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報復  作者: 深皇玖 楸
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見えない惨殺者、真昼の出来事《四》

 前半は鬱々、後半は突拍子のない造りになっております、御注意を。

 獸に恐怖を感じたことはない。むしろ、哀れみを感じた。報復によって人を裁く権利の話ではない。それは人間の勝手な物の見方でしかなく、押し付けるのは烏滸がましいというものだと、綵菟は思っている。

 理不尽なものではない。

 住民はそれを古来より知っている筈だ。獸が約束を違えないということも。

(どうして)

 それ以外に言い様があろうか。綵菟は持っていない。

 獸に掛ける言葉もなく、綵菟はただ立ち尽くす。

 自分でも、獸に話しかけたいのか、それともそのまま去ってくれることを望んでいるのか分からない。

 綵菟は昔から、自分という存在をはっきりと捉えることができない。

 誰にでもある現象だが、綵菟はそれが慢性的になっている。綵菟の中ではっきりしていることと言えば、柚弥と睦瑳が好きで、柚弥が死んで悲しくて、睦瑳だけは守りたいという思いだけだ。それ以外にどうという感情が非常に希薄で、ついでに五感のうち味覚と触覚が積極的に働かない。綵菟が使おうと思えば使えるが、綵菟が必要と感じること自体が稀だからだ。

 自分に対する感情が極端に希薄であるのに、自分以外の者に対する感情はしっかりしている。総てに対しての感情が希薄であれば変人として扱われるが、綵菟の場合、そのことに気付いたのは鳳征くらいのものだ。

 決定的に他者とは違うのに、余りにも誰も気が付かなかった。綵菟はそういう目で顧みられることもなく、ただ珂欟の後継者という視点でしか捉えられたことがないのだ。

 悲しくもなく、ただ日々を消化していくだけの単調な毎日が激変してきたのは、柚弥が死んでからだ。

 綵菟は何であれ、この街が好きだ。けれども綵菟ですら気付かない水面下で、何かが変容してきていると、気付き始めた。

 この街は世間から疎外されてきた。拒んできたと言った方が的確だ。

 長い間、人の目には映らず、都や国からも忘れ去られ、独自の体制を築いてきた。

 戦後になってからは外からの人間も増えたが、住み着いたりすることはなかった。それは今でも変わらない。

 だが人々は、メディアの発展とともに変わってきている。

 それは仕方のないことで、大学を出ると越して行く人間も少なくない。隔絶された地域の中で、何をかもを知られた中での生活は、現代人にとっては苦痛でしかないのだろう。

 しかしそれでも獸の報復を畏れて、結婚すればこちらに戻ってくる。

 そんなサイクルを、獸を見遣りながら取り留めもなく考えているうちに、綵菟はあることに気が付く。

 赤姫のような外敵は、もしかしたら―――――。

「怒らないのか?」

 その言葉に綵菟は獸の方に焦点を合わせると、獸は傷ついた表情をしていた。

「…怒る?柚弥のことか…」

「死なせないと、約束した。だが…」

「柚弥が死んだのは、仕方がない。俺には全く、殺意も恐怖も前兆も…感じられなかった。殺意が感じられない以上、そっちが感知できないのも仕方ないと思う」

「そうか。だが、やけに醒めた意見だな。普通はもっと常軌を逸した発言をしたりするものなのだが」

「何人死んだと思っているんだ…。これだけ死人が続いて、まだ“獸が狂った”なんて言っているほうがおかしい。何時誰が何処で死んだっておかしくない状況で、自分や自分の周りは無関係だと思っていられる程、俺はおめでたくない」

 綵菟の切り返しに、獸は一瞬たじろぐ。綵菟がそんな意見を持っているとは思わなかったという顔だ。

「それに、幾らなんでもおかしいだろう?死人は出こそすれ、怪我人が出たわけではないんだから。“身近な人間の死”を使う、或いは本人への直接的報復を選択し続けているだなんて明らかに馬鹿げている。これは全てお前以外の仕業だ」

「断定か」

「誰も禁を破ったようには思えない。それは単純に俺の力不足もあるだろうけど、これだけ頻発している死に対して、恐れを抱かないわけがない。皆、最近じゃ都心にも出ないから」

