2. キツネのコン太
“逆さ虹の森”。あの大水が引いた日以来、何事もなく、すくすくと育つ森の木々。もう、あの時の傷跡なんて、今では、それを目的に探さなければ見つからないほどに、美しい森となっている。
初冬の朝。冷たい大気が暖かい地面に触れて霧が立ち込めている。それが焦りで緊張して乾いた喉を優しく潤してくれる。枯れかけた下草の露が冷たい。それも、思考で火照った、今の身体には気持ちが良い。
今後もいてもらいたいから、パーティに招待する。その考え自体はとても良いと思う。だけどそのために、僕が“逆さ虹さん”を連れて来ることとなった。
「どうしたらいいのだろう。コマドリのチッチが困った顔をしていたから、気持ちが楽になるかなと思って、即座にプレゼントをすることを提案したんだけどね。まさかこうなるとは思わなかったなあ」
キツネのコン太は、その朝露の雫が付いた枯れかけの下草をかき分けながらそう呟いていた。
キツネのコン太は、仲間内では最年長で、“お人好し”。そう。これには、他人に優しくて優柔不断という意味合いが含まれる。
それで、手の届かない空の上に見える“逆さ虹さん”を連れて来るという、具体的にどうすればいいのか分からない、大変な役割を背負ってしまっている。
なので、朝早くの森の中を散策しながら考えている。だけど、それこそ雲を掴むような話。どうやら、考えあぐねて途方に暮れている模様。
- どんぐり池 -
「あ」
キツネのコン太が、気づいた。
「そうだ。森の奥にあるといわれる、どんくり池があるじゃないか。その池には、どんぐりを投げ入れると願いが叶うという噂がある」
必要な時だけの頼み事は良くないかもしれない。だけど、考えてもどうしょうもないことだってあるんだ。よし。行ってみよう。できることからやってみようじゃないか。そこから何かしら解決の糸口が見つかるかもしれない。
仲間のみんなのために必死だからとはいえ、珍しく、自らの行動の決断をして、すぐさまその決断を実行に移したキツネのコン太。
そう。彼は、森の奥深くに分け入り、話に聞くどんぐり池へと進んで行った。
途中で、うねうねと木の根がうねる根っこ広場があった。ここは養分が豊富な土が少ない岩場だからだろう。本来は地中に潜るべき主根までが複雑に枝分かれして地上に露出している。
さらには、不足する栄養や水分を求めて、木々の幹や枝から飛び出た茶色の気根が、空中の根として長く垂れ下がっていた。木々たちにとっては必要でそうなっているとしても、その見た目はとても不気味だ。
その不気味な雰囲気からかもしれない。そこで嘘をつくとその根が絡まって捕まるという噂まである。だけど今のコン太には、つく嘘何てない。それでそうだったのかは分からないが、コン太は何事もなく、その広場を通り抜けた。
そうして、しばらく森の奥を進んでいくと、例のどんぐり池が垣間見えた。近づいていくと、とても綺麗な水を湛えた素晴らしい池だった。
そう。その池には寒くても鬱蒼と茂る羽毛のように細い葉を持つ木々の狭間にある。ここにも気根が変形した直立膝根が立ち並び、一種の神秘的な異様な空間を醸し出していていた。それらの木々は、普通なら、冬に落葉してもおかしくない沼杉の木だ。
池の水面を見れば、薄く靄が立ち、冬の優しい日差しが乱反射をして、きらきらと輝く。そして池の中心の底の方から、湧き水がこんこんと湧き上がっていた。
この湧き水が、一定の水温だからだろう。こんな寒い日の水中に可憐な白い花が咲く梅花藻が揺蕩っていた。
どんぐり池の水が綺麗なのも、この湧き水のおかげだ。
その湧き水がどんぐり池の水面に同心円状の波紋を描く。そして溢れた水が一筋の小さな川となってちょろちょろと流れ出ていた。森の奥にあるこの小さな川が、やがては、あのおんぼろ橋がかかる大きな川となる。
このどんぐり池の周辺は、湿地帯で水で浸されているからだろう。ブナ科の樹木、いわゆる“どんぐりの木”は生えていない。
仮に生えていたとしたら、今の時期であれば、その実のどんぐりは、この周辺の地面にたくさん転げ落ちているはずだ。だが、その木がないどんぐり池の周辺には、どんぐりが落ちていない。
キツネのコン太は、幸いにして、どんぐりの実を持っていた。
通る途中のまだ見知っている森で、お願いをするのだからと、できるだけ大きくて整った形をしたどんぐりを選んで拾っていた。
コン太は池のすぐ近くまで来た。天然の石が、まるで飛び石のようにあって、池のすぐ近くまで、楽に来ることができた。
そして、持って来たどんぐりを、想いを込めるようにして両手で握りしめる。
「どんぐり池さん、どんぐり池さん。どうか僕の願いを叶えてください」
キツネのコン太は、それこそすがるような思いで強く願って言い、選んで拾って来たどんぐりを複数、池の中央へと放物線を描いて優しく投げ入れた。
ぽちゃりと音がして、どんぐりは浮き上がりもせずに沈んだ。