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5人目 怒りは最後の標的を捉える

 ここまで来れば、俺の復讐は完成したも同然だ。もう誰にも、俺を止める事は出来ない。次の標的は最後の一人、河津悠斗、だ。

 俺は再び、新聞の切り抜きに眼をやった。

『女性殺害 怨恨か』

 そんな見出しがトップを飾っている。

『本日未明、N県の山奥で湯澤由美さん(21)が殺害されているのが発見された。湯澤さんには殴打された跡や首を絞められた形跡が残っており、その上で刃物を使って殺害されている事から、警察は怨恨による殺害と言う線で捜査を進めている。

湯澤さんの母親は、「あんなにいい子だったのにどうして、理不尽に胸が詰まる思い」と涙ながらに語った。関係者に話を聞いたところ、口を揃えて「とてもいい子だった、殺される理由が見当たらない」と述べていることからも彼女の人柄は窺える。』

 そうだ。あいつは見てるこっちが呆れるぐらい、お人好しだった。そんなあいつが、連中を脅したりなんかする筈がない。

 それなのに、奴らは由美を殺した。どうしてだ。どうしてあいつは死ななきゃならなかった?

 だから俺は、六年もかけて復讐の準備を整えた。由美を殺した奴らにおあつらえ向きの死を与えてやるために。

 新聞の記事は続いている。

『しかしその事によって動機がはっきりと分からず、警察の捜査は早くも暗礁に乗り上げかけている。物的証拠もないため、関係者からの聞き取りを重ねて特定する必要があり、かなりの時間がかかるものと思われる。』

 切り抜きはそれで終わっていた。

 そうだ。確かにあの事件は、無能な警察によって迷宮入りと判断された。だが、俺は初めから分かっていたんだ。誰が由美を殺したのか。


   * * *


 鼻を突く臭いと共に、俺は眼を覚ました。


 機械的な部屋だ。銀色の床、銀色の壁。そして、銀色の機械。今の俺は磔になったキリストのような格好をしている。つまり、十字架にかけられて両腕を上げた状態だ。


『ハァイ、お早う河津悠斗クン。聞こえてるかな?』


 目の前のモニターに、紫色の覆面が現れた。見慣れた、覆面だ。


「……ああ、聞こえてるよ」


 俺はそう返事をした。


『お返事ありがとう。返事をしてくれたのは君が初めてだよ』

「そうだな。今までは、誰も返してくれなかった」

『ま、それはいいとして。君、今の自分の状況は勿論理解してるよね』


 覆面の口調は、疑問と言うより確認と言う感じだ。それはそうだろう。


「当然だ」


 今俺の前方には、巨大な円柱が立っている。それもただの円柱じゃない。小さな突起が付いている、言わば巨大なヤスリだ。


『知ってるとは思うが、ルールだから一応説明しておこう。それは十字架に付けられている赤いボタンを押す事で起動して、回転しながら君の方へ迫っていく。やがて君の身は削られ、死に至ると言う寸法さ』


 勿論、知っている。


『やれやれ、既に理解している相手に説明する事ほど退屈な事はないね。さっさと始めようか』

「ああ」


 俺は十字架の右手の部分にある赤いボタンを押した。ヤスリが起動した。こうなれば、誰にもこの機械を止められない。勿論、俺にも。


『君の死に様を見られないのが残念だよ』


 覆面は本当に残念そうにそう言った。


 ギャリギャリと普通では聞かない音を立ててヤスリが少しずつ、迫ってくる。この少しずつ、と言うところが重要だ。一気に殺されたのでは意味がない。


 俺の心は、少しだけ波立っている。


 ヤスリとの距離は十センチを切った。元々そう遠くには設置していなかったから、ゆっくりと言ってもそんなに時間はかからない。


『……結局、由美を殺したのはお前なんだ』


 覆面が俺に向かって言った。


「分かってるさ、そんな事」


 そうだ。あいつを殺したのは、つまるところ俺なのだ。


『お前が復讐したかったのも、奴らじゃない』

「そうだ。――俺が殺したかったのは、俺自身だ」


 等々力や早乙女や乾や青山をどんなに苦しめても、どうやって殺そうとも、俺の中にある澱のような感情は消えなかった。今思えば、当たり前の話だ。俺が苦しめたかったのは、殺したかったのは、あの日――由美が殺された日からずっと、俺だったのだから。


