12 今すぐ森を抜けろ
騎士にとって、誰かを護衛するということは、単に自分を襲う敵と戦うより、何倍も難しいことである。自分を襲ってくる敵ならば、自分の周りが見えていればそれでいい。しかし護衛となれば話は違う。自分だけのために戦っていては、無駄に死人を増やすだけだ。だからいくら熟練の騎士であっても、護衛というのは一筋縄ではいかない。
そのためヘンクにとっても、この状況は大変にまずかった。守るべきシスターは剣も使えず、ただ立って体を震わせているだけだ。それに敵は狼、人間の戦術が通用するような相手ではない。
「カルメン、お前はシスターの前を! 私は背後を守る!」そう言ってヘンクが剣を構えた。
「言われなくても分かってるよ!」意地っぱりなカルメンは、そう叫んで指示通りヘレナの前に立つ。
敵は全部で三匹。剣士二人では圧倒的に不利だ。それを知ってか狼は、威嚇なのかこちらをじっと睨んでいる。だらっと垂れたそのよだれは、獲物を襲う獣の証だ。右にも、左にも、そして振り返れば後ろにも。見たところ狼は、三人を完全に包囲しているようだ。
「カルメン! まずはお互い目の前の一匹に集中しろ! 最後の一匹はそれからだ!」
ヘンクが狼を凝視して言った。それを聞いてすぐにカルメンが返事をする。
「分かってるって!」
「そうか! だとしてもだ、絶対に気を抜くなよ!」
右手に剣を握り、ヘンクは狼と睨み合う。いつ襲うか、失敗の許されない我慢比べだ。森のざわめき、狼の唸り。周囲のあらゆる雑音が、彼の耳を直接刺激する。
「いつでも来い……」
呼吸を整えヘンクが言った。すう、はあ。その息遣い全てが、彼自身の集中のために注がれている。
――先に動いたのはヘンクだった。彼は一切音を立てず、回り込むようにして走り出した。その黒目はただ一点、獣の腹だけを見据えている。途端に大きく剣が舞った。森の風をヘンクが裂く。しかし獣が一枚上手だ。振り下ろされたヘンクの剣を、奴はジャンプで避けて見せる。だがヘンクも馬鹿ではない。跳ねて後ろに下がった獣を、そのまま走って追い詰めた。そして一閃、またも舞う剣。一瞬闇に消えた剣先が、次の瞬間姿を現す。鋭い刃はそのまま獣を、下から上に裂きあげた。奴の体は真っ二つ。遠吠えだけが森に残る。
一方にやつくカルメンは、短剣をぐっと右手に持った。戦う時に笑うのは、昔からある彼女の癖だ。彼女はじっと前を見て、走る狼をつぶさに睨んだ。そして大きく息を吸い、短剣をぐっと振りかぶる。そしてそのまま一気に遠投。剣はすぐさま宙を裂き、華麗に獣の頭を射抜いた。キュインとうめいた狼は、そのままバタンと横に倒れる。
しかし事態は変わらない。残る一匹がヘレナを狙う。奴は二人が戦っている隙に、シスター目がけて走り込んだ。そしてすぐさま跳びかかり、その細いふくらはぎを、服の上からひと噛みする。
「やめて!」
シスターが高い声で叫んだ。慌てた彼女が足をばたつかせる。しかし狼の顎は強い。一度噛んだらそれが最後だ。むしろ足を振れば振るほど、牙が体に食い込んでくる。痛みは段々増すばかり。修道服に血が染みていく。
我に返ったカルメンが、シスターのもとへ駆け寄った。すぐさま狼の顔を掴み、無理やり口を開かせる。しかしやっぱり顎が強い。そう簡単には離してくれない。
「くっそ、どうなってんだよ!」
そう叫んだカルメンが、ぐっと腕に力を込める。そのまま「うらあ!」と声を上げ、必死に顎を引っ張った。それでようやく口が開き、ヘレナの足から牙が抜ける。その口からは赤い血が垂れ、唾液と混ざってドロドロだった。
「こんちくしょう!」そう叫んでカルメンが、暴れる狼を地面に押さえつける。
「そのままじっとしてろ!」ちょうど近くにいたヘンクが、狼めがけて剣を振り下げた。
次の瞬間、ヘンクの振った剣は狼の首を裂き、獣の体は二つに分かれて森に転がった。
「……やっと死んだよ」
深く長いため息と共に、カルメンが安堵を口にする。しかしヘンクは冷静だ。狼の死を喜ぶ前に、倒れるシスターへと駆け寄っていく。
「大丈夫ですか?」ヘンクは地面に膝をつき、仰向きのシスターに声をかけた。
彼はそのあとすぐに思い立って、腕に巻かれた青い布をほどいた。そしてそれをシスターの右足にきつく巻くと、そのまま彼女をそっと慰める。
