01 開幕宣言
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臣下の顔から血の気が引くのも無理はない。ついさっき一匹の伝書鳩が、宮殿の広間に音を立てて飛んできた。そのくちばしには伝書がくわえられていて、鳩はなにやらせわしそうに鳴きわめいている。一体何事だろうか。臣下は不思議に思い、その伝書をそっと開封してみた。そこに書かれていた内容は、なんとも恐ろしいものである。そう、かねてから恐れられていた、侵略の号令だったのだ。
その日は数日ぶりの快晴で、宮殿の外庭では茶会が開かれる予定だった。朝早く、日の出と共に色づく薔薇は、今日も変わらず優美である。生け垣の前には白いガーデンテーブルが並び、今か今かと来客を待ちわびていた。どうやら執事たちは何も知らないらしい。みんなティーポッドを片手に持って、悠々と茶会の準備中だ。暖かい風がゆるやかに吹く様子は、まさに嵐の前の静けさである。
侵略の知らせがやって来たのは、ちょうど夜明けと同時であった。地平線がオレンジ色に染まるころ、白い毛をなびかせた宮殿の伝書鳩が、何だか忙しそうに窓から飛び込んでくる。
「ほう、こんな朝に伝書かい?」王の臣下はあくびをしながら言った。「全く朝から忙しいねえ。一体何の知らせだ?」
夢見心地な宮殿をよそに、鳩は廊下を滑空すると、臣下の肩にぴたりと止まった。鳩はそのあと羽を広げて、くちばしにある手紙を突き出す。眠い臣下は目をこすりながら、面倒そうにそれを受け取った。
手紙の送り主は、通称「東の城」と呼ばれている、アストラン城の城主であった。彼はいつもなら達筆のはずなのに、今回ばかりは雑な走り書きで、次のような知らせを綴っていた。
――親愛なる国王陛下、および我らが敬愛すべきパルメア王国の皆さま、この度の突然の伝書を、どうかお許しください。私の忠誠は変わらず全てが、パルメア王国に向けられております。
さて、現在パルメア王国は侵略の危機に晒されています。あまりに唐突なお知らせのため、戸惑われるかもしれません。しかし現在、私の治めるアストラン領が完全に敵国の手に落ちたことは、紛れもない事実であります。この度の私の失態を、どうかお許しください。領軍はすでに疲弊し、優秀な騎士も多くが命を落としています。民はほとんどが惨殺され、現在わたくしが筆を執る執務室の窓からは、焼き尽くされた領土だけが広がるばかりです。敵兵はもう城に侵入しており、最上階にあるこの執務室にも、剣のぶつかる音や聞くに堪えない悲鳴が、絶え間なく届いて参ります。
私の命ももう長くはないでしょう。若干六十歳の自分ですが、最後くらいは愛する妻に看取られるだろうとばかり思っていました。しかしこの様子であれば、私は恐らく剣によって命を絶たれるのでしょう。妻はすでに命を落としました。これもまた私の失態がゆえの結果であります。いきなり殺された妻を思うと、涙は収まるどころか底なしに漏れて参ります。それに、領主の私でさえこの有様だというのに、今もなお剣を振る城の衛兵たちには、泣く暇も与えられていない……一体どんな言葉で彼らに詫びればいいのでしょうか。私には見当もつきません。
間もなくアストランは陥落し、敵兵は近々王都に向けて進撃を開始するはずです。国王陛下、どうか恐れおののいてくださいませ。恐れることが最も適切な心構えであります。敵は圧倒的な戦力、見たこともない兵器、熟練の兵士たちを揃えております。察するに万全の準備をしてきたのでしょう。どうか、どうか、国民のため、最後まで抵抗したアストランの民のため、敵の進行に対する備えを怠らないでください――
手紙はそこで、途切れていた。
このあと事態はすぐに動き出した。まず、手紙を読んだ臣下の男が、王のいる寝室へ勢いよく飛び込み、眠っている主に大声を浴びせる。
「国王、国王! 今すぐ起きてくださいませ! 我が国の緊急事態であります! お目覚め下さい!」
慌てふためいた臣下の男は、そう叫んで王を起こした。しかし寝起きに弱い王の様子は、いくら叫んでも変化しない。ぐうぐうぐう、といびきをかいて、夢の中を探索中だ。
「聞いておられますか国王陛下! 今すぐ、今すぐ起きてください! 陛下!」
呆れた臣下が枕を掴み、王の顔ごと上下に揺らす。それでようやく目覚めた王は、寝ぼけた声でこう呟いた。
「どうしたんだ……まだ日が出たばかりではないか」
「なっ、呑気な事をおっしゃっている場合ですか! 東の城が、アストランが、敵国の手に落ちたのですよ!」
「うるさいな……」
臣下がいくら声を張り上げても、王はなかなか起き上がらない。いよいよしびれを切らした臣下は、パチンと王の頬を叩いた。
「ふぎゃっ!」と王が目を開く。
「よかった、ようやくお目覚めになったのですね。ほら、支度をいたしますよ。緊急会議を招集せねばなりません」
