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第10章 気づき

第10章 気づき


「それはだめだ!」

エイトの声がどんよりとした曇り空の下に響いた。その声の大きさには、レンや星羅、ララも驚いたが、誰よりもエイト自身が驚いていた。

「ごめん、ララ。こんな大きな声出すつもりはなかったんだ。本当にごめん」

信じられないことが起こったというような表情をしながらエイトが謝る。

エイトが大声を出したのはララの「星羅をお母さんに紹介したい」という一言を聞いたからだ。「エイ兄がそんなおっきな声出すの初めてみた…。ごめんなさい、星羅さんのことは話しちゃいけないのわかってるの。ただ、紹介できたらなあと思っただけ。エイ兄ごめんね。ララ約束はちゃんと守るよ」

「ごめん、ララが本気で言ってるわけじゃないことはわかってるんだ。こんな感情的になるなんて…怖かったよな、ごめん」

ばつの悪い表情をしているエイトとは対照的に、レンが感心したように

「エイトとは長い付き合いだけど、あんな感情的なエイトは初めてみた。エイトも人間なんだ」

エイトが顔をしかめてレンをまじまじと見つめる。

「俺を今までなんだと思ってたんだ?」

「あ、ごめん。悪気があったわけじゃないんだけどさ…。なんていうかな…」

今度は慎重に言葉を探すレン。

「エイトはいつも自分の感情を押し殺してるように見えたから…。さっきみたいに感情を出してくれるのをみると、なんだか嬉しくなった。僕たちにはちゃんと心を開いてくれてたんだなって」

エイトは呆れたように、でも心なしか嬉しそうな表情でため息をついた。

「俺は法の番人になる人間だ。法の番人はいかなる時でも冷静さを欠いてはいけない・・・・。そうやってずっと教えられてきたからな。自分がこんな感情的になれる人間だっていうのは・・・・、今初めて知ったよ」

「あの・・・・」

 それまで黙っていた星羅が口を開けば、他の3人の視線が彼女に集まった。だが、星羅はそんなこと気にする様子もなくどこか別な場所に心を置いてきているかのような表情をしている。

