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報復  作者: 深皇玖 楸
9/17

終わらない一日

 放課後、綵菟は部活が休養日なのをいいことに、終業後すぐに学校をでた。

 行き先は当然、珂欟の屋敷だ。

 雪廻町には山が一つある。私有地ではなく、かと言って誰でも気楽に登れる訳ではない。

 この街の人間だけが、入山を許されているのだ。しかも、その中の更に禁足地、そこに珂欟と瑞木の本邸がある。

 綵菟も睦瑳もそこには住んでいないため、居るのは両家の当主と伴侶、そしてごくわずかな使用人だけである。

 使用人とはいえ、きちんと神職に就いている人々で、修行の意味合いも込めて、その年齢には幅があった。

 この街の人間は必ず、能力が開花しきったら修行に来なければならない。そうして、次の世代に託すべきものを悟るのだ。

 能力が開花し切るのは、一般に大体思春期を終えて、高校3年の秋口辺りと言われている。個人差はあるものの、どうやら17、18歳の間のようだ。

 だから勿論、綵菟も開花し切っているわけではない。如何に能力が高くとも、それが最高点ではないのだ。

 綵菟は山の麓の登山口にある鳥居をくぐって、石段を登る。近道としては裏道を馬で駆け登るというのがある位のもので、活用されていたのは少なくとも戦前までだろう。今では専ら石段で登る。

 途中に池があり、洞窟があり、滝があり…と、山としての環境は、充分に楽しめるものであり、実際に子供たちはこの山で遊ぶ。危険なことと言えば、石段で転んで膝を擦りむくことと、滝壺に落ちないようにすることくらいのものだ。

 因みに綵菟は昔、鳳征に滝にうたれて来いと言われ水行に臨んだ際、滝壺の裏側から階段が伸びていて、その奥の洞窟に天然石が溢れかえっていることも知っている。それらは珂欟と瑞木が、修行者の修了の証として渡す品の原材料となっているようだった。

 石段は全部で1万段を超し、5217段目に鳥居があり、すなわちそこから先は禁足地となる。

 綵菟は黙々と石段を登り続ける。

 秋の日の入りは早く、夕焼けで綵菟の影が長く伸び、やがて星が出る。月は上弦、明かりになるものは何もない。綵菟はただ、石段に従って登った。

 山の中は静かだった。虫の鳴き声すらなく、そこは下界とは隔絶された神域なのだと思い知らされる。だが、普通の人間にとっては不気味この上ないだろうことも、当然承知していた。

 この分だと泊まりになるだろうと、綵菟は踏んでいた。そのため、石段を登るペースは普通のそれであり、まだ鳥居は千段以上は先だ。 鳳征と詩織は規則正しい生活を送っており、夕飯も6時半と決まっている。綵菟ならば小一時間もあれば着いてしまうので、なるべく普通の人間のペースで歩いているのだ。

 祖父母とはいえ、一緒に食事は摂りたくない。何かにつけて小言を言われるのは、今の綵菟にとっては一番避けたいことだった。

 長い階段を登り終え、そこに広がるのは木々ではなく、林立し、そびえ立つ建物ばかりだった。そして、綵菟は特に何の感慨もなく日本庭園の横を抜け、神社の前を通りすぎ、祠を素通りし、入ったら迷子になりそうな日本屋敷の奥の更に巨大な洋館の前庭を横切り、北に向かう。

 因みに日本家屋は儀式の為に使用されるのみで、今は誰も住んでいない。壮大な洋館は建坪だけでも1300坪を数えるのに、庭園や池などを入れると1700坪にもなる。これは瑞木の館で、現在は当主夫妻とその弟妹、そして38名の使用人がいる。今も灯りが点っており、明るい声が響いてきそうな雰囲気だ。

