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とある髪フェチの話(未完)

作者: 夏人

髪。


それは人間の頭皮を守る、筒状の硬質タンパク質。――科学上では。


人の頭部を彩り、ヒトの美しさを際立たせる黒の糸。至高のそれは、絹のような輝きとさわり心地、墨のような純粋な黒色を持ち、反射する光すらまっすぐな美しさにかえてしまう。色素によって茶や金・・・透明感しかない、光すらすり抜けるものもある。

極上の輝きは、極上の美しさを生む。俺のモットーだ。


・・・・・・しかし。



* + *



 騒がしい教室の熱気が、ぼうっとした俺の思考を蘇らせた。周りを見渡すと、遠巻きな目線を感じる。ともかく、俺は急いでスマホを起動させる。


(しまった・・・・・・)


 午後1時15分。昼放課の真っ最中だった。4限の授業からずっと寝こけていたらしい。また英語の点が落ちるなと思いながら席を立った。



「桑原くん!」



 廊下にでると女生徒が呼び止めた。桑原は俺の名字だ。桑原くわばら一成かずなり。髪は姉に染められて薄い茶色と化している。それ以外は多分、極々普通のありふれた高校2年だ。

 女生徒は制服姿で、首もとのリボンを少し緩めてシャツのボタンを2つほどあけて、わずかに膨らみのある胸をのぞかせていた。髪は茶色。その髪を左右に分けて高く結んだ、いわゆるツインテールだった。それは人工的な輝きを持っていた。

(うえぇ・・・)

 思わず吐き気をおぼえる。なんだこいつ。

 名前は確か、月代つきしろ宝珠ダイヤモンド。4月のはじめ、自己紹介の時にぶりっこっぽいのと髪が汚いこと、「宝石店みたいな名前だな。つか、年とったときに恥ずかしくなりそう」と思ったので覚えていた。

 名前なんて問題じゃない。問題は、髪だ。

 月代の髪は、髪染めをつかって染めてあるのだ。

 俺が綺麗と感じるのは、人工染料を使用しない、黒や金や茶といった髪だ。詰まるところ、月代の髪はがさださぼろぼろ、教師に指摘されると「親が外国人なんでぇー」とバカな言い訳をする。

 そんな髪だ。おまえの顔のどこが半分外国人なんだ。この平安人顔が。


「えっと、あのぉ・・・・・・」


 指を絡ませ、困ったような表情でちらちらとこちらを伺う。頬が興奮したように上気している。さりげない仕草さえ、ぶりっこっぽい。相当ウザい。


「ごめん、俺急いでるから。用事ないならどいてくれる」


 わざと冷たい言い方をする。無表情で、しかしどこか不機嫌そうに。興味がない奴にはとことん冷たく。しかし、冷たくされたら冷たく仕返す。父さんが高校に入るまえに教えてくれたことだった。

 というか、衆人環視の中にあるから、早くどこかへ逃げたいものだが・・・・・・。月代はむしろ見せつけているようにさえ感じだ。気のせいであってほしかった。


「ご、ごめん! スグ終わるから・・・・・・。

えっとぉ、私、桑原くんのこと・・・スキなんだけどぉ、ねぇ、付き合お?」


 現代っ子にありがちな、長ったらしい一文。

 目だけで周りを探ると、耳に「くそぉ、月代って桑原が好きなのかよ・・・・・・」「でもお似合いじゃん」「桑原くん、あんなぶりっこのどこがいいんだろー」「しぃ、声が大きい」と。どこを見ればそう感じるのか。甚だ疑問だ。


「悪いけど俺、好きなのいるから」

「えぇー、そかぁ、残念」


 周りがまた微妙に騒がしくなる。視線がガッカリしたようなホッとしたようなものに変わる。かすかにあぁーという声さえ聞こえた。


「それだけだから、じゃね!」


 月代は短いスカートを翻して小走りで教室に戻っていった。自然と周りの集団もばらけていく。そういえば自分の教室の前で話していた。きっと、教室に入ったらもっと目線が痛いんだろーな・・・・・・。


「よっ、一成」

 後ろから軽い声がする。カサリと何かプラスチックのものが擦れる音がした。カラコロと笑いながら肩を組まれ、さっきと違ううるささをおぼえる。少なくともさっきよりは心地がいい。