「星羅?」

 不安になったレンとエイトが同時に彼女の名を呼び、ララは黙って星羅の手を握った。

「あ・・・・、私・・・・」

星羅の表情が戻ったと思ったのもつかの間、彼女の頬を一筋の雫が濡らす。

「星羅さん!?どうしたの?どこか痛いの?」

 崩れるように膝をつき、星羅は顔を手で覆っていた。

「ちが、ごめんなさい。どうしてかな、涙が・・・・。レンの言葉が・・・・」

「僕の・・・言葉?」

 自分の気持ちを言葉にすることもできず、少女はただ泣きじゃくる。その小さな背中を、星羅よりもさらに小さな手のララがゆっくりさすっていた。


~こういう時のララは、本当に僕より大人だ~

~ララもこういう所は、もう大人だな・・・・~


 ララの冷静な様子をみながら、目の前で泣いている少女をどうしたらよいかわからずに少年2人はただ立ち尽くしていた。


 しばらくすると星羅はようやく落ち着きを取り戻した。泣いて赤くなった目をレンが魔法で濡らしたタオルで冷やしている。

「ごめんなさい」

 星羅が何度目かの謝罪を口にした。

「謝らないで。それよりも僕の言った言葉が星羅を傷つけてしまったんだよね。ごめん」

 星羅が勢いよく首を振った。

「ちがう、傷ついたんじゃないの」

 目元はタオルで隠れていてわからないが、口調からは必死さが伺えた。

「レンがエイトさんが感情をみせてくれたことを嬉しいって言ったでしょ。私ね、それとは少し違うけれど似たようなことを友達に言われたの」

 それは球技大会の日、星羅が自分の失敗で朝食を食べられなかった日のことだ。

『私嬉しいんだよ?なんだか欠点なんかありませんって感じの星羅が、意外なところ見せてくれて嬉しい。』

 あの日、愛理は嬉しそうにそう言った。

「私、その子の言ってる意味がよくわからなくって。おかしなこと言うなって思ったの。でも、レンとエイトさんのことみてわかった。愛理は、本当の私を見せてほしかったんだ。私、いつも周りに嫌われたり面倒に思われるのが嫌で、自分の言いたいことも我慢してきた。嫌なことも自分が我慢すれば丸く収まると思ってずっと我慢してた。だけど、愛理はいつも正直になってほしいって、愛理にだけは私の気持ち言ってほしいんだって言ってたの。その意味が、今日、やっとわかった気がした」

 目元からタオルを外した星羅が、まだ赤さの残る目でにっこり笑った。レンもそれに答えるように微笑み返し、星羅の横に膝をついた。

「きっと愛理さんって人は、星羅がとても大切なんだね。だから自分の気持ちを隠すようにする星羅が心配で堪らないし、自分に心を開いてくれていないようで少し寂しかったんじゃないかな?」

 レンの言葉に星羅の大きな瞳がさらに開かれ、そこにうっすらと涙が溜まった。それに気がついたレンが慌てふためきながら、星羅の背中をさする。

「ごめんね、泣かせるつもりはなかったんだけど」

 再びタオルに顔を埋めてしまう星羅。レンはどうしようという顔でエイトとララを交互に見た。ララが星羅の脇から立ち上がり、兄の耳元で何か囁いた。それを聞いたレンが顔を赤らめて首を横に振っている。

 ララのことだから、何かとんでもないことを言ったのだろう。エイトは小さくため息を付いてララを呼んだ。ララは素直に呼び声に応えエイトに駆け寄る。

「俺はララと水を取りに行ってくるからな」


 レンと星羅を残して広場を後にしたエイトは隣を歩くララに声をかけた。

「さっきお兄ちゃんになんて言ったんだ?」

 ララは少し言いにくそうにしたが「怒らない?」とエイトに尋ねた。

「?怒らないよ」

「お兄ちゃんに星羅さんをぎゅっとしてあげてって言ったの。ララが泣いてるときお母さんがよくそうしてくれるんだ。ぎゅってされると安心する。だから、星羅さんにもぎゅってしあげてって言ったの」

「それがなんで俺が怒ると思った?」

「だって・・・・」

 ララがエイトの顔をちらっと見上げ、視線があうとすぐに逸した。

「だってエイ兄、星羅さんのこと好きなんでしょ?だから、本当はエイ兄がぎゅっとしたかったのかなって思ったの」

 これは予想外の返答にエイトは目を丸くして立ち止まった。ララはエイトの数歩先で立ち止まり振り向いた。

「エイ兄?」

「気が付かなかった」

「え?」

 エイトは困惑したような表情で口元を押さえて俯いている。何かを思案している顔だ。

「俺が星羅を?」

ララがそんなエイトに近づき、彼を見上げた。

「エイ兄は星羅さんが好きだから、あの時ララの言葉にあんなに大きな声を出したんでしょ。違うの?」

 ララの丸い瞳にエイトの困惑した表情が映っている。エイトはララの瞳を通して、自分が今どんな表情をしているのかをみた。


~こんな表情、俺もできるんだ~


 常に冷静であれ、怒りも喜びも悲しみも押し殺せ。法の番人たるものいついかなるときも感情に飲まれてはいけない。

 それが幼い頃から毎日のようにエイトが聞かされてきた言葉だった。

そんな自分が自分の感情すら分からずに戸惑い困惑を表に出している。

「エイ兄大丈夫?」

何も言わないエイトを不安げに見上げるララ。なんだかそんなララを愛おしく感じ、エイトは困惑を浮かべたまま微笑んだ。

「俺が星羅を好きなのかどうか…。それは俺自身にもよく分からない。でもそうだな、たしかに星羅をみると気持ちが明るくなる。泣いているのをみると辛くなる。それが星羅を恋愛の対象としているからなのかは分からない。でも、特別なことには間違いないかもしれない」

