20 東の城が落ちた
突然の轟音――それはまさしく侵略の号令であった。次の瞬間、その号令を合図にして、山麓にこっそり拠点を構えていた帝国の兵団は、アストランの街へ侵攻を開始した。その数五万人。彼らは瞬く間にアストランの街を恐怖に陥れる。東からじわじわと、領民を殺しながら城へ向かって侵攻してくるのだ。バルコニーから見える街並みは、すぐに戦場へと姿を変えた。
「どうするんだ!」バルコニーにいたヘンクが、振り返ってダグラスに問う。
「……領民を馬車に乗せる! 全員避難だ! 救出を優先しろ!」
ダグラスの声で、先遣隊が動き出す。彼らは駆け足で階段を下り、豪華な広間を飛び出すと、そのままアストランの街へ繰り出した。
街では至る所で黒煙が昇っていた。遠くから甲高い叫び声が聞こえてくる。目にも耳にも、戦乱は迫っているらしい。
「アストランはもう諦めろ! 優先すべきは民の命だ! 守衛所に人を集める! 分かったら散れ!」
すぐに先遣隊がばらばらに散った。この瞬間、彼らは身をもって知ったのである。侵略は「今」始まったのだ。何度も何度も侵略を逃れてきた東の城を、帝国が何の準備もせずに攻め入るわけがない。彼らは用意周到な準備の上で、ありったけの兵力をここアストランに結集させたのだ。平和な町は突如として戦場になる。逃げ惑う人々、泣きわめく子供、惨殺される男たち。敵兵は容赦せず、その兵団はどんどん城に近づいてくる。
騎士ヘンクは街道を走っていた。立ち止まっている子供が居ればすぐに声をかけ、守衛所に走るよう言った。しかし泣きわめく子供はなかなか走り出さない。
「いいか走れ。君なら出来る。男だろう?」
「ママが、ママが刺されたの……」
「そうか……でも走れ。走らないと君も死ぬぞ。そんなんでは母さんが悲しむだろう?」
そう言ってヘンクは少年の背中を押した。彼はゆっくりと守衛所へ走り出す。
ヘンクは次に酒場へ向かった。中では男たちが、机の下で膝を抱えてぶるぶる震えている。
「嫌だ! 殺さないでくれっ!」一人がそう言って哀訴した。
「安心しろ味方だ! 君たちも今すぐ守衛所に走れ! こんな場所に居ては殺されるぞ!」
「無理だ! 外に出たって殺される!」
「いや今ならまだ間に合う! 決断を先延ばしにして死ぬのはお前たちだぞ! 分かったら今すぐここを出て走れ! 今すぐにだ!」
ヘンクの怒号で、体を震わせていた男たちは嫌々酒場を出た。彼らはいい年して泣きじゃくりながら、街道を守衛所の方へ駆け抜けていく。
一方賊長ドレイクは同じく街道で、今すぐ逃げるよう領民に大声で呼び掛けていた。そんな中、彼は子供を抱えた一人の女性が、家の二階から身を乗り出しているのを見つけた。
「どうしたそこの女!」ドレイクが声を張り上げる。「飛び降りるのは危険だ!」
「止めないでください、これしかないんです!」
「そうか……なら先に子供を落とせ! 俺が必ず受け止めてやる!」
そう言ってドレイクが窓の下で身構えた。腕を椀の形にする。
「本当にちゃんと受け止めてくれますか?」
「ああもちろんだ。俺を信じろ!」
「……分かりました、いきますよ!」
「ああドンと――!」
彼が何かを言い終わる前に、子供が落ちてきた。彼はそれを危機一髪キャッチしてみせる。
「あっぶねえ……いいぞ上手くいった! しかしなんで家の中を降りてこない?」
「火事なんです! 慌てて料理を止めたら引火して……」
言われた通り家の扉を見ると、その隙間から黒煙が漏れている。
「そうか分かった! なら譲さん、覚悟を決めな! あんたも俺が引き受ける!」
ドレイクは一旦子供を地面にそっと置き、そのあと立ち上がって腰を据えると、再び上を見上げた。女が窓から体を出している。しかしなかなか覚悟が決まらないのか、彼女は一向に窓枠から手を離そうとしない。
「早く来い! じゃないと一生ガキの顔を拝めなくなるぞ!」
ドレイクが叫ぶ。彼女はその言葉を聞いていよいよ意を決したようだ。深呼吸をしたあと手を離し、そのまますっと落ちてくる。ドレイクは一瞬かなりの重さを感じたが、かろうじて耐えてみせた。
「ふんっ、久しぶりに女を抱いたぜ」
