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報復  作者: 深皇玖 楸
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見えない惨殺者、真昼の出来事《ニ》

 その絶叫はまるで、世紀末が来るかのような、悲痛で行き場のないものだった。

 大抵の者の声は裏返り、その叫びは正に恐怖を感じさせる。




 澤口を見ている一方で、呆然とそんなことを考えるのは、無事だった綵菟だ。

 だが実際は呆然としている余裕はない。そんなことは綵菟も承知していた。

 綵菟に恐怖を与える何者かの気配は、未だに消えない。

 呆然自失している綵菟を見て、嫣然と微笑む気配だ。

 それは獸のそれとは違う、下卑て女くさい臭いがした。

 香水とは違う。むしろ、香が焚き染めてあるような―――。

 綵菟は何か掴みかけるが、生憎澤口の呻き声に思考が霧散してしまう。

 舌打ちしたい気分だったが、今は澤口の怪我の具合のほうが大事なのだ。

 だが、またその女のような気配が動く。

 意識を集中してその気配の動きを探ると、とても速い。

 そしてそれは、先程の生徒の方へと向かっている。

 そのことに、生徒と一緒にいる教師―――槇原は気付いていない。生徒も然り。

「槇原先生っ、気を付けて!!」

 今度こそ助けたかった。何としてでも、血飛沫があがるその前に。

 スプリンター並みの速度で移動していた女のような気配は、まさか綵菟に自分のスピードでも気配を察知できるとは思っていなかったのだろう、驚いたのか動きを止めた。

 まだ殺気は発されていないのに気配を悟った綵菟の方に、その気配は向く。

「何の為に人を殺す?それはそんなに楽しいのか?そして、お前は何だ」

 そのとき、くつくつと笑い声がした。それはもちろん、女のような気配がするほうからだ。

 その笑い声はとても金属的で、笑い声を聴いただけでは、女か男か判断はできない。

「人に物を尋ねるときは、まず自分から名乗るものだがのう…。ほんに若い者どもは礼儀がなってない…」

 その声はとても粘着質で、何より時代がかった物言いと自分が優位に立っていることを指し示すような優等生的発言、そして泰然自若とした声音から、罪の意識を感じていないことが分かる。

「それは失礼だったな。だが礼儀云々を説く前に自分が礼儀を尽くされて当然だと思うな。尽くされたければそれなりの行動をしろ」

 ぴしゃりと綵菟は言い放つが、気配は微塵も揺るがない。

「ふふふ…。面白い人間だのう。無条件に他人の下に付くを嫌うか」

「当たり前だ。お前も、ただ生まれだけで大した能力があるわけでもないくせに親の七光りで自分の上で権力を振りかざす人間がいたら嫌だろう?」

「嫌じゃのう。邪魔くさいだけではないか」

 綵菟は微かに笑みを浮かべる。どうやら隷属を嫌うタイプらしい。もしも人間であるのなら、それはありふれてはいるが一つの情報には変わりない。

「そういうことだ。俺は相手を知りもしない癖に最初から優位に在ろうとする奴に礼儀を尽くしたりはしない。ましてや目の前でうちの学校の教師を傷つけた奴なんかになんてな」

「おやおや、耳の痛い。うむ、なかなかの人間ではないか。お主、もしかして珂欟の人間か?」

「…ああ。一応は」

「そうか…。うむ、納得した。しかし勿体無いのう…。お主なら、如何様にも生きられようが…。あの家は悪い女が巣食うておるじゃろう」

 この女は何者なのかという疑問が、綵菟のなかで一層深くなる。何故珂欟の状況まで当てられるのだろうか。

「図星かえ?あの女は質が悪い。自分の尺度でしか行動できぬ者じゃわいなぁ。ある意味可哀想でもあるが、さて…」

「可哀想、か。まあ無自覚なのを見るとな」

「お主はあの女に喰われる前に逃げた方がええぞ。その力、ほんに勿体無い。四色混ざったものは居なくはないが、如何せん色合いが悪い。それに比べてまあお主は良いとこ取りじゃのう。光によってころころ変わる。綺麗な玉のようで貴重じゃ」

