71話 幻想曲第五番〈guilty〉
少女は夢を見る、想い人への思いを馳せ、長い眠りの中へと落ちてゆく。
──私が、彼に惹かれたきっかけってどれなのかしら…
思い返せば十前後はあげられる、だが、特にこれ、といったものは少ない、なぜならその全てが特別なのだ、彼女にとって初めての経験ではあるが、それでも、むしろ、それを差し引いても、ほかの男が彼女と付き合っていたとしても、全て覆すほどに。
──たしか、最初は… 通学の電車、だったかしら… ふふ、今思えば、一目惚れってやつね。
雪乃は顔立ちも平均よりは整っており、背もそこそこある、服装が平凡すぎる事に目をつぶれば好青年である。
──彼を最初見た時、見惚れてしまった、運命って言うのかしら?
◇◆◇◆◇◆
その日はたまたま、電車に遅れがあり、たまたま、人がいつもより多かった、そして、たまたま、李彩音が人に押され、バランスを崩して、線路に落ちた。
それを見かけた一般人が線路に飛び下り、李彩音を抱えホームに戻そうとして、ブレーキをかけ始めた快速急行が二人を物言わぬ肉塊へと姿を変えた、スプラッタな光景に、それをまじかで見た者達は胃の内容物をまき散らしてしまった。
わずか数秒で未来明るい若者二人が命を奪われた、もちろんこの話がたったそれだけで終わるほど簡単なものでは無い。
──線路に飛び降りる動作に惚れた、
こっちに向かって走ってくる姿に惚れた、
私に手を差し伸べてくれた事に惚れた、
「心配すんな」と優しく言った彼に惚れた、
決して軽くはない私を抱き抱えた彼に惚れた、
電車が来ても一人では逃げ出さなかった彼に惚れた、
絶対に助からない状況でも決して諦めなかった彼に惚れた、
衝突の瞬間私を庇うように抱いた彼に惚れた、
もう助からない、と知った時に私に向けた表情に惚れた、
それでも私を助けようとしてくれた彼に惚れた、
だから私は彼に笑顔を向けた、死ぬ直前に、死んだ後も、ずっと彼に向ける表情は笑顔だけ、そうしないと私はきっと壊れてしまう、彼の為に100億以上の命を奪った私に押し潰されて。
後悔、とは違う、やった事に対しては何も思わない。
懺悔、とも違う、自分のおこないを責めるつもりは毛頭ない。
ただ、盲目だった、とは思っている、後悔したから懺悔したい、ではなく、ただ、目的のためにどんだけ私は殺してきたんだ、と、自分でもその盲目に呆れていた、ただ、たった一人、されど一人、彼女にとって何万何億よりも価値のある一人、その正体は紛れもない、善人だ。
──私を人として見てくれた初めての人…
李彩音は過去に虐待を受けていた、過去形なのはその親もその100億に含まれるからだ、学校に居場所はなく、姉もどこかへ行ってしまった、その他の有象無象などただのモブzのようにいてもいなくても変わらない存在だと思っている。
そんな中、自分が死ぬかもしれないという危険を孕んだ行為をしたバカがいた、そのバカは紛れもなく、正義感の強い無力で自分の事などまるでどうでもいい、頭のネジが緩んだ人物なのだろう、何も知らない他人のために自分の命を投げ出すなど常軌を逸している、でも、その行為が一人の少女を救った、世界という闇に光を指し示したのだ、李彩音にとって雪乃は月だった、都会の明るい夜空にある遠い窓、そこから明るい兎がこちらを覗く、そんな詩のような存在。
──彼が見る世界に私はいなくていい、だけど、私が生きる世界に彼は必要不可欠なの、絶対に。
決して揺らぐことの無い心、もう迷わない、迷っては行けない、どこへも、これ以上世界を見ることすらも出来なくなってしまうから。
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断罪の槍 ”ロンギヌス” 善悪に限らず、罪と断定したものを貫き、死を確定させる聖槍、そして、もう一つ、罪の数ほど痛みや苦痛が増す、死は罪である、そう考えるなら、転生は、記憶や感情を残したまま新たな輪廻へ加わる、それは、紛れもなく罪だ、ならば雪乃の罪、それは━━━
『死』
そして
『生』
人ならば必ず通る道、それが、罪、ならば雪乃は、いや、十六夜雪乃という人間は、数えきれない大罪を少女によって被せられていた、罪ならば、赦さなくてはならない、罪ならば、救わなくてはならない。
罪を許すのは、力を持った一人の少女に他ならない、世界を狂わせる力を持ち、数万の時を過ごした少女。
ぼやけた視界には、体の至る所が欠けた青年がいた、両手を広げ、李彩音を庇っているのが映る。
ボタボタと鮮血を人差し指の付け根から垂らし、太腿には銀色の槍が貫通していた。
「あ… あぁ……」
血の気が引くのが分かる、四肢の末端が冷たくなり、鼓動が早くなる。
疑問よりも、不安よりも先に、後悔が頭の中を駆け巡る、もっと早く目覚めていれば違ったのかもしれない、リズムの心境を知っていながら、さして問題は無いだろうと放っておかなければこんなことにはならなかったはずだ。
李彩音が雪乃を呼んだ時、既に李彩音の能力はほとんど星全土へ譲渡し終わり、残ったのは三つのスキルのみ。
『万物干渉』
『反射』
『運命之神』
もうひとつは、真祖”ハスディア”に奪われた、いや、与えた、の方が正しいだろう、イレギュラーは一つだけ、リズムの真祖への到達、それだけだった、真祖へと至る可能性はあったもののそれはあくまでも”可能性”だ、小数点以下切り捨てなら0と考えても問題ない、いくら李彩音が運命を操れたとしても、これはもう変えることの出来ない、悪夢、だ。
悪夢ごときが少女の夢を潰す事は出来ない、目の前の現実が辛いなら、変られないのなら、足掻いてみせる、たとえ私が死んでも、どんな痛みを与えられても、その人だけは殺させない。
──これ以上あの人を傷つけさせない!
力を象徴する剣は”光を与え闇を斬り伏せる”
白と黒、相反する二つの色が混ざり、両刃の大剣を作り出す。
魔力を象徴する翼は”火を与え風を司る”
烈火のごとく燃え盛る翼が左に七枚、竜巻のように螺旋を描き七枚の翼のように背中に現れる。
守を象徴する盾は”水を与え土を潤し木々の繁栄を司る”
濁った茶色に緑の線が入った小さな盾、星の生命力を体現した盾は欠けることも敗れることも有り得ない、最強の盾。
この世界は人が人を捨て、神となり、己の身勝手で生まれ変わらせたワガママの道楽、だが、その世界の中心はたった一人の大きな恋心、それは、盲目で世界の事など何も見てはいなかった、それが現実を見た時、ようやく一つの歌が完成する。
それは、幻想のように儚く、美しく、それでいて、とても力強かった。




