第4話
惣太は赤い星を瞬一に渡し、ズボンの裾をたくし上げてザブザブと泉の中に入って行った。ユシの浮いている倒木までくると、ユシは自分の真下を指差して言った。
「ここに一番星がある。お前にはそれをやる」
「え、いいのか?」
「お前、いいやつだからな。一番星は特別長い間育てないと星にならないんだけど、まぁ、そのうちまた生まれるから問題ないぞ」
「やったぁ! ほんとにいいのか?」
「おう。俺様がいいと言えばいいんだ」
惣太は倒木の下を手探りで漁ってみた。砂の中の石ころのような塊を掴んだ。それは赤い星と同じくらいの大きさだったが、自ら発光しているような淡い光に包まれて金色に輝いていた。
「すっげー! こんな綺麗なもの見たことない」
「わかったから、そんなに褒めるなって」
嬉しそうなユシなどそっちのけで、惣太はいろんな角度から星を眺めた。
「惣太! 行くにゃ!」
瞬一がしびれを切らして叫んだ。
「じゃあな、ありがとう」
「またこいよ。星ならいくらでもやるぞ」
ユシは飛び上がってくるりと回転し、上機嫌で両手を振った。
◇
「今回のテストは惣太が一位、間違いにゃしにゃ」
「一位? ほんとか?」
「桜貝はかにゃりの大物だし、星だって一番星にゃ。俺も初めて見るにゃ」
瞬一はしげしげと一番星を眺めながら言った。
「俺って優秀だったんだな。こういうテストなら毎日でもいいや」
二人が教室へ戻ると、タイミングよくチャイムが鳴った。
昼休みだ。生徒はまだ全員そろっていなかったが、各自昼食に入った。
「午前で終わりじゃないのか?」
「テストは一日にゃ。今日も購買にゃら、晩飯も買っておくにゃ」
「晩飯?」
「購買は夕方までにゃ。夜には腹減るにゃ」
テスト期間は午前中で帰れるのが唯一嬉しいところだ。それが夜までかかるというのは正直、面倒くさい。それでも貝を掘り起こしたり星を拾ったり、そんな楽しいテストならまぁいいか、と惣太は簡単に思った。何せこの妙な世界では優等生なのだから。
「わかった。ちょっと行ってくる」
教室を出ると、廊下にもやはり動物がうろうろと歩いていた。通りすがりにとなりの教室を覗いてみたが、同じ光景だった。
まさか購買に動物の餌なんか置いてないだろうな。
果たして何が置いてあるだろうかと気にしながら、一階の購買まで降りて行く。
玄関の向こう側に購買所があり、玄関前には各種クラブ活動などで表彰されたときのトロフィーなどが飾ってあるショウケース。磨かれて指紋ひとつないショウケースを何気なく見て、そこに映った自分の姿に驚いた。よくよく目を凝らしてみるが、見間違いはないようだ。近くのトイレへ駆け込み、鏡を見て叫んだ。ただ叫んだ。そして自分のクラスへ駆け戻った。
教室には穏やかな空気が流れていたが、惣太が血相を変えて飛び込んだせいで一瞬にして張り詰めた。
全員が惣太に視線を注ぐ。その顔はみんな人間の顔だった。
戻ってる……何で? 何で俺だけ……。
「どうした、惣太ぁ? んなアホ面して。寝惚けてるのか?」
この空気を壊そうと、誰かが声を発する。
瞬一だ。
くすくすと周りから笑いが起こる。
その笑いは間の抜けたような発言の瞬一のせいか、犬になった自分の姿のせいか、惣太はわからなかった。
「どうしたんだよ? テストならこれからだから大丈夫だぞ?」
教室の入り口で立ったまま動かず喋らずの惣太を、怪訝な表情で瞬一が見る。瞬一だけではない。クラス全員が不思議そうに惣太を注目している。
「こら吉井。お前また遅刻か? 早く席に着け」
後ろから頭を小突いたのは、猿ではなく、猿顔の細川だった。
惣太は訳がわからず、自分の席に着いて恐る恐る顔を触ってみた。
つるりとしていて鼻は乾いている。ヒゲももちろんない。
隣の女の子から手鏡を借りて自分を見てみる。正真正銘、人間の姿だ。
あれは何だったんだ? 確かに犬だった。瞬一の言った柴犬の顔だった。鏡の中の犬も驚いたような顔をしていたから、あれは俺の姿だったんだ。なのに……何で今は……?
夢か? 教室に入った途端覚めた?
まさか。そんな白昼夢みたいな話が……白昼夢か。あぁ、そうか。俺は登校中に白昼夢を見ていたのか……。よく事故にも遭わずに学校に来れたもんだ。
優等生の俺は夢だったのか……。
白昼夢などという珍しい現象に自分が陥ったショックよりも、現実にはほぼないと思われる『優等生』という肩書きを失ってしまったショックのほうが強く、惣太は深い深いため息をついた。
「そのため息やめてくれ。やる気を失う」
となりの男子が嫌そうに惣太を睨んで言った。それに答えるように肩を落として小さなため息をついた。
惣太は回ってきた科学の答案用紙に名前を書き、一問目を読んでがっかりした。
解答はわからなかったが、意味の通じる、普通の問題だった。
あぁ、桜貝……あぁ、一番星……。
惣太はまた大きなため息をついて机に突っ伏した。
パコンッ、という軽い音と、頭に衝撃を感じた。
「一夜漬けで勉強でもしてたのか?」
頭を上げると、細川が手に丸めた用紙を持って立っていた。
「その割りに成果は出てないようだな。わからないなら空欄でいいが、名前ぐらいは書いておけよ」
細川の後姿を見送ってから、惣太は自分のテストに目を落とした。
さっき書いたはずの名前が記入されていない。
あれ……? 変だな……。
もう一度しっかりと名前を書く。そして問題に目を通してみる。
「うわっ。何で?」
数人がちらりと惣太に目を向けたが、たいした関心は持たなかった。
「何だ? どうした?」
教壇に戻った細川だけが、惣太に声をかけた。
「英語のテストになってる」
「当たり前だろう。今は英語の時間だ」
「科学じゃないの?」
「今は英語だ。いい夢でも見てたのか? もう……二十分は経つぞ」
細川はちらりと腕時計を見て言った。
「二十分? 二十分も俺、寝てたの?」
「そのようだな」
白昼夢ではなく、事実、眠って夢を見ていたのだ。それなら優等生な自分も、柴犬になった自分も、夢の中の出来事だと簡単に説明がつく。
「何だぁ、よかったぁ。俺、自分が変になったかと思ったぁ」
満面の笑みで心底ほっとして言った惣太だったが、細川にはその安堵が伝わるはずもなかった。
「何がよかっただ。騒いでないで――」
テストをしろ、と言ったのと惣太の暢気な声が重なった。
「なぁ、なぁ、聞いてくれよ。面白い夢見ちゃってさぁ」
テスト中だというのを完全に忘れ、惣太は前の席の瞬一をつついた。
「お前、うるさいよ。テスト中だろ?」
嫌そうな瞬一の声に続いて、細川の叱りつける声が響く。
周りからも非難の眼差しと、数人からの苦情を受け、惣太は渋々ながらテストに向き直った。




