10 焚火の前で
出発の朝を告げるのは、昨日と違ってニワトリの鳴き声である。この日は盛大な出発式が催されるわけでもなく、ただ淡々と、いつもの一日が幕を開けようとしていた。昨日豪勢な食事に目を見張った先遣隊の五人も、昨晩は宮殿の寝室でぐっすり眠ったようだ。いや、正しいことを言えば、必ずしも全員が快眠だったわけではない。朝、宮殿の庭に五人が集合してみると、シスターだけは目の下にクマが浮かんでいた。あくびを右手で覆う彼女は、なぜか窮屈そうにしている。
「どうかなさったんですかシスター」すでに甲冑を着ているヘンクが、眠そうな彼女を見かねて声をかけた。
「いえ、別に何かあったわけではないんです」シスターは小声で答えた。「ただその、何と言いますか、昨晩あまりよく眠れなくて。色々と考え事をしていたら、いくら寝ようと思っても寝付けなかったんです」
「そうですか、それは大変でしたね」ヘンクはそう言ってシスターに暖かい眼差しを向けた。「しかしまあ、お気持ちは分かりますよ。私だって、こういった旅は初めてですから。というより、先遣隊のみんなが初めてです。シスターただ一人が悩むようなことではありません」
「それは分かってるんです。でもなんだか、私だけ戦うための人員じゃないので、皆さんに迷惑をおかけするような気がして……」
「杞憂ですよそんなの。我々は剣で敵と戦いますが、シスターは治癒術で我々を守ればいいのです。そう考えると、とても良く出来たチームだと思いませんか? まあ一部生意気な奴もいますけどね」
ヘンクはそう言って笑みを見せた。ヘレナも年頃の女だからか、ヘンクの笑みを見て少し心を落ち着かせたようだ。彼女は一度深呼吸をして、意を決したように顔を上げた。
出発の直前、外庭で王から先遣隊に腕章が手渡された。いや、腕章と言うよりはただの青い布と言ったほうが的確だろう。しかし何がともあれ、この布を右腕に巻くことで、隊の結束を高める算段だ。王陛下は先遣隊の前に立つと、全員と一度目を合わせ、そのままきつく布を巻いていった。
「さあ、これで結束も高まったことだろう。君たちとは昨日出会ったばかりなのに、何だか分かれるのが心惜しいよ」言葉の通り寂しそうに笑った王が、そう言って先遣隊の五人にお辞儀をした。
「陛下、お辞儀などとんでもない!」
大臣ダグラスが慌てて王陛下を止めに入る。しかしそんなダグラスを押しのけて、王はこうべを垂れたままこう語った。
「何を言っておる。私の身勝手によって、君たちを危険な旅に向かわせてしまうのだ。昨日よく考えたら申し訳なく思ったよ。だから、私にはこんなことしか出来ないが、どうか詫びさせてくれ」
「そんな、陛下……」そう言ってダグラスは、王のつむじをもの悲しげに見つめた。
ここだけの話、王とダグラスは長い付き合いである。そのため今回の王のお辞儀は、ダグラスにとって驚くべきものだった。いつもは独善的に振る舞う王が、この時ばかりは真摯にこうべを垂れたのだ。王陛下のお辞儀なんて、側近であってもなかなかお目にかかれない代物だ。
「それじゃあ先遣隊の諸君、幸運を祈っているよ」そう言って頭を上げた王陛下は、先遣隊員それぞれへ丁寧にほほ笑みを向けた。
王との謁見の後、先見隊はすぐに出発した。しかしいきなりの遠出である。五人とも不安を隠せない。かつてない任務を背負った彼らは、最初とぼとぼと王都を歩いた。これから一体何が起き、何に苦しみ、何に泣くのか、彼らは一切知らないのである。その不安は計り知れないほど大きく、隊長であるダグラスさえ、なかなか前向きにはなれなかった。
だがそんな彼らを、王都の人々は歓声と共に送り出してくれた。とある騎士志望の青年は深く頭を下げ、八百屋の店主は敬礼をし、小さい子供は嬉々と手を振る。いつもは酒場に入り浸っている老人も、この時ばかりは街道に飛び出てきた。そして手をメガホンにして、うつむく五人をこう鼓舞するのである。
「頼むぞ先遣隊! 我が国を、王都を、帝国の手から救っておくれ!」
先遣隊の仕事はあくまで偵察である。決して帝国の軍と一戦交えるわけではない。しかしそうと分かっていても、民衆の期待はとてつもなく大きかった。先遣隊はこれまでにない歓声と共に、王都から満を持して送り出されたのだ。
「すげえな、なんかやる気がみなぎってきたわ」左右を民衆に囲まれながら、ドレイクが大きく息を吸う。
「あまり弱音を吐いてはいられないな」そう言ってヘンクが民衆に手を振り返した。
隊はすぐに王都を抜け、広々とした平原に出た。ここにくると舗装された道もなく、芝が一帯に生えているだけである。草原は日光を受けて朝露をきらめかせ、風が吹くと目に見える波を作ってなびいた。時折野生の馬が闊歩し、その美しいしっぽが風とたわむれて揺れる。地平線のあたりでは、雲一つない青空と大地の緑とが、水彩画のようなコントラストを成していた。
「本当に危険な旅なのか?」草原の上を進みながら、ドレイクがケラケラと笑った。
