19 終わりの始まり
アストラン――パルメア王国最東部に位置する、この国でも有数の鉄鉱都市である。十五万人もの人口を抱え、特に街の東側には、天然の要塞と評されるアストラン山脈が連なっている。この山々により幾多もの侵略をはねのけてきた逸話から、人々は「東の城」と呼んでこの街を讃えるようになった。現地に伝わる古い言葉では、東を意味する「トワード」と、栄光を意味する「トワルド」は発音が似ている。そのために「東の城」と言う名称は、「栄光の城」というもう一つの意味を掛け合わせた、昔の人の言葉遊びなのである。
先程鉄鉱の街と言ったが、その名の通り、アストラン山脈は王国でも有数の鉄鉱山である。数年前に鉄の精製方法が発案されて以降、この街は王都との鉄鉱の取引で大変に栄えているのだ。そのため多くの商人が行き交い、アストランと王都を結ぶ道にはいくつもの宿場町が設置された。ルッセルフやトルネアは、その最たる例である。
先遣隊はもうじきこのアストランに到着しようとしていた。しかし彼らは行商人とは訳が違う。偵察のためにアストランへ向かうのだ。そのためか、彼らの表情はいかんせん重たい。侵略され、一面廃墟になったアストランを、頭の中に思い浮かべているのである。
「……どうしてさっきから呑気に街道を行商人が歩いてるんだ?」
そう言ったのはドレイクだ。彼の言う通り、先遣隊はアストランにもだいぶ近づいてきたのだが、そこまでの街道はなぜか賑やかだ。往来する行商、馬に乗った王国の騎士、馬車で談笑する貴婦人。行き交う人々には、侵略の面影など微塵もない。
「本当にアストランは陥落したのか?」
「……分からない。だが、していない可能性が高い」ドレイクの質問に、ダグラスはそう答えた。
いよいよアストラン城下町の正門が見えてきた。守衛所があって、門の前には衛兵が二人立っている。本来は陥落を警戒して正面突破は避けるつもりだったが、どうも陥落しているようには見えないので、先遣隊は調査もかねて正門から入ることにした。
さて、一行は正門をくぐったが、衛兵は何も言ってこない。「誰だ無礼者!」とか、「ここは帝国領だぞ!」とかいうセリフを期待していたが、衛兵はなぜか無反応である。先遣隊は事なきを得て、そのまま易々と城下町に入ってしまった。
「おかしい……」ヘンクがそっと呟く。
「この状況はどういうこと?」カルメンがダグラスに訊いた。
「私にも分からん。とりあえず街を散策しよう。情報収集だ」
そう言って街を歩き回ったものの、アストランは至って普通の状態である。帝国の魔の手なんて、どこにも見当たらない。それどころか、平和で人の温もりに溢れた、よくある城下街が広がっている。通りの左右には店が軒を連ね、馬車が堂々行き交い、人々の声が至る所から聞こえてくる。
「ほうら、安いよ安いよ! 今なら一個二十ラルク!」
あまりにも奇妙で、不穏な光景であった。ここまで平和だと、一周回って不気味に思えてくる。
「とりあえず城に向かわないか? 城主と話をするべきだ」ドレイクがダグラスに言った。
「それもそうだな。この状況は明らかにおかしい」
こういうわけで、先遣隊はアストラン城に向かうことになった。しかしただでさえ広い街なので、城に向かうだけでも十分くらい歩かねばならない。先遣隊は道中寄り道がてら、人々に「陥落の件を知っているか」と質問をした。質問の答えはみな、予想通り「陥落なんかしていない」である。
アストラン城は王国でも屈指の歴史を誇る城で、建築から数百年は経っていると言われている。そのせいか至る所にヒビが入っていたり、ツタが生えていたりするが、むしろそれが味を出していて、城としての威厳は健在だった。
先遣隊が城の表玄関に入ると、今度の衛兵はちゃんと話しかけてきた。
「誰だお前ら!」そう言って衛兵は剣を構えた。
「先遣隊の者です。お話は聞いていると思いますが」
「先遣隊? ああ、そういえばそんな話があったな。よかろう、入りたまえ」
「やけに警備がぬるいなあ」
「カルメン、そういうことは言うな」ドレイクがそう言ってカルメンを肘でつついた。
