第五話 “ワルツ”とは何かしら?
とある部屋で、私はこのアース皇国の礼儀作法とダンスなるものを亡くなったはずの兄に叩き込まれていた。一樹お兄ちゃんと一緒で、姿が違うのに目の前の男性は紛れもなく“春樹お兄ちゃん”で…いきなり部屋に来ては、夜までに覚えろと言われたのが朝日がのぼる少し前で、夜戦に出ていたらしいあの王子様らしくない深紅の炎皇の姿はなかったわ。
「ルーナ!転んでいる場合じゃないんだぞ」
朝からぎゅうぎゅうに絞められたコルセットに綺麗なトレスを着せられて、とてもとても歩きにくいヒールの高い靴を履かされた私はまた、器用に自分の足を自分の足に引っ掻けてバランスを崩しては床に這いつくばっているのよ。
「どうして私がこんな…ひぃっ、ごめんなさい!」
少しでも口ごたえをしようものなら、目の前にパシンッとムチが飛んでくる。
今日の夜会で踊らなければならない“ワルツ”なるものをできるようになるためにダンスのパートナー?をしてくれているこの男性も私が何者か知っているのか、特に騒ぐこともなく相手をしてくれている…それにしても、私がこんな状態なのに眉1つ動かさないわねこの男は。
「もう!この国の礼儀作法なんて知らないわよ!!」
「今のお前は月の一族のルーナクレシエンテじゃなく、皇帝であるグレイス・一樹・アースの妹だ。それなりにこのアース皇国の姫に見えなくてはならない。」
はあ、この兄は昔からそうだったわ…私やリェナが言うことを聞かないものならピシャリとお叱りの声が飛んでくるわ。
「だから、今の俺…皇帝の弟であり皇都軍騎士団長ルーク・春樹・アースの妹でもあるんだから、ちゃんと出来るようになれルーナ」
まるで絵本の中から飛び出してきたような春樹お兄ちゃんは、まだ床に這いつくばったままだった私の腕を取り、軽々とお姫様抱っこしていた。
あの深紅の炎皇とは大違いで、とてもとても格好良いと思うわ。
「叔父上!いったい何をしているのですか!?」
良い雰囲気を壊す大きな声…どうやら深紅の炎皇が来たようだわ。せっかく春樹お兄ちゃんが格好良かったのに邪魔をしなくてもいいじゃない。
「っ、叔父上!」
何をそんなに怒っているのかしら?この男は…私は無意識に春樹お兄ちゃんの首に巻き付けていた腕に力をいれて小さい頃みたいにくっついていた。
だって、深紅の炎皇の怒鳴り声はあまり好きではないもの。
ーーー本当にこれで惹かれ合っているんだから面白いな
近いから聞こえた春樹お兄ちゃんの心の中の声は、良く意味が分からないわ。
何がおもしろいのかしら?なんて思っていると、いつかの一樹お兄ちゃんみたいに私を深紅の炎皇に渡そうとする。
「嫌よ!いや!!私は春樹お兄ちゃんがいいわ!」
私が抵抗すれば春樹お兄ちゃんは困ったように笑い、深紅の炎皇は意味の分からない顔をしているわ。とても変な顔ね。
「雅己、お前ルーナに嫌われてるなあ?どうりで一樹…いや、兄上が思うように戦略が進まないと嘆いていたわけだ」
「何の話ですか、叔父上」
春樹お兄ちゃんにしがみついている私をおいて、話は進む…どうやら深紅の炎皇とワルツなるものを今夜の夜会で踊らなければならないらしい。
春樹お兄ちゃんにさっきまで踊らされていた所と同じ位置に下ろされると、踊りを始める…先程まで踊っていた男はいつの間にか部屋の隅に移動していたわ。
そして、春樹お兄ちゃんは私の手を取って体を引き寄せる…て、さっきよりもとても近いのだけれど!?
「集中しろ、ルーナ」
さっきまで春樹お兄ちゃんがいた所のテーブルの上にある音楽を鳴らす魔道具を離れた距離からでも器用に魔力をコントロールして曲をかけている。
春樹お兄ちゃんについていく形で足を動かせば、何故だろう…床に這いつくばっていたことがまるで嘘のようだわ。私はワルツを踊れている?
