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東の城が落ちた  作者: 中山ヨウスケ
 第一部  アストラン陥落
13/64

13  長い夜

 ヘンクはシスターを担ぎながら、宿場町ルッセルフにある一軒の宿を目指していた。この宿は、予定通りいけば先遣隊を受け入れてくれるはずだった。しかし森で足をとられ到着が遅れたため、扉にはもう鍵がかかっている。


「ねえねえ、誰かいないの?」


 木製の扉を、唯一手の空いているカルメンが乱暴にノックした。しかしこれといった返事はない。


「おーい! 誰もいないのか?」今度はやや声を張り上げて、カルメンが再度扉を叩く。


 その後も数回呼びかけてみたが、一向に返事はなかった。諦めをつけた三人が、別の宿を探そうと歩き出す。宿の扉が軋みながら開いたのは、ちょうどその時であった。


「誰です? こんな夜遅くに」


 少し開いた扉の隙間から、一人の青年が顔を出した。彼は眠そうに目をこすり、大きな声であくびをしている。


「居留守しやがったな!」カルメンがそう言って青年を指さす。


「あまり失礼な態度をとるな。泊めてもらえなくなるぞ」そう言ってヘンクが、シスターをおんぶしたまま青年に会釈をした。「すみませんね、ぐっすり寝ている途中に。私はヘンク・メルテンスと言います。一応予約はしてあると聞いているんですが」


「予約って、今日の予約は先遣隊だけですよ?」そう言って青年はヘンクを見上げる。


「あっ、そのですね、私たちが先遣隊なんです」


「うそだあ」青年があくびを口で覆いながら言った。「こんな夜遅くに来るなんて、聞いてませんよ?」


「いやしかし……」困った様子のヘンクは、懇願する眼差しで青年を見つめた。


「……えっ、まさか本当に先遣隊なんですか?」何を思ったのか、青年がようやく目を見開いた。


「さっきからそうだと言ってるんですが……」


「あ、そういう事でしたか。すみませんねえ」なにやら急に申し訳なく思ったのか、青年はそう言ってその場でペコペコと頭を下げた。「だったら遠慮なく入っちゃってください」


 さっきまでの眠気が嘘のように、彼は突然しゃきっとなり、穏やかな口調で先遣隊を迎え入れた。満身創痍の三人は、そのまま彼に催促されて、宿のロビーへ入っていく。ちょうど正面に受付があって、その隣にはソファアとテーブルがあた。ただでさえ狭いロビーだが、二つの家具でかなりの面積が占められている。


「古い宿なんで、あまりくつろげないかもしれませんが、どうぞ座ってください」そう言って青年は、近くにあったソファを手で示した。「私は一旦、部屋の鍵を取ってきますね。すぐに戻ってくるので、ちょっと待っていてください」


 受付担当らしい彼は、そう言ってそそくさとロビーを後にした。彼がいなくなった後、ロビーは一気に静かになる。それまでシスターを担いでいたヘンクは、彼女をそっとソファアに寝かしつけてやった。


「大丈夫ですか?」ソファアで仰向けになったヘレナに、ヘンクは優しく尋ねた。


「はい。おかげ様で、気持ちも安らいできました。今のうちに治しておきましょうかね」


 彼女はそう言って一度深呼吸をすると、上体を起こして体前屈のように手を前に出した。そしてその手を右ふくらはぎにかざし、目をつむる。すぐに彼女の足で淡い明かりが起こり、傷ついた足がみるみるうちに再生されていった。


「すっげえ、これが治癒術かあ」カルメンが思わず声を上げる。


「そんな、驚くほどのことではありませんよ」ヘレナがそう言って自分の足を見つめた。「偶然親が治癒術師の血を持っていたので、能力に恵まれていただけです。皆さんの剣術と違って、努力で手に入れたものではありませんから」


「いやでも凄いよ。なんかすっごい感動した!」


「そうですか? ありがとうございます……」無邪気に喜ぶカルメンを見て、ヘレナ思わずくすっと笑った。「こんな丁寧に褒められたのは久しぶりです」


 ようやく安息地に来た先遣隊は、皆顔に安堵が浮かんでいる。傷の塞がったヘレナの足は、すっかり元の肌色を取り戻していた。


「あの、皆さん! お部屋の準備が出来ましたので、ご案内いたします」


 ロビーに戻ってきた青年が、そう言って三人に声をかけた。彼は先遣隊を手招きし、そのまま三人を宿の廊下へと誘導する。明るかったロビーと違って、廊下はひどく暗かった。唯一の光源と言えば、青年が持つロウソクの淡い明かりだけである。


