18 平和がゆえの不穏
アストランに最も近い宿場町、トルネアは、今日も賑やかである。街道を多くの人が行き交い、露天商や酒場の客引きで至る所が騒がしくなっていた。先遣隊も今日ばかりは、気休めの観光である。
「ちょっとお高い料理屋にでも行ってみようか」
ダグラスがそう言って、まだ分裂気味の先遣隊を率先して引き連れていた。
「やけに太っ腹だなあ」ドレイクがそう言ってダグラスの肩を叩く。「ほら、カルメンも元気を出すんだ。料理屋だとさ。お前も飯は大好きだろう?」
「……僕に話しかけんな」
カルメンは未だ不機嫌である。ヘレナの一件からずっと根暗なままで、特に喧嘩をしたドレイクには当たりが強い。そのせいか、男三人とは少し距離をとって歩いている。時折ヘンクが彼女に話しかけるが、彼女はずっとうつむいたままだ。
「作戦の通りで行くぞ」
カルメンに聞こえないよう、ドレイクが小声でダグラスの耳に呟いた。
「分かってる。お前もヘマするなよ」
一体二人が何を計画しているかって? それはとっても単純、ヘンクとカルメンを二人きりにさせるという作戦である。女心と言えば恋しか思い浮かばないこの中年二人は、考える作戦にもひねりなんて一切ない。あろうことかもう予約を済ませてあるという地元料理の店に、ヘンクとカルメンをなるべく自然に誘導する算段である。
「というわけで二人とも。我々おじさん二人のお勧めがあるんだが、どうかね?」
ドレイクが踵を返して、カルメンとヘンクに語りかけた。
「お前たちの好きな店なんてどうせ酒屋だろ?」
「おっと困るねカルメン。俺らの肥えた舌を舐めてもらっては。なんと今日は、お前に朗報がある。今から行く店には、ロブスターもあるんだぜ?」
「ロブスター?」
「ああ、お前が出発前の宴会でうまそうに食っていたあのロブスターだ」
カルメンがぐっと唾を呑み込む。それを見て、男二人は目を合わると黙って頷いた。どうやら計画に狂いはないようだ。
「んじゃあ決まりだ」
そう言ってドレイクは、向かって右手にある料理屋を指さした。木製の看板がかかったその店は、入り口からもうすでにうまそうな匂いが漏れている。
「なんか、ありがとな」
そう言ってカルメンがうつむいた。この少女、生まれてこのかたあまり優しさに触れてこなかったので、こうやってあからさまにサプライズをされると、つい照れてしまうのである。
店の中はテーブル席が七つあるだけだが、その理由はキッチンが大きめに取られているからである。何せ石窯やら炭火焼きやら、趣向を凝らした調理用具がありったけ並べられているのだ。そのせいか店の中は常にちょっと暑い。でも、それだけこだわりのある店とも言える。
「こういう店は初めてか?」席に座ってすぐ、ドレイクがカルメンに訊いた。
「ああ」
「そうか、なら好きなだけ食べな」
「やけに気前がいいな」
「お詫びだよお詫び。お前には色々と迷惑をかけたからな」
「あっそう……」
急に態度が良くなったドレイクに、カルメンはなんだか戸惑い気味である。
しばらくして、待ちに待った料理がやって来た。ロブスターの燻製焼きと、近くの山で取れた新鮮な山菜、あとはキノコの炒め物だ。カルメンは料理を見て目を輝かせるや否や、すぐロブスターにかじりついた。毎度のごとく殻ごとである。しかし今日は、そんなカルメンよりも豪快に食べるが男が、なんと二人もいる。
「なんで二人ともそんなせっせと食べてるんだ?」
カルメンの隣に座っているヘンクが、対面にいるドレイクに訊いた。
「俺は腹が減ってんだよ腹が……」
「吐きそうな声でなに言ってんだ」カルメンがそう言って毒づく。
