31 準備万端
翌日、ヘリスはついにライン城を旅立つ運びとなった。と言っても、もちろん城を出るのは今日と明日の二日間のみである。彼は御付の騎士五十人を引き連れて、城の広間にいた。もう三時過ぎである。燕尾服にコートを羽織って、なにやら大きなバックを右手にぶら下げている彼は、どことなく上機嫌だった。
「私がヘンクです。今日から短い間ですが、どうかよろしく」
そう言ってヘンクがヘリスに一礼した。彼は周りにいる五十人の騎士たちと同様、硬い甲冑を身にまとい、剣を腰に携えている。
「いえいえ、こちらこそご丁寧に案内までして頂けるとあって、至れり尽くせりです」
今度はヘリスの方が一礼する。二人とも礼儀には実直のようだ。一方城主ロイドは、そんな二人を広間の二階席から眺めている。作戦の指揮を担う彼は、なるべく「ただの旅行」を装って、二人を和やかに送り出した。
「二人とも、楽しんでくるんだぞ!」
大声を上げて、ロイドは二階から二人に手を振る。振り返った二人は、にこやかに微笑んでロイドに手を振り返した。
二人を含め計五十二人になる部隊は、ロイドの声に背中を押され、いよいよライン城を出発した。二人は隊の先頭を歩きながら、仲良く談笑に興じ、マルス城への短い旅路で親睦を深め合った。
「ヘンクくんは、どこか有名なお家のご出身で?」
城を出たばかり、まだ一面草原が広がっているパルメアの大地で、ヘリスは微笑みながら訊いた。
「私はメルテンス家の出身でございます」
「へえ、ずいぶんと高名なお家のご出身なのですね」
「いえいえとんでもない。あなたはどちらのご出身なのですか?」
「私? 私は……名前の通りシャーロット家ですよ。まあ、この辺りじゃ珍しい名前ですが」
「そうですね、私も初めて聞きました」
「名探偵みたいな名前って、よく言われるんです」
「へえ? なぜです?」
「さあ。いつの時代かそんな名前の人物が出るお話でもあったんじゃないですか?」
「なるほど。困ったもんですね」
「ええ、本当に困りますよ。だけど名前のことなら、あなただって色々大変でしょう? なんせメルテンス家のご出身ですから」
「……まあそういう事もありますね。そもそも私が先遣隊になったのも、半分家名のせいですし」
「それは初耳ですね。先遣隊は茶会での自己推薦で選ばれたと聞いていますが」
「それは表向きの話ですよ。裏では色々ごたつきがあったんです」
「ごたつき?」
「ええまあ、一悶着といいますか。王も色々と悩まれていました」
「よく分かりませんが、大変だったのですね」
「そうですとも。今となっては一か月以上も前の話ですが、最初は先遣隊も仲が悪くて、何かと大変だったんですよ」
「今はあんなに仲良くしてらしてるのに?」
「そう見えます? それもひょっとしたら、表向きだけの事かもしれませんよ?」
「はっは、ご冗談を」
二人が他愛もない話をしている間も、隊は着々と草原を進み、いよいよ森の中に入って行った。案内役のヘンクは、なぜか道なき道を進みながら、森林の奥へと突き進んでいく。
「ほんとにこっちなんですか?」
辺りの鬱蒼とした森を不思議に思ったヘリスが、前にいるヘンクに訊いた。
「心配ありませんよ。こっちで合っています。私を信じてください」
「ならいいのですが……なんだか、方向感覚がなくなってしまいそうですね」
「なあに、森なんて大体そんなものですよ」ヘンクはそう言って爽やかに笑ってみせた。
◇◇◇
「さあお前たち! 作戦開始だ!」
ヘリス一行が居なくなってすぐ、ライン城にはロイドのかけ声が響き渡っていた。その声を合図に、先遣隊三人、城所属の騎士たち、そして避難民までもが、一斉に準備を始める。彼らの動きはとても機敏だ。
「いいか、細工をするのは広間だけでいい! それ以外はやるだけ無駄だ! 何よりもまずは、この女神ラインの巨大な絵に取り掛かれ! これを一番に終わらせないと、作戦の士気も上がらんわい! おいそこの女、お前にちゃんと出来るんだろうな!」
「馬鹿にしないでよ城主さん! 僕を舐めないでくれるかな!」