「まぁた女の子泣かせたのか? この女泣かせめー」

「うるさい、耳元でしゃべるな。万年女旱ひでりのお前に俺の気持ちなんかわからないだろ」


 平塚龍一。俺のクラスメイトで、俺の髪好きを引かないで唯一知っている奴だ。ハニーオレンジに染めたムラのない髪に、外国の血が混ざった顔をしている。実際クォーターらしい。手首には細い革のブレスレットが巻かれている。分不相応に見えてしっかりなんというか、顔に合っている。クラスの中では普通におしゃれな奴、という感じらしい。

 ちなみに俺は男の髪なんか興味ない。奴ら石鹸で髪洗ったりするからな。ちなみに俺は髪を洗う湯の温度からこだわりノンオイルリンスをつかっている。もちろん髪が痛まないようにドライヤーを数10分かけて乾かし、毎日家族全員に「キモイ」といわれる。


「女旱って、そんなんじゃないよ。俺にだって好みはあるし、それをわかった上であっちが誘うんだからな」

「・・・女の敵め」

「なに、やっぱお前女なの」


 首にかけられた腕をはたきながら反論しようと口を開く。しかし、タイミングを見計らっていたように予鈴が鳴り、2人仲良く揃って教室に入ることになってしまった。

 席につくと、早速龍一が後ろを振り向いて話しかける(俺たちは窓際で、龍一が前、俺が後の前後席だ)。


「つか、月代に言ってた好きなのってナニ? まさかと思うけどさ・・・・・・」

「まさかってなんだ。というかお前、あそこにいたんだな」

「ああ、学食の帰りな」

「・・・・・・あ」

「え・・・・・・?」

「いや・・・・・・いや、昼飯食うために教室ん外出たんだったなーって」


 昼飯食い忘れたーと俺は頭を抱えた。髪のことさえ考えてれば午後の授業乗り切れる・・・・・・! と1年生だった俺は何度も乗り切ったが、さすがに成長期の俺は無理だ。弁当は今日に限って持っていないし、学食で食べようと思ってきたから空腹感は否めない。パンも完売してるだろうし、食堂はもう閉まっているだろう。残りはコンビニだが・・・・・・。


「もしかして食ってないの?」

「おう・・・・・・・・・・・・」


 心なしか、声も力がなかった。机に突っ伏すと、龍一は仕方ねぇなとでも言うように鼻で笑ったようだった。


「俺、余分にパン買ってきたんだけど。俺の好みでよかったら、食う?」

「マジか! くれ!!」


 俺は残り3分にも満たない休みを、パンを腹に詰め込むために食いまくった。味はわずかに鼻をくすぐる甘さだけで、記号のようにあまり何も感じない。きっと周りにはどんだけ腹減ってんだと見えたはずだ。















「んで、好きなのってなんだよ」


 五限の授業が終わると早速そう聞いてきた。美味そうに食うなーと微妙な顔をしながら、龍一は興味津々に聞く。


「わかってんだろーが。何が好きかくらい」

「あのさー、別に人間的におまえのこと好きだし、一番クラスん中で仲良い自覚はあるけど、それだけは理解できないんだよねぇー・・・。・・・・・・髪フェチってゆーの?意味わかんない」


 龍一は髪フェチというところだけ声を潜め、頬杖をついた。ああ、好きってのは友達としてね、と付け加えた。一応フェチを隠してくれるから、ありがたい。


「今更、わかってもらおうと思わないよ。最近家族にも気持ち悪がられてるし。……いや、小学生の頃、公言してたら顔かっこいいのにキモイーとか散々なこと陰口で回ってたらしいから」


「・・・・・・ああー」


 黒歴史をまた一つ更新するところだったというか話だ。

 家族に気持ち悪がられる、というころの筆頭が、妹のけいだ。小さい頃は髪をいじってもお兄ちゃんもっとー! とせがむくらいだったのに。

 そりゃあ、さすがに中学生になっても一緒に風呂入って髪洗うなんて気持ち悪いと俺も思うんだよ。でも、そうしなきゃ、あいつ髪の扱いが雑になるんだよ。あんなに髪細くて、俺の理想に一番近い髪なのに。髪を伸ばしすぎて、シャンプー1ヶ月で使い切って俺の小遣い1ヶ月分が飛ぶけど。ちなみに中学はいったぐらいから「おにいちゃんキモイ! もう髪さわんないで」といわれた。あんなに髪ほめられて嬉しそうだったのに! 嬉しそうだったのに!! いやきっと、圭は反抗期なんだよ。ちょっと遅いけど。


