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第30章 新しい日々の始まり

第30章 新しい日々の始まり


 静まり返った広場で、星羅は自分に抱きつく少女の体温を感じながら、そっとその頭を撫でていた。重い空気が5人を包んでいるが、誰もがこの後のことを考えると口を開けないでいた。

「この後のことだけど・・・・」

 だが、その重い空気を破ったのはエイトだ。

「ナオトさんには魔法が使えなくてもできることをしてもらいたいと思います。俺は、どうやら家を勘当されずに済みそうだし、次期、法の番人の立場は変わりません。だから、ナオトさんには俺の補佐を務めてほしい」

「補佐・・・・とは?」

「法の番人は、事務仕事もたくさんあるんです。父がそれで遅くまで仕事をしているのをみてきましたから・・・・。だから、ナオトさんには俺の補佐を頼みたい。もちろん、嫌じゃなければですけどね」

 ナオトは軽く首を振ってそれに応える。

「嫌なわけないじゃないか。私は、君たちに謝っても取り返しのつかないことをしてしまった。それでもまだ私を見捨てずにいてくれる・・・・。君たちは、私の恩人だ。エイト、君の補佐役を引き受けさせてくれ」

 罪悪感からこの申し出を断られるかもしれないと思っていたエイトは、安堵して頷いた。

「星羅、君のことだけど・・・・」

「うん・・・・、わかってるよ」

 星羅はララを撫でながら静かに言った。だが、決してレンやエイトを見ようとはしない。

「私は本来この世界にいるべき人間じゃない。きっと私がこのまま自分の世界と、マジック・ワールドを行き来しつづければ、そのうちよくないことを考える人が出てくると思うの。もしそういった人が現れなくても、私のことをよく思わない人はきっといる。それに、レン達の村にナオトさんが溶け込むのも楽なことじゃないと思うんだ。そこに私までいたら、私と親しくしているレンやララちゃんや、エイトさん、ナオトさんにも影響が出てくるんじゃないかな。だからね」

 星羅の声が涙声に変わり、心配したララが星羅を強く抱きしめた。

「ありがとう、ララちゃん」

 泣くまいと思いゆっくりと息を吐き出した星羅は、まっすぐにレンとエイトをみた。そして、

「私からマジック・ワールドの記憶を消してください。みんなが私を守ろうとしてくれたように、今度は私にもみんなを守らせて」

 泣くのをこらえて星羅が笑う。誰も星羅の意見に反対することができないのは、誰もがその意見に同意しているからだ。だが、別れを切り出すことができず、星羅がその役をかって出たのだ。ララは堪えきれずに、星羅の腰に抱きついたまま泣きだした。

「ララちゃん、短い間だったけどありがとうね。私、一人っ子だから妹ができたみたいで本当に嬉しかったの。元気でね。お兄ちゃんや、エイトさんとこれからも仲良くしてね」

 しゃくりあげながらララは星羅を見上げた。目に涙を溜めながらも泣くまいとして微笑む星羅をみて、ララも自分の涙を拭う。

「星羅さんも元気でいてください。おにぎり、とっても美味しかったです。ララは、星羅さんのこと忘れません。星羅さんのように優しいお姉さんになろうと思います」

 しゃくりあげながらそう言うと、ララはもう一度星羅に抱きついた。

「ありがとう、ララちゃん」

「星羅」

 エイトに呼ばれ、顔をあげる。ララはそっと星羅のもとを離れ、兄の元へと走り寄った。

「こんなことになってごめん。本当は星羅にも、この村をみせたかった。もっと一緒にいたかった。星羅と会えてよかったよ、とても楽しかった。それに、自分がこんなに豊かな感情を持っていることに気がついたのも星羅がいたからだと思う。ありがとう、本当にごめん」

 俯いたエイトを元気づけるように星羅は明るい声でそれに応える。

「謝らないで。私、マジック・ワールドに来れて、エイトさんたちに会えて本当に幸せだった。記憶はなくなるかもしれないけど、きっと私がここで経験したことは無駄じゃないと思うの。だから、自分を責めたりしないでね。エイトさん、今までありがとう」

 明るく笑う星羅に、エイトも笑い返した。そして、彼女に背を向けると少し離れた場所に立つレンたちの元へと向かった。視線のあった2人は黙って頷きあうと、今度はレンが星羅の元へ歩み寄る。

「レン」

 星羅が優しげな笑みを浮かべた。レンもそれに応える。

「星羅、ごめんね。守ってやれなくてごめん」

 謝るレンに彼女は、「レンまで」と笑っている。

「レン、あなたたちは私の事ちゃんと守ってくれた。だから謝らないで。次謝ったら怒るから」

 再び「ごめん」と言いそうになったレンが慌てて言葉を濁す。

「レン、私マジック・ワールドに来たことを少しも後悔していないの。ここで経験したこと、あなた達と会えたこと、全部全部よかったと思ってる。ここに来て、みんなに会えたから私変われたと思うんだ。ありがとう、レン」

