32 双子の城
ヘンク率いる一行が森を抜けると、いよいよ目的の城がその全貌をあらわにした。マリス城である。双子の城の名の通り、その細長く伸びた外観は、ライン城とうり二つだ。いや、むしろライン城と言われた方がしっくりくるのかもしれない。
「本当に見た目がまんま同じなんですね」そう言ってヘリスが笑った。
「ええ、でも中に入れば分かりますよ。違う城だと」
「なるほど?」
一行は着々と城に近づいている。しかし城に近づけば近づくほど、ヘリスの目には疑いの眼差しが浮かんだ。辺り一帯に広がる草原に、ぽつんと立つ城。既視感のある見慣れた光景が、一周回ってヘリスの疑念を誘う。
「本当に誰もいないと思うか?」ヘリスが後ろにいる騎士に訊いた。
「さあ。ひょっとしたら、奴らも我々の正体に気づいていて、城に軍を忍ばせているかもしれませんよ」
「まあ、そうなったら君たちの剣と私の力でどうにかなるだろうが……一応用心はしておけ」
「了解致しました」そう言って騎士は軽く礼をした。
ようやく一行が城の門前につくと、ヘンクは皆に姿勢を正すよう言った。例え人がいなくとも、城の中では作法を守るのが騎士の務めだと言うのだ。
「さすがは先遣隊に選ばれた騎士だ。配慮が違う」ヘリスがそう言って拍手をした。
「当たり前のことですよ。ほら、中に入りましょう」
拍手を受け誇らしげに笑って見せたヘンクは、そのままポケットから鍵を取り出して、重い城の正門をゆっくりと開けた。どうやらこの鍵は、彼がロイドから預かっていた物らしい。双子の城の城主の間で、鍵が共有されているのだろうか。
城に入ってすぐ、彼らを迎え入れたのは、巨大な女神マリスの絵であった。ロイドの言っていた通り、赤い衣をまとった女神の踊りが、壮大なタッチで描かれている。それは女神ラインの絵とは違って、力強さを感じさせるものだった。
「私にピッタリの絵だ」突然ヘリスが呟いた。
「……どうしてです?」疑問に思ったヘンクが、振り向きざまに尋ねる。
「いえいえ、独り言ですよ。気になさらず」
「そうですか……」
女神の絵に見とれているヘンクをよそに、ヘリスは辺りを注意深く見回していた。たった五十人しかいないマリス城の広間は、その広さゆえ些細な声でも反響する。むやみやたらに声は出せないようだ。
「今斬るべきか?」ヘリスが後ろにいる騎士に訊いた。
「ええ、それが最善かと」
「しかしな……何か不気味な気配を感じる」
「とおっしゃいますと?」
「あの城主のことだ。何か企んでいるに違いないと思うんだが……城が違うとなれば話は別かね」
「あの、ヘリスさん?」
突然ヘンクが振り返る。なぜか鋭い眼光を浮かべている彼は、その視線を突き刺すようにヘリスへ向けていた。
「どうかしたのかい?」案内人の突然の豹変を見て、ヘリスもぐっと目を細める。
「突然の質問で悪いんですが、ロザリオという方をご存じで?」
「……いいや、知らないが」ヘリスは平静を装って答えた。
「そうですか。ではこれを見てください。先日遺体で発見されたロザリオ氏の燕尾服。その切れ端です。ロザリオ・フーバーという刺しゅうがあります。どうやら彼は道中で命を落としたようです」
「……それで?」
「このロザリオと言う男について王都に問い合わせたところ、『ライン城に派遣された執事だ』というご返答がありました。しかし残念ながら、先程言った通り彼は道中で命を落としている。はて、賊にでも襲われたんでしょうかね」
「……さあ。知らないね」
「ちなみにですが、先日城で行方不明になった騎士二名のうち片方は、ロザリオ付きの騎士だったようです」
「ほう? それがどうかしたのか」
「ええ、どうかしたんですよ。だって、本来城へ来るはずだった執事とその御付の騎士が、なぜか亡くなっている。不思議じゃありませんか?」
「そうかもしれないね」
「それと、これはロイドさんから聞いた話なのですが、ヘリスさん。あなた城へ来る際、自分を王都から派遣された執事だとおっしゃっていたそうですね。これも気になったので王都に問い合わせてみたら、『ヘリス・シャーロット』という執事は知らないと言われました。どうしてでしょうね?」
「……君はどこまで知っているんだい?」
ヘリスが突然声を低くして言った。その声質に反応して、彼の後ろにいた五十人の騎士たちが、剣に手を掛ける。
