11 闇夜にあがる炎
夜遅く、森には霧がかかっている。しかし前方を歩くドレイクとダグラスは、怖がる素振りなど一切見せず、むしろ和気あいあいと談笑していた。唯一の心配事は、ドレイクが持つランタンの炎が、風前の灯火であることだ。この暗い森を照らすには、あまりに心細い明かりである。
「気温が下がってきたみたいだな。霧も出ているし視界が悪い」
大臣ダグラスがそう言って辺りを見回した。彼の言う通り、もやのようなものが周辺に立ち込めている。夜の暗さも相まって、静かな森はやけに不気味だ。
「ダグラス、ホントにこっちで合ってるのか?」そう言ってドレイクが前方を指さした。
「なにを言ってる。このコンパスが狂ってるというのか?」
「そういう事を言いたいんじゃないよ。霧のかかった夜の森が、ちょっと気味悪いって思っただけだ」
「男だろ、そんなことで怖がるんじゃない」
「それもそうだな」ドレイクが苦笑いをする。「ところで他の三人はどこにいるんだ? さっきから声が聞こえないけど」
ドレイクがそう言って後ろを振り返った。さっきまで近くにいたはずの三人が、なぜかどこにも見当たらない。不思議に思ったドレイクは、先を歩くダグラスの腕を、いきなりぐいっと引っ張った。
「どうした?」腕を掴まれたダグラスが、立ち止まって目を見開く。
「ちょっとここで待ってようぜ。こんな暗い森の中で、あいつらとはぐれるわけにはいかないだろ?」
「お前はお人よしなんだな」
「馬鹿言え、それくらい普通だろ。放っておく方がおかしい」
「あはは、それもそうか」ダグラスは納得したように頷いた。「まあそのうち合流できるさ。心配はいらない。宿場町まではあとちょっとなんだ」
そう言って二人は足を止めた。さっきから冷たい風がびゅうびゅうと音を立てている。揺れる木の葉の囁き声が、森の四方から二人を囲んだ。
◇◇◇
おじさん二人からだいぶ離れた後方を、シスターであるヘレナ・フランセルはランタンを片手に歩いていた。辺りは完全に真っ暗闇だ。それもそのはず、ランタンの火がとうに消えてしまっている。そのせいで不安に駆られたヘレナは、さっきからずっと猫背のままだ。そんな彼女を慮ってか、隣を歩くヘンクとカルメンは、怖がるシスターを挟むようにして、漆黒の森をゆっくりと進んでいた。
「あの、二人とも……」
突然、シスターが申し訳なさそうに呟いた。それを聞いてカルメンとヘンクが立ち止まる。闇に包まれた森の中で、三人の若者はお互いに目を合わせた。
「どうしたの?」そう言ってカルメンが首を傾げる。
「ダ、ダグラスさんと、ドレイクさんが、見当たりません……」
シスターがそう言ってランタンを震わせた。ヘンクが気になって辺りを見回す。しかし周りは漆黒だ。近くにある木々がかろうじて見えるだけで、人影は一つも見当たらない。ヘンクは思わず疑問を口にした。
「二人はどこに行ったんだ?」
「知らないね」すぐさまカルメンが答える。「あいつらのことだから、どっか行っちまったんじゃないの?」
「馬鹿言うな、近くにいるはずだ。探した方がいい。彼らがいないと私たちは道も分からないんだ」
「えっ、こ、こんな暗い森を捜索するんですか?」シスターが震えた声で言った。
「仕方ないですよ。実際に二人が見当たらないんだ。探すほかない」
「そんな、ランタンの火も消えてしまったのに……」
「大丈夫ですよ。ドレイクのランタンはまだかろうじて火がついているはずです。その明かりがいい目印になる。何もむやみやたらに歩き回ろうってわけじゃない。だから安心してください」
「でも……」
シスターが何かを言いかけて口ごもる。脇をぎゅっと閉めてランタンを握る彼女は、ときおり聞こえる動物の声に、ピクッと体を震わせた。それを見かねたヘンクが、すぐさま柔らかい声をかける。
「大丈夫ですよシスター。とにかく歩きましょう。必ず二人に会えるはずです」
ヘンクは首をちょこんと傾け、シスターににっこりと笑って見せた。だが、闇に呑まれた騎士の笑顔は、余計にヘレナの不安を掻き立ててしまう。
「僕も一旦はそれでいいと思うけど?」夜闇の中でも平気そうなカルメンが、そう言ってヘレナに声をかけた。「心配することないよ。正直僕もちょっとビビってるからさ」
「お気遣いありがとうございます……」
