こんぺいとう、ワスレナグサ
明け方の、淡い赤が雲を濡らす空。
喫茶〈金平糖〉の中から一人、若そうな男が出てくる。空を見上げた後に入り口の扉に掲げてある、CLOSEの看板をひっくり返す。OPENの文字が見えるようにとカランカランと音を立てて。
そして、また中へと戻る男。
「マスター、今日は誰か来るでしょうか?」
戻った喫茶店の中、男よりも若い一人の女性。栗色の短い髪がゆるくウェーブしており愛らしい印象を受ける。
対するマスターと呼ばれた男は、長い藍の髪を背で一つにまとめ少し冷たい印象だ。
「さぁ。本当は誰も来ないのが一番良いのだがね……、今日も待とうか」
「はい。マスターは朝ごはんどうしますか? 今日は目玉焼きとハムを焼いて、トーストした食パンに載せようと思いますが……」
「うん。それでお願い」
「はい! ではもう少ししたら作りますね」
そうしていると、入り口の扉につけた鐘が来店を知らせる。
《チリンチリン……》
「いらっしゃいませ」
「いらっしゃいませ〜」
入ってきたのは、セーラー服を着た中学生ぐらいの少女。服がところどころ、少し汚れている。長い黒髪の少し気の強そうな少女だ。
「あの……、やってますか? ここ……」
「はい、やってますよ? ……マスター、ちゃんと看板ひっくり返しました?」
もしや、と思い、女は男へと質問を投げかける。男は心外だな、とでも言うかのように女に視線を投げかけた。
「勿論だとも。こんな朝早くから開店してるなんて不思議だったのだろう?」
そう少女に聞く男。まぁ確かにそうである。明け方……まだ夜闇が街中所々に残る、新聞配達員も配達をしていない時間帯だ。
「え、……あの。はい、そうです……」
少し照れるかのような仕草をして答える。
男は中へ手招きし、四人掛けのテーブルに向かう、一つの椅子へ少女を座らせる。
「お腹、空いているんだろう? これから朝食なんだ。一緒に食べようか」
「えっ……でも……!!」
「マスターがいいって言うから大丈夫だよ! トーストした食パンに焼いた目玉焼きとハムを乗せただけだけどいいかな……?」
こんな風になるとは想像していなかったのだろう。目で見てわかるほど少女は動揺し、口から単語しか出てきていない。
「だって……、でも。あたし……」
《ぐっぎゅるるるるる〜……》
「あっ……!」
何とか断ろうとするものの少女のお腹が盛大に鳴る。店内に男、女、少女以外は見当たらない。予想外に響く音。
「ふふふ、随分お腹が空いてるみたいじゃないか」
「マスター、出来ましたよー。ほら、冷めないうちにどうぞ!」
そうしているうちに女が三人分の朝食を持ってきた。熱々の目玉焼き。少し焦げ目のついた、良い香りのするハム。
サクッと良い音のしそうな、焼けたパン。
少女の隣に女が座り、向かい側に男が座った。
「さぁ、マスターも貴女も手を合わせて。いただきます」
「いただきます」
「い、ただきます……」
手を合わせる三人。
その後、男がパンにかぶりつく。
「うん、美味しいね。いつもながら」
「えへへ、ありがとうございます。ほら、あなたもどうぞ? お腹、空いてるんでしょう」
女も食べ始め、少女は少し遠慮しながらパンを持ち上げる。
上に乗った目玉焼きも熱々で湯気を立てている。かぷり、と少しだけ齧る少女。
ゆっくりと咀嚼する。
ほのかに甘いパンと、ハムの味。塩コショウがかけられた目玉焼きの白身の食感。
出来立ての暖かい食事。
一つのテーブルを囲んでする食事。
「どう……美味しい?」
女が少女に問いかける。パンを持ったまま少女は俯いてしまい、隣にいる女でも表情が見えない。
そのまま少女は一口、また一口とパンを口へ運んでいく。
そして、少女は__泣いていた。