「え…?何でかしら?」
「これがダンスの不思議なところだ」
この後も、春樹お兄ちゃんとのダンスは続き、私が慣れてきたところで本来のダンスパートナーであるらしい深紅の炎皇に代わるらしい。
「ルーナ、お前のパートナーは雅己だ。俺と踊れても今日の夜会ではあまり役には立たないだろうから、ちゃんと踊れるようにしておけよ」
そう言って、春樹お兄ちゃんは騎士団長の仕事があると部屋を出ていってしまった。
残されたのは私と深紅の炎皇のみ…ああ、私はこの男とダンスを踊れるようにならないといけないのね。
「叔父上に手解きを受けていたようだが、ちゃんと踊れるんだろうな?」
「あら、試してみたら?」
なんて、挑発した私はすぐに後悔することになったわ。深紅の炎皇と、どうしてこんなにも密着しないといけないのかしら!?耳元で喋るなんて卑怯よ!
というよりも、何故かしら…身体中が熱いのよ。ダンスってこんなにも体力を使うものなのかしら?
「…っ、あなたとダンスなんてごめんだわ!」
「夜会で踊るんだから、午後も続きをするに決まってるだろ?それに、お前にはダンスの才能が無いな」
「はぁ!?あなたねえ!」
抗議をしようと一歩足を踏み出した途端に、相変わらずヒールに苦戦していて…私はお決まりのように体のバランスを崩していたわ。
バランスを取り直す体力なんて、今の私にはこれっぽっちも残ってなんていないわよ?もうこのまま床に倒れてしまいましょう。さっきまでダンスができなくて床に這いつくばっていたのだから、あまり変わらないもの。
「何でお前はいつもいつも転けるんだよ?」
固い無機質な床じゃない。でも、少し固い…がっしりとした鍛え上げられた筋肉を布越しに感じたわ。
どうして?この部屋には私と深紅の炎皇しかいないのに…人目を気にする必要なんて無いはずなのに、どうして私は深紅の炎皇の胸に飛び込んでいるのかしら!?
「いつも生意気なくせに…何だよ、もうへばってんのか?」
「うるさいわよ!!」
もう、何が何だか分からなくて…目の前に深紅の炎皇の顔があるのが何故だか嫌で、私は深紅の炎皇を力の限り突き飛ばしていたわ。
「失礼します、雅己様。昼食の用意ができま…ええ!?どうなさったのですか!?」
部屋に入ってきた深紅の炎皇付きのメイドが、部屋の壁にのめり込む深紅の炎皇を見付けて悲鳴を上げているわ。
悪いのは私じゃないわ!深紅の炎皇よ!!
この後、テーブルマナーを兼ねた昼食をとり、午後も私達は今まで以上に喧嘩腰でダンスをしていて…ワルツを踊れるようになるよりも、何だかとても疲れたわ。
◇◇◆◇◇
時間は進み、いつもの部屋で私は昼間とは違う紅いドレスを着せられていた。いつものように、メイド達には“素敵なドレスですね”とか、“とてもお似合いですわ”などと言われながら着せ変えられたわ…極めつけは、“雅己様のお色をまとわれて幸せですね”などとも言われたわ。
何が嬉しいのか私には理解できないわよ。だって、紅は私の色なんたから!
「少しはマシに見えるようになっただろうな?」
支度が終わり、私は深紅の炎皇に差し出された手を取る。今夜も受けてあげるわよ!
ふ、服装だけは王子様みたいじゃない…ほんの少しだけ、格好いいなんて、思わなくもないわよ?
「おい、茶会の時みたいに夜会で転けるなよ?お前みたいな生意気な女をエスコートする俺の身にもなれ」
「ふん、決めたのは一樹お兄ちゃんでしょう?文句があるなら一樹お兄ちゃんに言いなさいよ!」
私がそう言えば、深紅の炎皇はまた妙な顔をしているわ。いい気味ねと思っていると大きな扉の前で笑う一樹お兄ちゃんが目に入った。隣には春樹お兄ちゃんの姿もあるわ。
それにしても、いったい何がそんなにおもしろいのかしら?