ララの瞳に切なげな自分が微笑んでいるのがみえる。

「ララ、ありがとう」

そう言ってララの目線で膝をつき、少女を優しく抱きしめた。ララは一瞬驚いたように硬くなったが、その緊張はすぐにエイトの腕の中で解けていった。


〜自分が感情的になれることも、それを表情に出してしまうことも初めて知った。知れてよかった…〜


「ララ、覚えておいて。俺にとってララもレンも大切な友人だ。俺が唯一心を許してきたのはララとレンなんだ。だからね、もし俺が星羅を好きだったとしても、俺はレンが星羅を好きな気持ちを優先するよ」

ララがエイトの腕の中から彼を見上げた。キョトンとした表情だ。

「お兄ちゃんも星羅さんが好きなの?」


〜おっと…、気がついてなかったのか。自分の兄のことなのに〜


そんなララに思わず苦笑してしまった。

「たぶんね。これまでレンが女の子に積極的に関わることなんてなかったし。それに、星羅といる時のレンはなんだか幸せそうなんだ」

「お兄ちゃんには秘密だよ」と、エイトはララに笑ってみせた。



星羅と2人きりになったレンは、泣き続ける少女の背中をゆっくりさすっていた。少女の背中を撫でる自分の手が震えていることに気がついたレンは唇を強く噛んだ。


〜どうしたらいいか分からなくて、不安で、緊張で震えるなんて…。情けない…。ララの方がずっと大人じゃないか〜


たち去り際にララが言っていた言葉を思い出し、1人で首を振る。


〜無理だよ、背中をさするのがやっとなのに…。抱きしめるなんて絶対できないよ〜


少年が1人で自分自身と格闘している間に星羅も少しずつ落ち着いてきたようだ。

「ごめんなさい、困らせてるね」

「大丈夫、そんなことないよ」

数秒の沈黙の後、最初に口を開いたのは星羅だった。

「あのね、聞いてほしいことがあるの…」

どんな表情をしているのかはタオルで隠れてしまってわからない少女に

「僕でよければ話して」

と答えれば、少女が安心したかのように体の力を抜くのがわかった。

「私、お母さんと二人暮らしってことは前も言ったでしょ。お母さんはいつも休む間もなく働いてて、きっと辛いことや苦しいこともあって、疲れてることだってあるのに、絶対に弱音を吐かないの。そんなお母さんをみてるとね、自分もしっかりしなきゃって思うんだ。でもね、それだけじゃなくてなんだか哀しかったの。なんで自分がそう思うのか、ずっとわからなかった…。でもね、さっきレンが教えてくれた」

星羅がタオルから顔をあげると、目元は泣きはらしたせいで真っ赤になっていた。

「私、寂しかったの。私に弱音を吐いてくれないお母さんが、自分のことを頼ってくれてないような、自分が支えられてばかりで、お母さんの力になれてないんじゃないかって思ってた。きっとそんな事はないんだと思う、だけど、そう思ってもやっぱり寂しくて、哀しくなった。いつも心のどこかがすっきりしなかった。でも今は…今は…」

星羅の瞳からまた涙が溢れた。

「やっと自分の気持ちがわかった…。やっと…この気持ちを誰かに話せた…。やっと…」

そこから先は言葉にならない星羅は涙を止めようと俯いて唇を噛んだ。

と、その瞬間。星羅を大きな胸が包み込んだ。

「レン!?」

驚きで涙が止まった星羅は、レンの腕の中で身じろぎしようとしたがレンは腕を緩める気配を見せない。

「…星羅、泣いてもいいよ。僕はこういう時どうしたらいいのか全然わからないけど、星羅の話を聞くことはできる。…こうやって星羅が泣く場所を作ることもできる。だから泣いてもいいよ」

言いながらレンの顔は恥ずかしさと緊張で真っ赤になっていく。

「ありがとう、レン」

星羅はそっとレンに身体を預け、静かに涙を流した。



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