「……お、いしい……です……! っんぐ。……ぅう……!」
「そう。よかったわ……ほら、泣かないで。ゆっくり、ゆっくり食べて」
女は泣いている事に何も触れず、静かに少女の背中をさすった。
「あ、たし……昨日の夜、お母さんと、け……けんか、して……晩御、飯食べずに……家、出てき、ちゃって……」
ひとりでに泣きながら話し出す少女。静かに、男も女も聞いていた。
「それ、で、何にも……食べてなく、って……パン、食べてたら……お母さんが昔、作って、くれた朝ごはん、思い出して……!」
そこまで言うと、女は背中をさすっていたてで少女の頭を優しく撫でた。
「そっか……お母さん、心配してるよ。食べ終わったらお家に帰って仲直りしよう?」
「……うん」
そこまで黙っていた男は、食べ終わり席を立つ。
「暖かい飲み物を淹れよう。紅茶でいいかな」
「あ、マスター。アールグレイティーでお願いします!」
「……あたし、もそれで……」
「はい、分かった」
そう言って男は調理台へ赴く。
男が行くと、少女は心配そうに女へ向かって口を開いた。
「あ、の……。あたし、お金持ってなくて……」
「うん、大丈夫よ。心配しないで、お金なんて取らないから」
「え、でも……!」
「このお店は、貴女みたいに道に迷った人の道標なの。だから……気にしないで、冷めないうちに食べて?」
ぱち、と少女に向かってウインクする女。少し申し訳なさそうな顔をしつつも少女は頷き、また食べ始めた。
三人とも食べ終わった頃、男がおぼんにティーカップを三つ並べて持ってきた。
「はい、紅茶淹れたよ。どうぞ」
「ありがとうごさいますマスター」
「ありがとう、ございます」
「はいよ」
ティーカップの中では赤みがかった綺麗な茶色の液体が香りを立てている。
女は口をつけ、熱そうに啜る。
「……っはぁ。流石マスター、美味しいです」
「それはどうも」
それまでずっと、ティーカップを眺めていた少女は言いにくそうに尋ねる。
「あのぅ……お砂糖いただけませんか……?」
そうすると女がテーブルの端にあった蓋付きのまあるい容器を少女の近くへ置く。
「これ、お砂糖だよ。……開けてみて?」
「……はい」
言われるように、蓋を取る少女。少女はそこに入っていた予想外なものに驚く。
そこには、白や青や、水色の金平糖が入っていた。
「こん、ぺいとう……? ……綺麗な青色」
可愛らしい、三色の小さな星の欠片たちがそこには集められていた。
青色の中にある白い金平糖は、まるで夜の空に浮かぶ星のよう。
「綺麗な空見たいな青には、勿忘草色って名前があるの」
「ワスレナグサ……」
金平糖を見ながら、呟く少女。
「青は、空の色。海の色。そして、涙の色だよ。今のような悲しみに囚われたくなかったら……これからお母さんを大切にしなさい」
「は、……い」
そうだ、行かなきゃ。お母さんが心配してる。帰ろう、大切な、お母さんのいるお家へ__。
少女は立って、二人に礼をする。
「色々、ありがとうございました。紅茶、申し訳ありませんが……帰ります」
「気をつけて帰ってね!」
「早く行きなさい。待っているだろうから」
「はい、ありがとうございました!」
少女は早歩きで入り口まで行き、店内から出て行ったのだった。
「うまくいきますかね、マスター」
「分からないよ。あの子がどうするかによって、良くも悪くも未来は変わるのだから」
そう言って、一口、紅茶を飲む男。
ふっ、と息を吐く。
「さぁ、日が高くなる前に閉店しようか」
「そうですね。看板、ひっくり返してきます」
「お願いするよ」
迷える人はいらっしゃい。
朝焼け色の空が覗く間だけ、開店しています。
その名は__喫茶〈金平糖〉。