『俺は、由美を殺した俺を許さない。だから俺は俺に復讐する』


 そう。そこからこの復讐はスタートした。


 俺は六年前、由美の死を知った時、その全ての責任は俺にあると思った。


 あの頃、俺たちには金がなかった。俺は自分の生活費をも投げ打って、由美に少しでも裕福な暮らしをさせてやろうと頑張った。それでも、やはり金は足りなかった。


 由美は新聞記事の通り、本当に優しい女だった。俺が由美にばかり金を回していたのを、彼女自身が嫌がった。

 だから由美は働きだした。自分のためと言うより、俺のためだった。少しでも俺に楽をさせようとしてくれたのだった。


 それでもやはり、金は足りなかった。


 さすがにおかしいと思った。これだけ働いているのに、会社からの給料はほんの僅か。明らかに不当だ。だから俺は、探偵を雇って会社の事を調べた。


 結果として、会社は悪くない事が分かった。

 会社は正当な給料を銀行に振り込んでいた。だが、それを不正に下ろしている人物がいたのだ。


 それが、青山だった。


 由美の口座に振り込まれていた給料を、青山茂が横取りしていたのだ。金が入らない筈だ。さすがの由美も、青山を糾弾した。


 だが青山は平然としていた。平然と、交換条件を突きつけてきたのだ。

 横取りをやめてほしければ、今すぐ50万よこせ。それが青山の突きつけてきた条件だった。その方が、将来的には被害は少ないだろうと。

 俺たちは警察に相談したが、証拠がないからと取り合ってくれなかった。この時から、俺の警察への認識は『無能』に変わった。


 勿論、俺たちに50万なんて言う大金が用意できる筈がなかったが、正体がばれたからだろうか、青山の横取りはなくなった。


 しかし、その頃から由美の様子がおかしくなった。夜中に飛び起きて何かを恐れるように震えたり、誰かが自分を見ているなんて言って自分の部屋に閉じこもったり。さすがの俺でも分かった。


 覚醒剤だ。

 詳しい経緯は分からないが、由美は多分、金のない生活に嫌気が差し、覚醒剤に手を出してしまったのだ。


 その覚醒剤を売ったのが、早乙女だった。


 早乙女は当時から、商社の社長と言う地位を手に入れていた。だが奴の収入の大部分は、裏でコソコソと動いていた分だったのだ。由美に覚醒剤を売ったのも、その一環だったのだろう。


 多分その後、覚醒剤で参っていた由美が、乾と等々力の悪事を知って脅迫した。そして、その結果として殺された。


 だから全て、俺の所為なのだ。俺がもっとちゃんと金を稼げていれば、もっと早くに青山の横取りに気付いていれば、由美の覚醒剤使用をきちんと止められていれば、由美が乾や等々力に脅迫をする事もなかった。そして、当然殺される事もなかった。


 それなのに。


 ヤスリが俺の鼻を掠めた。


「つっ!」


 いや、こんなものはまだまだ痛くないのだ。由美が背負った痛みに比べれば、何でもない事なのだ。


『由美が負った痛み、苦しみはそんなものじゃない。それはお前が、今まで連中に言ってきた言葉だ』


 そうだ。俺は痛みを背負って死ななければならない。由美と同等の痛みを受けて、地獄に落ちなければならない。


 数多の突起が俺の鼻を抉る。もう半ばまでなくなっていた。少しずつ、ヤスリが朱を帯びてくる。俺の血だ。


『等価交換――そうだろ、河津悠斗?』


 まさか、俺自身からこの言葉を聞くとは思っていなかった。だが、それは確かだ。等価交換。それを掲げて俺はこの復讐を開始したのだ。


 ギャリギャリギャリギャリと金属同士が激しく擦れ合う音が耳に響く。ついに俺の鼻はなくなった。今度は頬を抉られる。


 俺の心は、さっきよりも激しく揺れていた。


「落ち着け、落ち着けよ……」


 俺は常に冷静でいなければならない。復讐者は、一時の激情に駆られてはならない。


 血はとめどなく流れる。ヤスリが眼前に迫ってきて、俺は思わず目を閉じた。

 突起が俺の瞼を引っ掛け、剥がし取った。


「うああっ!!」


 駄目だ。落ち着け。これは俺が計画した事なんだ。俺が心を乱してはいけない。


 剥き出しの眼が抉られた。俺は歯を食いしばって痛みを堪える。


『もうすぐ、俺の復讐は完遂する』


 覆面、つまり過去の俺が言った。


『だが復讐が遂げられる時には、俺はもうこの世にいない。当たり前だがね。それが残念でならないよ』


 命が惜しい訳じゃない。この世に留まれないのが悔しい訳じゃない。ただ、復讐が終わるのを見られないのが、残念なのだ。


 ヤスリの音が一層大きくなる。恐らく頭蓋骨を削っているのだろう。もうすぐ、俺は脳味噌をぐちゃぐちゃにされて死ぬ。


 そう、もうすぐだ。開始から数分。


 ――もしかして俺は、苦しみたくなかったんじゃないか?


 そうだ。今まで連中は、十分以上かけてゆっくりいたぶって、それから殺した。そうするのが一番効果的に絶望と苦しみを与えられると思ったからだ。だから、俺もそうやって殺すつもりだった。


 それなのに、完成したこの殺し方は、五分程度で俺を殺してしまう。

 やはり、結局俺は自己保身に走るのか。


 もう痛みを感じる事も難しい。血が流れているような気はするが、よく分からない。感覚が麻痺してきているのだ。


 ずきん、と頭に激しい痛みを感じた。今まで受けた事のない痛み。もしかしたらもう脳味噌が破壊され始めているのかもしれない。どうでもいい。何もかも。


 俺の心は、ここへ来て初めて静けさを取り戻した。


 俺が死んだあとでも、ヤスリは止まらない。俺のからだを粉々に破壊しつくし、レールの奥まで行ったところでやっと止まるのだ。


 そうなれば、もう誰にも何も分からない。俺が俺だった事も分からないかもしれない。連続殺人の犯人が俺だったことなんてもってのほかだ。


 だから、俺がうれうことは何もないのだ。


 もうかんがえることもできなくなってきた。どうしてこうなってまでいしきをたもっていられるのかふしぎでならない。


 でも、それももうおわる。すべて、おわるのだ。


 ヤスリがガリガリとおれのなかみをけずっていく。もう、だめだ。いしきがとおのく。しかいもぼんやり、して、いしきも、もうろう、と……………

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