カルメン・スタッカートンがやるときはやる女なら、この男二人は食う時は食う男だ。カルメンとヘンクを二人きりにするため、二人とも無理して食事を腹に詰め込んでいる。特に日ごろからそれほど食べていないダグラスに至っては、時々なにかが口から漏れ出てきそうな素振りをする。あのとき優雅にワイングラスを揺らしていた軍部大臣も、今は喉からせり上がって来る嘔吐感と必死に格闘するだけである。
しばらくしてようやく全てを食べ終えた二人は、額に汗をびっしり垂らしながらこう言った。
「ちょっと、外の空気を浴びてくる」そう言ったのはドレイクである。
「そ、そうだな。ちょっと気分が悪い……」
「大丈夫ですかダグラスさん?」
「ヘンク、心配はいらないよ……この歳になると腹が弱くってね」
「その感覚、俺にも分かるよ。俺たちみたいな年頃になるとすぐ腹にくるもんな」
「あはは、理解者がいて助かるよ。ほら、早く出ないと本当にまずいことに……」
そう言って二人はそそくさと店を出た。あまりにも逃げ足が速いので、カルメンとヘンクも戸惑っている。
「何だあの二人」カルメンがそう言ってキノコを頬張った。
「さあね。年を取ると色々あるんだろう」
「若いっていいね」
「お前が言うな」
「いやまあそうだけどさあ……それよりここ暑くない?」
「そう言えば確かにそうだな」ヘンクがぶっきらぼうに言う。
さて、驚くべきは次の瞬間である。カルメンが服を一枚脱ごうとしたのだ。彼女の場合、下に着ているのはシャツ一枚で、その一枚も汗ゆえにかなり透けている。しかしこの女、貞操観念の貞の字も知らないので、いたって平然と服に手を掛ける。
「脱ぐな」ヘンクが言った。
「え?」
「公共の場だ。人前で服は脱ぐな」
「下にも一枚着てるよ?」
「ダメだ。脱ぐなと言っている」
「あっそう……」
「お前はもう少し自分が女であることを自覚しろ」
「どうして?」
「どうしても何も、女だからだ。それ以上の意味はない」
ヘンクは冷静にそう言って、ロブスターを丁寧に解体した。
◇◇◇
店を出た男二人は、窓の隙間からこっそりカルメンとヘンクを覗いている。あの少女が先遣隊員でなかったら、ほとんど犯罪である。いや、むしろ先遣隊員だから逆に犯罪なのかもしれない。
「どうだダグラス、店の状況は」
窓の隙間を独り占めするダグラスに、ドレイクは興味津々で訊いた。
「よく見える。二人ともいい感じだぞ……いや待てっ、カルメンっ、お前こんな所で……」
「どうしたダグラス!? 何かあったのか? おい!」
「これは、見てはいけないものを見てしまうことに……いや、ならなかった」
「実況してないで俺にも見せろよ! 気になるだろ!」
興奮気味のドレイクをよそに、我に返ったダグラスが窓の隙間から顔を離す。なぜかがっかりしている軍部大臣は、意味深長な表情を浮かべて首を横に振った。
「いいところでヘンクが口を挟みやがった。どうして騎士はどいつもこいつも男心を分かっとらんのだ」
「何があったんだ、教えてくれよ」
「いや、知らない方がいい」
全く、一国の命運を任された男たちだと言うのに、一体何をしているんだ? お前らの仕事は覗きではなく偵察だろう? いやまあ、お前たちの気持ちも分かることには分かるのだけれど……
「仕事に戻る」
何があったのか、突然ダグラスがそう言った。明らかにさっきまで覗きをしていた男が言うようなセリフではない。
「どうしてだ? まだ俺たちの計画は残っているぞ?」
困惑したドレイクは、そう言ってダグラスの両肩に手を載せると、そのまま大臣の体を前後に揺らした。
「やめろ、触るな」怪訝な顔を浮かべ、ダグラスがドレイクに文句を言う。「第一計画はもう終わっただろ。カルメンを見てみるんだ。すごく元気そうじゃないか」