「私が知っている情報は、今言ったもので全てです」
「なるほど? まあ、そこまで知られているなら、どの程度だろうと結局は同じだね。残念だが、君は始末しないと」
「ということは、やはりあなたはパルメアの人間ではないのですね? ヘリス・シャーロットさん」
「まあそんなところさ。君には色々とお世話になったよ。本当なら見逃してやりたいが、申し訳ないことに、私にも帝国への体面ってものがあるんでね。他にも同様の事実を知っている人間がいるならば、今のうちに言っておくんだ」
「ええ、いますとも。たくさん」
「たくさん?」
「少なくとも、先遣隊とライン城所属の騎士は、全員知っています」
「……なるほど。もう手は打ってあるというわけだ」
「ええ。だからここで私を殺しても無駄ですよ。そもそも一人殺し損ねた時点であなたの負けは決まっていたようなものです。それに遺体を隠しもせず放置なんて、さすがにずさんじゃありませんか?」
「燃やそうと思ったが、山火事になって騒がれるのも困ると思ってね。ここら辺の木はすぐ燃えると聞いているから。力の見せ所だと思ったんだが、残念だったよ」
そう言ってヘリスは微笑を浮かべた。
次の瞬間である。広間二階の観覧席から、突然声が聞こえてくる。
「聞かせてもらったぞヘリスくん!」
声の主はロイドである。どうやら彼は、観覧席の塀に身を隠していたようだ。高らかな声と共に立ち上がった彼は、胸くらいの高さがある塀から身を乗り出して、陽気な声でこう言った。
「ようこそマリス城へ!」
「……そんなことだろうとは思っていたよ。先回りでもしていたのか?」
ヘリスは大して驚きもせず、冷静に訊いた。
「おっと、もっと面白い反応を期待していたんだがね。敬語もやめやがって……まあいい、説明しよう。ここはマリス城でありながらライン城でもあるのさ!」
ロイドがそう言うと、同じく二階観覧席に隠れていたカルメンが姿を見せる。彼女はすぐさま女神マリスの絵の上側額縁に飛び乗り、そのままひょいとジャンプした――瞬間絵が上側から外れ、迫り来るようにしてヘリスの方へ倒れてくる。最終的に巨大な絵は、裏面を上にして広間の大理石に倒れ込んだ。
そこに描かれていたのは、女神ラインである。
「神って奴がいるなら感謝したいね!」
カルメンはそう言って笑い、華麗な跳躍を決めると、次の瞬間広間の二階にぴたりと着地した。
「どうだ、これが我が城に伝わる『双子の仕掛け』だ。実を言えば、この仕掛けを使ってみたいがために、こんな作戦を考えたのさ。ヘンクが君を誘導しているあいだ、こっちは城の改装工事で大忙しだったんだぞ?」
「なるほど。ここは内装を変えただけのライン城であって、私を森に連れて行ったのは、土地勘を失わせるためだと」
「ああそうさ。上手くいって何よりだ」
「上手くはいっていませんよ。やけに森を右往左往するものだから、もしかしたらと思っていました」
「そうかい、つまらないね。じゃあそれを分かっていて、なぜついて来たんだ?」
「どちらにしろ頃合いだと思ったんですよ」
「何を言ってるかよく分からんが……そうだヘリス、ちょっと私の話に付き合ってくれよ。この城が『双子の仕掛け』を獲得するに至った理由を、私に話させてくれ」
「そんなことしている場合ですか?」
「別にいいじゃないか。こんなに準備したんだ、自慢の一つくらいさせてくれよ。ただし、その前に質問を一つほど。太古の昔、女神ラインは自らの身勝手により王国を追放されたんだが、いくら王国神話に疎い君でも、これくらいは知っているね?」
「なんですか、私がこの騎士を殺そうとしているのに、神話を語り出すおつもりで?」
「ああそうさ。第一君に彼は殺せない。何せこちらには大量の弓兵がいるからね。ほうれ皆の衆! 姿を現せ!」
ロイドの掛け声で、二階にいた大量の弓兵が立ち上がる。彼らはすぐに弓を構え、塀に肘を載せて腕を固定すると、その矢の先を広間の執事へと向けた。
「なるほど、準備は万全ということですね」
この期に及んでも、ヘリスは普段通り笑ってみせる。
「ああそうだ。だから聞いておくれ。一応城主と執事の関係だ。聞かないとは言わせない」
「分かりました。勝手にしてください」
「ははは、執事はたとえ悪人であっても呑み込みが早いね。助かるよ。それでは話の続きを。