 星羅の瞳に涙が溜まるが、彼女は絶対に泣くまいと笑ってみせた。この別れを涙で終わらせるのは嫌なのだ。そんな星羅をレンは優しく抱きしめた。一瞬驚いた彼女だったが、すぐに緊張を解す。

「星羅、僕も君に会えてよかった。むこうの世界に帰っても元気で・・・・」

 星羅は黙って頷いた。

「レン、そろそろ時間だ」

 エイトに呼ばれ、顔をあげるといつの間に日が昇り始めていた。それを確認したレンは、星羅に回した腕に少しだけ力を入れる。

「大好きだよ、星羅」

 息を飲んだ星羅が彼の腕から顔をあげると、レンの微笑んだ顔が目に入る。だが、何も言うことができないまま

「さようなら、星羅」

 それが星羅が耳にした最後の言葉だった。



 リリリリ、リリリリ

 遠くで目覚まし時計が鳴っている。それを感じながら星羅は、意識を覚醒させるために布団から手だけを出した。ようやく目覚まし時計を止めた頃には、星羅もしっかりと目覚めベッドの上に起き上がる。


 なんだろう、この感じ・・・・


 まるで長い夢から醒めたような、悲しいような、幸せなような、不思議な感覚だ。どんな夢をみていたのだろうと考えても、それはなかなか思い出せなかった。そうこうしているうちに、母の菜月が星羅を起こしにやってきた。

「あら、起きてるんじゃない。ほら早く制服に着替えて、朝ごはんできてるよ」

 食卓についてもまだ夢のことを考えていた星羅は、どこか上の空だったのだろう。菜月が熱でもあるのではないかと心配したが、彼女はそれに首を振った。

「なんか、すごく長い夢をみてた気がするんだ。でも全然思い出せなくて」

 娘の言葉に菜月は「なるほど」と頷いた。

「そういうことってあるよね。夢をみていたことは確実なんだけど、どんな夢だったのか全然思い出せなくてなんか歯がゆいの。って、ほら星羅、時間みて。あと少しで出る時間よ」

 母に促され時計をみれば、残り10分で家を出る時間だ。久しぶりの母との朝食をもう少し堪能したかった星羅だが、そうもいってられず慌てて席を立つ。

「あれ?おかしいな」

 洗面台の前で髪を整えていた星羅は首を傾げた。いつも置いてある場所にヘアピンがないのだ。

「お母さん、私のヘアピン知らない?」

 リビングにいる母に問いかけるが、母は知らないという。

「知らない間に落としたのかなあ」

 独り言をぼやきながら、星羅はふと鏡に映る自分の左腕に目を止めた。そこには淡褐色の革紐でできたブレスレットがついていた。

「いつから持ってたっけ?」

 何か思い出しそうな気がするが、そんな星羅を母が呼んだ。家を出る時間だと知らされ、星羅はブレスレットのことを一瞬にして忘れたのだった。


「レン君」

 名を呼ばれ、一人で道を歩いていた彼は声の主を振り返った。

「ナオトさん、どうしましたか?」

 そこには両腕に本を抱えたナオトが笑顔で立っていた。

「エイトに頼まれごとを受けてね、その帰りだ。レン君は?」

「暇だったので散歩です」

「そうか、ちょうどよかった。実はエイトからの伝言があるんだ」

 その言葉に思わずレンは苦笑した。

「エイトも人使いが荒いですね。文献の他に、僕にも伝言ですか。ナオトさんも大変そうだ」

「これぐらいの仕事、どうってことないよ」

 今にも落ちそうな本を抱え直しながらナオトも笑う。

「エイトが、君に広場に来てほしいと言っていたよ。今日は一日広場にいるって言ってたから、時間があるなら行ってあげてくれ」

 星羅と別れて以降、本格的に法の番人としての仕事を学びだしたエイトは以前のように時間をとることができず、レンと一緒にいる時間も減っていた。そんな彼が、一日広場にいるというのは珍しいことだ。その考えが顔に出ていたのだろう、ナオトは「エイトにも息抜きが必要でね」と笑った。

「エイト、お待たせ」

 ナオトと別れてから急いで広場に向かうと、たしかにそこにはエイトがいた。草の上に寝転がって休んでいるところだった。

「来たか」

 ゆっくりと身体を起こすと、自分の隣に座るように促すエイト。レンは黙ってそれに従った。優しい暖かな風が2人を心地よく包む。

「今日は天気がいいな。冬も終わってすっかり暖かくなった」

「そうだね・・・・。そういえば、だいたい一年前に星羅とあった日もこんな風に天気のいい日だった」

 そうか、とエイト。

「元気にしてるかな」

 レンは遠くを見つめて懐かしむように言った。

「そのことだけどさ、俺、忘れてることがあったんだ」

 突然なんだろうか?とレンは親友をみて首を傾げた。

「これさ、星羅に返しそびれた」

 そう言ってズボンのポケットから取り出したのは、星羅がつけていたヘアピンだ。ナオトとの闘いに備えて彼女に黙って借りてしまったヘアピンを、レンもまた返しそびれていた。

