69話 幻想曲第三番〈angel〉
一歩、また一歩と音を立て近づいてくる、敵が、死が、闇が、耳障りな甲高い音を立てて。
(殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すコロスコロスコロスコロスコロスkォロs)
苛立ちがリズムの脳内を埋め尽くす、感情が闇の魔力に変わり、溢れ出し人型の泥を作り出した。
ぐちゃぐちゃと水っぽい音を立て崩れては再生を繰り返す。
─っ!? やべぇやべぇやべぇやべぇ! なんなんだよアレ!?
根源としての恐怖、人ではない、いや、生物としてありえない構造をしたソレはゆっくりとだが、こちらに近づいてくる。
既に雪乃の作戦は失敗している、どちらかと言えば、もう成功する可能性がゼロになった、の方が正しいだろう、今の雪乃では、いや、数多のパラレルワールドに存在する”十六夜 雪乃”という存在、そのどれでも、相手にならないだろう、まぁ、さしたる問題はないのだが。
如雪乃がもたれかかっていた壁が崩れ、後ろに倒れ込む。
「静かに」
驚きで声が出そうになるのを細く華奢で紫の手のひらが制止する。
「お嬢を連れて玉座まで走って、無理だろうけど、時間は稼ぐ」
雪乃をアルゴが突き飛ばし、魔力で武器を作り出す、白く、眩い光を放つ槍。
太陽のように輝き、月のように美しい、銘を”聖槍 ロンギヌス”長さ2m程で華美な装飾などされていない天聖叢樹と聖魔銀のみで作られた槍だ。
「槍に聖釘を 羽根作る聖骸布 掴め永遠の安らぎを 善悪に限らず断罪せよ 三度訃げる 解放せよ 解放せよ 解放せよ 天使の白道」
紫の義手にヒビが入り、崩れ落ちた、その内側から純白の羽が生え、新たな腕を作り出す。
背中からは白鳥のような羽が九対、黒髪の上には白銀のリングが現れた。
「ィ、ツぅ、はぁ」
ため息とともに、槍を構える、腰は低く落とし、右手で槍の端を持ち、左手には小さい盾が装着されている。
対峙する天使と悪魔、どちらも李彩音の感情から作られた。
自分を見捨てて逃げた姉や、何度やめてと叫んでも殴り続けた父への怒りと憎悪などの負の感情からリズムが作られ、そんな地獄へ己の身を省みず手を差し伸べた雪乃への感謝と尊敬、恋心などの正の感情からアルゴが作られた、正と負、光と影、陰と陽、どちらかがあるからこそもうひとつがある、互いに均衡が取れていないと壊れてしまう、だからこそ二人にはアルティメットスキル”秩序神”が李彩音によってさずけられている。
音速の踏み込み、亜光速の槍がリズムの脇腹を抉る、防御は間に合わない、いや、今のリズムには防御や策略などの概念は消失している、槍先はなんの抵抗もなくするりと腹を貫通した。
「コrス」
先程まで崩壊と再生を繰り返していた泥が乾き、本体と遜色ないほど精巧な人形になる、その数十数体。
アルゴが空へ飛び立つ、頭上には太陽が煌めいている。
「聖域の骸布よ、悪を浄化せよ」
そう呟き、羽を広げる、薄く、まるで硝子か水晶のように太陽光が透き通り、一箇所に収束していく。
九対十八枚の羽は限りなく円形に近い形を生み出し、通過した光を異質の光へと変え、地表を溶かす程の高温を生み出した。
だが、通じない、リズムの魔力は『第10属性 虚空』有って無い、そこにあるはずなのにそこにはない、触れれるようで触れない、ヒラヒラと舞う羽を掴もうとしても掴めないような、ある意味それの最上位、光、水、なんであろうと干渉することが出来ない魔力、李彩音の生み出した最強の魔力。
本能のままに振るうだけでも十分な天災だ、地面は削れ、大気は揺れ、空間は無くなる。
「チッ、聖槍よ我が腕喰らい敵を貫け”ロンッ ギヌス”ッ!」
槍による投擲、天使としてのアルゴ最強一撃、代償として投擲に使った腕は引きちぎれてしまうが、今のアルゴならば問題は無いだろう、むしろ、武器を手放してしまう方が問題だ、いくら投擲後に戻ってくるとしても僅かなタイムラグが発生してしまう。
たかだか数秒、されどその数秒は命取りになってしまう、いくら”反射”が出来る盾を持っていようと虚空で攻撃されてしまえば反射はできない。
投擲された槍は呆気なく虚空に飲み込まれ、黒い風がアルゴを襲う。
(なッ!? ロンギヌスは聖槍だぞ!? んな簡単に消されてたまるかよ!)
無駄だ、全て、抵抗も、奇襲も、武器も、全て全て全て、なんであろうと勝てない、虚空には、あってないそれには何者も触れることすら出来やしない。
虚空という魔力の膨大な情報量、たった1cm四方の空間ですら、解析するのに最高峰のスーパーコンピュータを使っても1年はかかるだろう、それが1秒間に数百回形を変える、無限と言っても過言ではないほどに解析は難しい、解析をしなければ対策することすら不可能だ、対策できないということはモロにダメージを食らうことになる。
(くッ!? 魔力全開放、あぁ!? 全く対応できねぇ! 『第二神格霊装 イバラの冠』限定解放!!)
羽が変化し、茨を作り体を覆う、激痛が体を走る、神経に直接棘が刺さっているかのように熱く、熱した鉄を押し付けられているかのような、いかなる言葉ですら例えることの出来ない魂への痛みが全身へと届けられる、最早原型を止めているのかどうか分からないほどに痛みは激しくなっていく。
全身全霊をもってアルゴは虚空を解析するの、そして、その情報を何としてでも李彩音、雪乃のどちらかに届けなければならない、その二人が、アルゴが知る中で唯一コレに抵抗できる可能性を持っているからだ。
もっとも、雪乃に対しては少し事情が違う、好意、なのだろうか、少なくとも不快には思っていない。
そんな事は置いておく、リズムの攻撃はアルゴもろとも突き抜け、通過した。
「ゼー ハァー ハァー」
ボロボロだ、いや、ボロボロと言う言葉すら追いつかないほどの負傷、最早なぜ生きていられるのかが信じられないほどの傷だった、足はもげ、防御体制を取った腕の骨は折れ、辛うじて皮一枚で繋がっているという状態、胸に至っては皮が剥げ肉は消し飛び、肋骨が外から見えるほどに削れている。
「1%ってか? ふざけてんなぁ、ホント……」
上空から重力に従って落下する、次第に加速していき、地面に到達した、通常であれば赤い花が咲く高さだが、辛うじてアルゴは生きていた。
リズムはもうアルゴに対しては攻撃する意思はない、情がでてきた、とか、やっぱり仲間だから殺したくない、とか、感情的なものでは無い、どこから見ても勝負は着いた、なにも手を下すまでもなく、アルゴは死ぬ、これ以上の追撃はリズムの体力を悪戯に減らすだけだ、合理的な判断と言える。
(分かったのは、何も無い、って事か、時間、稼げたかなぁ)
自分の体がマナに分解されていくのがわかる、痛みはない、当たり前だ、もう、痛みを感じる機能すら壊れているのだ、残り僅かな灯火、どう足掻こうと、結果は変わらない。