「誉めたところでお前の罪は軽くなりはしないが?」

「まるで妾が人間であるかのような口ぶりじゃのう」

 屋上は風が強い。綵菟が女のような気配と会話をしている間に、澤口は槇原によって応急処置が為されている。もちろん、先程の生徒も手伝っていた。

 『妾』という一人称から、やはり女であることが濃厚になる。

「人間だろう?決めつけたのが気に入らないのか?」

「そうじゃのう…。気に入らないわけではないが、悔しくはあるかのう」

「なるほど。お前はどこに住んでいる?何故この街の人間を殺す?」

 綵菟は一気に捲し立てる。このまま煙に巻かれるのだけは嫌だった。

「さて、どこかのう。この街の人間を殺すとゆうても、それは限られるがの、この街の一部の人間には赤い赤い血がとても似合う。つまりはそういうことじゃ」

「快楽殺人症か?」

 それならば分かる。そしてこの類いの人間にとって、この街は非常に好都合であることも。

「おや人聞きの悪い。妾は罪ある者と、妾を観た者のみを殺す。罪なき者を殺すなど、外道のすること」

 人を殺すこと自体が既に外道であるというのが一般常識だが、これでは情状酌量の余地があるとでも言わんばかりだと、綵菟は思う。

「―――赤姫」

 女の気配は唐突に言う。

 綵菟は妙に納得がいった。口調も声音も考え方も、総てがそう呼ぶに相応しい。

「――――では、良き出逢いの記念に、血の舞いを」

 赤姫はそう言うと、遂に姿を現す。その姿は自分で言ったように赤姫。濃淡の差こそあれ、真っ赤な和装。ただ、着物の模様である蝶と髪が黒く、毒々しい。

 赤姫が持っている得物は両手の鉤爪、丁度着物の袖に入り、良い塩梅だ。

 顔は白粉で真っ白、目元は紫で着物と合わせて一層毒々しいが、不思議と似合う。唇は薄く、花弁の如く深紅の口紅が塗られていて、一見して芸者のように見える。

 そして、その素早い動き。

 綵菟は目を見張った。どうりで速いわけだと思う。

 赤姫の動きは実に優雅だった。

 本当に芸者が舞うかのように流れるように動き、我に返った綵菟が追い付くこともできずに先程の生徒の所へ辿り着く。




 赤姫が不敵に笑い、恐怖に怯える生徒に向かって鉤爪を振り下ろす。

 間に合わない。綵菟がどんなに追っても距離は百メートル、それにかかる時間は十秒強、一方の赤姫が得物で生徒を殺すのにかかる時間はその半分で済むのだろう、澤口のことから察するに。




 綵菟は目を開けていた。

 間に合わないのなら、せめて最期を見届けてやりたかった。


 その綵菟の視界が、急に陰る。




 その気配は唐突に現れた。




 そして、綵菟はその気配の主を知っている。

 それは勿論、綵菟はもとよりこの街の人間にとって重要な存在である。



(獸……)

