を決めたようだった。彼はすぐに大股で広間の中央に向かい、周囲で身を寄せ合う城の人々に、大声でこう語った。


「みなさんよく聞いて! 今この城に、帝国の軍勢がやって来ている! 数は少なく見積もっても一万! 我々では到底相手にならん! よって我々は、この城から逃げなければならない!」


 ロイドがそう言うと、一部の避難民が反発した。


「なんでだよ! じゃあ一体何のために戦ったんだよ!」


「その気持ちもよく分かる! 昨日の戦いは勝てる戦いだった。だが今度は違う! 圧倒的な兵力の差があるんだ。我々が抵抗しても、死人が増えるだけになってしまう!」


 ロイドの説得を聞いて、荒ぶっていた避難民たちが静まり返った。再び戻った静寂に、ロイドはさらなる言葉を響かせる。


「君たちが逃げてきた時の馬車がある! それに乗ってルッセルフに避難だ! 全速力で行けば、二時間ほどで着く!」


 ロイドの案に、避難民からまたもいくつかの反対意見が聞こえてきた。しかしロイドはそれを受け入れない。飛び交う反論に、彼はこう反駁した。


「じゃあこの城にいる皆を見殺しにしろと言うのか? 短い付き合いだとはいえ、君たちは戦友だろう! 城主として、そんな簡単に同胞を見捨てることは出来ない!」


「ならば、私が外に出て馬車の手配をしよう」


 そう言ったのはダグラスである。彼はロイドの言葉を聞いて、すぐに動き出した。


「ああ頼む。竜の動きには常に気を配れよ」


「言われなくても分かってるよ。おいヘンク、ドレイク、外に出るぞ! 馬車の手配だ!」


そう言ってダグラスが先遣隊の男二人を呼んだ。ヘンクはすぐに駆けつけてきたが、ドレイクは少し遅れた。なぜならカルメンの看病をしていたからである。


「なあ君、彼女のことをよろしく頼む」


 ドレイクは近くにいた少年に言った。まだ背がダグラスの腰くらいしかない、小さな男の子である。


「僕?」少年は無垢な声で呟いた。


「そうだ。君だ。馬車が来たら、周りの大人たちと一緒に協力して、この女性を馬車に乗せてやるんだ。分かったな」


「うん……でも出来るか分かんないよ」


「大丈夫、君なら出来るさ」


 そう言ってドレイクは少年の頭を撫でると、すぐさま立ち上がり、城を出るヘンクの後を追った。


 城の外では、夜明け前の冷たい風が強く吹いていた。竜は城の周りを、地鳴らしと共に闊歩している。唯一の救いは、図体がでかいぶん、この竜の動きが遅いことだ。男三人は、大木のように太い竜の両足をくぐり抜けて、城の馬宿へと走っていった。そして到着してすぐ、木と馬を繋げていた紐をほどき、そのまま馬を城の門まで引っ張っていく。


 馬車が正門の前に整列してすぐ、人々が波のようになだれ込んで来た。大量に用意された馬車は、あっという間に人で埋まる。すると残念なことに、乗り遅れた数十人が広間に取り残された。馬車は元々避難民の分しかないため、城の騎士たちが優先して乗ると、そのぶん馬車が不足するのである。


「どうするんだロイド! 馬車が足りないぞ!」


 馬に乗っていたダグラスが、同じく馬に乗るロイドに訊いた。しかしロイドはすぐに答えない。なぜならこの男、昨日から何度も自分の非力さを憎み、作戦の失敗を悔やみ、完全に憔悴しているのである。さらには、残された避難民の助けを求める眼差しが、彼の罪悪感に追い打ちをかける。よって彼は、竜の足音が段々近づいて来るのを聞きながら、その短い猶予の中で、考えられること全てを考えなければならなかった。


「私は城に残る」竜が正門に迫る直前、ロイドが言った。「ダグラス。馬車の避難民はお前に任せる。私は腐ってもライン城の城主だ。だから、最後の一人になるまで、この城からは離れられない」