「分かったよ行くからさあ」そう言って王は上体を起こした。
さて、こうして王が目覚めると同時に、一部の人間が緊急会議に招集された。ここで言う一部とは、王子であるトルトイ・パルメアとその臣下、それに王国議会の議長、軍部大臣、そして王の妻である。日の出から一時間後、彼らは宮殿の食堂に集められた。目的は無論、朝食ではなく討議である。
話によると、この討議は朝六時に始まって、開幕から三時間、一切休憩を挟むことなく続いたらしい。だが肝心の内容は、糾弾と怒号がほとんどだったようだ。反論が反論を呼び、決めたいことも決まらない。ある者が全軍のアストラン派遣を提案すれば、別の者がティーカップを床に叩きつけてそれに反論した。
「何を考えている? 敵の規模も知らずに全軍派遣? 残念だがダグラス、とてもじゃないが軍部大臣の考えた作戦とは思えないぞ!」
「おっとっと、静粛に願いますよ、グラナス侯爵。ティーカップを割るなんて紳士の恥では? あなた議会でもそんなに声を張り上げておられるんですか? そんな態度でよく議長が務まりますね」
「お前に議会の何が分かる!」
「ではあなたは我が軍の何をご存じで?」
とまあ、討議は始終こんな調子だった。だがこれには理由がある。伝書の内容が薄っぺらかったのだ。何せ届いた手紙には、敵の概要も、戦乱の状況も、まったくもって正確に書かれていないのだ。感情論ばかり並べていて、侵略の知らせとしてはほとんど役に立たない。当然これと言った結論は生まれず、決まった事といえば「先遣隊の派遣」だけであった。先遣隊とは要するに、アストランの現状を見定めるために、少数規模の偵察隊を派遣する、ということである。
討議が終了した午前九時、宮殿内は噂で溢れ返っていた。食堂から漏れる怒号があまりにも激しかったので、宮廷の人々が何事かと心配し始めたのだ。「誰かが亡くなったのでは?」とか、「新しい工場法に関する政治闘争でしょうか?」とか、いろんな噂が立ったらしい。だがそれらの噂、残念なことにどれも見当はずれだ。それもそのはず、敵の脅威を知らない宮殿の人間にとって、「侵略」なんて二文字は御伽話のようなものだ。「どうせいつもの夫婦喧嘩でしょう?」なんて、能天気なことを言う召使いもいたという。執事たちに至っては、外庭で談笑しながら茶会の準備中だ。
だが驚くのはまだ早い。これらの馬鹿げた噂以上に、もっと馬鹿げた話がある。それは食堂で行われた討議の最後、国王が言い放った次のセリフだ。
「茶会は予定通り行う!」
その一言には誰も味方しなかった。議長も、大臣も、王の妻でさえ頭を抱えた。
――ああ、私の夫は頭の中がお花畑になったのかしら――
王の妻はこの時、本気でそう思ったらしい。いやはや、きわめて冷静な判断だ。侵略を受けた小国に、茶会をやる暇などあるわけがない。そんなことを考える君の夫は、たぶん寝起きに頭を打ったのだろう。
「一体どういうおつもりで? 一国の危機ではありませんか!」突然声を上げたのは、軍部大臣のダグラスであった。これを好機と捉えたのか、別の者が彼に続く。
「そうですよ陛下、どうか考え直してくださいませ」
「そうよあなた……茶会なんていつでも出来るじゃない」
王の周囲は批判の海だ。この状況なら誰だって、自分の過ちを悟るだろう。だが王はめげない男だ。周りからの糾弾を押しのけて、彼は席から立ちあがり、その場にいる全員にこう唱える。
「茶会で先遣隊を募る! 片道一か月のアストランに向かい、命を懸けてその現状を伝える覚悟のある者を、茶会で見つけようではないか! なあに、心配することはない。外庭は民に開放するさ。先遣隊なんて簡単に集まる。五人もいれば充分なんだ」
「何をおっしゃるんですか陛下……ああ、もう馬鹿げている!」誰かがそう言って頭を抱えた。
「そうですよあなた、茶会なんて……遊びとまでは言いませんが、あんなのただのしきたりでしょう? もう一度考え直してください!」
「いいや、もう決めたことだ! 国民一人残らずに伝えよ! 先遣隊になる覚悟のあるものは、宮廷での茶会でその志を問わん、と!」
――この一言が全ての始まりだった。王の一声で、国中の人間が動き出すのだ。名家に仕える熟練の騎士から、貧民街で名を馳せる剣の使い手、追われる身である盗賊の首領までもが、呼ばれてもいない茶会にのこのことやって来るのである。
辺境の小国パルメアよ。強大な敵の侵略を前に、君たちには何が出来るだろうか? その答えは至極単純。やってみるまで分からない! 決まったからには意地でも抗え。それこそ本当の〝命懸け〟である。
「目にもの見せてやれパルメアの民よ! 身分などこの際好きなだけくれてやろう! さあ、今こそ、剣を握る時だ!」
まるで少年のような国王の意気揚々とした開幕宣言は、食堂を抜けて宮殿全体に響き渡ったと言う。