「なんかなあ、やっぱり返事が堅いんだよね」そう言ってカルメンは、大した不安も見せずに三人組の先頭を歩いて行った。
こうして再び進みだした三人だったが、足並みは全く揃っていない。シスターだけは遅れを取り、その度に小走りでヘンクとカルメンを追いかけている。夜の闇に震える彼女は、消えたランタンを不安定に揺らしながら、落ち葉をゆっくりと踏みしめていった。
◇◇◇
闇夜の中、ダグラスとドレイクは辺りを見回していた。点滅しだしたランタンを頼りに、他の三人を探しているのだ。しかし不思議にも、もうかれこれ五分ほど待っているのだが、一行に彼らの姿は現れなかった。にわかに不安を感じ始めたドレイクは、ランタン片手に不安を口にする。
「なんか嫌な感じがするな……引き返すか?」
「それは出来ない」ダグラスが即答した。「そんなことをしてすれ違いでもしたら、もっと面倒なことになる。こういう時はどちらかが立ち止まるべきなんだ」
「あっちも同じこと考えてるかもしれないぜ?」
「その時はその時だ」
「へえ、さすがは軍部大臣だねえ。俺だったら大声で呼んじゃうけど」
「そんなことをしたら、何に襲われるか分からんだろ」
「そう言うと思ったよ」呑気な口調のドレイクは、夜闇の中でも余裕のようだ。
二人はその後しばらく、森の中で三人の到来を待った。しかしいくら待ってみても、人の気配さえ感じられない。あまりにも長い待ち時間だったので、ドレイクなんて虫の音を聞き分けられるようになってしまった。あれはたぶんコオロギで、あれはきっとキリギリス……そんなことを考えていたら、いつの間にかに霧が濃くなっていた。
――その時である。突然周囲が騒がしくなった。草木の揺れる音だ。二人ははっとなって音のする方に顔を向けた。騒音の正体は、腰ほどの高さの低木が、カサカサと揺れる音である。
「おいおい何だよ、あいつら地面を這って来たのか?」揺れる低木を見て、ドレイクが笑いながら言った。
「馬鹿かお前は……彼らがあんな低木にわざわざ隠れて出てくるわけない」
「冗談にそんな本気の返答されてもねえ」
「そんな余裕はないぞ。一応身構えとけ。動物が飛び掛かってくるかもしれん」そう言ってダグラスが、腰からサーベルを取り出した。
「おい、そんなもんどっから持ってきた?」
「軍人の必需品だよ」ダグラスは小声で答えた。
風が吹くと周囲の木々がサアサアと鳴り、風がやむと正面の低木がカサカサと揺れる。あとはずっとそのくり返しだ。ダグラスとドレイクは腰を低くして身構え、目の前の低木をじっと凝視した。
しばらくして、揺れる低木から姿を現したのは、一匹の狼だった。
「おいおい、ビビらせんなよ。ただの狼じゃねえか」ため息交じりにドレイクが言う。
「待て、下がるんだ」
「なんでだよ」顔をこわばらせたダグラスに反して、ドレイクは余裕で反駁する「たかが一匹の狼だろ。殺すまでもない」
「いや違う……」ダグラスがそう言って一歩後退した。
狼はよだれを垂らしてこちらを睨んでいる。さらにはガウルルと舌を巻き、いつでも飛びかかれるように頭を低くしていた。しかしたかが狼一匹。ドレイクの言う通りそれほど怖がる必要はないはずだ。なのになぜ、この軍部大臣はこうも顔を引きつらせているのだろう。ドレイクは不思議に思いながらも、ダグラスと一緒に一歩後退した。
――次の瞬間である。突如狼が大臣ダグラスに跳びかかった。彼はそれを右によけ、狼の着地点めがけてサーベルを振る。が、惜しくも剣は虚空を舞った。狼はそのまま遠くに逃げ、そこで一度踵を返す。すると次はドレイクを睨み、その場で地面を蹴りあげた。舞った土埃が夜闇に散る。
「気をつけろ! そいつは魔獣だ!」
ダグラスが声を上げた。それと同時に、狼がドレイク目がけて突っ込んでくる。
「おい待て、こっちくんな!」
突進してくる狼を前に、ドレイクが慌てて声を上げた。彼はとっさにランタンを投げ、そのまま森を逃げ回る。すぐさま辺りに火の粉が散って、そのまま周囲に引火した。しかし狼は容赦ない。そのまま炎をかいくぐり、ドレイク目がけて牙をむく。必死に逃げるドレイクは、間一髪でそれを避けた。しかし狼は諦めない。執念深く睨みをきかせ、逃げるドレイクを追いかけ回す。
「飛びかかって押さえろ! 私が首を斬る!」ダグラスが叫んだ。
「んなこと出来るか!」
「やれ! さもないと噛みつかれるぞ!」