 ロイドの視線は力強かった。馬車で一緒に逃げるよう、彼を説得するつもりだったダグラスが、その視線を見て考えを改めるほどに。


「……分かった」ダグラスは言った。「あんたの考えを尊重する」


「ありがとう」


 そう言ってロイドは馬を下りた。そして、人の波に押されて全開になった門を通り、取り残された避難民たちの元へ向かった。


 五十人弱の避難民には、老人、女性、子供、そのほか様々な年齢の男女が含まれていた。不運なことに、彼らはただ馬車に乗り遅れたという理由だけで、命を絶たなければならない。時間があればもっとマシな決め方が出来ただろう。しかし竜は門前に迫り、敵兵はもうじき城へ襲来する。決め事をする余裕など、もう残されてはいないのだ。


「みんな、申し訳ない」


ロイドはそう言って頭を下げた。しかし死を前にした避難民たちにとっては、大した慰めにもならない。


「馬車はもうないんですか!?」


 泣きじゃくっていた若い女が、そう言ってロイドの足にしがみついた。


「ああそうだ。君たちは、間もなくこの城にくる敵兵によって……」


 ロイドはそのあとの言葉をつぐんだ。しかし避難民たちは分かっている。敵兵によって、自分たちが殺されるということを。


「私は、君たちと一緒にこの城に残る。それが、城主しての私に残された最後の償いだ」


 ロイドがそう言って避難民たちを慰める。正門前に止まっていた馬車はもう出発していて、広間はすでに静寂に包まれていた。この場に現在残るのは、城主ロイドと不運な避難民たちだけである。


 この時の広間は、まさに泣き声と絶望の空間であった。十分後に敵兵が来るまで、彼らは子供や妻と最後の時間を共にし、身寄りのない老人はただ一人、もう存在しない女神ラインの絵に向かって、何度も何度も祈りを捧げた。彼らはこの十分間を、一生で一番長い十分と思っただろうか。それとも、一番短い十分と思っただろうか。答えは明白だ。「彼らのみが知る」のである。あらゆる人間が、この類いの苦しみを正確に語ることは出来ないからだ。


 十分後、ライン城前の草原は、約一万の兵団によって埋め尽くされていた。一番最初に広間へやって来たのは、銀色の甲冑を着た男である。彼は大量の兵を率いながら、馬に乗って城の広間にやって来た。


「お前らはこの城の者か」


 男は馬の上から避難民を見下ろして言った。


「私がこの城の城主だ」


 馬に乗った隊長の男を見上げて、ロイドがきっぱりと答える。彼は凛と馬の前に立ちはだかって、隊長である騎士の男を睨んでいた。


「そうか。ならば貴様、ヘリス・シャーロットという男は知っているか」


「知っていますとも。昨日我々が殺した男です」


 ロイドがそう言うと、白馬に乗っていた別の女騎士が、高い声でこう言った。


「あいつ蛮族の奴に殺されたのお? なっさけねえな! 魔術師のくせに何やってんだろ?」


「黙れマリ」


「ごめんなさーい、たいちょっ!」


 そう言って女の騎士はニカニカ笑った。


「……ふざけている暇はない。マリ、お前はこいつらを殺すだけでいい。ほかの奴らも馬を下りろ。殺しの時間だ」


 隊長の男は、そう言って避難民たちを指さした。


 次の瞬間、馬に乗っていた大量の敵兵が、広間の大理石に下りて避難民たちに剣を向ける。女は絶叫のような命乞いの途中で、老人は天を見上げてひざまずく最中に、背中を刺されて命を絶った。一方、最後まで残された城主ロイド・メルメアは、長く深い深呼吸のあとに、剣で胸を刺された。


 惨劇が終わり、広間の大理石には赤黒い血が広がる。しかしその光景を前にしても、隊長の男は顔色一つ変えなかった。むしろその表情は冷酷さを極め、そのまま一言、彼は死体に話しかけるが如くこう言った。


「故郷を奪った憎き蛮族は、必ずや我らの手によってその過ちを正される。これはお前たちの宿命だ」


 男の声は、暗く残酷な威厳を伴って、静かな広間に響き渡った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