「実は、先遣隊のみなさんには大変申し訳ないんですが……」目的の部屋の前に来て、青年はうつむきながら立ち止まった。「大変、お恥ずかしいのですが、てっきりもう先遣隊が来ないんじゃないかと思って、あと二部屋しか残してなかったんです。なので、誰かお二人は相部屋ということで、お願いできますかね……あっ、もちろんベッドは二つありますよ」


 青年の言葉を受け、カルメンとヘレナが目を合わせた。ここまで約二週間、二人はヘンクと寝食を共にしてきたけれど、こういう状況になればやっぱり男と女である。カルメンはすかさず言った。


「僕がシスターと一緒になるよ。いいでしょシスター?」


「ええ、大丈夫ですよ」ヘレナはそっと頷いた。


「なんだか、私だけ一人部屋になってしまって申し訳ないな」


「いえいえ、気にしなくていいんです」両手を胸の前で振ったシスターが、慌ててヘンクをフォローする。「色々と迷惑をかけしましたし、私を助けてくれたお礼だと思ってください」


「ええ、そうさせてもらいます」ヘンクはそう言ってシスターに軽く頭を下げた。しかしそのあと、顔を上げてこう続ける。「ところでなんですが、ここに居ない二人について――」


「あっ、そういやドレイクとダグラス居ないじゃん!」今思い出したかのようにカルメンが言った。「どうするの? 探さなきゃ!」


「そりゃそうしたいさ。でもなカルメン、今日はみんなもう疲れてるし、気力も体力もない。一度体を休めよう。捜索は明日からだ」


「そんなあ……やっぱりあいつらも狼に襲われたのかな」


「かもしれないな」ヘンクはそう言って悲しげに頷いた。「彼らを探すために、明日もう一度森に入ろう」


「そうだね、それがいいや」カルメンがそう言って頷いた。


「じゃあ決まりだ。明日の朝、二人で森に入ろう」


「えっ? 私は……」突然ヘレナが困ったように声を上げる。


「シスターは大事をとって宿に居てください。捜索は私とカルメンでやりますから」


「そんなっ、私も一緒に行きます」責任感にかられたヘレナが、ヘンクを見つめて前のめりになる。「さすがに二人に負担をかけすぎていて、罪悪感が……」


「そんな心配必要ありませんよ」そう言ってヘンクは彼女をなだめた。「むしろ休んでくれた方が、我々にとってもプラスになりますから。シスターはゆっくりしていってください」


「でも、怪我はもう治りましたし……」


「いいんですよ、気を遣わなくて。とりえず今夜はゆっくりして、今後の旅に備えればいい」ヘンクの口調には優しさがこもっていた。「それじゃあ、今日はこの辺にしましょうか。二人ともおやすみなさい」


「おやすみ!」


「おやすみなさい……」


 二人の返事を見届けてから、ヘンクは笑ったまま部屋の中に消えていった。 


「あっ、お二人にも鍵を渡しておきますね」近くにいた青年が、そう言ってシスターに鍵を預ける。「何かあったら受付まで来てください。それでは良い夜を」


 青年は最後に一礼し、そのままロビーに戻っていった。そうして暗い廊下には、カルメンとヘレナだけが取り残される。


「早く部屋に入ろう?」カルメンがそう言ってヘレナを見つめた。「もう疲れたでしょ? シスターは足もまだ治ったばかりなんだから」


「そうですね……」


 カルメンに腕を引っ張られ、シスターは寝室に入っていく。ベッド二つと机があるだけの、かなり簡素な部屋である。カルメンにとっては豪華であるが、ヘレナにとっては質素な部屋だ。


 二人はその後別々に風呂を済ませ、別々のベッドに入った。試しに部屋のろうそくを消すと、一気に夜がなだれ込んでくる。闇に沈んだ部屋の中では、隙間風の低い音が、始終不気味に鳴り響いた。


 なんとも寂しい夜である。窓もないこの部屋は、明かりを消せば完全に真っ暗闇だ。感覚としては目をつぶっているのと大差ない。天井の木目が視認できるのは、目がちゃんと順応してからだ。


 こんなにも暗い中にいると、嫌でも自分自身のことを考えてしまう。それ以外に処理すべき情報がないからだ。例えば今日の思い出とか、取り留めのない悩み事とか、そんなことばかりが脳裏に浮かぶ。知らない土地を旅したことのある人間なら、誰だって同じ経験をしたはずだ。そしてそれは、シスターであるヘレナ・フランセルも同様である。