「ああもう! 分かったよ、飛びかかりゃいいんだろ?」
仕方なくドレイクは逃げるのをやめ、突っ込んでくる獣に体を向けた。背を低くし、手を大の字に広げ、大きく息を吐く。彼は獣の体をじっと見据え、覚悟を決めたように叫んだ。
「かかってこいこの野郎!」
そう言ってドレイクが飛びかかる。二者はぶつかるように相対した。より高く飛んだのはドレイクの方だ。彼は狼を上から抑え込み、そのまま地べたに押さえつけた。
「早く斬れ!」
ドレイクの声で、ダグラスが駆けつける。彼はサーベルを目一杯振り上げ、そのままぐいと狼の首に叩き込んだ。すぐに血が飛び散って、獣の生首が地面に転がる。
「あっぶねえなおい……」死んだ狼の体を押さえて、ドレイクはしばし呼吸を荒げた。
「怪我はないか?」
「おかげさまで無傷だよ」ほっと一息ついて、ドレイクが顔を上げる。「しかしだ、ダグラス。説明をしてもらおうじゃないか」
「どうした、何か問題でも?」きょとんとした目でダグラスが訊く。
「大ありさ。あんたさっき、魔獣って言ったよな。俺はそんな話聞いてないぞ? 魔法はこの国に無いって、この前言ってたよな? あの話は嘘だったのか?」
不意に詰問を受けて、ダグラスは気まずそうに黙り込んだ。その様子をみたドレイクは、強い口調で念を押すように質問を続ける。
「嘘なんだな?」
「違う」ダグラスがそう言って首を横に振った。「嘘なんかじゃない……この国に魔獣はいないはずだ。でも狼の目を見てみろ。紫色だ。神話では、魔の血に侵された者は目が紫に染まるという記述がある」
「じゃあなんだ、魔法が復活したってのか?」
「いや違う。きっと帝国の奴らが魔術を持ち込んだんだろう。あいつらはきっと、自然の獣まで自分たちの兵器に染め上げる気だ」
「そんなのありかよ……」
「気持ちはわかる。だが帝国のことだ。何をしてもおかしくはない」そう言ってダグラスがサーベルを腰に戻す。しかし次の瞬間、彼はなぜか息をのんだ。「おい、ドレイク……」
無理に押し出したような口調で呼ばれ、ドレイクが間抜けな声をあげる。
「あ? なんだよ、どうかしたのか?」
「……いいから周りを見てみろ」
ダグラスが深刻な顔で言うので、ドレイクはさっと周囲を見回した。すると視線の先で、さっきはまだ小さかったランタンの火が、森の草木を呑み込んで随分と大きくなっている。二人の前方を塞ぐのは、文字通り火の海であった。
◇◇◇
「おい、なんか燃えてるぞ!」
カルメンがそう言って森の遠くを指さした。その指の先で、遠くの森が艶やかな黄色に染まっている。
「あっちは宿場町の方向ですね……」シスターがそう言って遠くの炎を見つめた。
「しょうがない、あっちは近道だったが、行くのはよそう」ヘンクが至極冷静に言う。「何なら帝国の奴らがもうここまで進軍してるのかもしれない。急ぎは禁物だ。少し迂回して宿場町を目指そう。そうすればドレイクとダグラスにも合流できるはずだ」
「本当にそんな上手くいくの?」カルメンが思わず尋ねた。
「信じるしかないさ」変わらずヘンクが冷静に答える。「それに、シスターを危ない目に遭わせるわけにはいかない。あからさまに危険な場所に立ち寄っても、痛い目を見るだけだ」
「そうですよ、ヘンクさんの言う通りです……燃えてる場所なんて行く意味がありません」
「まあ、それもそうか……」必死に頼み込むヘレナを見て、カルメンもさすがに同情を見せた。「でも、別に僕は行きたいなんて言ってないけどね」
「はっ、確かにそうだな」ヘンクが笑ってカルメンをあしらう。「まあ、とにかく今は立ち止まっている場合じゃない。なるべく早く宿場町に――」
不意にヘンクが言葉を切った。その表情に騎士らしからぬ恐怖が浮かぶ。
「ん? どうしたの?」何も知らないカルメンが、驚くヘンクを見て言った。
――騎士ヘンクは知っている。紫色の目をした獣は、古来より魔獣と呼ばれ恐れられていたことを。そして今、辺りを見回した彼の視界には、こちらを睨む三匹の狼が映っていた。奴らは紫の目で睨みをきかせ、三人を円状に囲んでいる。ヘンクはとっさに剣を抜いた。
「おいカルメン! 剣を構えろ!」
突然の呼び捨てに、女剣士がぴくりと体を動かす。
「……なんだよ急に」
「いいから早く!」
ヘンクの怒鳴り声が辺りに響き渡った。森の夜は、まだ終わらない。




