34 神の仕業
ライン城一階広間は、血で血を洗う戦場と化していた。ようやく護衛の騎士たちは全滅し、残る敵兵はヘリス・シャーロットただ一人だ。対して残る城の騎士は、十名とちょっとである。唯一の好転は、ヘリスの魔力が尽きてきたのか、竜巻の勢力が弱まっていることだ。だがこれも、戦況をひっくり返す程の変化ではない。依然騎士たちの荒い呼吸が目立つ広間は、今もなお灼熱かつ緊迫の空間となっている。
ヘリスは一旦落ち着きを取り戻したのか、ぐるっと辺りを見回した。自分の周りを十人くらいの騎士が囲んでいる。しかし彼にとってはどうってことない。ヘリスもヘリスでそれなりに魔力を消耗してきたが、城の騎士に抵抗するための力は、まだ充分に残しているのだ。
「ずいぶんと粘るんですね」ヘリスが言った。
「黙れ! 我々を騙しやがって!」
ロイドが階段を下りて広間にやって来る。その視線は憤怒を覗かせる強い目力に溢れていた。彼は一歩ずつ、踏みしめるように、音を立てて段を下りてくる。その音を聞いたヘリスも、ロイドの怒りを感じ取ったらしい。彼は気を取り直すように、両手の白い手袋をきゅっと引いた。
「ロイド様……短いお付き合いでしたね」ヘリスが静かな声で言った。
「お前との付き合いなんてこんなもんで充分さ。帝国の回し者め」
「おっと、口が悪い。いつもの冷静なロイド・メルメアはどこかへ行ってしまったのですか?」
「お前が私を語るな!」
「それは失礼。しかしあなたが城主であるこの城も、もうじき私に物になりますよ」
「なあに、お前にもう勝ち目はない。十人の騎士に包囲されてるんだ」
「そんなのどうってことないですよ。全員殺そうと思えば殺せますから」
「そうか、それはまた大層な自信だね」
「ええ、何せ帝国第五偵察部隊隊長ですもの」
得意の嘲笑を浮かべて、ヘリスが白い手をかざす。ロイドに向けられたその細い手は、すぐにでも魔法を使えるという、彼なりのけん制である。
「私にこの城を明け渡して下さい。おとなしく了承すれば、ここにいる皆さんは生かしておいてもいい」
ヘリスはそう言ってにやりと笑った。
「城を明け渡す? 言っておくが、この城はお前一人ごときで落ちるような城ではない」
「この惨状を目にしてもそうおっしゃるなんて、あなたこそ大層な自信がおありなのですね」
「いいや、そういうことじゃない。死んでいった兵のためにも、この城はそんな簡単には渡せないという意味だ」
カルメンやヘンクを含め、ヘリスを囲む騎士たちは、剣を構えて臨戦態勢だ。その円の外側から、ロイドの鋭い視線が真っすぐヘリスを刺す。
「あんたの魔力もそれなりに消耗している。もう大規模な火魔法は使えないだろう」
「ええその通りですとも。ですが私は治癒術師でもあります。ちょっとの傷じゃ死にませんよ」
「首をちょん切ればいいのさ」
「そこまで私に近づければ、の話ですがね」
「そうれもそうだな」そういってロイドはうつむいた。「ところでヘリス、神話によれば……」
「ほう、また神話の話? この期に及んで時間稼ぎですか!」
「ああそうだとも、よく聞けヘリス。神話によれば、パルメアを追い出された女神ラインは、外の大地に帝国を作ったと言う。その帝国は、パルメアで迫害された魔術師たちの逃げ場として栄え、いつしかパルメアをも凌ぐ大帝国となった」
「ほう、我らが帝国の歴史ですか? それがいかがなさいましたか?」
「君たち帝国は、一つ勘違いをしている。魔法とは古来より、パルメアの大地に根付きしもの……帝国とはすなわち、敬愛すべき女神パルメアから魔術を持ち去り、人間の身勝手を省みることなく、魔術を戦争に使った罪人たち……ましてや魔術を人殺しに使うなど、言語道断! 聞け帝国の魔術師よ! 魔法とは元来、パルメアの大地と共にある女神の御霊なのだ!」
ロイドが叫んだ。それは何かの合図であった。彼が手を上げ、ヘリスを指さす。途端、どういうわけか分からないが、地下の方から水が階段を昇って来て、そのまま広間に溢れ出した。その非自然的な流れは、まるで水が意思を持ったかのようだ。たちまち広間が水浸しになる。段々水がかさを増して、床に敷かれた布が水に浮く。そのうち水は洪水のように地下から漏れ出て、しばらくすれば広間は、人の胸元の高さまで水に覆われた。それまで小さいながらに暴れていた竜巻も、瞬く間に姿を消していく。
「何が起きてるんだ?」ヘンクが呟いた。
「分かんない。でも、いまならあいつをやれる」カルメンがそう言ってヘンクを見た。
「そうだな。よし、甲冑を脱げ。泳ぐぞ」
「あの、ごめんヘンク。僕カナヅチなんだ……」
カルメンが申し訳なさそうにうつむいた。それを見てヘンクは優しく笑う。
「そうか、じゃあ待ってろ。お前はよくやった」
ヘンクはそう言ってカルメンの背中を強く叩くと、そのままシャツ一枚になった。そして大きく息を吸い、ざぶんと水に潜る。彼は剣を水中に忍ばせて、なるべく音を立てずにヘリスへ近づいた。
「弓兵用意!」
