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第2章 星羅と夢

第2章 星羅と夢


「星羅!走って、走って」

 愛理の声援を聞きながら、星羅はバットを置いて走る。今は、球技大会に向けての練習中だ。

「星さん、走って!」

 チームメイトも応援してくれるが、足が思うように動かない。

「あっ」

 星羅の身体が前のめりに傾いたかと思うと、そのまま地面を滑るようにして倒れた。これには誰もが呆気にとられ、動きを止めた。

「ちょ、星羅!大丈夫?」

「星さん!保健室、保健室行こう」

 愛理と数人の女子が星羅を助け起こす。体操着から覗いていた腕にはあちこちに擦り傷ができ、血が出ていた。

「うわ、痛そう」

 愛理が思わず顔をしかめた。

「大丈夫、これくらいなんてことないよ。ごめんね、みんな。練習止めちゃった」

 チームメイトの何人かは、「それくらいの傷で・・・・」という表情だ。もちろん愛理もそれには気がついていた。

「でも、星羅、血出てるよ」

 愛理はなおも保健室に連れていこうと星羅の手を引っ張る。が、星羅はその手をそっとほどいて笑った。

「大丈夫、この練習が終わったらちゃんと手当てするから、ね?」


「星羅のバカ、なんですぐに手当てしないの」

 星羅の傷口に赤チンを塗りながら、愛理は不満げに言った。結局、練習が終わってから保健室へ来たのだ。

「だって、あそこで私が抜けたらみんなに迷惑かけるじゃん。それに、部活とかで毎日やってる人からすれば、こんな傷で騒ぐのはきっと馬鹿らしいことなんだよ」

 愛理が乱暴に赤チンを塗っていく。

「痛い痛い。愛理、ごめんって」

「星羅はいつも周りを気にして我慢ばっかりして・・・・。少しは自分の気持ちいいなよ」

 星羅はその言葉に頷くことができず、静かに笑うだけだった。


「ただいま」

誰もいない廊下に星羅の声が響く。リビングの扉を開けると食卓には夕食が並んでいた。母の菜月が仕事前に作って行ったのだろう。

「私がやるのに…無理しなくていいのに」

食卓に並ぶ夕食にぽつりと呟く。


〜お母さんはすごい〜


星羅は母の置いていったメモを読みながら思う。そこには普段と同じく、夜更かしせずに寝なさい、戸締りをきちんとしなさいと力強い字で書かれていた。仕事をかけもちして休む暇もなく働いていることなど、少しも感じさせない力強い字。


〜お母さんはすごい。弱音なんて絶対吐かない。いっつも笑ってて、私の心配ばっかりして。絶対疲れてるはずなのに…。私もお母さんを支えたいのに。私はお母さんの弱音を聞いてあげることもできない…〜


視界が霞む。慌てて目をこすると袖が涙で濡れた。自分が何で泣いているのかわからなかったが、そんなことどうでも良かった。

星羅は泣いた。溢れる涙を拭うこともせず、静かに泣いた。


いつものようにベッドに腰掛け、本を広げる。だが、今日はいつものように話に吸い込まれていかない。話が面白くないのではない。むしろ、早く読みたくて授業中も続きを気にしていたぐらいだ。それなのに、

いざ本を広げてもまったく話が頭に入らないのだ。


〜今日はもう寝よう。疲れてるんだ〜


だが、ベッドに入ってもなかなか寝付けなかった。それどころか頭の中で、よくわからない様々な思いがぐるぐるして落ち着かない。


〜なんで自分は自分の意見を言えないんだろう〜

〜こんなんじゃ、誰の力にもなれない〜

〜私、どうやったら変われるの?〜

〜誰も私のこと知らない場所に行きたい。私じゃない私になりたい。こんなモヤモヤから解放されたい〜


何度も寝返りを打ち、頭の中でぐるぐるしている思いを追い出そうと試みたがなかなかうまくいかなかった。そうやってどれくらい時間が経ったのだろうか。ようやくうとうとしかけ、夢か現実か区別が難しいそんな状態を味わっていた。


〜このまま、このままでいたい〜


夢現の状態は何だか心地良かった。と、その時周囲が一瞬輝きに包まれ、星羅もその光に包まれる。


〜な、なに?〜


突然の出来事に驚きと恐怖で声も出ない。星羅はきつく目を閉じ、光が収まるのを待った。

徐々に光が収まるのが目をつぶっていってもわかる。星羅は恐る恐る目を開け、息を飲んだ。


〜これは……なに?〜


星羅の目の前には、明るい森が広がっていた。鳥がさえずり、木の葉が風に揺れる音が静かに響く。

「なんなのよ、これ…」

周囲を見渡し、ただ呆然とする。自分が目にしている光景が夢なのか、現実なのか区別がつかなかった。それくらいに目の前の光景や、聞こえてくる音がリアルなのだ。

「こんなにリアルな夢、初めてみた」

裸足の足を一歩踏み出して、星羅は初めて足元の違和感に気がついた。

「コンクリート?」

星羅が立っているのは舗装された道の上で、きちんと見ればその道は真っ直ぐ森の中を貫いているようだ。

「すっごいリアルな夢…、足もちょっと痛い」

舗装されているとはいえ、素足のままでは小石を踏んづけるとそれなりに痛かった。それもまた夢にしてはリアルな痛みだ。

「素足にパジャマか….夢ならもう少しおしゃれな服が着たかったな」

ひとり言を言いながら、ゆっくりと歩く。足の痛みにも慣れてきた。

聞こえてくるのは、風に揺れる木の葉の音と鳥のさえずりだけ。穏やかな時間が流れていく。星羅が足を止め空を仰ぐと木漏れ日が顔にかかる。

「きれい……きらきらしてる」


〜このまま夢から覚めなければいいのに〜


心からそう思うほど、星羅の心は凪いで穏やかだった。だが、夢はいつか覚めるものだ。

顔にかかる木漏れ日が眩しくて、思わず目を閉じた時、どこか遠くから聞き慣れた音が聞こえてきた。と同時に、またあのまばゆい光に包まれる。


〜この感じ!!!〜


リリリリ、リリリリ


勢いよく起き上がった星羅は、周囲を見渡してすっかり肩を落とした。先ほどまでの穏やかな風景は消え、彼女は見慣れた自室のベッドの上にいた。

夢の中で聞こえてきたのは、6:00を告げる目覚まし時計の音だったようだ。


〜あんたさえ鳴らなければ、もっとあの夢の中に入れたのに!〜


やや乱暴に目覚ましを止め、ベッドから抜け出す。不思議なことに先ほどまで夢の中で立っていたコンクリートの感覚がまだ残っていた。

「本当にリアルな夢だった…」

夢から覚めたことを惜しみながら星羅はパジャマから、制服へと着替え始めるのだった。


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