23 片手にナイフを添えて
「なんだよこのでっけえ絵は……」
城に入ってすぐ、ドレイクは唖然として声を上げた。広間の正面に、数十メートルはあろうかという巨大な絵画が、繊細な筆致で描かれているのだ。女神ラインが、湖のほとりで妖精たちと裸で踊る様子は、まさに完成された優美である。男に限らず女までもが、その美しさに目を奪われていく。
「ダグラス! 久しぶりだなあ!」
そう言って階段を下りてきたのは、城主ロイド・メルメアである。彼は広間に来るや否や、すぐにダグラスの元へ向かい、彼と熱い抱擁を交わした。二人ともかなり背が高いので、抱擁もそれなりに力強い。
「元気だったかねダグラス」
「ああ、すこぶる元気だよ。君も城を任されるほど偉くなるとはね」
「何を言ってる。ライン城なんて軍人の墓場と揶揄されてるじゃないか。きっと私も年老いて左遷されたんだよ」
「そんなことないさ。城の城主なんて、なりたいと思ってなれるものじゃない」
「褒めてもらえて嬉しいよ。でも、君だって先遣隊に選ばれたんだろう? そっちこそ素晴らしい名誉じゃないか」
「名誉だなんて、大げさな。無理やりやらされたんだよ、無理やり」
「そうかね? まあいい。今日は先遣隊のためにありったけ豪勢な食事を用意してある。城の人間はもう食事を済ませてあるから、避難民のみんなにもご馳走を分けてやれ」
「ありがとう、助かるよロイド」
「なあに、友人が来たんだ。当然のことさ」
そう言って笑みを見せたロイドは、そのまま先遣隊を地下の大食堂に案内した。避難民も騎士たちの誘導を受けてそれに続く。
地下の大扉を開けると、豪勢な大食堂が広がっていた。テーブルクロスの上で丁寧に陳列された食器、大量に吊るされた天井のシャンデリア、そして何よりいい香り。昼以降何も食べていない先遣隊のお腹には、これ以上ない祝福である。
「うちはコックが大量にいるんだ。なにせ私が料理の味に厳しいもんでね」
そう言ってロイドが先遣隊を食堂の一番奥の席に案内した。真っ白なクロスが敷かれた横長の食卓に、四人とロイドが一列に並んで着席する。長旅で疲弊したアストランの避難民たちも、豪華な料理を見てみんな満足そうだ。
「それでは皆の衆! よくぞここまで生きてやって来た! 戦争は始まったばかりだが、とりあえず今は気休めだ! 食えるだけ食え! 乾杯!」
ロイドが大声で祝杯を挙げた。あちこちから乾杯という声が聞こえてくる。一人につき七面鳥丸々一匹とは、なんという大盤振る舞いだろう。皆この待遇には大興奮だが、特に貧民街から逃げてきた人たちは、目をギンギンに見開いて獣のように食事を口に詰め込んでいた。
「そういやさっきの怪我人はどうしたんだ?」
七面鳥のもも肉を豪快に噛みちぎりながら、ドレイクがカルメンに訊いた。
「城の人が引き取ってくれたよ」
「そうか、それは良かった。あいつにも早くこの飯を見せてやりたいな」
「そうだね。さあて、僕も食べちゃおっかなあ」
カルメンが料理を見て目をきらめかせている。彼女の隣に座っている城主ロイドは、そんなカルメンの姿を見て終始にこやかな表情を浮かべていた。
「君も先遣隊員かな?」
「そうに決まってるだろ! はからほのへきにふわっへるんはよ!(だからこの席に座ってるんだよ!)」
「可愛い娘だねえ。こんな子に先遣隊をやらせるなんて、王様もひどいお方だ」
「いいや城主さん、そのガキを舐めちゃいけねえぜ」ドレイクが城主の会話に割り込んでくる。
「そうなのかい? とっても可愛い子にしか見えんが」
「見た目だけだよ」
「へえ? でも見た目が可愛いんだからそれで充分じゃないか」
城主はそう言って何度もカルメンの頭を撫でる。その表情は、まるで孫娘を見るかのような深い慈愛に満ち溢れていた。
「カルメン、城主様には失礼な態度取るなよ?」ドレイクが目を細めて釘をさす。
「分かってるよ。このじいさんは良い人そうだから許してやってるだけだ」
「君、私が良い人そうに見えるのか! ああこりゃ何年ぶりに女に褒められたか分からんのお!」
「……なあダグラス、あの城主ほんとに王国最高の策士なのか?」ドレイクが気になってダグラスに訊く。
「ああそうだよ。バツ三だが……天才軍師なんていう別名もある」
「そうは見えねえけどなあ……」
「まあ戦がなければただの人懐っこい老人さ。でもそこがロイドの魅力だと、私は思うね。頭が良いだけでは人望も集まらない。出世する人間は、大抵それなりの理由があるものさ」
「じゃあダグラス、お前にもあるのか? その理由ってのが」
