21 夜の訪問者
アストランに最も近い城と言えば、ここライン城である。城下町を持たず、平原の上にぽつんと立つこの寂しい城は、鉛筆を何本も立てたような見た目をしている。なにせ対侵攻専用の城なのだ。石をそのまま積み上げたかのような外壁で、窓も小さいものが少しあるだけだ。夜も深まり、城は月光を受けて青白く照らされていた。以前、何も知らずに近寄った旅人が、その不気味な見た目から「幽霊の城」と呼んで恐れたらしい。その名に恥じぬ厳めしい外観をもってすれば、確かに恐れるのも無理はないだろう。
その城に新入りの執事が一人、御付の騎士五十人を連れてやって来た。時刻はもう夜九時である。彼は一度深呼吸をしてから、騎士たちと一緒に城へ入った。正面玄関を抜けてすぐの広間は、夜闇の如くほとんど真っ暗である。明かりと言えば、壁にかかったロウソクの心もとない炎だけだ。普段なら、正面にある絵画――神話上の水の神「ライン」が優美な裸体で踊っている絵――がその美しさで客を迎えるのだが、この時ばかりは悪寒が走った。何せ女神ラインが、暗闇の中でこちらをじっと見ているのである。
「よく来たね。君が新しい執事とやらかい?」
城主ロイド・メルメアは、広間に入って来た執事をロウソク片手に満面の笑みで迎えた。
「ヘリス・シャーロットと申します。王都から派遣された執事にございます」
「ヘリスか、いい名前だね。ほらついて来たまえ、君の部屋に案内しよう。ところで、後ろにいる大量の騎士たちはなんだね?」
「わたしの御付です。些細な人員ですが、私の新しい主であるロイド様に差し上げます」
「こんな大量の騎士を頂いていいのかね?」
「ええもちろんですとも」
「そうか……しかしみんな甲冑が汚れているが、どうしたんだ? 返り血が付いてるじゃないか」
「この城に来る途中、賊に襲われたんです」
「そうか、それは大変だったね。ならば君たちは風呂に入りな。地下にある。ただしヘリス君はこっちだ。部屋を紹介する。君はその燕尾服もそれほど汚れていないみたいだしね」
そう言って城主ロイドは執事を手招きした。
とても大きな城である。各階の広さはそれほどでもないが、細長いゆえに十階まである。ロイドと執事の二人は、この城の長い螺旋階段を九階まで上って行った。コンコンと、足音だけが上の階まで抜けていく。
「さて、ここが君の部屋だ。私の部屋が十階だから、丁度私の部屋の真下だね」
ロイドがそう言って、部屋の扉をそっと開けた。中にはベッドと机があるだけの質素な空間が広がっている。
「まだ空っぽの部屋だが、好き勝手に使ってくれて構わんよ」
「ありがとうございます。私なんかにこんな豪勢なお部屋を」
「良く出来た執事だね。ほら入りな。ちょっと私もお邪魔するよ」
そう言って二人が部屋に入っていく。窓が開いていて、月光が真っすぐ差し込んでいた。風が吹く度にカーテンがゆらゆら揺れる。
「明かりを点けようか」
そう言ってロイドは、持っていたロウソクの火を、部屋の壁に掛けてあったロウソクに移した。
「仕事をするのもギリギリの明かりだね」
ろうそくの明かりを受けて、ロイドの顔が不気味に照らされた。
「いえいえ、充分な明かりです」
「そうかい? ところで君、椅子があるんだから座って良いんだよ。気を遣わなくてもいい」
「恐縮でございます」
そう言って執事は一度礼をすると、ゆっくり椅子に座り、机に手をついた。木製の机には、年輪の感触が残っている。
「ヘリス君と言ったね」
「はい」
「随分と若いが、執事の経験は?」
「あまりありません。まだ二十八ですので」
「私の三十下か。もはや息子じゃないか」
「息子にしては出来損ないでは?」
「面白いことを言うね。冗談の上手い執事は嫌いじゃない」
「大したことは言っておりません」
「あはは、そうかそうか」そう言ってロイドは笑った。「しかしあれだな、私は執事を一人頼んだだけなのに、騎士をあんなに連れてくるとは驚いたよ」
「そうでしょうか? あれくらいは当然です」
「いやいや、さすがに当然ではないよ。持って来たって普通は特上の七面鳥一匹くらいさ」
「そうですか。ならばお気に障りましたか?」
「とんでもない、むしろ大喜びさ。うちの城は騎士が百人しか居なかったからね。いい補強になる」
「なら良かったです」
「……ところで、いきなりで悪いんだが」
「なんでしょうか?」
「アストランからの避難民が、トルネアを経由してもうじきこの城にやって来る」
「領民が逃げ込んでくるということですか?」
「ああそうだ。先遣隊四名を中心として、約千人の集団らしい」
「うちで引き受けるんですか?」
「王の命令だから仕方ないさ。だが彼らには床で寝てもらうことになるだろうね」
「いきなり大仕事ですね」
「全くだよ。君には彼らの対応をやってもらいたい。もちろん私や城の騎士たちも手伝う」
「分かりました」
「それと……私の旧友がやって来るらしい」
「旧友と申しますと?」
「ハーバーマス・ダグラスだよ。昔宮廷で一緒に仕事をした仲なんだ。大臣のくせに、彼も大変な汚れ仕事を任されてしまったようだね」
「そんなことありませんよ。先遣隊に選ばれるなんて、名誉なことではありませんか」
「それもそうか。まあ、彼のことだから喜んで引き受けたんだろうな」
「だと思いますよ。まあ、私はダグラスさんのことは存じ上げていませんが」
「あはは、新米の執事が良く言うよ……ほら、早速準備だ。眠いかもしれないが、今日の仕事はここからが本番だからね。私は先に騎士たちを呼んでくる。君は準備が整い次第一階に降りて来てくれ」
城主ロイドはそう言って部屋を出た。
城の九階、静かな空間。執事が一人、薄暗い部屋に取り残される。彼は城主の足音が消えたのを確認すると、引き出しから紙を取り出し、すぐに手紙を書き始めた。羽根ペンを握りながら、執事とは思えぬ意味深な笑みを浮かべる。一体何を考えているのか、新米執事は燕尾服の蝶ネクタイをきゅっと締め、そのまま華麗にペンを動かし続けた。