「僕もだよ」

 お守りのようにいつも持ち歩いているそれを、彼もポケットから取り出すと

「なんだ、レンもか」

 意外だというようにエイトが笑った。

「これさ、星羅に返してあげてよ。俺は忙しくて行けないけど、レンなら行けるだろう。レンのお母さんから聞いたぞ、最近は散歩をしてることが多いって。なら、星羅のところにも行けるよな」

 当たり前のように話すエイトに返す言葉がみつからず、レンは口を開けては閉じを繰り返した。

「なんだよ、その顔。けっこう笑える顔してる」

 そう言って本当にエイトは声をたてて笑う。

「だって、君がおかしなこと言うからだろう。どうやって星羅に会いに行くっていうんだ?」

 真面目に言うレンにエイトはため息を吐いた。

「どうやって?俺達は行ったことがあるだろう。今も手元に星羅のヘアピン、星羅はレンのブレスレットを持ってる・・・・はずだろう。媒介は揃ってる。他になにか問題が?」

 肩をすくめるエイトに問題大ありだとレンは憤慨した。

「忘れたのか?星羅は僕達のこともマジック・ワールドのことも覚えてないんだ。君が記憶をいじったのに、まさかそのことを忘れたわけじゃないよな。そんな状態で会いにいけるわけないだろう」

 星羅の記憶からマジック・ワールドのことを消したのはエイトだ。本来なら使うことを許されない魔法の一種である記憶消去の術は、法の番人かそれと同等の権利をもつ者であれば、正当な理由がある場合のみある程度は自由に使うことができた。だからあの日、星羅に記憶消去の術をかけたのはエイトだったのだ。

「忘れてないさ。忘れられるわけがない」

 表情を曇らせたエイトを見て、強く言い過ぎてしまったとレンは慌てて謝った。

「だけど、レンは勘違いしてる。俺があの日かけたのは、完全な記憶消去魔法じゃなかったんだ」

「なんだって?」

 驚きを隠せないレンにエイトは淡々と説明を始めた。

「星羅は、ある一定の条件が揃った時に記憶を取り戻すんだ。俺がかけたのは、そういう魔法。ちょっと難しかったけど、うまくいってる自信はあるんだ。だから」

 そこまで言うとエイトは親友の肩に手を置いた。

「レンが行くんだ。星羅が記憶を取り戻す条件は、レンのあげたブレスレット、彼女のヘアピン、そしてレン。この3つが揃ったときなんだよ」

 信じられないような話だが、エイトが嘘をつくわけはない。それはわかっていながらも

「本当・・・・なのか?」

 思わず聞き返してしまった。

「本当さ。星羅がいなくなってからのレンは、いつもどこか無理して笑ってるみたいでみてらんないよ。それに」

 いたずらっぽく笑ったエイトはレンの耳元に顔を近づけ、

「告白したはいいけど、返事聞いてないだろう?」


 時がすぎるのはあっという間で、いつの間にか星羅は高校を卒業し、大学の入学式を一週間後に控えていた。時間のできた星羅は、近所の公園まで散歩に出ているところだ。

 そこはいくつものエリアに分かれた広い公園で、通りから一番遠いエリアには池があるのだ。池の周りには桜の木が植えられており、今の時期は近所の人たちがお花見にくるスポットでもある。だが、今日は平日なため人もまばらで静かだ。


 なんでだろう・・・・、ここに来るとすごく切ない気持ちになる


 受験勉強で大変なときも、息抜きで何度かここに足を運んだが、必ず胸を締め付けられるような切なさにかられるのだ。だが、それがなぜなのかはわからなかった。それからもう一つ星羅を切なくさせるものがあった。それは、左手に巻いた革紐のブレスレットだ。

 いつから自分が持っているのかすらわからないものだが、どうしても外すことができず星羅はお守り代わりに身につけていた。だが、ブレスレットを見るたびに切ない気持ちにかられ、何か思い出さなくてはいけないような気がしていた。今もそうだ。

 とその時、温かい風が強く吹き付けて桜の花びらを散らしていった。思わずその光景に見とれていると、名を呼ばれた。聞き覚えのある懐かしい声だ。星羅の心臓が早鐘のように鳴り始める。

「星羅」

 もう一度名を呼ばれ、彼女はゆっくりとそちらを振り返る。そして、

「レン!!!」

 言うが早いか、彼女はレンの腕の中に飛び込んでいた。忘れていた記憶が、次々と蘇ってくる。

「会いたかった、レン」

 喜びに涙を流す星羅にレンは優しく笑いかける。それをみた星羅はますます涙を流し、あの日言えなかった言葉を言った。


「大好きよ、レン」


拙い文章でしたが、読んでくださった皆様ありがとうございました

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