「そりゃまあ嬉しいけどよ、だったら仕事に戻るってのはどういう意味なんだ?」
「言わなくても分かるだろ」
「いやいや、分かんないから訊いてるんだよ」
「そうかそうか、全く懲りないやつだな……偵察だよ偵察」
「はあ? 偵察?……何言ってんだ、ここはアストランじゃないぞ?」
「そうだとも。でも偵察をする。なぜならこの町がおかしいからだ」
「どういうことだよ。余計に意味が分からん」
「だったら文句を言う前に、一度考えてみてくれよ。ここはアストランに最も近い宿場町だぞ」
「それがどうしたんだよ」
「まあ要するに、アストランが陥落したのにこの町はどうしてこんなに呑気なのかって話だ。近くの都市が陥落したんだぞ? もう少し慌てふためくとかあるだろう。何なら全員避難していたっておかしくはない」
「じゃあ、この町にはまだ陥落の知らせが来てないって言うのか?」
「いくら何でもそれはないだろう。だが一応念のために、聞き込みをしようと思うんだ」
「へえ。どんなことを聞くんだ?」
「アストラン陥落の件を知っているか、だ」
「ふうん。まあそれくらいなら付き合ってやってもいいが」
「なら決まりだ。ついてこい」
ダグラスはそう言うと、近くにある酒場に入った。これまた騒がしいトルネアの町の酒場は、午前中から酒を飲む男達の活気で、空気がむんむんしている。この時間にも関わらず人で溢れかえっているとは、なんと元気な街なのだろうか。
ダグラスは試しに、近くにいた髭の男に声をかけた。彼はまだ飲み始めたばかりなのか、ごくごくと、流し込むように酒を飲んでいる。
「君、少し質問に答えてくれんか」
ダグラスの呼びかけに、男は「ぷはあ」と吐息をついてから応じた。
「誰だいあんた。あんたも飲みに来たのか?」
「違う。質問をしに来たんだ」
「へえ、なら何でも答えてやるよ。言ってみな」
「じゃあ聞くが、アストラン陥落の件を知っているかね」
「はあ? 何言ってんだアストランが陥落するわけねえだろ! 天然の要塞だぜ? 馬鹿言うんじゃねえ。酒の飲みすぎで頭おかしくなっちまったのか?」
男の返答に、ダグラスとドレイクは顔を見合わせた。
以降、何人かの住民――買い物中の母から泥まみれの農夫、街道でかけっこをしている少年まで――に同じことを訊いたのだが、返答はみんな同じだった。「アストランが陥落するわけない」が、その答えである。
「何かがおかしい」
聞き込みを終え、カルメンがいる料理屋の前に戻ってくると、ダグラスはそう呟いた。
「でも一応、アストランには向かうんだろ?」
「当たり前だ。しかしこうなると、心構えが変わってくる」
「と言うと?」
「騙されているのは我々かもしれない」
「よせよ、そんなことあり得るのか?」
「可能性はゼロじゃない。いやむしろ、侵略の話が嘘というのも考えられる」
「いくら何でもそれはないさ。だってそうだとしたら、魔獣の存在に説明がつかない」
「それもそうか……まあいい、予定変更だ。出発しよう」
「決断が早いねえ」
「何を言っている。むしろこの違和感を恐れるべきだ。まずいことが起こっているのかもしれない」
その言葉を聞いて、さすがのドレイクもちょっと血の気が引く感覚がした。軍部大臣の勘は、よく当たるからだ。
ダグラスはいよいよ決意を固め、店の中に入っていった。仲睦まじく会話をしていたヘンクとカルメンが、険しい大臣の表情を見て、一気に背筋を凍らせる。
――決意固めし先遣隊よ、目的地はもうすぐそこだ。このままいけば、きっと五日でアストランに着いてしまうだろう。しかし事態は一変、謎の違和感が彼らを襲っている。いいか四人よ、いや五人よ。最後まで気を抜いてはならない。アストランへの到着は、あくまで「始まり」なのだから。




