第二話 純黒の姫君に囁く(嘘の)愛の言葉
月の一族の姫にケガをさせるところだった…そうなったら聞き出せる情報も聞き出せない。まずは、おれを信用させないといけない。
考えていると、おれはふと思い出した。あの後、おれは月の一族の姫に思いっきりひっぱたかれて後ろに飛んだ…魔力が抑えられているとは言え、騎士として男として、失態すぎる。こんなことは誰にも知られたくはない。
こんなことが雅己にバレれば絶対に笑われるに決まっている…ん?これは何だろうか、さっきから何か後頭部に当たる柔らかい感触がある。
「大丈夫よ、心配なんていらないわ」
「大丈夫じゃないから言ってるんだよ!!リェナ姉!」
おれのすぐ近く、とても近くから聞こえる月の一族の姫の声と…あともう1人は誰だ?男の声だと思うが、まだ声変わりの途中か。
いや、待て…この状況はもしかしてアレか、この感触は月の一族の姫の太股におれが寝ている!?
「この人は、“悪い人”ではないのよ」
「はぁ?悪い人じゃないとか、リェナ姉は何言ってるんだよ?」
「どうしてかしらね?妙に確信があるのよ。不思議ね」
月の一族の姫達はいったい、何の話をしているんだろうか?と言うか、こんな危なっかしい感じの姉がいたら彼も大変だろう…敵である彼の言葉に同意したくなる。
だが、おれがこのまま寝ていた方がいいのか、悪いのか…起きるタイミングが分からない。
「いつまで寝たふりをしているつもりだ?」
気付かれていたか…おれは月の一族の姫に向けて微笑みかけながら体を起こした。
すべてはここからできるだけ情報を得て脱出するために。純粋そうな月の一族の姫には悪いが、利用させてもらう。
「ありがとうございます、純黒の姫君」
おれはそう言いながら月の一族の姫の手を取って彼女の視線を奪う。皇族として、皇子として、誰の目にも勇敢に美しく映るように教育を受けているのだから…1人の姫をおれの虜にして心を奪うくらい簡単にできる、はずだ。
「ぅ、え!?」
「可愛らしいお顔ですね、頬が少し赤いようですよ」
甘い言葉を囁いて、皇帝譲りの出来の良い顔を格好よく見える角度で月の一族の姫に見せればいい。おれに落ちない女なんていない、と雅己みたいに言えればいいが…それでもおれはアース皇国の第三皇子に生まれた。自信はある。
「純黒の姫君」
「っ!?…え、と…」
まるで婚約者に囁くようにそう呼んで、おれはもっと月の一族の姫に距離を詰める。おれみたいな悪い男にそんな表情を見せるなんて…やっぱり、この男に全く免疫の無い初心なお姫様は、簡単におれに情報を喋ってくれそうな気がする。
そう思っていると、月の一族の姫との間に入ってこのおれを睨み付けてくる弟がいた。
「離れろ、そんな距離で話す必要なんてないだろ」
「おっと、これは失礼しました。姉君をおれみたいな男に取られるのを心配しているのですか?」
「はあ!?」
彼はおれに警戒し、本当に嫌そうな顔をしている。さっと月の一族の姫を背に隠す判断は悪くないが…おれにとっては邪魔でしかない。
「お前こそ、自分の立場をわきまえたらどうなんだ?」
「こんなに可愛らしい姫君がいたら、声をかけなくては失礼になるでしょう?」
本当に、おれは何を言っているんだ…雅己じゃあるまいし、いつもなら女性を口説いたりなんてしないのに。夜会でも貴族の令嬢の相手をするのですら政治派閥とかが絡んできて面倒なんだ。第三皇子でも結婚相手なんて自由じゃない。好みじゃない婚約者候補ばかりで、この状況下ときている。
それに、やらなければならないとは言え…今口説いている目の前の彼女は、姫は姫でも敵陣営の姫君だ。
「はぁ!?リェナ姉が可愛らしいとか、何を見て言ってんだよ!」
今にも殴りかかってきそうな勢いで弟は言う。おれも言い返そうとした時、今まで可愛い百面相で弟の後ろに守られていた月の一族の姫が前に出てきていた。
「ちょっと、紀里弥!それじゃあ私が可愛くないみたいじゃない!」
「ちょっと、リェナ姉は黙っててよ」
「うるさいわね。今すぐ“リェナ姉はかわいい”と訂正しなさい!」
「は?今はいいだろ?」
「お姉ちゃん命令よ!」
やはりそこは女性が気にするところなのだろうか…と言うより、何だか目の前で姉弟喧嘩が繰り広げられているらしい。
ある意味…月の一族の姫の監視は弱まっている。と言うべきか…逃げるだけなら今がチャンスかもしれない。だが、月の一族の情報も欲しいと言えば欲しい。
「疾風の氷皇、逃げようなんて考えるだけムダだ。リェナ姉は今この家にいる月の一族の中で1番強いからな」
まだ弟に怒っているらしい姉を、文字通り力ずくで静止している弟はそう言うが…おれは余裕のある風な笑顔を返した。
そう言えば月の一族の姫にも“疾風の氷皇”と呼ばれていた気がする。月の一族におれはそんな風に呼ばれているのか…何だか恥ずかしい呼び名だ。
「君こそ、純黒の姫君をそのように扱うのをやめることだ」
男女差の力で負けている月の一族の姫を助ければ、彼女はおれを今よりも信用してくれるだろう。
おれは弟の腕を掴み、月の一族の姫を彼の手から解放した。最後に優しそうな顔で微笑めば…って、くそ、何なんだよ?その赤い顔は。
「痛むところなどはありませんか?純黒の姫君」
「ええ、大丈夫です…」
おれの動揺は隠せているか?…本当にこの月の一族の姫は敵であるおれに、どうしてそんな顔ができるんだ…?
ーーー「お前達は幼き頃から惹き合うている」
月夜の神である華救夜の声が、おれの頭に浮かんだ。それと同時に、月の一族の姫はおれを上目使いで見上げてくる。
うそだろ、どうしてこんなにもおれの好みなんだ…相手は月の一族の姫だ。敵でしかないんだ。
「そうですか、良かった」
月の一族の姫におれはどう映っているのだろうか…おれの心と言葉はどこまでも真逆に感じる。
さて、落ち着け。ここは敵の本拠地なんだ。月の一族の姫はどうとでもなりそうだが、他の兄弟には要注意だ。