女神ラインが王国を追放されて以降、パルメアを統治する者は長らく現れなかった。しかしある時を境に、炎の力を手にしたマリスという男が、女神ラインの後継者となりパルメア王国を統治したんだ。だが歴史はそれほど甘くなかった。残念なことにパルメアの民が、この男には従わなかったのだ。理由はこの男が醜かったからだ。当時民は、未だに女神ラインの『美しさ』だけは崇拝しており、いくら身勝手な女神であっても、その『美しさ』が民の心から消え去ることは無かった。だから、醜い男の王は、なかなか民に受け入れられなかったんだ。
しかし彼は諦めなかった。なんと、当時もっとも美しかった娘を妻に迎え、そのまま女王に仕立て上げたんだ。そして夫として裏で実権を握り、その炎の力で王国を統治した。俗にいう『第二パルメア王朝』だ。実際、彼の思惑は上手くいき、女王マリスは長らくパルメアの女王として君臨した。
この歴史的転換を受けて、当時負の遺産とされていたライン城は、女神マリスを祀る城へと改造された。だが当時王国は、竜との戦いでだいぶ国力を失っていたため、仕方なく女神ラインの絵の裏にマリスを描き、城のあらゆる内装はマリスを祀る物へと入れ替えられた。古の知恵ってやつさ。こうしてライン城は――」
「歴史の話はそれくらいにしてもらえませんか? さすがにもう退屈です」
不意にヘリスが、ロイドの軽快な口調を絶ち切った。
「分かったよ、そこまで言うならもう話さないさ。せっかくいいところだったのに」
饒舌を遮られてどうやらご立腹のロイドであるが、そんな彼をよそに、ヘリスはずっと直立不動でうつむいている。その不穏な様子を見て、弓兵の一人が眉をひそめた。ヘリスは未だ微動だにしない。
彼がようやく動き出したのは、だんまりを決め込む彼にロイドが何かを言おうとした時だった。ロイドの言葉を差し止めるように、ヘリスが大きく深呼吸をする。そのあと右手を前に突き出して、手のひらをぱっと開いたヘリスは、目の前に転がる巨大な絵を、これでもかと凝視した。
「何をするつもりだ?」
ヘリスの不気味な動きを見て、ロイドが慎重な声で尋ねる。
「あなた方は私が一体誰なのか、ご存じないようで」
「どういう意味だ」
「……今に分かりますよ」
ヘリスが小声で呟く。ただしそれは、単に小さいだけの声ではなかった。小さいながらに、確固たる自信を感じさせるのだ。そんな彼の謎めいた行動を見て、周囲の弓兵にも動揺が走る。それを見かねたロイドが、彼らに声をかけた。
「おい弓兵、しっかり弓を構えるんだ」
何やらまずいことが起きている。そう悟ったロイドが、神妙な面持ちで一階のヘリスを睨んだ。それまで動揺していた即席の弓兵部隊も、覚悟を決めて弓を引き、その狙いをヘリスに向ける。数秒間の沈黙に、弓のきしむ音が混ざった。いつの間にかに城の広間は、不気味な空間へと様変わりしている。
チリチリという音――それは火花の産声であった。次の瞬間、突然女神ラインの顔から炎が上がる。すぐにそれは絵の全体へと広がり、女神の全身は瞬く間に火炎の温床となった。絵から上がった火は次第に上へと伸び、激しい風を伴って螺旋を作る。耳を燃やすような爆音と共に、たちまち炎の竜巻が出来上がった。そうして炎は燃え盛り、城の高い天井まで易々と到達してみせる。一方その竜巻の周囲では、荒ぶる火の粉が舞い散って、さながら真っ赤な砂嵐のようだ。
「打て! 打つんだ弓兵!」
事態を重く見たロイドが、ありったけの大声で叫ぶ。しかし多くの弓兵は戦意を失い、恐怖で手を震わせている。逃げ惑う者数知れず。それでも一部が果敢に矢を放つが、それも全てヘリスの前で灰に変わった。一方当のヘリスは、炎の竜巻の前で大声を上げて笑っている。一体何がおかしいのか、彼は両手をこれ見よがしに高く上げると、狂気の沙汰でこう言った。
「皆さま! 再度自己紹介を! わたくしヘリス・シャーロト……帝国第五偵察部隊隊長にして、火の魔術師! 崇敬なる炎の神マリスよ! この忌まわしき蛮族に、今こそ帝国の力を見せてやるのです!」
目を見開き、大口を開け、ヘリスは狂ったように笑い続ける。立ち上る炎を前にして、その笑顔が不気味な陰影を伴って真っ赤に照らされた。恐怖と戦慄、劫火と嘲笑。さあいよいよ、燃える悪夢の幕開けである。