「落ち着いて、呼吸を整えてください」
ヘンクが必死にシスターをなだめた。しかし彼女は泣いばかりで、彼の言葉を聞き入れはしない。痛い痛いと悲鳴を上げ、何度もわめき立てているのだ。地面に寝そべり暴れる彼女は、見ているだけで痛ましかった。
「シスター、だいじょうぶ?」
遅れてカルメンも駆けつけてきた。仰向けに倒れるシスターを、彼女は心配そうに見つめる。さっきヘンクが巻いた布は、染みた血の色で赤くなっていた。しかしカルメンは臆することなく、その布に手を当てがって、彼女の傷口を圧迫する。
「痛い! やめて!」ヘレナが思わず叫んだ。
「ちょっ、動かないで! 血を止めるためだから!」
暴れるヘレナを目の前に、カルメンは動揺を隠せない。しかしヘンクは動じなかった。いつもと変わらぬ落ち着いた様子で、シスターにこう声をかける。
「一度冷静になって。治癒術を自分に使えばいいんです」
ヘンクの言葉は正しかった。治癒術は自分にも使うことが出来る。しかしこの時のシスターは、見るからにそんな冷静ではなかった。それを見越してかカルメンが、シスターを抑えながらヘンクに言う。
「今は一旦宿場町にシスターを連れてくべきだよ。そこで落ち着かせないと」
「……確かにそうだな」珍しく正論を言ったカルメンに、ヘンクは深く頷いた。「この状況じゃ、シスターを余計に苦しませるだけだ」
どうやら意見が一致したらしい。二人は互いに目を見合わせ、黙って意思を疎通させた。そのあとすぐに立ったヘンクは、深呼吸をしてヘレナをおんぶした。そのあいだにカルメンは、狼の脳天に刺さった短剣をさっと回収する。
しばらくして準備が整うと、三人はすぐに宿場町へと歩き始めた。しかしその足取りは重く、シスターを担ぐヘンクに至っては、一歩を踏みしめる度に刻々と体力が削られていく。
「色々とまずいことになったな……」息を切らせながらヘンクが呟いた。
「あの二人とは宿場町で合流できるかな?」
「だといいが……今になってなぜか希望的観測のような気がしてきた」
「もー、こんなことになるって分かってたら、先遣隊になんて入らなかったのに」
「士気の下がるようなことを言うな。こう見えて、私はお前に感心している。お前はやる時はやる女だ」
「あっそ。褒めればいいってもんじゃないよ」そう言ってカルメンがそっぽを向いた。
落ち葉の散らばった森の地面を、三人はゆっくりと踏みしめていく。しかし、実際に踏みしめているのは二人だけだ。ヘンクの背中に乗るシスターは、痛む右足に顔をひきつらせている。彼女は歯を食いしばりながら、必死にヘンクの首に掴まった。
「うぐ……」唐突にシスターが声を漏らす。それに気づいたヘンクが足を止めた。
「大丈夫ですか?」
「はい……さっきよりかは落ち着いたと思います」騎士の背中の上で丸まったシスターが、細々とした声で言う。
「そうか、なら良かった。宿場町まであと少しですよ」
「なんか、ほんとにごめんなさい。私のせいで……」
「心配事はあとでも出来ますから、今は自分の体を優先してください」
そう言ってヘンクが後ろを振り返る。ヘレナの顔が見れると思ったのだ。だが彼女はヘンクのうなじに額をくっつけていて、その表情はうかがい知れなかった。しかしそれでもヘンクはめげない。
「大丈夫です、きっと何とかなります」そう言って彼は丁寧にヘレナを励まし続けた。「あなたには素晴らしい治癒術がありますから、心配はいりません」
「そんな、素晴らしいだなんて……そういう家柄に生まれただけですよ」
「なあに、謙遜する必要はありませんって。それよりも、もっと自分の体を心配してあげて下さい」
「……そうですね。ごめんなさい、謝ってばかりで」ヘレナはそう言って鼻をすすった。
一行は再び歩き出す。一歩一歩、ゆっくりではあるものの、皆確実に前へと進んでいる。幸いにもその歩みの結果、木々の密度がだんだんと減ってきた。ようやく月が姿を現し、虫の音もまばらになる。しばらくして、ようやく見えてきた宿場町は、零時を回って月光の底になっていた。
このたび活動報告を書いてみました。「東の城が落ちた」の創作裏話が読めるようになっています。カルメンが僕っ娘設定になった理由など、作品をより楽しめる面白い内容を掲載しているので、ぜひ読んでみて下さい。