「まあ、今日はまだ初日だ。旅行だと思って楽しめばいい」いつもは頑固なダグラスも、今日ばかりはにこやかである。
「あんまり偵察しに行くって気がしないな」そう言ってドレイクが草原を見渡した。
「なあに、そのうち呑気なことも言ってられなくなるさ」
「やっぱりそういうものかね」
「何を言ってるんだ、我々は先遣隊なんだぞ? 偵察こそが本当の目的だ」ダグラスはそう言ってドレイクに忠告をした。
午後、先遣隊はちょっとした森に入って行き、しばらくすると日も沈んできた。ちょうど時間も頃合いなので、一行は森の中で野宿をすることになった。
「焚火をしたいんだが」そう言ってダグラスが辺りを見回した。周囲は深い森なので、どこを見渡しても樹木ばかりである。
「じゃあ僕が木を切るよ」そう言ったのはカルメンだった。彼女は手ごろな細い木を見つけると、短剣を振りかぶって薪の束を作る。「火はどうやってつければいいの?」
「おっと、それは私に任せてくれ。火をつけるのは私の仕事だ」
騎士ヘンクがそう言って、剣を華麗に振り下ろした。次の瞬間火の粉が上がり、薪の束が焚火に変わる。暖かい火は夜を照らし、火花は地上の星になった。
「うお、すっげえなお前、見直したよ」驚いたカルメンが、ヘンクを称えて拍手をする。
「ふん、どうせ君も出来るんだろう? この前の広間の件で、君の腕前には察しがついている」
「なら僕もやってみようかな」
そう言ってカルメンが新たに薪を採集し、ヘンクと同じ動作で火を灯そうと試みた。彼女が思い切って短剣を振ると、ぼわっと火の粉が舞い上がる。すぐに真っ赤な炎が出来て、二つ目の焚火が夜を照らした。
「出来たじゃないか! やっぱり私の目は狂っていなかったね」昨日からカルメンを毛嫌いしていた彼も、この時ばかりは素直に喜んでいた。
その晩、先遣隊は二つの焚火を円状に囲んで、一晩談笑にふけった。熱く燃える赤い明かりは、先遣隊を朝まで照らす。その炎が揺れるたび、彼らの顔に出来た影も、ゆらゆら揺れて変化を見せた。
◇◇◇
翌日、隊は出発し、着々とアストランへの歩みを進めていった。途中最初の宿場町に立ち寄り、そこでありったけの荷物を補充した後、再びアストランへ向けて旅に出る。こうやって先遣隊は順調に野を越えていき、二週間も経てば計画以上に早く進んでいた。
この日、先遣隊は再び森に入っていった。しかし今度は、以前と違って大木ばかりの深い森である。月光がほとんど差し込まないため、何の照明も持たずに入ると、前後左右が分からなくなる。
「あと一週間もすればアストランに着くな」ランタンを手に持ったドレイクが、隣を歩くダグラスに話しかけた。
「ああ、順調すぎて怖いくらいだ」そう言ってダグラスが二の腕をこする。どうやらちょっと肌寒いらしい。
「おいおい大臣、あまり怖いとか言うんじゃないよ。俺までビビっちまう」
「もうその大臣という呼び方をしなくてもいいんだぞ? 二週間も旅した仲だ、ダグラスと呼んでくれてもいい」
「そうかい。そりゃ嬉しいねダグラス」そう言ってドレイクはほのかに笑った。ランタンの明かりで出来た笑顔は、なんだがちょっと不気味である。
仲睦まじい会話をするおじさん二人をよそに、シスターは体を震わせて周囲をきょろきょろと見回している。夜の静けさが森を支配し、聞こえてくる虫の音や、歩く度にこだまする枯れ葉を踏む音が、この森にはどこか不釣り合い感じられた。
「おいシスター、どうしたんだそんなに怖がって? この僕が平気なんだから心配する事ないぞ?」そう言ってカルメンがヘレナを元気づける。
「いや、暗い所が苦手で……」
「そんなに手ぶるぶる震わしたら、ランタン落としちゃわない?」
「いえ、大丈夫です。ちゃんと握ってますから……手汗はひどいですけど」
「あんまりシスターをからかうな、可哀そうだろ」そう言って騎士ヘンクが、カルメンを肘でちょんとつついた。
「別にいいじゃん、僕なりの励ましだよ?」カルメンが毎度の如くふてくされる。
「お前は励まし方というものをちゃんと学ぶべきだな」そう言ってヘンクも毎度の如く、カルメンに一言愚痴を漏らした。
時間が経つにつれ、森の夜が着々と深まっていく。首筋を撫でるような風が吹く度に、一帯の木の葉がざわめきのような音を立てた。虫の音に混じって、猿の鳴き声のような音も聞こえてくる。段々と気温も下がり、寒すぎずしかし暖かくはない、絶妙に嫌らしい温度が冷や汗を誘った。唯一の光源は、燃料を失い点滅している、ランタンの心もとない明かりだけだ。
「お化けとか出そうじゃない?」こんな闇夜のさなかでも、カルメンは至って陽気だった。
「そういうことは言わないでください……私お化けとか苦手なんです」
「怖がりなんだなシスターは。お化けなんているわけないじゃん」
「そんなこと分かってますよ……ただその、何だか嫌な予感がするだけです」
ヘレナがそう言って、ぐっと唾を呑み込んだ。こういう時の嫌な予感は、意外と当たるものである。