 その晩、彼女は悩みに悩んだ。足を狼に噛まれたことなど、彼女にとって大したことではない。この夜、彼女を何より苦しめたのは、自分の無力感だった。ヘンクとカルメンが必死に戦う姿は、彼女の脳裏に嫌と言うほど焼き付いている。そしてそれを思い出す度に、震えて立っていただけの自分をも思い出してしまうのだ。あの時、自分は何も出来ていなかった。はたから二人の戦いを眺めているだけ。その事実は、へレナにとってひどく辛いものだった。思い出してみれば、ダグラスから先遣隊に入るよう頼まれた時も、似たような感覚があった。自分は単に治癒術師の家系に生まれただけで、何の努力もしていないのだ。目をつむって軽く祈れば、治癒術なんて簡単に扱えてしまう……


 我々からすれば取り留めのない悩みでも、ヘレナにしてみれば重要な問題だった。考えれば考えるほど、なんだか自分が足かせのように思えてくる。二週間の旅の疲れは、彼女の体を自責の念となって駆け巡った。


 その晩、彼女は泣いた。なるべく静かに泣いた。カルメンに気づかれたくなかったのだ。彼女にこれ以上心配をかけるわけにはいかない。その思いが、喉から漏れる声をぐっとこらえさせた。自分の弱さは自分の中だけに閉じ込めておかないと。ヘレナはそんな風に思ったのだ。しかしいくら我慢をしても、悲しみだけは一向に収まらない。むしろさっきのヘンクのセリフが、悲哀に拍車をかけてくる。


 ――シスターは大事をとって宿に居てくださいね。私とカルメンで行きますから――


 彼女にとって、それは事実上の戦力外通告だった。その言葉を受け、自分が足かせであるという認識はより強固になる。本当ならヘンクに言いたかった。「私はもうこれ以上先遣隊の足を引っ張りたくはない」、と。しかしヘレナは知っている。彼の戦力外通告は、優しさゆえの言葉なのだ。そう、あれは正真正銘ヘンクの優しさなのだ。そしてその事実が、余計にヘレナを苦しませてしまう。


 彼女は湧き起こる嗚咽をとっさにこらえた。しかし我慢ももう限界だ。大きな音で鼻をすすってしまい、カルメンがそれにすぐ反応する。


「泣いてるのか?」カルメンが静かな声で訊いた。


「いいえ」ヘレナはきっぱり答えた。


「嘘つくなよ、泣いてるんだろ?」


 カルメンはしつこく訊いた。お人好しなのか、ヘレナのベッドの方向へ寝返りを打つ。しかしヘレナは窓の方を向いて寝ているので、寝返ったカルメンには彼女の背中しか見えなかった。


「泣くなって」そう言ってカルメンがヘレナを励ます。


「泣いてませんよ」


「強がるなよ」


「そんなこと言われても……」ヘレナはそう言って枕の下に頭を入れた。「あなたと違って、私は強くなんてないですから」


「そうか?」


「そうに決まってます」


「ならそうかもな。でも泣いちゃだめだ」カルメンはめげずに言った。


「どうして?」


「男にナメられる」


「別に私は、男性にナメられたことなんて……」


「いい話してやってるんだから、素直に聞けよ」やけくそになってカルメンが言った。「あのな、僕だって昔は弱かったんだぞ? ていうか、みんな最初は弱いんだ。僕なんて泣いてばかりだった。でも強くなろうって決めたんだ。だから強くなった」


「でもそれはあなたの話でしょう? 私とあなたの人生は全く違うんですから」


「それもそうだな。でも、今は一緒だろ?」


「まあ……」言葉を失ったヘレナは、そう言ってため息をついた。


「だから、その、とにかくだな……泣いちゃだめだ」


「もっと上手に励ましてくださいよ……」


「僕ってそんなに励ますのヘタっぴなのか?」


「そういうわけじゃ……」困ったヘレナが枕から顔を出す。「励ましてくれることは、もちろん嬉しいですよ? でも、泣くなと言われて泣かずにいられたら、そんな楽な話はありません。泣かずにはいられないから、こうやってあなたに背を向けてるんです」