「どうしてそんなにもお前達はもどかしいんだ?」
「雅己、華救夜の呪いで好感度なんて気にするだけ時間の無駄だぞ」
どうやら、歩いて来る途中のやり取りを見られていたらしいわね…私が不覚にも深紅の炎皇を“格好いい”なんて思ったことがバレていないといいのだけれど。
「何なんですか叔父上!その華救夜の呪いや好感度などと言うのは!?」
そうね、私も気になる言い回しだわ。一樹お兄ちゃんもずっと笑っているし、本当に敵本陣にいるのに捕虜としての正当な扱いを受けずにいるなんて…こんな状況あり得ないわ。
「さあ、そろそろ時間だ」
一樹お兄ちゃんの雰囲気が変わる。私の敵みたいな、少し怖いと思う…子供の頃の記憶にある戦う時の一樹お兄ちゃんみたいで少し嫌だと思うわ。
「ルーナ、中に入ったらすぐに雅己とダンスを踊るように」
そう言うと一樹お兄ちゃんも春樹お兄ちゃんも先に行ってしまったわ。
この男と残されるのは、何だか嫌だと思う自分がいるのよ…どうしてそう思うのか、よく分からない自分も嫌だわ。
「行くぞ、ルーナ」
ドクリと、何故だか私の心臓は跳ねていた…いつの間にか扉が開いていて、私は深紅の炎皇と繋いだままだった手を引かれて少しバランスを崩しながら歩き出す。
「入場から転ける気か?」
うるさいわねと、言葉を返そうとした途端に大きな拍手の音がした…私は必然的に部屋の中を警戒するように見回すと、深紅の炎皇にダンスの練習をしていた時のように引き寄せられて階段を下りていたわ。
「夜会でそんな殺気の隠った目をするな」
もっともらしいことを言われて、何だか腹が立つわね。
気が付けば私達はこの広い部屋の中心に立っていたわ…私がこの状況に慣れていないのに、深紅の炎皇は堂々としていて、私はワルツを始める一番最初の形をさせられている…だから、どうしてこのダンスというのは体を密着させるものなのかしら?
ついさっきまで同じことをしていたはずなのに…こんなにも地球人が大勢いる前でやるなんて聞いていないわよ!?
「次のステップ」
耳元で囁かれた声に、内心苛つきながらも私は深紅の炎皇に言われた次のステップを間違えないように集中する。
そうして転けること無くワルツを踊りきると、次は深紅の炎皇にエスコートと言うものをされて招待されている貴族達へと挨拶回りをすることになったわ。
はっきり言って休憩が欲しいわ…でも“皇族たるもの…”って、ダンスの練習の前に春樹お兄ちゃんが言っていたから休んでなんていられないのだと思うわ。
「あら~ごきげんよう。ルーナ様」
出会いたくない地球人にまた出会ってしまったわ…少し前に深紅の炎皇は一樹お兄ちゃんと行ってしまったばかりで、私は1人で食事を楽しんでいたところなのだから。
「嫌ですわルーナ様、私をお忘れでして?」
「いいえ、憶えていますよ。ディアンサ様」
あなたの野心は霊力を制限されている月の一族の私に聞こえる願いだもの…強烈に記憶に残っているわ。
それに、今日1日で覚えたこの国の礼儀作法のできはどうかしら?
「私もあなたが忘れられませんでしたわ。ルーナ様」
そう言いながら私に近づいてくる彼女の手には、コップに入った飲み物がある…いかにも服にシミを作りそうな色のお酒。おそらく、それを私にかけたいのでしょうけど。おあいにくさま、私がそんな遅い動きに対応できないとでも思っているのかし、ら…!?
また私の足には余計な力が入ったらしく、避けるために動き出そうとしたところでヒールに転けさせられているわ。
「あらあら、ルーナ様おけがはありませんか?」
笑いが堪えきれていないわよ?少し遅れてディアンサ・ペトルが持っていたコップの中身が見事に床に転けた私の背中にかかる…くぅ、恥ずかしいし、冷たいわ。それに、集めた視線が何とも言えないわね。
何でこのヒールは!こんな大事な場面で…私って霊力がないとこうも何もできないのかしら!?
「誰か、ルーナ様に拭く物を!」
そんな大きい声で言わなくてもいいじゃない!いえ、これはわざとなのね…本当に厄介な地球人だわ。貴族って皆がこうなのかしら…だとしたら本当に関わり合いになんてなりたくないわ。
そう思いながら顔を上げられず床に這いつくばったままでいると、突然に体が浮いていたわ。
ああ、どうして助けてくれるのが深紅の炎皇なのかしら…私達は歪み合うだけの敵同士でしかないはずなのに。