城に入ってすぐ、吹き抜けの広間が先遣隊を迎えた。豪勢な装飾が至る所に施され、まさに栄光の城といった感じである。金銀財宝が壁のあらゆるところに飾られていて、立っているだけでも目が眩みそうだった。
「城主様は執務室におられる。階段を五階まで昇って正面の部屋だ」さっきの衛兵が言った。
「あいつ生きてるのかよ。あの手紙はなんだったんだ?」ドレイクが嫌味を込めて呟く。
隊は言われた通り階段を五階まで昇った。ダグラスが正面にあった木製の扉をノックすると、すぐに扉が開いて、中から小太りの男が出てきた。彼こそ東の城の城主、エルメア・アストランである。
「誰です?」城主は間の抜けた声で言った。
「先遣隊の者だ。話を聞きたい」
「……そういうことでしたら、どうぞ中へ」
言われた通り執務室に入ると、そこには机と椅子、きらびやかな食器棚、さらにはバルコニーがあった。一人の男のためとは思えないくらい、広々とした部屋だ。さらにこれまた不思議なことに、解放されたバルコニーには大砲が一台設置してあった。
「紅茶はいかが?」城主は椅子に座ったまま、そう言って足を組んだ。
「私はいらない。他は?」ダグラスが先遣隊に訊く。
「じゃあ僕はもらおっかな」
「俺も頂くよ」
「私も頂戴しよう」
「そうか、なら三杯頼む」
「分かった。ほらサーレット、紅茶を淹れて差し上げろ。私のぶんも頼む」
城主の命令で、執務室にいる甲冑を着た衛兵が、颯爽と紅茶を淹れ始めた。
「執務室に衛兵を入れているんですか?」ダグラスが興味深そうに訊く。
「いやまあ、事情があって執事は入れられないんですよ」
「そうですか。まあ詳しいことは詮索しません。それよりも、お手紙の件、説明願いますか」
「手紙? ああ、そう言えばそんなもの送ったね」
「ずいぶんお気楽ですね。あなた王都がどんなに混乱したかご存じで?」
「知ってるさ。あの手紙は事実だよ。アストランは侵略を受けている」
「とてもそのようには見えませんが」
「なあに、帝国の奴らはこっそりやってるのさ」
「こっそりですか」
「ああそうだ。君たち結界の話は知ってるかい?」
「いええ、存じ上げておりませんが」
「なら教えてやろう。ほら、そこのバルコニーからアストラン山脈が見えるだろう? ちょっと大砲が邪魔かもしれんが」
「いいえ、良く見えますよ」
「そうか。ならほら、あの山の山稜を縫うように、結界が張ってあるんだよ。魔物の侵入を抑える結界がね。しかし最近それが破られて、街に魔物が侵入するようになった。領民が襲われたという話も聞く」
「それがどうやってあの手紙に繋がるんですか?」
「だからゆっくり聞いてくれよ。ほら、紅茶が入った」
城主の言葉通り、衛兵が紅茶の入ったティーカップを三人に、そして城主にも手渡した。
「立ったまま飲むの?」カルメンが愚痴をこぼす。
「そうだよ。あいにく椅子は一個しかないんでね」城主はそう言って笑った。
「あんたもうちょっと客に接する態度ってもんがあるだろ」しびれを切らしたドレイクが、少し大きな声で城主に言う。
「あまり怒鳴ると出ていってもらうぞ」
「どうしてだよ」
「私の口からは言えない。今だって私は……命を懸けてるんだ」
「へえ、こりゃまたお気楽な命だな」
「まあ君たちにはそう見えるだろうね。ほらそれよりも、とにかく話を聞いてくれよ。結界が破られ、魔物の侵入が起こり、それと同時に帝国の兵も住民に紛れて街を襲うようになった。奴らはじっくりとやるんだ、じっくりと。まるで魔の血のように」
「魔の血……」カルメンがその言葉を聞いて口をつぐんだ。
「今、この街は完全に奴らの手中にある。表面上は平和だが、奴らが本気を出せば、侵略なんてあっという間だ。そういう状況を、長い時間かけて作り上げたんだよ。山の近くに拠点を作ったり、こっそり魔獣を解き放ったり、そうやってゆっくり準備をして、機会さえあれば一斉攻撃できる状況をね。だから助けが必要だった。こういう理由があって、手紙には敵兵の数や、戦いの詳しい状況とかを、詳細に書き込むわけにはいかなかったんだ。あの手紙は博打だったんだよ。私はとにかく危機感を持ってほしかった。しかしまあ、これだけやって、来たのがたった四人とはね」
そう言って城主は、熱い紅茶をすーっと啜った。