ドレイクはそう言って女性を下ろすと、すぐに守衛所へ走っていった。
女剣士カルメンは貧民街にいた。まだ敵は来ていない。チャンスはある。カルメンは寂れた街道のど真ん中に立ち、大声で叫んだ。
「みんな今すぐ守衛所に走れ!」
しかし誰も走ろうとしない。ここにる人間は、もう生きることに疲れている人たちばかりなのだ。
「こんなとこで死んでいいのか! 僕は嫌だぞ! 今すぐ走るんだ!」
「うるせえ黙ってろクソ女! とっくのとうに死ぬ覚悟は出来てるんだ!」
どこかから男の声が聞こえてきた。カルメンはその声の方に体を向け、こう答える。
「そうかなら出てこい! 僕があんたを殺してやるよ!」
「馬鹿言え!」
「馬鹿だと思うんならこっち来てみろよ! 女に負けて悔しくないのかこのヘボ男!」
彼女の挑発に乗って、いろんな所から男が出てくる。それにつられて女子供も、物陰からそっと姿を現した。
「お前ら! 僕を殴りたきゃ追いついてみなっ!」
そう言ってカルメンは走り出す。この剣士、女のくせに、いや女だからこそ、かなりすばしっこい。誰も彼女に追いつけないまま、カルメンは人々を誘導して守衛所に走った。
さあ残るはダグラスである。この男、最後の最後まで城の前で陣頭指揮を執っていたが、いよいよ諦めをつけてこう言った。
「ありったけの馬車を守衛所に走らせろ! 全部だ全部! 一つ残らず!」
そう言ってドレイクは馬車を走らせると、そのうちの一台に飛び乗った。すぐに馬車は街道を猛進し、守衛所めがけてひづめを鳴らす。途中、逃げ惑う人々が次々馬車に乗り込んできた。彼らは身を押し合いながら、守衛所への道のりで体を何度も揺らす。
馬車が守衛所に着くと、そこは逃げてきた人々で埋め尽くされた恐怖の巣窟であった。次々に馬車がやってきて、人々が我先にとそれに乗り込んでくる。ちょうど先遣隊のほか三人も別々の馬車に乗っていて、それぞれの馬車で指揮を執っているようだった。
「もう出発した方がいい!」隣の馬車に乗るドレイクが、ダグラスに大声で言った。
「いやまだ待てる! 時間がある限り逃げてくる領民を見捨てるな!」
「そうか……なら仕方ない。おいお前ら落ち着け! 押し合うな、落ちちまうだろ! 譲り合いだ譲り合い! 大人だったら分かるだろ!」
ドレイクが大声をあげて、同じ馬車に乗る領民を必死になだめる。
敵兵はすぐそこに迫っていた。しかしダグラスの言う通り、極力出発は遅くするべきだ。だが遅すぎてはいけない。手をこまねいていては、これまでの努力も全て水の泡である。その頃合いを見定めるのが、軍部大臣の腕の見せ所だ。
ダグラスは一度馬車を降りて、城の方向を眺めた。彼は立ち昇る煙を見ている。黒煙と守衛所との位置関係で、敵の侵攻具合を読んでいるのだ。
しばらくしてダグラスは突然声を上げた。
「総員用意! ただちに出発する!」
そう言ってダグラスが馬に乗り、そのまま手綱を引く。馬は吠えて進みだすと、他の馬車もそれに続いた。後ろを振り返れば、逃げ遅れた領民たちの絶望に満ちた姿がある。まだ行かないで、お願いだから。彼の視界に入った老婆は、そんな風にこちらを見ていた。しかしもう待ってはいられない。数秒後、その老婆は敵兵に胸を射抜かれていた。
馬車の大群は守衛所を抜けアストランを出た。しかし街を抜け草原に出ても、急いで逃げてきた人々が、息を切らせて馬車を追って来ている。しかしもう人の入る余地はない。彼らはきっと疲れ果て、膝を地につけたら最後、そのまま矢で息絶えるのだ。情けをかけることもせず、ダグラスは心を鬼にして、馬車を一気に加速させた。
先遣隊は草原を抜ける。背後ではあらゆる絶望が燃え、屍が散っらばっているだろう。しかし振り返ることは許されない。今できることは、出来る限り多くの民を救い、侵略の知らせを、真実の知らせを、命を懸けて伝えることだけである。何せアストランは、東の城は、もう陥落したのだから。
やっとタイトル回収が出来ました。もしここまで読んで下さった方がいれば、一言でも感想やレビュー、もしくはブックマークを頂けると、大変励みになります。お手数をおかけしますが、応援のほどよろしくお願いします。