「まぁ・・・・・・。うん、あきらめろよ一成。おまえに彼女は絶対できないよ。シスコンだもんなー」

「・・・・・・否定できないけど」


 うん、妹の髪はだいっすきだからな。


「妹ちゃん、かわいーよなー」

「え、そうか?」

「うん。つか、お母さんたちもすっげーきれいだった」

「そうかぁ?」

「お父さんはすっごい渋かった」

「それはよく言われる」


 美形家族ーなんてよく言われるけど、よくわかんない。いや、自覚があったらおかしいだろ、逆に。


「圭はあれだ、髪が綺麗だと顔が何倍か綺麗に見えるらしいから、それじゃないのか」

「違うと思うぞ・・・・・・」


 お前は自分と家族を下に見過ぎだ。と言うと、明るく表情を変えて、そーやーさ、と笑った。


「パンおいしーかー?」

「? ・・・・・・美味いけど」


 龍一は満足げに頷いて、ほやんとした顔で笑った。外からで南中した太陽の光が降り注いで、机や龍一の髪が輝く。こいつ髪綺麗にすればなぁ、と思った。顔立ちは整ってると思うし、染めてるにしても髪は染めたあとのケアでいくらでも輝く。髪が綺麗=顔が綺麗に見えるのだ。


「そーかー。やーさー、お前なんかすっげー気持ちよさそうに寝てたからさーなんか起こすのも気が引けて。自分の分も買ったついでにだったけどー。んでも帰ったら月代に告白とかされちゃってるし。お前の昼ご飯食う時間減るなーと思いつつ見てたけど。氷の王子様となぜか裏で囁かれて余るほどの冷たさだったなー」


 あれは。そういう龍一に俺は思わず心の中で呟いた。

 いや止めろよ、どうせそういうんなら。

 そーいや女子って誰も彼もにあだ名を付けるよな。悲惨なのもあるけど。男子は夢見る生き物なんだ! とかTVでやってたのを思い出し、女子の方がそうだろ、とこっそり笑う。おそらくそのあだ名を付けて広めた奴へ視線を向けた。

 月代宝珠ダイヤモンドだ。

 三人ほどの女子に囲まれ、長い髪の先を細い指でいじりながら、こちらをちらちら伺っていた。一瞬月代と目があって、こちらが背ける。月代が突っ伏した音がした。


「やっぱ無理だよぉ」

「いや、そんなことないって」

「うん、陽音一番ウチらの中でかわいーもん」


 あー女同士の社交辞令って怖いなーと密かに笑った。それより、語尾にすべて「ww」が見えるのは気のせいか。気のせいであってほしい。


「あーうん、龍一ありがとーなー。やっぱ持つべきものは友達だな」

「そーゆうか。つか、またおまえの話してんぞ。モテモテだな」


 変な方向にからかうなと笑うと、チャイムが鳴る。龍一は渋々といったように前を向き、教科書とノートを取り出した。俺もパンをしまい、筆記用具を出す。龍一、今日は小テストあるから教科書出すとカンニングだとかうるさいぞ。心の中でつぶやいた。







 授業中、龍一が指名され立ち上がった。そのついでとでも言うように俺の机に手を突き、それをはずすとメモ帳程度の大きさの紙が二つ折りしてあった。中に文字が書いてあるようだ。


「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは・・・・・・」


 国語の黒部先生が一番好きだという方丈記の朗読。読み飛ばしたり突っかかったりする度減点されるので、ある程度緊張感がある。しかし龍一はチャラついた外見に反してニュースキャスターを目指しているらしく、読み方も心地よく、安心して聞こえる。ニュースキャスターかどうかはわからないけど、安定した響きはどことなくそれっぽい。つまり、超眠い。

 紙を音を立てないように開くと、雑だけどぎりぎり読めるくらいの字で、《今日遊びに行ってもいいー?(*´Д`*)》と書いてあった。こんな時にお前こんなの書くなよ・・・! 緊張感ねぇなあ! と笑いそうになり、慌てて口をふさぐ。目の前でまじめに朗読してるのが、授業中こんなもの渡してくるのだから、当然だろう。