 因みに獸に名前はない。獸は古くから獸とだけ伝えられてきた。それが獣の姿をしていようがしていまいが獸である。

 現に、今は黒い布に覆われた人型をしている。シルエットはそう見えて、実際は違うのかも知れないが。







 獸は赤姫と生徒の間、丁度澤口ともう一人の教師の真上に覆い被さるようにして立っている。

 赤姫は鉤爪を振り上げた状態のまま静止し、秀麗な眉を寄せる。

「無粋な奴じゃのう…退くがよい」

 赤姫の高圧的な態度に、綵菟は緊迫した状況にも関わらず思わず感心してしまう。

 この街に古くからいたのは、紛れもなく獸だ。

 赤姫の方こそが異邦人であり、彼女の重んじる礼儀を尽くすべき相手だと思うのだが。

 獸は微動だにしない。ただ、赤姫を見据えていた。

「退くがよい。其は妾の獲物じゃ」

「少なくともこの街での断罪者は吾だ」




 久しぶりに聞いた、獸の声。

 あれから十年近くが経ったが、自分の記憶が褪せていないのがよく分かる。

 獸の声は変わらない。

 唸り声のような、所謂獣らしい咆哮とは違い、シルエットと同じく人間臭い。だが、姿から想像するようなバスではなく、バリトンのなかなかの美声。

 一方の綵菟は声変わりしても大して変わらず、まだまだ低くなるのを期待しているのだが一向にその気配はなく、未だに女声の、それもメゾソプラノまで歌えるほど高い。

 最早完全に傍観者に成り果てていた綵菟にとって、獸の声はいたずらにコンプレックスを刺激しただけだった。




「それは失礼したわいナァ。しかし、その者には罪がある故、殺しても構わぬと思うのだが…」

「成る程。十年ばかり前から、身に覚えのない死が増えたと思っていたが、貴様か?」

 獸の発言に、綵菟は納得した。

 獸の報復を事前に察知できるのは自分だけ。

 それは鳳征にもお墨付きを貰うほどで、綵菟自身にとって唯一睦瑳に勝っていると思えることでもあった。

 だが睦瑳が獸に気に入られてからというもの、感知できていないのに、突然に誰かが死ぬことが増えた。

 それは目に見えてと言うほどのものではなく、だが記録を付けてみると、明らかにおかしかった。

 事故死などといった些末な死は、一人で行動しついて注意を怠ったり、投身自殺でもない限りは、この街ではありえないはずだった。

  それがここに来て十年は奇妙な死が続いた。そしてこの一ヶ月で、更に増えているよいに思う。それは明らかに異常だった。

 赤姫は首を傾げる。下ろしたまま、結っていない黒髪が一緒に揺れる。

「はて、覚えにないのう…。妾がこの街へと来たのはここ一週間ばかりじゃが、殺したのは今日のを含めて二人しかおらん。ま、妾と同じ考えの者が他にいることは確かじゃの」

 赤姫は相変わらず笑みを崩さず、いっそ傲慢なくらい落ち着いていた。

「成る程。そういうことならあり得るな。―――ところで、お前は何者だ?」

「妾のことは赤姫と呼べばよい。それ以外に説明することはない」

「赤姫か。確かにその格好なりには相応しい名だが」

「おやおや、歯切れの悪い奴じゃのう…。最後まで言い切ればよいと言うに」

 獸の纏う黒い布がマントなようにたなびく。凪いだ風に揺れているにも関わらず、どういう構造になっているのか、黒い布から中身が見えることはない。それは、いっそ黒い布が獸そのものだと思った方がいいとまで感じさせた。




 綵菟は気配を消して、フェンス越しにグラウンドや校舎から屋上を見上げている生徒及び教師に向かい、大丈夫というサインを送る。そこはシンプルに両手でマルだ。

 それと同時に唇に手を当てて、静かにしているように指示した。

 僅かな期待を込めて、綵菟は睦瑳の方を見る。

 睦瑳は綵菟が屋上に駆け出した後、追ったりせずにすぐにグラウンドに向かい、転落した生徒の方の応急処置をしたらしい。

 丁度、救急車に運び終わった直後のようだった。

 だがしっかりと綵菟のサインに気付いてくれて、周りに伝えているようだった。

(後は、獸に悟られなければいい)

 綵菟は報復は嫌なことだとは思うけれども、獸自体を嫌っているわけではない。

 だが、もしもここで獸が睦瑳の存在に気付いて近づいて来たら、それは危険だ。

 噂が本当だと知られれば、いくら瑞木家の人間でも、糾弾は避けられないからだ。

 綵菟は祈るような気持ちで、赤姫と獸の方を見た。




「歯切れが悪い…か。まあ否めんな」

 微かに獸が愉った。それに連動して、空気も動く。秋も深まる昼下がり、この時期にしては暖かい時間帯だったが、屋上はそろそろ人がいるには限界だった。

 綵菟はただ傍観しているだけだったが、流石に寒い。

 対峙する赤姫と獸の姿は、ただ高く澄んだ空によく映えていた――――。

 赤姫と獸の最後の会話、要領を得ていません。

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