ロイドが再び声をかける。それを合図に、二階席にいた弓兵たちが、再び弓を持って立ち上がる。彼らには強い覚悟があった。今、この城を守り、祖国を助けられるのは、自分たちだけだという、強い覚悟が。彼らはここ数日、辛い弓の訓練に身を投じてきたのだ。今弓を持たずして、いつ持つというのだろうか。
「諦めろヘリス。神は我々に味方した」ロイドが言った。
「どういう仕組みだこれは……おい、生き残ってる帝国の騎士はいないのか! 説明しろ! 話が違うぞ!」
混乱したヘリスが叫んで周囲を見回す。彼はそのまましばらく慌てふためくと、眼球が飛び出そうなほど目を見開き、濡れた手袋をゆっくり外した。現れたのは黒焦げの手である。そうこの男、昔から使ってきた火魔法のせいで、手だけ炭のように黒く焼け焦げて、一部骨が露出しているのである。白い手袋は、それを隠すための大切な道具であった。
「て、帝国はこんなことでは終わらん! わ、私の同僚が、アストランで飛び降り自殺をしたそうじゃないか……どうして蛮族の奴らはそうも残酷なのだ! 私たちが何のために戦っているかも知らずに!」
ヘリスが涙を浮かべながら、火魔法を作ろうと自らの手を凝視する。しかしすでに濡れた手は、いくら精神を集中させても、火の粉さえ生むことが出来なかった。
「静かにしろヘリス! 魔術を手段とし、戦争を目的とするお前らに、一体何が語れるというのだ!」
「違う! 私たちは、貧しい民のために戦うんだ! お前たちだって、話を聞けば分かるさ! 帝国は、帝国は、単なる人殺しの――」
ヘリスが言葉を切った。突然苦しそうに口から血を吐く。胸を押さえ、声と呼べそうにない嗚咽を上げ、ヘリスはそのまま前方へ倒れた。その体が水に沈み、辺りに波の同心円が広がる。そのあと代わりに水中から姿を現したのは、荒い吐息のヘンクだった。彼は水しぶきを上げて水から飛び出すと、髪から水をだらだら垂らしながら、ヘリスの背中に刺さる剣を抜いた。そして数回の早い呼吸のあと、早口にこう言った。
「ロイド・メルメア様。わたくしヘンク・メルテンスが、この度の『双子の城』作戦を、このような結果にしてしまったこと、どうかお許し下さい」
「……お前のせいではない」ヘンクの前に立つロイドが、そう言って首を横に振った。
「いいえ、私がもう少し早く彼を始末しておくべきでした。チャンスはいくらでもあったのですから」
「馬鹿を言うな。私がたくさんの騎士たちを殺し、避難民たちを恐怖に陥れたのだ。失敗の原因は完全に私にある」
ロイドの声は低かった。罪の意識に苦しむ男の、切なく儚い声である。
「いいやロイドさん、あんたは良くやったよ! あの執事野郎が死んだんだし、万事休すってところだろ!」
二階にいる避難民の一人が、そう言って拍手をした。
「誰だか知らんが拍手をやめろ! 死人がいるのに喜んでなんていられん! 彼らは我々が、誠意をもって弔わなければならんのだ! ほら城の騎士ども、門を開けろ! 水を出せ! 広間をとびっきり綺麗にして、葬式をしてやるんだ!」
ロイドの声で、城の騎士たちが動き出す。彼らは水の中をゆっくりと進み、門に手を掛けると、そのまま全力で扉を引いた。門は最初水圧でなかなか開かなかったが、十数名の騎士が総出で引っ張り、やっとのことで隙間が出来た。途端に水は急流を作って城の外へと流れだし、草原に広がっていった。水は草原の傾斜をゆるやかに進んでいき、遠くの方まで細い川を作る。そうして広間の水は足元を覆う程度になり、城は再び静けさを取り戻した。
一方で水の流れがずいぶんと強かったので、数人の騎士は水流に呑まれて城の外へ押し流されている。どうやらカルメンもその内の一人のようで、彼女は草原の上でぽつんと正座をしていた。
「おいカルメン! 戻ってこい!」
ヘンクが広間から外にいるカルメンに呼びかける。どうやらヘンクは、剣を床に刺すことで水流に耐えたらしい。彼の剣が、すぐそばの大理石に真っすぐ刺さっていた。
「もうちょっとここにいる! すっごく綺麗だし!」
大声で答えたカルメンは、にこにこ笑ってヘンクに手を振った。一方で彼女と違い真面目な城の騎士たちは、流されてもすぐ城へ戻ってくる。彼らは自失して塞ぎ込んでいる広間のロイドに駆け寄ると、励ましの言葉をかけて城主を立ち上がらせた。
「ほら、とりあえず治癒室にいきましょう。私の肩を掴んで、ゆっくり立ってください」
「分かってるから。立てるって。私はまだそんな老人じゃない」
そう言ってロイドが、服から水を垂らしつつもゆっくりと立ち上がった。数人の騎士に肩を担がれてもなお、その足取りはかなり重々しい。
「ところでロイド様、どうして突然あんな大量の水が出てきたんですか?」
ロイドの醜態を傍目で見ていたヘンクが、気になって質問した。するとロイドは、なぜか少しの間を開けてから、笑声混じりにこう答えた。
「私の口からは言えないね。でもきっと、そのうち分かるさ。なにせ優秀な先遣隊のことだ。今のところは、神の仕業とでも言っておこうか」
一瞬振り返ってヘンクに微笑みを見せたロイドは、そのまま騎士たちに介護されて、ゆっくりと治癒室に歩いて行った。