「お前はどう思うんだ?」
「俺? いや別に……ちょっと機転の利くじじいくらいにしか思ってないが」
「はあ……がっかりだよ全く。一か月も一緒に旅してその程度の認識か」
「怒るなって。ほら、火消隊との交渉とか。あの時のことは今でも感謝してるぜ」
「言っておくが貯金の件、まだ忘れていないからな」
「……さっきの機転が利くって発言、取り消しておくわ」
「勝手にしろ盗賊野郎」
そう言い捨てたダグラスは、嫌味を込めて鳥の骨をぷっと皿に吹いた。
◇◇◇
先遣隊が愉快な会話にふけっている間も、厨房は大忙しである。そして当然、料理を運ぶ大量の騎士や執事も、仕事に追われている。当然このヘリス・シャーロットも大忙しなわけで、さっきからよく分からない持ち方で皿をいくつも抱えながら、大食堂を行ったり来たりしていた。
「おいヘリス」仕事中の彼を呼び止めたのは、一人の騎士であった。
「どうしたんです?」
「一人負傷者が療養室にいる。お前が看病してやれとのことだ」
「城主様がおっしゃっていたのですか?」
「ああそうだ。この城の治癒術師はお前しか居ないからな」
「分かりました。ロイド様の命とあらば、ただちに療養室に向かいます」
そう言って執事は、今持っているぶんの皿の配膳を済ませると、そのまま二階にある療養室へ直行した。
城の人員はほとんどが食堂にいるため、それ以外の場所はひどく静かである。それはこの療養室も同様で、執事はそのうちの一室に入ると、ベッドで寝込んでいる騎士にそっと言葉をかけた。
「わたくしヘリス・シャーロットと申します。あなたの治療に参りました。お怪我の状態は?」
「え!?」
目をつむっていた騎士が、驚きの声をあげて目を見開いた。なぜかその顔には恐怖が浮かんでいる。どう見ても治癒を受けてもらう人間の表情ではない。
「どうされました?」執事がそう言ってベッドに寝転がる騎士に歩み寄った。
「おまえっ、さっきの!」
「さっきの?」
「俺を……殺すのか!?」
騎士は慌てふためいて四肢をばたつかせるが、上手いことベッドに拘束されているため、起き上がることが出来ない。彼はどうやらこの執事に怯えているようである。
「なるほど、あなたロザリオ一行の騎士ですね?」執事は落ち着いた声で訊いた。
「来るなっ、あっち行け!」
「なるほど……そうと決まれば、致し方ありません」
「な、何する!?」
「すぐに楽になりますよ」
そう言って執事は、寝ている騎士の口を不意に塞いだ。騎士は必死に声を上げるが、口ごもってうまく喋ることが出来ない。
「うぐっ……やめろっ……うがっ……はなっ……」
「黙ってください。まだ殺しはしませんよ。色々聞かなければいけないことがありますから」
そう言って執事は、胸元から調理用のナイフを取り出した。
「大きな声を出したら殺します」その言葉と共に、執事の手が騎士の口からそっと離れる。
「……やめて、くれ……」息切れした声で、騎士が呟いた。
「そうそう、それぐらいの声量で頼みますよ? もし大声を出したら、それがあなたの最後の時です」
「分かった……分かったから命だけは……」
「それもあなたの回答次第です。では早速、一つ目の質問。あなたはロザリオ様に御付している騎士で間違いないですね?」
「あ、ああ、そうだとも」
「では二つ目。あなたは私がヘリス・シャーロットであること以外、何も知らない」
「そうだ、何も知らない。そもそもあんたの名前も、今初めて聞いたんだ……」
「なるほどよく分かりました。これくらいの事なら、今殺して問題を起こすのはむしろ愚策ですね。今は執事としても大事な時期ですから……うん、決めました。あなたは生かしておくとしましょう。ですがもちろん、今日の事、そして私の行い、何か一つでも漏らしたら、どうなるかお分かりですね?」
「こ、殺すんだろ?」
「もちろん。こう……グサッとね」
執事はそう言って、握っていたナイフを騎士の胸元寸前まで振り下ろした。
「それではまた。今日は豪華な食事が用意してありますから、あとで好きなだけ腹を満たしてください……おっといけない、治癒を忘れていました」
そう言って彼は、白い手袋に包まれた両手を、そっと騎士の胸にかざした。淡い光と共に、騎士の体がゆっくりと回復していく。
「ではごゆっくり。食事はあとで持って来ますからね」
執事はご満悦なのか、恐ろしい程に朗らかな笑みを浮かべると、そのまま手を後ろで組んで療養室から去っていった。取り残された騎士の男は、恐れおののいて過呼吸になっている。どうやらあの執事、只者ではないらしい。