 北へ向かうと、今度は更に巨大で荘厳な洋館がある。こちらは建坪1900坪、全体で2400坪にもなる。こちらが、珂欟の館だった。

 共に日本でも最大級の豪邸であるが、勿論、その事実を知っているのはこの街の人間だけだった。

 綵菟は噴水の前に立ち、手の汗を軽く流す。

 鞄を持つ手が汗ばんで、気持ち悪かったのだ。

 そうしてから、屋敷の方に向かう。

 ここには呼び鈴はなく、綵菟は勝手に鍵を開けて入ってしまう。

 今の時間帯、詩織は自室の筈だ。いくら綵菟が来るからといって、彼女の生活リズムが狂うことはない。

 綵菟は真っ直ぐ詩織の部屋に向かった。

「お祖母様。綵菟です」

 ノックしながら言った声は、通常のそれより遥かに低い。不機嫌な調子を少しも隠そうとしていない声だった。

「そう?綵菟なの?待っていたわ、入って」

 猫なで声だ。とはいえ詩織はいつもこうだ。甘ったるくて一口目でダウンしてしまいそうなケーキのように、綵菟には合わない。

「失礼します、お祖母様」

「相変わらず他人行儀ね、綵菟。でも相変わらず顔は綺麗だわ」

 貴女も顔だけならね、と綵菟は心中で毒づき、しかしそれをおくびにも出さずに、あくまで他人行儀に接する。

「お祖母様の方こそ、お変わりないようでなによりです」

「まぁ、ここは山の中だもの、そう大して変わったことなどないわ。ここは聖域だもの、獸も来れないし」

「――ですから、お祖母様。獸は……」

「敵よ。敵だわ。それ以外に何だと言うの?」

「――この街の守護者です。それは太古より変わらぬ事実で、敵ではありません」

「守護者ですって?まだそんな世迷い事を言うの?」

 詩織の声は、あくまで甘い。蜂蜜か、カラメルソースのような感じだ。べたべたと粘着質で、メイプルシロップのようなさらさら感はない。

「世迷い事を仰っているのはお祖母様の方です。一連の死は、獸の犯行ではありません」

「何の根拠があってそんなことを言うの?綵菟」

「自分がそう感じたまでです。そして今日、獸に会いました」

 詩織の表情が凍りつく。それで綵菟が無事なら、自分の言っていることは全て否定されてしまう。仮に獸が敵であったとしても、綵菟は襲われる筈がないということは、詩織は知らない。

「彼の真名は雪營。雪廻町の名前の由来でもあります。お祖母様は、何故にそうまでして雪營を敵視なさるのですか」

 淡々と、綵菟は言葉を重ねる。詩織はもう、綵菟には敵わない。

「理由など……」

「雪營に罪をなすりつければ、それで街の人々が安心すると?そうお思いになったとでも言うのですか」

「そうよ。その方が…」

「それでは外敵の意のままだということが分からないのですか」

「……」

「彼に罪はありません。お祖母様、明日にも、その旨を街の皆に謝罪して下さい」

 詩織はゆっくりと頷いた。綵菟にはもう、次期当主としての威厳や風格が付いてきているのだ。

「――それで、お祖母様。ご用件は…」

「いえ、もうそのことはいいの。お祖父様にも呼ばれているのでしょう?行きなさい」

「そうですか。では失礼致します」

 綵菟は言い捨てて、足早に詩織の部屋を後にした。詩織の纏う粘着質な空気と、薄汚れた感じが堪えられない。世間一般では退廃的というのだろう詩織の、50がらみの女とは思えないような美貌も、綵菟に言わせればその程度でしかないのだ。

 綵菟はそれを振り切るようにして、隣の鳳征の部屋に駆け込むように入った。

「綵菟か。遅かったな」

「すみません、お祖父様。お祖母様との話が長引きまして…」

「相変わらず堅い言葉遣いだな、綵菟」

「これでも砕けている方です」

「まぁ、御師と呼ばなくなっただけよしとするか」

「そんなに嫌ですか?」

「……綵菟、私たちは家族だろう?」

「『私たち』というのはお祖父様とお祖母様のことですか?」

 鳳征は口ごもる。綵菟は聡い。まだ若く、切り捨てることに何の躊躇いもない。

 茉鵺のために詩織と縁を切れない自分とは違うのだ。

「そんなことより、今日呼び出したのは…」

「――お前の、身体の件だ」

 綵菟の背に、緊張が走る。細く長く、そして深く息を吸い、そっと目を閉じ瞑目する。






 長い長いこの日は、まだ終わる気配を微塵も見せない。

 本気でこの日は長いです。綵菟の体感時間で一週間くらいかと。

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