「報復を恐れて、か」

「そんなものだ」

 綵菟の半ば呆れの混じった言い草は、既に年相応のそれを越えている。綵菟本人はそれを充分に理解していたし大人ぶっているという訳でもない、それは老成と呼ばれる類いだ。

 綵菟は既にそれを悲しいとは思わない。その同年代との微妙な齟齬は、集団生活が始まる前、綵菟の世界がまだ睦瑳と柚弥と家族に占められていた頃に学んだ。

 当時の綵菟は取り繕うことを知らず、ただ自分の意志に素直に応えた行動を取っていた。

 その結果、何でも淡々とこなす子供らしさを欠いた行動をとる綵菟に柚弥が泣き、睦瑳が困惑を示した。そこで綵菟は、自分がおかしなことに気付いたのだ。

 もう10年以上も前の話だ。悲しむ段階も過ぎ、綵菟は本心を失くしてしまう程に順応したのだ。

「人生をどう後悔せずに生きるかは人それぞれだとは思うが、本心を忘れてしまえばそれは空虚で本末転倒だぞ」

 そして獸は、そんな綵菟を見透かすように、いっそ残忍な程の言葉を浴びせる。

 綵菟は深く瞑目し、深呼吸してから獸を見据える。

 その目は白昼の太陽に透けて、強い青を示していた。

「それでも、まだ俺には大切なものがある。それで充分だ」

「屁理屈を。それだけで生きては行けまい。お前のそれはただの強がりだ」

 獸の切り返しに、だが綵菟は笑って見せる。

 何を以て自分を律するかなど、とうの昔に決めたのだから。

「強がりで結構だ。それだけまだ足掻く気持ちがあるなら、本心見失っていようが関係ないだろう?少なくともお前が言ったように、空虚ではないな。本末転倒は認めるけど」

 自分に一切干渉するなとは言えない。綵菟にとって他人は一種理解不能の不思議な存在だが、何も彼らが悪いのではない。それにそんな彼らが煩わしいけれども、同時に安堵もするのだから。己の殻に閉じ籠ることも、一時期は考えた。けれどもそれでは何の解決にもならない。それが分からない程、綵菟は愚かではなかった。

「成る程な。面白い奴だ」

 くつくつと笑っているのか、空気が振動する。

「―――ならば人と・・・の狭間に在る、と言ったところか」

 獸がひとりごちるが、綵菟は聞き流す。言い得て妙だなと思いつつ。

「名は何と言っただろうか、珂欟の後継者」

「―――香月綵菟だ」

「香る月、か?それなら普通は『かつき』と読むはずだろう?」

 いずれにしても『かつき』じゃないかと、獸がいぶかしむ。

「さあ。父方の姓だし、よくは知らないけど」

 栩月が語りたがらないのだ。だが茉鵺から聞いた話によると元々の姓は『島森』、それからまず両親の離婚があって、栩月は母方に引き取られて『花房』、再婚して『顕上』、また離婚したために『花房』に戻り、それから『真鍋』になって、もう一度『花房』を経験した後、ようやく今の『香月』に落ち着いたのだという。

 事の真偽は別として、綵菟が実際に父方の親戚と会ったことがないというのが全てを物語っているとしか思えないのである。

「そうか…。『あやと』はどう書く」

「あやぎぬの綵に菟糸の菟。根無葛の彩りって意味だ」

 別に葉緑素はなくてもメラニン色素はある、と反論したのは、もう遠い昔の話だ。

「あまり誉められた名前ではないな…」

「?根無葛が厭ならうさぎでもマメダオシでも木菟みみずくでも…」「――では、綵菟。この街を頼んでも良いだろうか」

 そのあまりにも唐突かつ突飛な方向修正に、綵菟は目を見開く。

「ぇ………?」

 思わず、変な声が漏れる。何となく情けない音だった。

「この街を、任せる。そう言った」

「―――この街を空ける、ということか?」

「そうだ」

「外敵を、探すと?」

「そうだ」

 綵菟は獸を見据える。成る程、黒い外套は旅支度のつもりなのか。

「良いだろう。お前の居ない間は、何とかする。だから―――確実に情報を掴んできてくれ」

 風がまた、吹き荒れる。だが二人の声は掻き消されることなく、真っ直ぐに相手の耳へと届く。

 それが何を意味するのか、綵菟はおろか獸ですら気付いていない。否、気付く余裕が二人にはないのだ。

「当然だ」

 その低いばかりの声に、綵菟は微笑みを以て応える。

「そうか。―――助かる。ところで、お前を何と呼べばいい。いつまで俗称で通すつもりだ?」

「…。そうだな。―――私の名前は雪營せつえいだ」

 綵菟はその名を聞いた瞬間、何かが引っ掛かる感覚を覚える。

 せつえい。

 せつ・えい。

 雪・えい………?

(――――雪廻町…!)

 雪が廻る。

(そうだ。ではやっぱり…お祖父様の仰っていたのは…)

 廻るに近い、『えい』の音。

 営。だがおそらくは、營。異体字だろう。旧字と言っても良い。

「雪營……。雪が周りを取り巻く。そうだろう?」

 獸がこの街を守ってきたことは、やはり事実なのだ。

「―――珂欟の賢しき後継者よ」

 それはとても感情の込もった、心地よいバスの声。

「その声は一生高い」




 綵菟は虚を突かれた。一体どういう意味だろう。思わず眉根を寄せる。しかし、何故断定なのか。

「声変わりは逆行する。ソプラニスタに戻るだろう」

 意味が全く掴めない。声変わりが逆行するということは、声帯が短くなるとでもいうのだろうか。

 因みに綵菟は当然のようにテノールだ。もう少し成長すれば、バリトンも夢ではない。

「案ずるな、血の特徴だ。双璧は陰陽、だがその代の後継者が同性の場合には両家が交代で声帯に異常が出る。今代は珂欟の番だから、綵菟の声が逆戻りするということだ。―――18の夏までに」

 あまりにも突拍子が無さすぎて、綵菟には返す言葉が見つからない。

「安心しろ、女体化するわけではない。祝詞の都合上、両家が取り決めた誓約の一つだ」






 雪營は綵菟に言うだけ言った挙げ句、

「では―――頼む」

 それだけ言って、掻き消える。




 屋上に残ったのは、思考停止したままの綵菟と、乾いて茶色くなった血痕だけであった――――。


 この回、書いてたら鬱々モードで延々…という破目になってしまったので、しばらく冷却期間を置いてみました。

 そうすると、案外勝手にキャラが動きますね、やっぱり。

 綵菟の声が逆行するとか、私十分前は知りませんでしたよ。

 怖いものです。

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