「じゃあ、はいそこまで。ここの部分はー」


 黒部先生が黒板に書き始める。龍一が座ろうといすを引いた。一瞬こっちを見て、笑った。そうして口元に人差し指をあてて、しーっと言った。笑ったのがばれていたらしい。そして、誰も気づかない。

 黒板に文字を書く音が響く。時々衣擦れと、誰かの咳払いが聞こえる。俺は授業以上に頭を回して、メモ帳の裏に返事を書く。ばれないように龍一に渡すと、龍一の肩が動いた。


《俺日直だから、まってろよ(*⌒▽⌒*)(*⌒▽⌒*)》


 ただの仕返しだ!












「んなー、やっぱ気になるんだけど」

「なにが」


 放課後、我が家に帰宅+お遊戯中。約束通り龍一は昇降口で待っていた。帰路の途中で絹のような髪の毛の黒髪美少女を見かけ、あまりの(髪の)美しさに思わずついて行きそうになっていたが、龍一に「たぶんあれ地毛じゃねぇぞ」といわれ、はっとして諦めた。よくよくみれば光の透き通る、その細くつやのある髪は、反射した色が不自然に青かった。そして龍一に「おまえ、ホントに髪のことになるとバカだよな」と言われた。

 父も姉も母も妹もいない、2人きりの我が家はどこか静かだ。横持ちのリモコンから流れる機械じみた音と一般家庭に置くには少しばかり大きいTVからたれ流された軽快な曲が、大して気まずくもない空気を埋めていた。


「あ、やべ。しんだ」

「どんくせーな、さっさと復活しろよー」

「んで結局気になるって何よ」

「いやぁー、マジで好きなコいないのかなーって。ホラお前モテるし」

「モテると彼女のいるいないは関係ないだろ」

「そーだけど」


 一瞬会話がとぎれた。またリモコンから軽快な音が響いて俺の使っていたのが復活する。龍一のキャラに体当たりしてシャボンを割ると、またゲームが再開する。右側から生暖かい視線を感じてそちらをみると、龍一がまたほやんとした顔をしていた。


「・・・いや、ただもったいないなーって」

「考えてみろよ、この茶髪。お姉ちゃんに茶髪にされてこのまんまで、圭いわくめちゃくちゃチャラいそうだ。頑張って人にいってもお前に言われたくない、と言われないようにしたから多少きれいにまとまってるけど、キューティクルがボッサボサなんだぜ。そりゃ他の奴より綺麗にしてるけど」

「髪のことじゃねーよ」

「じゃ、なにさ」

「顔の話だよ」

「・・・ああー」


 結局、龍一は不満そうだった。









 真昼の木陰。

 目の前に、可愛らしい人がいた。俺より3、4歳は小さそうだ。顔は小さく、鼻梁も幼いながらに整っている。目は強い光を灯し、俺を直視している。それよりも目を奪われたのは輝かんばかりに整う髪だった。

 風の吹くごとに自由に跳ね、わずかな木漏れ日に、真っ直ぐで芯の強い糸が照らされる。影すら髪を一つの芸術にしている。南中した太陽はまぶしいが、それ以上にその美しさを際立てていた。

 やがて日が西に移動する。

 少女は帰りましょう、と言うように立ち上がった。顔の横に夕日に照らされて赤紫に染められた雲がある。髪は、日に照れて赤く染まっていた。染料で染められた髪を思い出してむっとすると、少女は俺の右腕を抱きかかえ、引っ張るように歩き出した。

 家につく。既に月がでていた。今日は満月だ。ああやっぱり、美しい髪には夜空が映える。


「ごめんなさい」


 唐突に、そう謝られた。どうしたの、と優しく聞くと困ったように視線を交差させ口を開いた。



「私の髪は、染めた髪なの」






 はっと、目が覚めた。

 布団をしっかり被り、見慣れたパジャマに着替えられていた。

 冬にしては多少温かい。カーテンを開けると、東の陽が影を落とした。朝の光だ。まだ夜だと思っていたのに、夢を見ている間にずいぶんと時間が経ったらしい。

(・・・・・・まじか)

 思わず真面目につぶやいた。

 綺麗な子だった。可愛いというよりも、年相応に綺麗、美しいと言った方が正しいような。髪を美しくしたことで1,5倍効果が表れて余計美しさを感じた。東洋人らしいすらっとした顔立ちに、白い肌。それに黒く真っ直ぐな髪は良く映えていた。