「なんだ、やっぱ泣いてるじゃんか」


「なっ……」ムキになったヘレナが、寝返ってカルメンを睨む。「あまりからかわないでください」


「へへ、作戦通りにこっち向いてくれた」そう言ってカルメンが鼻の下をこすった。


「またそうやって……」カルメンにもてあそばれ、ヘレナはぎゅっと布団を掴む。「私だって、あなたみたいになりたいですよ? そうすれば、きっと泣かずに済むでしょうから」


「えっ? 僕だって泣くよ?」


「そうじゃなくて、たとえ話ですよ」


「んー、よく分かんないけどうるさいな。せっかく慰めてやってんのに」


「あっ、ごめんなさい……」思わずヘレナがカルメンから目を逸らす。


「あのさ、ずっと前から思ってるんだけど、いつもそうやって謝ってばかりで、嫌にならないの?」


「え?」


「だから、謝ってばかりで嫌にならないのって」


「別に、嫌になんて……馴れっ子ですから」


「変なの」


「でもあなただって、結構すぐ謝ってるじゃないですか」そう言ってヘレナが口を尖らせる。


「まあそれもそうか。ヘンクに怒られてばっかだもんな」


「そうそう、あなたいつも怒られてばっかり。それも私と違ってあまり反省しようとしない」


「そこまで言うか?」


「……口がすべりました」


 またも謝るヘレナを見て、カルメンは不思議そうに目を見開いた。


「やっぱり変だな」


「何がです?」


「すぐ謝るところ」


「だって……そうやって教わってきましたから」


「へえ、すごいね」カルメンがわざとらしく驚く。「僕は貧民街育ちだから、謝るくらいならポケットから何か盗んでやるけどね」


「そんなことしたら修道女として終わりです」


「それもそうか」


「言うまでもありませんよ。ですからその、謝ると言うのは、やっぱり人としての礼儀だと思うんです」


「なんかよく分かんないや」


「理解しようとしてくださいよ」


「だって僕バカだもん」


「それはまあ、そうかもしれませんけど……」


「ちえっ、否定してくれると思ったのに」カルメンがそっぽを向く。


「怒らないでくださいよ」


「別に怒ってないよ。なんでそんなに僕をバカだと思うのかなあって、考えてただけ」


「そんなの言い出したらキリがないですよ……例えばほら、あなたロブスターを皮ごと食べてたじゃないですか」


「あれは食べ方を知らなかっただけだし」


「そんなの分かってますよ。でもまあ、あれくらいならかわいらしいの範疇ですね」そう言ってヘレナがカルメンを見つめる。「あの時私思いましたもん。あなたってすっごく純粋な人なんだなって。宮殿にはあんな食べ方する人いませんから」


「そうなの?」


「ええ。初めて見ましたよ、あんな食べ方」


 ヘレナの指摘を受けて、恥ずかしくなったのかカルメンが顔を赤くした。しかしそんな彼女を気にも留めず、ヘレナは攻勢を強める。


「あとほら、茶会で王様から紹介される時とか。あれ覚えてます? 私ずーっと思ってたんです。貴族の人って香水がきついなって。それであなたが、そのことを堂々と言うもんだから、私びっくりしちゃって。あれすっごくかっこよかったですよ?」


 なんだかヘレナも饒舌だ。さっきまでの涙が嘘のように、笑って思い出を語っている。照れ臭くなったカルメンは、顎を自分の胸に寄せた。しかしヘレナは語り続ける。


「それと、さっき治癒術で驚いてくれたところとか。あのとき私――」


「ちょっと、その辺にしてくれないかな」思わずカルメンが口を挟んだ。「なんか、その、ほら、恥ずかしいっていうかさ」


「あっ、ごめんなさ――いえ、謝っちゃいけませんね」そう言ってヘレナはくすりと笑い、顔の赤いカルメンを嬉しそうに見つめた。


「別に、そんな無理しなくても……」


「いえいいんです。それよりもっとお話ししましょ?」


「えっ……」


 それは長い夜だった。二人は互いに顔を見合わせながら、夜明けまで談笑にふけったという。明日は朝からドレイクたちの捜索をするというのに、なんて呑気な女の子たちなのだろう。先遣隊の先行きは暗いが、広がっているのは闇だけではないようだ。

 パソコンで執筆していたら、手が無意識に動きだしてカルメンとヘレナが勝手に会話を始めました。我ながら恥ずかしいことに、書いていて泣きそうになってしまい、ちょっと戸惑っています。ヘレナには本当に頑張って欲しいです。まあ、それは僕が決めることなんですけど(笑)。

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