「なるほど。あなたの言い分はよく分かりました。わたくしハーバーマス・ダグラス、まずはあなたのご英断を心から感謝いたします。ですが一方で、我々先遣隊はここに来る間に一人犠牲者を出しているため、そんな簡単に引き下がるわけにもいかないのです。ですからどうか、我々にも出来ることを教えては頂けませんでしょうか」
「君たちに出来ること? そのうち分かるさ」
「もう少し具体的にお願いできますか?」
「いや、そのうち分かるとしか言えない。言わせてもらえないんだ」
「……ほう?」
ダグラスは考え込んだ。大臣の勘が、彼にこう言っている。あの城主は我々に何かを伝えているのでは? あの偉そうな態度は、きっと生まれつきのものではないはずだ。では彼は我々に何を伝えているのだろう? なぜ遠まわしに言うのだろう? 直接言えない理由でもあるのか? ダグラスの思考はこの時、先遣隊の誰よりもめまぐるしく動いていた。
突然、ダグラスが隣に立っているカルメンの背中をそっと叩いた。そして彼女にしか聞こえないくらいの声で、こうささやく。
「戦える準備をしろ。ただし悟られるな」
「あなた今なにか言いました?」
「いいえ何も」
二人の会話に、カルメンは唾を呑み込んだ。息を殺し、背中に右手を回すと、そっと剣の柄に手を掛ける。しかしその動きで、彼女の持つティーカップが少し揺れた。
「君、大切な絨毯なんだ。絶対にこぼさないでくれよ」城主がカルメンを睨む。
「はい、分かりました……」
「あまりうちの先遣隊員をからかわないでください。大切な仲間なので」
ダグラスが城主を睨み返す。彼なりのけん制だ。
「そうですか。それはすみませんね。悪気はないんで。それよりもあなた、さっきから私を睨んでますが、私の顔に何かついてます?」
「いいえ何も」
ダグラスはそう言って城主の目を見て、そのあと衛兵の方に視線を動かした。その目配せを見て、城主がそっと頷く。
「気づいておられるのですね?」城主が言った。
「ええ」
「ならば……お任せしますよ」
「……分かりました」
ダグラスがそう言って頷き、深呼吸をする。その後しばらくの沈黙を挟み、彼はありったけの大声で叫んだ。
「カルメンかかれ!」
言葉通り、カルメンが衛兵に突進する。ティーカップが音を立てて割れた。彼女は短剣を右手に持ち、あっという間に衛兵へ近づく。しかし相手も只者ではない。衛兵は剣を構え、難なくカルメンの剣をはじき返した。
遅れてヘンクが駆けつける。またもカップが割れ、紅茶が飛び散る。
「降参した方がいい……相手は二人だぞ?」剣を構える衛兵に、カルメンはにやついてそう言った。
「黙れガキ……こんなところで終わる帝国ではない!」
そう言って衛兵はバルコニーに逃げ込む。カルメンは慌ててそれを追った。だがここは五階のバルコニー。柵に追い詰めれば、いくら帝国の騎士でももう逃げ場はない。
「諦めろ! その方がお前のためだ!」カルメンの高い声が外に響き渡る。
「二対一か……蛮族の野郎は卑怯だな」
「卑怯も何も、お前が城主を脅したんだろ?」カルメンがそう言ってじわりじわりと距離を詰めた。
「ああそうだよ。こんな風に全部喋られるとは思わなかったがね。早めに殺しておくべきだった」
「でも、さすがに五人も居たら手が出ないよね」
「まあそうだな。結局は何もかもあいつのクソみたいな芝居のせいだ」
「いいや、あの城主はよくやったと思うよ?」
「そうかいそうかい。それで? 俺を殺すのか?」
「当たり前だ」
「ほう……ならもう少し早めにするべきだったなあ!」
大声と共に、衛兵が剣を振り下げた。床にあった導線に火が灯る。じりじりと音を立てて、火はゆっくりと導線を伝い、間もなく大砲に着火しようとしていた。
「もう帝国は止められん!」
衛兵はそう言い捨てて、バルコニーの柵にのぼる。そして凛と立ちあがると、風で体を揺らしながらこう叫んだ。
「――蛮族よ耳を澄ますがいい! かねてから恐れられていた、侵略の号令だ!」
そう言ってすぐ、衛兵は体を後ろに倒し、地面の方へ落ちていく。
――その二秒後、けたたましい程の号令が、アストランの空気を裂いた。