絵の上側額縁の上に乗っているカルメンが、そう言って城主に歯向かう。しかし驚くべきことに、高さ十メートル、幅三メートルもあろうかという巨大な絵であれば、額縁にも人が乗れてしまうらしい。
「ほう、さすが先遣隊の生意気女、よく言ってくれるじゃないか!……いいぞ、避難民たちも素晴らしい働きだ!」
「おいロイド、お前も何か手伝ったらどうだ?」
彼の隣にいたダグラスが、そう言ってロイドの右肩に手を載せる。
「何を言ってるんだ。私には重大な役目がある」
「そんなものあったっけか」
「ネタばらし役だ。覚えとらんのか!」
「ああ、そう言えばそんなものあったね。なるほど、そりゃ重要だ……ごめんよ、からかっただけだって。ほら機嫌直せよ。頼むぞロイド、お前のやり方によっては作戦も失敗になるからな」
「分かってる。言うべきことはもう頭に叩き込んであるから、安心しろ」
そう言ってロイドは、自分の頭を指さして楽しそうに笑った。
◇◇◇
ヘンク率いる一行は、まだ森の中にいた。太陽の光が斜めから差し込み、森の影が長く伸びている。隊が進むたびに大量の騎士が甲冑を鳴らし、鳥のさえずりをかき消していった。
「ヘンクさん、あとどれくらいで到着するんです?」
「十五分くらいでしょうかね。そのうちマリス城が見えてきますよ」
「なるほど?」
太陽が雲の裏に隠れ、辺りが少し暗くなる。それまで地面に映っていた木漏れ日も、にわかに姿を消した。少しばかり辺りの気温が下がる。
「お前ら」風にかき消されそうな声量で、ヘリスが後ろにいる騎士に呼びかけた。「どこか怪しいとは思わないか」
ヘリスの問いかけに、一人の騎士が同じく囁き声で答えた。
「ええ、同感です。本当に奴がマリス城に向かっているのか、私には分かりかねます」
「だよな……おいヘンクくん!」
少し先を進んでいたヘンクを、ヘリスが大きな声で呼び止める。その声を聞いたヘンクは、立ち止まって振り返った。
「どうしました?」
「本当に道はこっちであってるのかね?」
「ええ、合っていますよ。私を信じてと言ったでしょう」
「いやいや、別に疑ってはいないさ。ただね、あまりにも道なき道を行くものだから、もしかしたら迷っているんじゃないかと思って」
「ご心配ありがとうございます。ですがわたくしヘンク・メルテンス、ロイド様からあなたを安全にマリス城へ送り届けるよう、強く言われておりますから、決して迷いなど致しません」
「そうかい……ならいいんだ。うがった見方をしてごめんよ」
「いえいえ、どうってことありません。旅に不安はつきものですから」
そう言ってヘンクは再び進み始めた。今となっては、隊が一体どの方角に向かっているのか、ヘリスには見当もつかない。ヘリスはそのことに少々動揺していたが、後ろにいた騎士がすぐに彼を落ち着かせにかかった。
「心配ないですよヘリス様。いざとなったら我々が彼を始末しますから。この人数差じゃどんな騎士でも勝ち目はありません」
「分かってるさ。まさかこんな事で私が怖気づいているとでも? 私たちにはとっておきの力もあるんだ。いざとなったら躊躇はいらない」
そう言ってヘリスは、それまでつけていた白い手袋を外し、露出した細い手で固い拳を作った。
「蛮族の人間はこの力を知っているのかね?」自分の手のひらを眺めながら、ヘリスが後ろにいる騎士に訊く。
「知らないんじゃありませんか? いや、むしろ信じていないと言った方が的確かと」
「ほう、だとすれば都合がいい」ヘリスがそう言ってうつむきざまに嘲笑を浮かべた。
「しかしあまりすぐ力を使うのはよろしくないですよ。帝国からは、蛮族の前でこれ見よがしに魔術を使うなと言われています。奴らに魔術の存在が広まり対策を練られてしまっては、せっかくの力も意味がありませんからね」
「分かってるさ。これは最終手段だよ。作戦が順調に進めば、予定通り剣で一突きさ」
どうやらロイドの作戦も、一筋縄ではいかなそうだ。この勤勉な執事も、やはり何かを企んでいるらしい。
ライン城を出て五十分、一行はもうじき森を抜ける。間もなく目的の城が見えてくるだろう。しかし彼らが気を払っているのは、城どうこうよりも作戦の遂行である。一体どちらが悪夢を見るか、答え合わせはもうすぐだ。