――『ごめんなさい。私の髪は染めた髪なの』


 そのあと自分がどうしたか。覚えていないが酷いこと言ったかしたのだろう。夢だろうが、自分自身自制すべきだっただろうに。龍一に言われたように、俺は髪のことになると本当に馬鹿になる。自覚はあるが、止められない。

 おぼろげに見えた、女の子の髪を思い出す。美しい輝きでも、どこか凍てつくような孤独の色を持っていた。一体誰が、あんな小さな子にひどいことをしたんだろうか。

 ・・・・・・それよりも、素晴らしいと思ったのは、あとのケアだ。黒髪を強制的に脱色すると、とても戻りにくい。そりゃあ、色を抜いて、色を植え付けているのだから当然と言えば当然だ。それを、あそこまで美しくできるなんて。俺の妹の髪を手入れしたころよりも、数倍、数十倍綺麗だった。いくらシャンプーにこだわっても、リンスーを塗り付けても、元の髪質が変わらないように、圭の髪も元の輝きを増しているだけなのだ。“生きている”髪を何十倍も生かせるその技術。・・・・・・ほしい。

 よだれが無意識に垂れそうになっていることに気づき、あわてて手で押さえる。正面の電波時計を見やると、朝食の時間の5分前だった。

 よし、と立ち上がり、よだれを拭いながらパジャマをはぎ取って、メガネをはめた。








「おはよ」


「おはよ、一成」


 パジャマを置きにいった洗面所で、けいと姉の桜夜おうやは朝の身支度をしていた。ふつうの奴ならここで「とろいな、さっさとどけよ」と怒り出すところかもしれない。しかし俺がいえるのはただ「また髪乾かさずに寝たのか。痛むぞ」だけだった


「にい、うるさい」


 さっさといけと言外に告げる圭。中学でテニス部に入ってから肌は焦げ、髪はショートにしていた。この万年反抗期の妹は、時々友達と遊びにいくとき軽く懐くくらいで(アレンジをするだけだ。こいつはただ髪型をかわいいねって誉められたいだけだ)、その他はオシャレな(笑)、姉にとことん懐いていた。

 その姉の桜夜おうやは今年大学生。オシャレに気を使う時期らしく、髪を明るく染めて自分に似合う流行の服をセレクトしている。そして、俺を茶髪にした犯人は、柔らかく笑んだ。


「こら圭。一応だけどお兄ちゃんなんだから、そういうこと言わないの」

「・・・・・・はぁーい」


 圭は不満げだった。当然とでも言うように俺を鏡から遠ざけ、桜夜と2人で使おうとしていた。


「圭、邪魔」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 女性不信の原因の2人は、悠然と当然に朝の支度を終えようとする。濡らした髪をセットしやすいように圭はドライヤー、桜夜はヘアーアイロンを持っていた。そんなに熱したら髪が傷むだろうが! と言えなかった。髪フェチの俺が口を出せないくらいには、この2人がくむと、怖い。

 五分ほど経つと、よしと言って桜夜がアイロンをしまった。


「んじゃ、おっさき~」


 手を振って、ダイニングへ歩いていく。久々に殴りかかりたくなったが、そこはぐっとこらえた。喧嘩として倍以上で返されることが目に見えていたからだ。

 圭を押しのけ、洗面台の蛇口をひねる。メガネを置いて朝特有の雪解け水のような冷たい水を顔にかけると、呼び覚まされる朦朧とした意識。コンタクトを入れようとケースを手に取ると、圭に肩を押された。


「邪魔だって、いってんじゃん」


 中学生にあるまじき兄をにらむという行為・・・・・・と思ったが、そうも言うことはできなかった。俺が中学生特有の、自己満足をこじらせた時期に、いがぐりのようにいろんな人に――それこそ家族だけでなく、学校の友達、上級生、先生、果ては近所のおじさんに――喧嘩を売っていたのを思い出したからだ。自分最強、みたいな感じで。

 思い出深い、が思い出したくない思い出だ。ある一場面が頭にうかび、削除する。たぶんあの時は、家族どころか街のみんなにも迷惑かけたから、一生かけて償わないといけない気がする。




ありがとうございました。

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