74話 微睡みの空
──痛い、熱い、寒い、このまま意識を手放してしまえればどんなに楽だろうか…
「痛い痛いイタイイタイイタイ!」
──痛みがそれをユルシテクレナイ、苦痛ガ私ヲ狂ワセル。
「手足をちぎって動けないようにしてから封印する、そうすればこの星は滅ぶことも無い」
その言葉はどこか、自分に言い聞かせるようなニュアンスを含んでいた。
右手の鎌が振り上げられ、無慈悲に振り下ろされる、李彩音は目を瞑り、その時を待つ、だが、その時は来ない。
恐る恐る片目を開くと、立つことも不可能なはずの男が鎌を抑えていた。
「…なん、で?」
「……惚れた女、目の前で傷つけられるのを黙って見てられるような男じゃないからな」
ボロボロの身体、まともに繋がっている神経もほとんどない状態、その上真祖の攻撃を止めている、それはもう人間という枠を超えたナニかだ、精神論や魔力、スキル、そのどれでもない、李彩音の知る限りそんなスキルはないし、作った覚えもない。
『自己進化』
数千の同じ魂の集合体、それらが同じ方向を向いた時、奇跡とも言える確率でそれが発生した、名をつけるのなら”ヒト”純粋な神が作り出した人類の原点アダム、それと同格の存在、だが、それだけだ、別段強くなったわけでも、特別魔力が強化された訳でもない、一つスキルが追加されただけだ、それは『守護熾天使』、これによって雪乃の傷は治り、後ろに護るべき対象がいる場合のみ絶対の強さを誇る。
「…ククッ、流石ユキノだ、俺の前に立つとはな」
「なぁ、戦う必要はないだろ、やめないか?」
消え入りそうな声で雪乃は問いかける、だが、答えなど決まっている、ハスディアは自分で決めた道を進む、雪乃と同じように、それがたまたま雪乃の信念とぶつかってしまっただけ、どちらも望むのは平和、だが、それに至る道が違う、だから衝突せざるおえないのだ。
ハスディアの羽が横一線に全てを薙ぎ払う、雪乃は飛び、回避し、肉薄する。
「……分かった」
杖の下、そのギリギリをつかみ腕をしならせるように打ち上げる、そのうち上がった頭を飛騨りてで掴み下に引下げ無防備になった顎に膝蹴りを叩き込む。
”煌月流 裏 剛の型 遠雷”
流れるような動作でハスディアの頭を蹴りたげた足で地面に下ろし、後ろに周り肩関節を極める、
”煌月流 裏 柳の型 時雨”
と、同時に関節を外し、左脚で沈んだ頭を蹴り飛ばす。
雪乃の杖術の才能、それは多種多様な技を繋ぎ合わせ、なおかつその繋ぎ目がほとんど無いことだ。
優勢なのは雪乃、だが、その心には迷いがあった、葛藤があった、仲間に刃を向けるのは、心苦しい、どんな事よりも辛い。
だが、それはハスディアも同じである。
(手加減している余裕なんてねぇ…)
焦り、迷い、決断した。
魔力を両手に溜め、放出する、魔法とは呼べないが威力は絶大、だが、当たらないのなら威力は関係ない。
「スゥー」
雪乃は深く息を吸い込み、力を込める、そして、吐き出すとともに踏み込んだ、地面を砕くような踏み込みは足首を通り膝へ、膝から腰へ、腰から背中へ、背中から肩へ、肩から肘へと加速し伝達される。
杖の先はハスディアの喉の下、胸部の中心を突きへこませた。
”煌月流 裏 剛の型 石突”
「ッア…!?」
振り払うようにハスディアは大鎌を振るう、しかし、力が込められていないため簡単に止められてしまう。
雪乃は杖を正眼に構え、ハスディアの左肩から右腰にかけて全力で振り抜く、その際『ヤマブキ』に組み込まれたギミックの氷刃を発動させた。
”煌月流 裏 剛の型 煉月”
刹那、雪乃の首筋には大鎌の刃が当てられた、皮が切られ、血が出るが、ギリギリで回避する、あと数コンマ遅ければ首を落とされていただろう。
回避の勢いを殺さず、左脚でハスディアの頭部を蹴りつける。
雪乃は大鎌の柄を掴み遠心力を加えて頭頂部に右足のかかと落としを食らわせた。
間髪入れずに下にさがった左足をハスディアの顎にむけて打ち上げる。
”煌月流 裏 剛の型 顎 上下”
雪乃は杖の構えを解き、無駄な力を抜き自然体を作り出す。
ハスディアから見ればそれは大きな隙だ、一片の容赦なく鎌を袈裟懸けに振り下ろした。
(馬鹿な…! 今のはタイミングも体勢も、避けれるものじゃないだろ!)
しかし、二つに分かつはずだった刃は空を切り、鎌が地面に突き刺さる。
”煌月流 裏 柳の型 霞”
次の瞬間ハスディアの腹部に鋭い痛みが走る、人体の急所である鳩尾、人間であれば横隔膜が上がり肺に溜まった空気を全て放出し、次の空気が取り込まれない可能性すらある場所だ。
”霞 一刺”
雪乃の攻撃はそれで終わりではない、次は喉、めり込んだ杖の先から、コヒュ、という空気の抜ける音とともに血が吹き出す。
”霞 二刺”
返す手で顎を下から打ち上げる。
縦回転の加わった杖はハスディアの顎を砕いた。
「ッ、ペッ」
口の中に鉄の味が広がる、舌で歯に触れられない場所が数箇所、口に溜まった血を吐き出すと、なんらかの固形物が地面に放り出される。
人間であれば、戦闘の続行は不可能に近い、いや、不可能だと断言してもおかしくはない状況だ、
胸骨の骨折、
下顎骨は粉砕骨折、
右上腕骨中部のヒビ、
左鎖骨分断骨折、
などなど、表すのならこれでも足りないぐらいの損傷具合、だが、ハスディアは人間ではない、人間と同じ造りはしているが、身体能力や回復速度、どれをとっても人間とは比べ物にならない。
持てる魔力全てを回復に回し、損傷部分を回復させる。
(20、19、18)
武術化である雪乃が隙を逃すはずもなく、後ろに回り込み、こめかみに向かって杖を振り払う。
”煌月流 裏 朧 一閃”
まさに閃光、雪乃が視界から消えたと思った途端こめかみに鋭い衝撃が走り、一瞬意識が飛んだ。
(16、15…)
次は目の前が白く染った、顔の中心から広がる痛み、いや、痛みと形容していいものか、それほどに鈍い痛みが発生した、ほんの少し痛みを紛らわそうと顔に手を当てた、はずだった、動かしたはずの腕は地面に横たわり、赤黒い液体を垂れ流していた。
防戦一方、そうとしか表せないほど戦況は悪かった、ハスディアがどんなに鋭い攻撃を放っても、最早カスリもしない、意表を突いたつもりでもそこに攻撃が来ると知っているかのように対策されてしまう。
加護スキルの”攻撃予測”の精度が尋常ではないほど上がっているのだ。
勝負がつくのは時間の問題だ、そう、雪乃は思っていた。




