60話 雪の記憶と
─ここは?
青年は、いつか見た夢のような場所に立っていた。
都会にある河原の河川敷、緩やかな風が草を揺らす。
─東…京?
懐しい、青年はそう思ったはずだ、一度死んだ筈、それなのに、生きて風を感じる、都会のガスの匂い、普通であれば嫌うものだが。
「また会ったわね」
青年の後ろに少女が立つ、高校の制服に黒髪の、どこにでもいる何の変哲もない女子高生、だが、青年には見覚えがあった、穏やかな立ち姿とは裏腹に魔王という立場にいる女。
「…榑石」
「よく覚えていたわね」
「偽名じゃ、無かったんだな」
「ええ、貴方には知っていて欲しかったから」
「…何の用だ?」
「はぁ、分からないのかしら? 女子にはただ話したい時ってあるのよ、…そういえば前はもっと幼かったけれど、覚えているかしら?」
「覚えている、あの時は誰か分からなかったが、お前だったとはな」
「そう、少し、お話しましょう?」
李彩音は雪乃に手を差し伸べ、雪乃がその手を掴む、曇天の空が晴れ、太陽の光が差し込む。
少し歩き、誰も居ない公園のベンチへと腰を下ろす。
「私はね、貴方に救われたの」
「…それが俺には理解出来ない、救えなかったじゃん」
「人生に疲れてたの、私」
李彩音は困ったように笑いをうかべ、続けて、
「父には殴られた、姉は居たけど何も言わなかった、私が殴られても、煙草の火を押し付けられても、何も、言わなかった」
と、苦虫を噛み潰したような表情で語った。
「でも、頑張った、バイトして、一人暮らしできるように、あの親から離れる為に、でもね、私、運が悪いの、バイト先の店に車が突っ込んできて、それで右手を骨折したの、右手は私の利き腕、全治二ヶ月、栄養も足りなかったのでしょうね、まぁ、これが夏休みとかなら問題は無かったでしょうね、それが起きたのが十一月、三年の後期試験のだいたい一ヶ月前、一ヶ月で指が動くようになったから試験は受けたわ、まあ、その日から使えるようになったようなものだから勉強も出来てない、赤点を取ってしまったの、当然よね、父はそれを理由に私を殴った、姉は家を出てったから、父と二人暮し、地獄、今まで生きてきた17年間で一番の地獄、だから、楽に、なりたいな、って思っちゃったの。
だから、線路に落ちた時、あぁ、これで楽になれるって、あの父からやっと解放されるって、でも、死ぬんだったら、せめて恋、してみたいな… って、そしたら、あなたが私の為に、自分の安全よりも、私を取ってくれたあなたが、手を差し伸べてくれた、私は初めて人の優しさを目の当たりにした、必死に、私なんかの為に、他の人は見て見ぬ振り所か、人が死ぬ所を見れる、って気持ちだったと思う、だから、貴方は、私の王子様、哀れな私に差した一筋の光明」
淡々と、しかし、雪乃に関係するところは心做しか気持ちが入っている。
「………そう、か」
「だから、私は何も知らない貴方が好き、貴方のことを何も知らなくても、あの時助けてくれたのがただの気まぐれでも、私は貴方を好きでいたい、だから、死んだ時苦しかった、初めて、他人の事で泣きたいと思ったわ」
「…俺の名前は十六夜 雪乃、誕生日は三月十四日、好きな食べ物は肉と甘いもの全般、あとは…」
「ふふ、ありがとう、でも、そこから先は、本当の私と会ってから、玉座に鎮座している魔王の私と会ってから、我儘だけど、許して欲しい」
「…俺は、死んだんじゃないのか?」
「貴方は死んでない、正確には一度死んだ、けれど生き返る、私の手がけた最高作のベルゼジアの体で、もちろんあなた本来の体に近づけてあるわ」
「…」
「理解、出来ないでしょうね、私が貴方にかける情熱、もう、狂気に近い、と、思う、私は貴方のために、いや、貴方にもう一度会うために、私が何をしでかしたか、どんな罪を犯したか」
悲しい笑みを浮かべ李彩音はそう嘆いた、いくら雪乃のことを想っていても、いくら雪乃が李彩音の全てでも、世界を改変する必要はあったのか、73億人もの人を全て殺す必要はあったのか、例えば、Aが世界で最も重要でもそれ以外全てを犠牲にしていいはずが無い、だが、李彩音は犠牲にした、一人のために、世界を改変した。
◆◆◆
李彩音 享年17
もし、線路に落ちなければ国の最重要人物になっていた人、そのような運命を定められた。
ならば何故、李彩音は死んだのか?
世界とは選択肢が無数にあり、その後に事象が伴う、選択でaを選んだ世界とbを選んだ世界、どちらも存在する、それこそ星の数ほどに、可能性が世界を作る、それらから弾き出された結末は、消滅。
しかし、いくら平行世界があろうと、絶対に起きてはならないことがある、代わりの居ない人の死、その場合、神がその者を転生させる、二度と死なないように、慈悲をかけて。
だが、李彩音はそれを拒んだ、最高神であるゼウスの願いを、尽く理由をつけて断った。
ゼウスは、
「強情じゃなぁ、はぁ、分かった、二つ、お主に権限を与えよう」
と、呆れたようにそう言った、転生には本人の意思がないと成功率が下がる、無い場合記憶や運命も無くなり、輪廻の輪にかえる。
そして、権限、とは、神の理を無視できる唯一のもの、いわゆるチート、と言うやつだ。
通常であれば神の与えた試練をクリアしないと得ることが出来ない。
「一つは干渉、文字どうり事象に干渉が出来る、まぁ、自分が触れたもの、それの構造を完全に熟知していた場合のみじゃがな、二つめは、そうじゃなぁ、どんな物が良い?」
「悪霊や、そういう神秘的な物を閉じ込める力を」
「ふむ、つまりは、魔封じ、か、構わん、使い方は──」
そして、最悪が、誕生した、与えられた二つの権限、干渉で魔封じを改造、神秘封じへと、その権限でゼウスの力を奪った。
(まずは、転生ね、やり方…は大丈夫、ゼウスの力なのか全て分かる)
自分の力を改変、そして、ほかの神々すらも、スキルと言う形に封じ込める。
神々のいる天界、そこにはもう、李彩音しか立っていなかった。
天界の中心には神殿がある、そこから、我々のいる下界を眺めることが出来る。
そこから見る景色は、いつもと何ら変わらない、ありふれた日常、李彩音が死んだ事を嘆く者はいなかった、孤立した人、孤独、独り、それなのに、李彩音は悲しむ素振りを見せない、姉も、父も、学友でさえも、いつも通りの日常を謳っていた、ただ一人、空だけが泣いていた。
(本当に私はこの世界で生きていたのかしら?)
そんな思考を振り払い、李彩音は世界から人を一人残らず根絶する。
誰も居ない世界、つい30秒前までは人が歩いていた歩道は誰も居ないただの地面へと変わった。




